第95話:光明、そして天才へ

 あれから数日、クルスは様々なことを試した。

 海に抱かれたり、リラックスするためにレムレース一の大劇場へ足を運びオーケストラの演奏に耳を傾けたり(これは小市民だから逆に緊張した)、マッサージ店をはしごしたり、シャハルの実験(ラーの民間療法である針灸)に参加したり、もちろん剣を握り、動作の確認なども一から行った。

 それらを経てある程度分かったことがある。

 まず、素振りに関しては問題なく出来た。と言うと多少語弊はあるのだが、一から丁寧に型をやり直すと言う過程を経て、出来るようになった。

 ただ、問題なのは――

『……なるほどな』

『……っ』

 相手がいて、かつ踏み込まれると体が硬直して動き方を忘れてしまうこと。見えているのに、今までなら体に染みついた動きが勝手に迎撃してくれたようなものまで、まるで体が全て忘れ去ったかのように何も出ない。

 素振りで何度も、何度も、ゼー・シルトからのカウンターを試したが、結果は散々であった。自分の体ではない。何度そう思ったことか。

 虚空に向かって剣を振り回したところで何の意味もない。剣は敵に向けるものであり、敵を討つための道具である。

 ただ其処に在るだけでは何の意味もないだろう。

 八方塞がり、ずんと重苦しい嫌な感情がクルスを包む。

 そんなクルスは今、

「……」

 一人、レムリア王立学校へ訪れていた。レムレース郊外に居を構え、構内にビーチがあるほどに海が近い。潮風が砂を運び、掃除が大変そうだが隅々まで清掃が行き渡っているのだろう、何処もピカピカに見えた。

 建物の多くは吹き抜けでガラス張りなど光を取り込む構造になっている。ただ、これに関してクルスはあまり好ましいとは思えなかった。

 シンプルに夏は暑いから。

 まあ、構内は夏の利用を考えられてはいないのだろう。アスガルドの密密な石造りも夏は蒸すから、そういうものなのかもしれない。その辺りをケアしていたメガラニカの校舎が、機能美としては勝っているように思えた。

「お兄さん、ボール取ってくださーい」

「はーい」

 学校によって雰囲気が異なるのはメガラニカで体験した通りであったが、ここレムリアも今までの二校と比べて相当異なる。一番の違いは、研究棟など一部を除き全てが一般にも開放されている、と言う点だろう。

 今、ボールを投げ返してあげた子どもも、立ち姿を見るに騎士科の子ではない。レムレースの地元民、近所の子どものように見える。まあ、ここレムリア王立学校は貴族科、魔法科だけしかないなんちゃって総合学校のアスガルドとは異なり、経済や数学、物理学、化学、生物学、もちろん魔導学も、様々な分野に特化した専門学科を備えている、本物の総合学校である。ゆえに敷地はアスガルドよりも広大。かつ、人の出入りも激しく一々検問していられない、と言うのも一般開放の理由かもしれない。

「本でも読もう」

 クルスはこれまた一般開放されている分、蔵書数もべらぼうに多い学校の図書館へ向かう。広い、形が円筒形に統一されオシャレ、など素晴らしい空間である。

 何よりも本のために日光が入らない構造なのが今のクルスには嬉しい。

 結局は、

「……暑い」

 日差しがあろうがなかろうがレムリアの夏は暑いのだが。


     ○


 自分の病状について様々な本に目を通す。されど、これでと言う情報には出会えない。たまにこれで十割完治、万事解決、みたいな誇大表現があったりもするが、全てが情弱向けの、三流感溢れる書籍ばかりだった。

 まあ、こうして素人がちょっと調べたくらいで解決法が見つかるのなら、それこそ医者など必要ない。わかっているのだが、それでも何かしていなければ気が済まない。ここまで常に何かをすることで乗り越えてきた。

 今更、何もしないなんて出来やしない。

 だけど、今は何をしても――

「……」

 とりあえずレムリア構内の海に浮かぶクルスであったが、すぐさま砂浜へ戻り考え込む。今自分は何が出来るのか、何をすべきなのか。

 何故こうなったのか、これは考えても仕方がない。

 削ぐ。

 治す方法、これも医者が治療法は無いと言っているのだ。考えるだけ無駄。

 削ぐ。

 削って削って削って、無数にある選択肢をさらに削って、どんどん削って、何も残らなくなるほどに削って――

「……試してみるか」

 今出来そうなことを削り出した。


     ○


「おお!」

「……ふぅ」

 対峙していたノアは嬉しそうに驚き、クルスはようやく光明が見えたことに安堵する。光明と言っても、要は妥協の産物でしかないのだが。

「なるほどね。道理だ」

 シャハルも納得の解答。踏み込まれると体が硬直するなら、踏み込ませなければいい。クルスは思い切って再び、ゼー・シルトを捨てた。この型は守りの型であり、相手に踏み込ませてなんぼの型でもある。自然と懐深く受けねばならないし、もしかするとそこが問題なのでは、とクルスは考えたのだ。

 その結果、昨年アスガルドで血の滲む思いで得たソード・スクエアに回帰する。さらに極力前で捌くことを徹底し、相手を近づかせぬ立ち回りであれば――

「おーおー、きちんと戦えるじゃねえか」

「……みたいだね」

 何とか戦える。得手を封じられるのは苦しいが、その経験はすでに昨年嫌と言うほど積んでいる。ようやく解禁、と言うところで戻るのは辛いが、身体が動かずに何も出来ないよりはずっとマシである。

「さて、交代しようか、ノア」

「おン? なんでよ?」

「ここから必要なのは強さと言うよりも微調整だ。ボクはそういうのが得意でね。しっかりデータを取ろうじゃないか」

 シャハルが剣を抜く。

「クルス・リンザールが今、何処までやれるのか、を」

 何処まで踏み込まれたら身体が硬直するのか。何処までならば身体は十全に動くのか。それらを調査する必要がある。

 これから先、こうやって誤魔化してでも剣にしがみつくのなら。

「……リンザールより強くねえと測れねえぞ?」

「今のクルスなら問題ないよ。別にボク、得意じゃないだけで普通に強いからね」

「ほォ」

 シャハルの悠然とした、大仰な構え。自らを誇示するような独特の型は、彼独自のもの。彼が自らのために、自らの骨格を、肉質を、適性を数値化し、彼なりに最適化したフォームは、異様な雰囲気をまとっていた。

 三強を知るクルスをして惑う。

 彼らとは違う。だけど、間違いなく強い、と。

「まず、ここ」

「っ!?」

 しなるような体の使い方。人間とは別の、四足動物のような俊敏な加速。あっさりとシャハルの剣は、硬直したクルスの喉元に突き付けられた。

「ゆっくり調べようか。今の君を」

「……ありがと」

 これだけで出来るなら、あの時戦ってくれてもよかっただろ、とクルスは思う。少なくともメガラニカに集った特別チーム、あの精鋭たちの中でも相当上位の実力があった。一つ上とは言え、ここまでとは思わなかったのだ。

 これで医者であり、クルスは知らぬが魔導生体学の研究者でもある。

 万能の天才、シャハルことレイル・イスティナーイー。その実力をクルスはここから、嫌と言うほど味わうこととなる。

「やるねえ」

 まあ、ノアからすれば凡人の割にはまあまあ、と言う評価になるのだが。この辺は結構シビアな目利きであった。


     ○


 これでいく、と決めてからクルスはソード・スクエアを深めるべく精を出した。加えて自分の課題でもあった攻め、今後はこれを中心に戦いを組み立てる必要がある。攻撃は最大の防御、相手に踏み込ませないためにもそれを磨く。

 不幸中の幸いと言うべきか、

「おや、それは……ふふ、貪欲な男だね、君は」

「まあね」

 厳密には少し異なるが、ソード・スクエアの見本となるべき人物がメガラニカにはいたのだ。メガラニカのエース、テラ・アウストラリスである。

 彼の剣から使えそうなものを抜き取る。恥も外聞もない。

 今は、そうするしかなかった。

 オフバランスで体を大きく動かし、さらにオンバランスを織り交ぜることで変則的な剣を生む。攻めに独特な緩急が生まれ、より深みが増した。

 とにかく出来そうなことは何でも試す。使えそうなものは何でも使う。

 それに剣だけではない。停滞していたが魔力の使い方や体のトレーニングも再開する。少しだけ立ち止まっていた分を取り戻すかのように。

 必死に、全力で――

「……頑張るねえ」

 ノアはその光景を一瞥し、じいと共に買い出しへ出かける。

 今日はパーティなのだ。

 お別れの。


     ○


「あんたらこそこそと何してたの?」

「男同士の秘密だよ」

「キショ」

 久方ぶりのラビもノアの屋敷へご招待。全員が席についていた。まあ、全員と言ってもエウエノル家の当主たちは基本、夏季休暇中は涼しい北国の避暑地で過ごすため、ノアの御付きである執事やメイドぐらいしかいないが。

 そして当主不在の中、当主代行としての責任を負うノアは食卓にはいない。

 まさかの、

「おあがりよ!」

 クルス、シャハル、ラビ、そして自分、あとじいたちの分もこっそりと、ノアが自らの手でおもてなしの料理を作っていたのだ。

 こんな大仰な部屋でどんなコース料理が出てくるのか、とクルスは緊張していたのだが、ノアが運ばせた料理は底の深いお皿に、なみなみと注がれたスープ、それだけであった。全員が首をかしげる。

 これ、どうやって食べればいいのか、と。

「構想十年、この俺様の全てを注ぎ込んだ究極の焼麺、いや、ノア麺だ!」

「焼麺? あ、スープの中に麺が入ってる」

 クルス、驚愕。

「……普通に焼麺食べたいんだけど」

 ラビ、不満げ。

「実に興味深いね。好奇心がそそられる見た目だ」

 シャハル、わくわく。

「魚介、さらに牛や豚の骨から出汁を取った究極のスープに、様々な魚で作った魚醤をブレンド。試行錯誤の末生まれた究極の麵料理だ」

 ノアは自信満々である。

「……よ、よし、食べてみるぞ!」

 クルスは勢いよく、フォークを麺に絡ませ、スプーンの中に小規模なノア麺を形成、スープと共に麺を喰らう。

 その瞬間、

「……あっ」

 料理の世界ランクが変わった、そんな気がした。

「……うっそ」

 ラビ、驚きに目を見張る。

「……なるほど。認めざるを得ないね、天才だ、君は」

 万能の天才シャハルすら脱帽する、究極の料理。

 ノアは生み出してしまったのだ。ここより先、ミズガルズで革命的な広がりを見せる麺料理の、一つの到達点であるものを。

 其の名をノア麺。

 のちに訛り、ノァーメン、ナーメン、と名を変える料理の発祥こそがこの男、元祖ノア麺創始者、ノア・エウエノルである。

「だっはっは、どんなもんよ!」

 天才は、いる。

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