第94話:心の傷

「結論から申しますと、すでに傷はほぼ完治しておりますし、肉体的には何の問題もありません。体は健康である、と言うのが診断になります」

「……よ、よかった」

 クルスは朝早くからノアに叩き起こされ、爺やの運転でレムレース随一の病院で検査を受けていた。シャハルも同行し、何故か医師側で動いていたが、それに対して突っ込む余裕は今のクルスにはなかった。

 だが、問題はないと医者のお墨付きをもらったことでクルスは安堵する。

「逆だよ、哲学者君」

「え?」

「問題がないから問題なのさ」

 クルスは首をかしげる。シャハルの言っている意味がわからなかったから。

「……これらは分類分けが難しく、あくまで状況から推察するしかありませんが、局所性ジストニア及び心的外傷ストレス障害、こちらを併発しているのでは、と考えられます。一つは反復動作による脳の異常、一つは心の、精神的な異常です」

「は、はぁ」

「ボクから見ても君は鉄壁だったよ。完璧な、理想的な受けを、尋常ではない数こなしていた。死と隣り合わせの反復動作だ。状況は当てはまる」

 クルスとしては、その部分は別に無理をしたつもりはなかったのだが、シャハルはともかく医師もそれを否定していないとすれば飲み込むしかない。

 まあ原因は分かった。それは良い。

「あの、それで、どうやったら治りますか?」

 問題は其処。治し方さえわかれば原因などどうでもいい。

 そう、

「……」

「……な、何黙っているんですか? シャハルも、何か言ってよ」

 問題は、

「治療法は確立されていない」

「……は?」

 それが無い場合、であった。

「厳密に言えば対症療法や、あまりおすすめ出来ませんが別の症状に対する薬を投薬することで緩和、することもあります。いずれも完治を保証するものではありません。後者の場合は薬の副作用とも付き合わねばなりませんし」

「……お、俺、健康なんですよね?」

「外傷はありません。ただ反復動作、強いストレス、死への恐怖、様々な要素が絡み合い、脳に、心に異常をきたしていることもまた……事実です」

 医師の宣告。クルスは表情を歪ませる。

 だって、身体は万全なのだ。もう痛みはない。立てる。歩ける。走れる。いつもと何も変わらない。なのに、なぜ当たり前のことが、出来ない。

「俺は、どうすれば?」

「ボクのおすすめは剣を置き、別の道を模索することだね」

 シャハルの無慈悲な言葉に対し、

「黙れよ。俺は医者に話聞いてんだ」

 クルスは殺意にも似た視線を向ける。

「ボクも医者だよ。ラーではきちんと免状も貰っている」

「……そんなの信じられるか」

 クルスからすれば一つ上の先輩、でしかない相手。まさか騎士科自体が副業みたいなものだとは。彼を知らぬクルスには想像の埒外であった。

「彼の免状は私が確認しました。有資格者ですよ。生物を解剖した数なら、私など比較にもなりません」

「専門は魔族だけどね。比較で人も切るけれど。それに、ボクは君に一度も、騎士科が本筋だと言ったことはないよ。騎士科は息抜きに取っているだけ、だ」

「……っ」

 考えたこともなかったが、シャハルの超然とした態度が納得感を生み、加えて医師がそれを裏付けた以上、疑問を挟む余地など無い。

「……剣を置く気はない」

「何故?」

「俺には剣しかない。騎士に成る以外の道はない」

 金、名誉、家柄、何も持たぬ自分が唯一持っている剣。ただそれのみを頼りに生きていくと決めた。ただそれをのみを支えにここまで来た。

 今更、捨てる道など無い。

 それに――約束もある。

「それが金の問題なら、ボクが面倒みるよ。丁度、身の回りの世話をしてくれる人が欲しかったところだし、ボクは君に好意を抱いているからね。ボクとしてはむしろ手間が省けてありがたい、ってとこかな。どう?」

「……金の問題じゃない」

「おや、残念。でも、脳、それに連なる心の問題は厄介だよ。未だわからないことが大半だ。ゆえに解決策もまた、わからない、と言うのが医師の偽らざる本音さ。対症療法で完治した者もいれば、投薬で治った者もいる。治らなかった者も沢山いる。剣を捨て心の安寧を取り戻した者もいれば、そうでない者もいる」

「……要は、何もわからないってことか」

「そういうこと。ある意味、君はフレン・スタディオン以上の傷を負ったのさ。何処に傷があるかもわからない、不治、かもしれない傷を、ね」

 クルスはことの深刻さを噛みしめる。昨日の夜までは、やってやるぞと思っていた。早く剣が振りたい、練習がしたいと熱望していた。

 今は、剣を握るのが怖い。

 現実を直視するのが怖い。

 騎士に成れないかもしれない、それが怖い。

「うちの客人だ。金に糸目はつけねえ。色々と試してやってくれ」

「……ノア」

「頼んます」

 あのノアが、自分のために頭を下げてくれた。お金まで出してくれると。ありがたい話である。同時に情けなく、申し訳なく思う。

「善処します」

「まあ、これも実験だね。未知に対し我々が出来るのは試行回数を稼ぐのみ、だ」

 シャハルも全て現実を突きつけてきただけ。悪意がないのもわかっている。余裕のないクルス自身が悪い。他人である彼らが骨を折ってくれている。

 感謝するべきなのだ。

「……よろしく、お願いします」

 今はただ、その善意にすがるしかない。

 これよりクルス・リンザールの、とても長く険しい、地獄が始まる。


     ○


「とりあえず、困った時は海に抱かれるのが一番だ」

 病院で副作用が弱めの薬を処方してもらった後、ノアが二人を引っ張りエウエノル家が所有する船に乗せ、大海へと漕ぎ出した。漕ぎ出す、と言いつつも最新の魔導エンジンを搭載した船であり、人力とは比較にならぬ速力ではあるが。

「……ど、どこ行くの?」

「細かいことは気にすんな。お前は今、ただ風を感じていればいいんだよ。そうだろ、ヤブ医者ァ?」

「そうそう。細かいことは気にしない気にしない」

「……はぁ」

 海風を浴び、快速船はぐんぐんと進む。レムレース近海は大小合わせて百以上の島が点在しており、それらが外海からの波を遮ることで年中凪いだ海が味わえる、と言うことらしい。実際にかなり大陸から離れたが、海は凪いだまま。

 潮風だけが色濃くなっていく。

「でも、気持ちいいなぁ」

「風と太陽、そして海だ。万病に効く。早死した親戚が言ってた」

「……死んでんじゃん」

「はっはっはっは!」

 なるべく明るく振舞うことで深刻さを取り除く。暗い時ほどノアは明るく振舞う性質なのだろう。今はそれに救われていた。

「あそこへ行くの?」

「おう。うちとアマダが半々で所有する島だ」

「し、島!? ノアの家って島を持ってるの?」

「レムレースの金持ちはみんな、大体所有してんじゃねえか? うちももっと陸に近いとこが欲しかったんだが、なかなか空きが出ねえんだよ、人気でさ」

「か、金持ちしかいねえ」

「そりゃあ万事金のかかる騎士への道を子どもに進ませようって家は、大体どこも金持ちだろ。うちなんてそこそこだと思うぜ、マジな話」

「……俺、犬小屋なんだが」

「逆にすげえわ。尊敬だな、尊敬」

「……嬉しくないね」

 快足の船を飛ばして三十分ほど。エウエノルとアマダが共同保有する島に辿り着いた。昨日の砂浜も見事であったが、ここは大陸から離れている分、

「……言葉にならない」

「絶景だね。ひねくれ者のボクも素直に賞賛するしかない」

 白亜の砂浜、海の透明感は昨日よりもずっと透き通っている。それこそ船の上から数メートル、下手すると十メートル下の水底が見通せるほどに。

 まさに楽園、と言う言葉しか出ないほどの島である。

「意外と悪くねえだろ。つーわけで、ほれ」

「いいね。え?」

 ノア、船の上からクルスを蹴っ飛ばす。

 クルス、海へドボン。

「言ったろ? 海に抱かれろって」

「だからって蹴ることないだろ!」

「やいやい言うな。いいから黙って海を感じとけ。まさか泳げないとかないよな?」

「お、泳げるに決まってるだろ!」

「たまにいるからなぁ。騎士科の癖に内陸出身者で泳げない奴」

 一年前までその泳げない奴だったクルスはちょっぴり強がりながら潜水する。アスガルドの海とは大違いの透明感。潜水するとなおわかる。

 周りが本当によく見えるのだ。サンゴも、色とりどりの魚も、視界を遮るものは何もない。こんなにも鮮明に見えるものなのか、と感動してしまうほどに。

 クルスが海中で感動している中、

「あの子には言わないのかい?」

「アマダか?」

「そう」

 ノアとシャハルは何とも言えぬ表情で会話していた。

「言わねえだろ。知ったら気兼ねする。そうならない場合も同じ学校の学生だ。最も身近な競争相手だ。……俺様にとっては関係ない話だが、凡人にとって限りある騎士の椅子を奪い合う敵だろ。弱みは見せるべきじゃない。互いのために」

「君は無駄に気が回るねえ」

「……別に。ただ、俺ならあの時、割って入ることが出来た。全力を出せば二人とも間合いから外すぐらいは出来た、と思う。それだけだ」

 強者の責任。天才の悔い。あの場で騎士として最善な行動を取れたのはフレンだけであった。いや、クルスも実力さえ届いていれば最適ではあったか。

 ノアは間違えた。動かなかった。

 善意もあるが、その後悔が彼を突き動かしている側面もあった。

「で、真面目な話、どうなんだ?」

「どう、とは?」

「リンザールは治るのか?」

「……わからないよ。心の問題だからね。正直さ、ボクは彼が敵や死への恐怖でこうなっているとは思っていない。だって、そもそも彼、命にそこまで頓着していないだろ? 何が彼を突き動かしているのかわからないけど、ね」

 シャハルは見た。災厄の騎士に接近された時、彼は笑っていたのだ。誰もが死を予感し固まっていた状況で、彼だけは笑みと共にあの時点で出せる最高の動きをした。ただ、それが届かなかっただけ。

 何一つ臆してなどいない。その部分に弱さは見えなかった。

「……」

「君が彼を騎士として評価していないのもさ、彼の歪みが原因だろ?」

「……別に評価してねえわけじゃねえよ。腕は立つ。気合も入っている。俺に足りない部分がある。性格を度外視すりゃ、部下に欲しいぐらいだ」

「性格を度外視、ねえ」

「其処が一番の問題だろ。あいつがアマダとかみたいに割り切れるタイプなら、素直に高く評価してやれる。だが、あいつは謙虚なようでクソほど欲深い。最初から視点は生意気にも、天辺しか見てねえ。あの器でだぞ?」

「其処が彼の面白いところじゃないか」

「……努力の天才を俺は知っている。俺にとってはあいつが才能の下限だ。頂点を狙うなら、な。そいつとリンザールの器の差を、努力で埋めるってか? 努力の天才相手に? ありえねえよ。俺とあいつ以上の差があるだろ、器だけ見ても」

「……輝ける男、か」

「ここで剣を捨てる道が取れるなら……それが一番だと思うんだけどな。別に騎士なんてよ、そういうのが得意なやつがやればいいんだ。何かを生むわけでもなし、そんなに憧れるほど立派な仕事でもねえだろうに」

「あはは、ボクもそう思う。けど、彼はそう思わない。思えない」

「……馬鹿だぜ。本当によ」

 ノアはため息をつく。クルスが自分たちと同じ領域を目指すこと。災厄の騎士、秩序の騎士の領域を目指す無謀。

 その道が今、断たれたなら悪い話ではないと彼は思う。

 それをクルスが飲み込めたなら、だが。

「シャハル! こっち来てみなよ! 凄いよ!」

「そう? なら、お誘いに乗ろうかな」

 彼らは海を存分に満喫し、島内の泥温泉にも浸かり、まったりと体も心も休めた。だが、残念ながら今日もまた、剣を振るうことは出来なかった。

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