第93話:クルス、死す
澄み渡る空、燦々と降り注ぐ太陽。
ここは常夏の、と言うのは真っ赤な嘘だが比較的暖かい気候の国、レムリア。目の前には開放感あふれる白い砂浜が煌めいている。
真夏のレムリア、世界で一番陽気な場所で――
「……」
クルス・リンザールは白目を剥き、項垂れていた。この一点だけログレスやアスガルドもびっくりの陰気臭さである。パラソルの下、日陰でゆっくりと寝転がるラビの隣で体育座りをするクルス。傍目にもわかる敗北者感。
『初めまして――』
『イリオスから来ました――』
『アスガルドの騎士学校で、あ、レムリアの、そう』
最後の手段、学歴マウントと言う禁断のカードを切ったのに、それすらもまさかの相手が御三家レムリアの学生だったため不発。
これ、後々陰口叩かれそうだな、とか暗い考えが過る。
惨敗、大敗、歴史的敗戦を喫したクルスは静かに息を引き取っていた。
「……ラビ、俺の敗因を教えて欲しい。女子目線から」
幼馴染ともそれなりに上手くやっていた。学校に入ってからも恋愛に発展こそしなかったが、周りは女性陣が多く仲良くも出来ていたと思う。
正直、イケるんじゃないか、クルスは内心そう思っていたのだ。
しかし結果は、このざま。
「……優しいのときついの、どっちがいい?」
「優し、いや、きついので」
「……根本的に自信が足りない。ルックスってのはある程度で充分。あとは自信満々なオーラが出ているか、強そうな雄か、そう言う部分を女は見るし、嗅ぎ取るわけ。大事なのは別にこの場合、何かを成し遂げている必要も、実際に強い必要もないの。それっぽい、根拠がなくてもそう見せられるかどうかが大事なわけ」
「……ちなみに、ある程度って?」
クルスの縋るような問い。
「……其処は女の審美眼次第じゃない? 各人、足切りラインはあるから」
「……俺は?」
「……私だったら足切り、かな」
「ぅ、ぅぅ、ぅぅ」
クルス、男泣き。
「まあまあ、リリアンはクルスのことイケメンって言ってたよ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。だから今度遊びにでも誘ってあげてね」
「うん、わがっだ」
ちゃっかり友人のフォローも決める出来る女、ラビ。親切心もあるが、四学年に上がった際に跳ね上がる座学の対策として、頭の良いリリアンに貸しを作っておこう、と言う邪な考えもあった。ちゃっかりしているのだ。
「自信、か。じゃあ、ノアの圧勝だね」
「いや、圧勝はない」
「へ?」
断言するラビへ視線を向けるクルス。
「ここがレムレースじゃなければ……いや、数を競う段階で無理か」
「どういうこと?」
「いつもの視野はどうした。見りゃあわかるでしょうが」
「……」
先ほどまであまりにも辛い体験をしてしまったことから、無意識に砂浜から視線を外していたのだが、勇気を出してそちらへ視線を向ける。
其処には、
「へい彼女、俺様とお茶でもどう?」
「俺と遊ばない?」
「俺ちゃん、絶対楽しませるからさぁ」
目につく女性に片っ端から声をかけまくるノアの姿があった。試行回数を重ねるのはナンパの基本である。ある程度清潔感があれば、百回声をかけたなら一回は成功する、と言う謎の試行実験もあったそうな。
だが、ノアの場合は明らかにやり過ぎであった。
「……て、手当たり次第かよ」
「根っこが馬鹿なのよ、あいつ。人からどう見られるか、全然わかってないし興味もない。だから、ああなる」
他の女性に声をかけている様を目撃してすぐ、次々と声をかけられて気分のいい女性などいないだろう。実際に彼は撃沈しまくっている。それでも微塵もへこたれないし、むしろ楽しそうな姿には一種の畏敬を覚えてしまうが。
「最初の一人目が釣れない時点であいつの負け。と言うか釣ったとしても数を競うルールである以上、全く同じムーブし始めるから……負け。しかも地元レムレースで、地元民も多いから……もはやノアってだけで勝ち目ゼロ」
「……そ、それでなんで、あんな勝負を?」
「そりゃあ勝てるって思っているからでしょ。馬鹿だから」
「……そっかぁ」
三強の一角、ノア・エウエノル。あれだけの才能と優れたルックスを兼ね備えながら、なぜ人はああも残念な立ち回りが出来てしまうのだろうか。
逆に凄い人なのでは、とクルス辺りは思ってしまう。
「まあでも、一応あんなのでもモテるはモテるのよ」
「そうなの?」
「よーく、見てみ? 物陰にいるから……ノア女が」
「……あっ」
パラソルの下、其処に出来た影など生易しいほど隅の、ほの暗い部分に潜む邪悪な気配。ひっそりと其処に、ノアを見ながら目を血走らせる女たちがいた。
しかも、複数。
「ルックスは良いし、ああやってモテようとしていない時は意外と気が回るでしょ? 其処に惹かれる女が一定数いるわけ」
「じゃあやっぱりノアの勝ちじゃん」
「ところがどっこい。其処がまたあの男のクソポイント。あいつ、自分から釣りに行くのは好きだけど、釣られに来た女には興味がないの」
「は?」
「もっと言うと、釣った後の女にもあんまり興味がない。あそこでノア女と化したメンヘラの化け物たちにはね、数少ないナンパ成功後、ポイっとされた哀れな子たちも混じっているのよ。打ち捨てられた哀れな魚がね」
「……ドクズじゃん、ノア」
「あれは女の敵。覚えときなさい」
あくまでゲーム感覚。本当に釣りと同じ感覚で声をかけているのだろう。だからいくら失敗してもへこたれない。次へ次へと向かえる。
軽薄を通り越して、一人だけ違う世界で生きているようだ。
「……ノア様の悪口が聞こえましたが?」
「ひっ!?」
クルスとラビの背後に、背の高い女性がゆらりと、幽鬼の如く現れる。視野の広いクルスが接近に気づかぬほど、その足取りには気配も音もなかった。
「……こいつがノア女の成れの果てよ、クルス」
「黙れ、ラビ・アマダ。私をあの連中と一緒にするな。私はノア様に仕える忠実なる下僕であり、あの御方の右腕ですの。私の全てはノア様のためにある」
「そういうところが拒否られてるって、なんでわかんないのかなぁ」
「……拒否られてねえし。つか、落ち目のアスガルドでも落ちこぼれた負け犬がなに対等な口利いてるんですかァ?」
「あ、ノア」
「ッ!?」
幽鬼のような女性が、ラビの一言で退散する。あまりにも速い撤退、クルスは目を疑った。この砂浜で、いったいどんな機動力を持っていると言うのか。
「……誰?」
「……一応、幼馴染で、ノアの狂信者。で、レムリアの第二位」
「……え、あの子が、二位なの!?」
「三学年のね。元老院議長の家柄だから名門だし、腕も確か。フレイヤとかその辺りぐらいの実力かな。私如きにはわかりかねますがね」
「へえ」
すでに影も形もなくなった彼女を見るに、確かに只者ではないのだろう。
「おー、呼んだかぁ?」
ラビの声を聞きつけたのか、笑顔で連戦連敗を重ねたノアが戻って来た。ノア女の存在を知ってしまった以上、クルスは彼を直視できない。
「釣果は?」
「おン? まあ、今日は調子が悪いな」
「クルスもボウズ。とりあえず引き分けでよくない? 私飽きたんだけど」
「ぶは、お前誰も引っ掛けられなかったのか。あはは、ダサいなぁ」
「君、よく人のこと笑えるね」
ゲラゲラと自らもボウズの癖にクルスを笑うノア。この男は何処まで図太く出来ているのだろうか。尊敬はしたくないが凄い人物ではある。
尊敬はしたくないし出来ないが。
「しゃあねえな。今日のところは俺様の寛大な心で引き分けにしといてやるよ」
「……ありがとー」
心にも無い謝辞を述べるクルス。
「で、もう一人は何処だ?」
「あ、そっか。シャハルは――」
丁度、彼もまたこちらへ向かってきていた。遠目からでもわかる、異様と共に。
「……な、なんだ、ありゃ」
あのノアが絶句する。クルスも絶句する。ラビも絶句する。
其処には、
「おや、どうしたんだい?」
王の姿が在った。
大勢の女性に担ぎ上げられ、さながら神輿の如く女性の上で君臨するシャハル。とにかく目立つ。目立たないわけがない。
複数の女性の上で彼は、威風堂々と座禅を組んでいたのだ。
まるで組体操が如し、王のための座椅子。
「女性の姿が見受けられないけれど。あ、降ろして」
「ハィィィイイッ!」
ゆったりと、女性が形成する階段を足蹴に、生まれながらの王は大地へと降り立つ。女性のみならず、人を踏みつけるのが当然と言わんばかりの立ち姿。
「……」
あのノアが口も利けない。それほどまで圧倒的な光景であった。
「椅子」
「はい、シャハル様!」
女性がフォーメーションを変えて、椅子へと姿を変える。騎士もびっくりの連携。一体何をどう教えたらここまでスムーズな連携が可能となるのであろうか。
しっかり足の置き場(人間)すら用意されている。
「ボクの勝ち?」
「「はい」」
文句なし。
ナンパ聖帝シャハル、レムレースのビーチにて君臨する。
○
その後、シャハルガールズは彼の手拍子一つで即座に解散。ノア女のような怨念が生まれることもなかった。もはや彼の存在自体が一種の魔法である。
こっそりとコツを聞いたが、
「ただ付いて来て、と声をかけただけだけど?」
「そっかぁ」
どうやらクルスの理解が及ぶ事象ではないらしい。
とりあえず長旅の疲れを癒すために、勝者であるシャハルの命令は一階保留にし、一行はノアの実家へ足を運ぶ。
途中でラビが「じゃ、私も実家に帰るから」と離脱。ノアが「また明日なぁ」と手を振るも返事はなかった。
まあ、
「明日は四人で何して遊ぶ?」
「……さすがだね」
その辺りはノア。返事のあるなし程度で曲がるほど繊細には出来ていない。彼の中では誘った時点で予定は確保されているものと見做されるのだ。
とんでもない話だが、もうさすがに慣れた。
そして――
「おお! ここがノアの家、でっかい!」
「そうかぁ? 普通だろ」
「中流家庭ってとこかな? ボクは好きだよ、こういうこじんまりしたところ」
「ま、上流とは言えねえよな、エウエノルは」
クルス目線では豪邸に到着する。その辺の公園より広い庭。何部屋あるのかわからない三階建ての、横に長いお屋敷。
どう見たって豪邸である。なのに、この二人にとってはこじんまりとしか映らない模様。信じ難い話である。意味がわからない。
「子どもの時はすげえ広いと思ったんだけどなぁ」
(すげえ広いよ)
クルスの感覚がおかしいのだろうか。それとも世界がおかしいのだろうか。
「そういやリンザールの家ってどんな感じなんだ?」
「……それ聞く?」
「そりゃあ聞くだろ。興味があるんだから」
察してくれ。気の回る君と回らない君は別人なのかい、と問いたくなる気持ちをぐっとこらえ、クルスはしぶしぶ丁度良さそうな比較物へ指をさす。
「……俺の家と同じくらい、ってこと?」
「違う。あそこの建物」
「「……?」」
ノアもシャハルも首をかしげる。
「あそこにあるだろ、木造のさ。あれぐらいだよ、俺の家」
「「は?」」
ノアとシャハルが絶句する。
だってあそこには、
「……あれ、うちで飼っている犬の小屋なんだけど」
ノアたちの基準では人が住むような場所はない。
「あっはっはっは。だから?」
「……ごめんなさい」
貧民の圧が富者である二人を絶句させ、頭を下げさせた。
「ちなみに、一人暮らし?」
それでも好奇心が押さえられないノア。
「両親と兄と俺、昔はそこにじいちゃんばあちゃんもいたよ」
クルス、さらに圧をかける。
「……ろ、六人」
「信じ難い。しかし、嘘をついているようにも思えない」
「こんな嘘つかないよ」
ビーチではシャハルが放つ王の威光を前に膝を屈したクルスであったが、今回はその意趣返し。貧者のプレッシャーが彼らの常識を打ち砕く。
「今度俺、遊びに行っていいか?」
「絶対嫌だ」
しゅん、と肩を落とすノア。クルスが放つ絶対的拒絶を前に、天上天下唯我独尊二人組も推し切れぬと判断し、肩を落としトボトボと家路につく。
世界広しと言えども、この二人をへこませることが出来た者は、実はクルスが初めてなのではないだろうか。
そんな意味のない称号と共にクルスもまたエウエノル家へお世話になる。
○
ノアは質素と言っていたが、クルスからすれば御馳走をたらふく食べたあと、ゆったりと談話室でシャハルとボードゲームに興じていた。しかしこのシャハル君、鬼の如く強い。そのためかじった程度のクルスではまともな勝負にもならず、シャハルによる戦術講座が開かれていた。これはこれで楽しい。
其処へ、
「リンザール。表出ろ!」
バーンと扉を蹴っ飛ばし、ノアが颯爽と登場した。
はしたない、と背後で爺やに小突かれているのはご愛敬。
「いきなりどうしたの?」
「馬鹿。お前馬鹿。いいか、この俺様は海の如く寛大で、慈愛に満ちた存在だ。あと超天才な。そのノア様が招待した以上、他の選択肢よりも良いものを提供する義務が、この俺にはある。だから、俺様と剣を交える権利をやろうって話よ」
「……あっ」
「稽古をつけてやる」
「あはは、望むところだ」
やっぱりモテること以外は気の回る男だ、とクルスはノアに感謝する。メガラニカでは剣を合わせる機会がなかったから。
少し興味があったのだ。
今の自分がどこまで、三強に通用するのか、が。
(……イリオスではイールファスに瞬殺された)
かつて衝突した最初の壁。圧倒的格上であり、多分年長者でもある『先生』に敗れるのとはわけが違った。こんなにも同い年で違うのか、と絶望したものである。
(ユニオンではソロンに圧倒された)
二度目は輝ける男。全てにおいて上回られた。執念で肉薄したが、それすらも掌の上。まだまだ距離を感じた。記憶に新しい敗北。
だけど、メガラニカで自分はさらに多くを得た。たったひと月にも満たぬ時間だったが、充実していたし成長した確信もある。
まだ届かないのは承知の上。
されど――
(ノアは、どうだ?)
三度目はただで負ける気はない。
庭でクルスとノアが対峙する。それを立ち会う形でシャハルもまた興味深そうに、二人の稽古、と言うよりも決闘を見つめていた。
「力の差がある相手と剣を合わせてもよぉ、互いに得るものはない。もちろん、教える側なら話は別だが、俺らは同じ学生だしな。それは筋違いだ」
「なら、君は差がないと思ってくれたのかな?」
「馬鹿たれ。ナマ言ってんじゃねえ。俺の方がずっと上だ。だが、速い、と強い、は得意なんだろ? なら、少しは得るものがあるかも、ってだけだ」
ノアの眼、其処に自分が映っていることが嬉しくて、クルスは相好を緩ませた。ほんの少しでも、目の前の天才に認められた。
これからもっと、執着させて見せる。
「構えな。まずは準備運動と行こうぜ」
とん、と軽快なステップを刻み、
「遅れんじゃねえぞォ!」
三強最速、ノアが動き出す。
馬鹿げた加速力。初見なら剣を合わせるゆとりもなかった。しかし、クルスはもう彼の速さを見ている。災厄の騎士との戦いで見せた全力疾走を。
それに比べたらずっと遅い。
これぐらいなら――
(うん、大丈夫。見えてる)
ゼー・シルト。しっくりくる。災厄の騎士との戦いを終え、病院からここまで一度も剣を抜いていない。それでも剣は手に馴染む。
問題ない。ここからこの天才をどう認めさせるか、そればかりを考える。
そればかりを――
『来い! 俺が相手だ!』
考えていた、のに。
「……おい、どうした? 見えてはいるよな?」
ノアの剣はクルスの喉元に添えられていた。ノアはきょとんと首をかしげる。彼もクルスを知る以上、最初は当然応手できる速さで突っ込んだ。防がれる前提の突貫、そのはずだったのに――
「あ、あれ?」
クルスはゼー・シルトの構えから微動だにせず、ただ突っ立っていた。クルスの額には汗がにじむ。それでもまだ、身体が動かない。
先ほどまで馴染んでいた剣が、途端によそよそしくなる。
剣の振るい方がわからない。型が、わからない。
「……お、おかしいな。ごめん、もう一回、頼むよ」
「……おお。何度でも付き合ってやるよ」
クルスの肩をポンと叩き、ノアは今一度距離を取る。クルスの変調、何が起きたのかはノアにもわからない。ただ、わからないなりに推測は出来る。
何よりも――ちらりとノアはもう一人の存在へ視線を向ける。
彼の表情が語る。
「来いッ!」
「……おう」
ことの深刻さを。
この日、クルス・リンザールはただの一度も、剣を振ることが出来なかった。
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