第92話:海は広いな大きいな

「……」

 現在、魔導車についての法整備は様々な国で進められている。ここレムリアでも同じ。実験的に都市を網羅する長大なハイウェイを設け、如何なる問題が発生し、その穴を埋めるかの議論が交わされている最中である。

 そう、最中なのだ。

 数年後制定される見込みの免許制度や、それに伴う年齢制限。安全への配慮から設けられる速度制限など、現在存在していない。

 だから、

「速いってことは素晴らしい。時速50キロで100キロを踏破しようと思えば、何と2時間も消費してしまう。人生、いつ何時死ぬかもわからないのに2時間だぞ? そりゃあもったいねえよ。時速100キロなら1時間。200キロなら30分、マッハならざっくり5分、と削った分人生が豊かになるわけだ」

 ノアはルールが存在しないことをいいことに、アクセル全開でハイウェイをかっ飛ばしていた。とにかくこの男、ブレーキを踏まない。前に車がいればぶち抜く。針の孔ほどの隙間があれば其処を通す。カーブではギアを弄りながら極力速度を落とさず、タイヤを擦りつけ、滑らせるようにコーナリングしていく。

「……」

 最初は悲鳴を上げていたラビはすでに気絶し、後部座席のクルスとシャハルは目を白黒させながらノアの車に翻弄されていた。

 ちなみに、当たり前だがこの車改造車である。速度制限が存在しないのは、そもそも現行の車では大した速度など出せないから、と言う前提があればこそ、ルールを設けるより早く車や道路を実装しても問題ない、とされていた。

 しかし現実はノアのような物好きたちが自前で二台分、三台分の魔導エンジンを搭載したり、リミッターを外したり、ルール無用の好き放題がまかり通っていた。

「しかし上手いものだね」

「あー? あんだって?」

「上手だね!」

「聞こえねえし、よくわからんからさらに飛ばすわ」

「イケイケー!」

「煽らないでよ、シャハル!」

 現在、速度計は限界まで振り切れていた。改造車なのでこれ以上は出ている、としかわからない。恐ろしい話である。

 さすがにここまでかっ飛ばすのはルール無用のレムレースでもノアぐらいのもの。そしてここで車に乗るのは基本的にレムレースの住人のみ。つまり、先の駅と同じ。ノアだから、と周りの車も動揺せず普通に走っていた。

 下手に動く方が危ない、と皆わかっているのだ。

 風のように、しかもこんな速くても荒さはなく、するすると抜けていく様は芸術的ですらある。さすが速さに一家言のある男は違う。

 なお、これがトラウマとなりクルスが魔導車を所有するのはずっと先の話、それこそ一家に一台が当たり前となった時代で仕方なく購入、と言う明日がある、かもしれない。ないかもしれない。


     ○


「また世界を縮めてしまったぜ」

 前半は危機感、後半は三半規管との戦いを繰り広げていたクルスは格好つけるノアを睨みつけていた。この男に悪気がないのは知っている。邪気がないのも見たまんま。しかし、さすがに寿命が縮むほどの体験は腹の一つも立ってしまう。

 シャハルはピンピンしているが、ラビは未だに助手席でぐずっているし。

 文句の一つでもつけてやる、そう思ったクルスは意を決して堤防の上で悦に浸るノアへと近づく。

「ねえ、ノア。さすがにあの運転は――」

 堤防によじ登り、そして、

「どうよ、レムリアの海は?」

「……これ、海なの?」

 全部綺麗に忘れてしまった。

 それだけの絶景であったのだ。南国レムリアの海は。エメラルドグリーンの海は穏やかで、キラキラと輝いている。透明感も凄い。底まで透き通って見える。

「すげえだろ? ま、あっちの島まで行くともっと綺麗なんだがな」

「すげえ」

 アスガルドの海も綺麗だと思っていたが、さすがにこの海と勝負する気にはなれなかった。まあ、大人になった後、あの荒っぽい海の良さもわかるようになるのだが、わかりやすく美しいのは完全にこちら側、であろう。

「あー、気持ち悪い。もう嫌。家帰る」

「ラビもこっち来て海見てごらんよ!」

「……地元だし見飽きてんのよ、こっちは」

 絶景に浮かれるクルスを白い目で見るラビ。確かにここレムレースは観光地としても有名である。白い砂浜とエメラルドの海は世界的にも名所と名高い。

 かっぺのクルスが騒ぎ立てるのも無理はないだろう。

 ただ、

「よっしゃ! 海行くぞ!」

「合点だ!」

 地元民なのに誰よりもはしゃいでいるノアを見ると、ラビは何とも言えない心地となってしまうのだ。半分は本当に同い年なのかこの小僧は、と。

 もう半分は――

「あれで随分と気の回る男だねぇ、ノア君は」

「……まあ、ね」

 あれだけのことがあった。誰もが気分を落としている。ラビだって本当はすぐ帰れと家から言われたが、幼馴染のノアが同行する旨を伝えたからこうして遊び歩くことが出来ているのだ。

 リリアンのところも普段はかわいい子には旅をさせろ、とかなり放任気味だと言うのに、今回に限っては有無を言わせずに強制送還である。

 災厄の騎士襲来、となれば当然のことではあるが。

 何よりクルスは親友が再起不能となった。あれをクルスのせいとするのは少々理不尽であろうが、少なくともその一端を担ったことは間違いないし、何よりもクルス自身が自分のせいだ、と感じている部分がある。

 そのシリアスな感じは列車の中でも端々に見受けられた。

 だからこそノアは誰よりも陽気に振舞う、そしてそのシリアスな空気を振り払う勢いでクルスを振り回す。

 現にようやく、空気が解れてきたところであった。

「あれだけの才人が一般常識を身に着けているのは実に稀なことだよ」

「……出来ない奴の気持ちもわかるのよ、あいつの場合は」

「ほぉ」

「其処がまた鼻につくんだけどね」

 白い砂浜を疾走し、誰よりも先んじて波打ち際へ到達。其処から手招いて、何事かと近寄って来た相手の服を掴み、ドボンと投げ込む。

 ノアの得意技の洗礼を受け、着の身着のまま海へ突っ込まれたクルス。シャハルは気にせずそのまま入水、ノアもゲラゲラ笑いながら飛び込む。

 其処から男同士の、微塵もサービスではない水の掛け合いが発生する。

「やったな!」

「当たらんよ。この俺様に水をぶっかけられたら褒めでッ!?」

「イエーイ」

「や、やるなぁ、シャハル」

 しばらくドキッ、男同士の水遊びをお楽しみください。


     ○


 売り言葉に買い言葉、全力で水をぶっかけあった後、クルスはただのんびりと海に浮かんでいた。冬の海とは大違い、温かい塩水は柔らかく体を抱いてくれる。無心でただ浮かぶだけ、それが今はとても心地よい。

 シャハルは少し離れたところで水の中で瞑想をする、と言う奇行をしていた。おそらく、どれだけ長い時間潜水出来るか、を試しているのだろう。

 彼のことはクルスにもよくわからない。

 誰よりも早く水かけに飽きたノアはいつの間にか姿をくらまし、何処かへ消えていた。多分浜辺のどこかでナンパでもしているのだと思う。

 知らないけれど。

「……」

 ゆらゆら、ゆらゆら、張り詰めていた糸が少しずつ緩む。

 少しずつ、ゆっくりと。

 しばらくクルスはただ無心で、海に漂っていた。

「ノアがお呼びだよ」

「……あっ。ごめん、ぼーっとしてた」

「別に構わないさ。ちなみにボクの潜水限界は十分だった」

「……凄いね」

「もう少し行けると思っていたんだけどね」

 それを聞くとクルスもどれだけ行けるか試してみたくなったが、ノアが呼んでいると言うことなので今回はその実験を見送ることにする。

「遅いぞ。この俺様特性の焼麺が冷めちまうじゃねえか」

「焼麺?」

 クルスはノアから手渡された安っぽい紙の器に、これでもかと盛られた麺類を見つめる。アスガルドの食事によくパスタなる麺類が出てくることはあったが、それらとは一線を画す香ばしい匂いが鼻腔を突く。

「こいつ、その辺の屋台のおっさんと仲良しだからって、よく屋台借りて料理してんのよ。ま、材料は屋台のだけどね」

「俺様の腕にかかれば安い食材でも美味くなんだよ」

「……否定出来ないのは癪だわぁ」

 普段結構食事には煩そうなラビが、不満げな顔をしながらもモリモリと食べている。クルスはおそるおそる焼麺に口をつける。

 その瞬間、

「んん!?」

 独特、かつ激烈な香りが鼻を突き抜ける。一瞬、戸惑うも徐々にこなれ、

「……うんま」

「だろう? レムリアの名産、魚醤(ガルム)をな、熱々の鉄板の上で麺と躍らせるわけよ。焦げ付かないように手際よくかき混ぜるのがコツだ。魚の種類によって結構魚醤の味わいも違うから、そのブレンドや他のスパイスとの兼ね合いも腕の見せ所だわな。この小麦で出来た麺も焼麺に特化したやつでよ。卵と――」

 ぐだぐだとこだわりを語るノア。それに一切耳を貸さずに、焼麺をモリモリと食べるクルス。シャハルも無言でもりもりと食べていた。

 仕方がない。これは本当に美味い。

 しかも粗野な感じが、とても身近に感じられた。

 これはまさに男の料理である。

「……ノア、君って天才かも」

「ふっ、今更かよ。そんなこと知ってらぁ」

 クルスの中でノアのランクがぐんぐんと上昇しつつあった。ソロンの料理も美味しかったが、何処かよそよそしさもあった。しかし、ノアの料理にはそれは微塵もない。庶民的な、こちら側の料理だったような気がした。

「さて、と。じゃ、本番いくか」

「本番?」

「海に来たらナンパするだろうが、普通」

「……へ?」

「勝負な、リンザール。あとシャハル君だっけか」

「いいよ、やろう」

「シャハル!?」

「ほう、自信ありげだな。俺様のホームグラウンドだってこと忘れてねえか?」

「良いハンデさ」

「……じゃあ、二人の勝負ってことで」

「おし、じゃあ一時間後、此処にどれだけ女の子を連れてこられるか、な。勝者は敗者に一つ、なんでも命令が出来る。どうだ?」

「望むところさ」

「何で君はそんなに自信満々なの!?」

「上等。じゃ、男の勝負、始めるかァ!」

 男同士の熱い激闘が始まろうとしていた。

 それを見る女の目は、

「あほくさ」

 ログレス北部にそびえる氷壁ほどに冷たいものであったそうな。

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