第88話:『騎士』

 勝った、二人は勝利の手応えと共に視線もまた邂逅する。

「……」

「……」

 ほんの一瞬、今この瞬間に辿り着いた者だけが得られる感覚。皆の協力あってこそ、まだ自分たちだけでは辿り着けないけれど――

 災厄の騎士が揺らぐ。黒い霧が一気に噴き出し、絶えた。邪悪な気配が消える。彼らが感じていた畏れもまた、消える。

 終わった。誰もがそう思った。ユーグですら。

(……まだ、早いッ!)

 だが、

『■ッ!』

 『人剣』のシャクスは信念を芯に聳え立つ。

「そ、んな!?」

「うっそだろ、おい」

 クルスとノア、フレイヤを剣で吹き飛ばす。先ほどよりさらに力は失せている。それでも絶対に折れぬと言う鉄の心は嫌と言うほど伝わった。

 それが若き彼らの心をへし折る。

(充足など……十年早いわ、小僧共)

 シャクスは魔障すら流れ出なくなった空っぽの体を奮い立たせる。もはや気力のみ。魔障が断たれた以上、神術をまともに行使できぬミズガルズの地では『騎士』の性能を十全に発揮することは出来ない。

 だからこそ彼らは神に縋ったのだから。

(そう思うだろう?)

 この地で戦うための力はもう涸れ果てた。あとは残りカスでしかない自分自身の力。神術と言うにはあまりにも卑小な術理しか使えぬ。

 それでも、

(ミズガルズの騎士よ)

 シャクスはこの場で唯一の、自らの敵に向けて視線を向けていた。

 其処には、

「……ひゅー」

 同じく残りカスを燃焼させ、立ち上がったユーグ・ガーターがいた。互いに満身創痍、ユーグは自分が眼前の騎士と互角とは思っていない。

 彼はおそらく、この地に至る前に甚大なダメージを負っている。それこそ、この戦いで得た傷よりもずっと深いものを。

 ピコもまたただの一撃とは言え、あの刺し傷を見る限りは刺し込んだ刹那に魔力を過伝させ、騎士剣は破損と引き換えに内部からダメージを与えている。

 その時点でユーグは大きな、大き過ぎるアドバンテージを得ていたのだ。それでも眼前の騎士は自分を寄せ付けなかった。

 あまつさえ、

「……自分が学生に頼ることになろうとはね。想像すらしなかったなぁ」

 学生たちの援護も貰った。自分に対するそれとは随分違う戦いではあったが、それでも押し込んだのは彼らの努力あってこそ。甘やかして攻撃を受けてくれるような相手ではない。ゆえにユーグは心の中で彼らに謝罪する。

 所詮は学生と侮っていたことに。

 あとは、

(任せてくれ)

 任せろ、と彼の立ち姿が語る。

 障碍持ち、魔力量異常より超伝導の方がスタミナ面ではなお劣る。だからこそ特例が許されているのだ。そんな彼もまた立っているのは気力のみ。

 騎士としての矜持のみが彼を立ち上がらせる。

 その力強さは学生たちには万全な状態にしか見えなかった。

 騎士同士ならば、互いの虚勢が痛いほど理解できるのだが――今の彼らがそれを知る必要などない。辿り着いてから存分に思い返すと良い。

 今はただ、この虚勢をも壁と思え。

「……ユーグ・ガーター」

 騎士はただ名乗る。所属や装飾、色々とあるが今この時には意味がないと、冠するべきではないと思った。だから、名前だけを告げる。

 伝わるとは思わなかった。

 だけど、

「……シャクス」

 やはりそこは騎士同士。何かのために戦う者同士、伝わったのだろう。ゆえにユーグは刻む。その名を。

 自らが対峙した中で最強の騎士の名を。

 あとはただ、

「参る!」『■■!』

 死力を尽くし戦い抜くのみ。

 今度は最初から全力稼働。何一つ残さずに絞り出す。全身に魔力が駆け巡る。人間の体とは導体のようなもの。本来、魔力が流れる量も速度も上限など決まっている。それらを超過した場合、最悪は死に至るのもまた道理。

 それでもぶん回す。何がために。

 上段、からの切り上げ。巧みに、踊るように、その剣はただひたすらに激しく振るわれる。技は体に染みついている。ゆえに魔力同様、ユーグはただ剣を全力でぶん回すだけ。あとは染みついた動きを体が勝手にトレースしてくれる。

 シャクスもまた持ち得る全ての余力を総動員し、敵を迎撃する。扱える剣は少ない。まともに運用が出来るのは両の手のみ。されど、迫撃はシャクスの望むところ。

 広範囲の剣は元々、戦場でより多くを相手取るために備えた術理である。己の気性にはあっていない。これなのだ、この打ち合いこそが望んでいたもの。

 騎士の本懐である。

「「ははははははははは!」」

 自然と笑みがこぼれ出る。笑い声は言語の壁を跨ぐ。最後のひと勝負、ここまで噛み合うもいのかと。達人は皆、何処か孤独の世界で生きている。戦士は数多くとも、この領域で対話出来る者はごくごく一握りの頂に迫る者のみ。

 剣が重なる度、伝わる研鑽の厚み、重み、歴史。

 よく見える。どう生きてきたのかが。

 お互い決して美しい道を歩いてきたわけではない。世界の情勢、需要や必要が彼らに好きではないモノの体得を余儀なくした。意に添わぬ行動も取って来た。

 その遠回りすらも剣に深みを与えてくれる。

 互いに剣を振り回している。それなのに音は静かで、時折完全に消える。あれだけの超人が、さらに技を極めるとこうなる。

 静かなる熱戦。重なる度研ぎ澄まされ極まる剣。

 ほんの僅かな時、繰り広げられる珠玉の闘争。

 誰もがただ、二人の『騎士』が繰り広げる戦いを見つめていた。

 分を弁えぬクルスでさえ割って入ろうとは思えない極まったそれは、彼らの脳裏に刻み込まれる。これが頂に手を伸ばす者の戦いなのだと。

 其処には憎しみも、怒りも、確執も何もない。ただ剣のみがある。剣のみが語る。互いの積み重ねを。互いの歴史を。

 ユーグの眼から血の涙がこぼれ出る。それは決して、哀しい何かを知ったわけではない。ただ、身体が限界を迎えつつあるだけ。

 そのはずなのだが――

 対するシャクスはふと、あの二人と重なった幻影が今、眼前の敵にも重なった。そう、敵だったのだ。敵に値する存在であったのだ。

 二人、いた。

 一人は大盾と共に。もう一人は――

『先生!』

(……あっ)

 霧が晴れる。今、ようやく思い出す。

 『五百』年の時を越えて。

 その瞬間、

「ふシュッ!」

 ユーグは勝負を仕掛けていた。体勢が崩れたと見紛うほど、身体を大きく揺らす。

「……あれは」

 テラはぐっと唇を噛む。其処には自分が理想とした男の剣が、自分よりもずっと正しく其処に在ったから。

 ユーグとピコ、先輩後輩の剣が重なる。共にメガラニカで、ほぼ同じ時代研鑽を積んできた。互いに同じ世代で競う相手が近くにおらず、いつも二人で剣を重ねていた。ゆえに当然、ピコはユーグの剣を知り、ユーグはピコの剣を知る。

 何人よりも深く。

 メガラニカのメソッド、オフバランス。エレク・ウィンザーが持ち込んだ当時としては全く新しい考え方。型を極めた者が楔を外した時、その剣は型破りな力を得る。

 より大きく、より速く、より強く。

 その剣は美しい軌跡を描いた。

(……そうか。そういうことか。道理で、くく、重なるわけだ)

 軌跡はシャクスの剣を掻い潜り――彼の首を通過する。

(繋がっていた。滅んではいなかった。私たちの在り方は――)

 最後の最後、時を越えて届いた贈り物を抱き、

「……さらばだ。僕が知る中で最強の騎士よ」

『……』

 『人剣』のシャクス、その首が地に落ちる。同時にダンジョンが崩壊を開始した。これにて完全な決着となったのだ。

 最後は騎士同士、極めた者同士の対話によって。

 峻厳、ここに崩れ去る。

「……さて、と」

 どさり、同じく糸が切れたように倒れ伏すユーグ。完全にからっけつ。もはや指一本動かすことも出来ない。

「もう駄目だぁ」

 それは、

「……アマダよ。助けて」

「いくらくれる?」

「……か、金持ちの癖にたかる気かよ」

 ノアや、

「……使い過ぎましたわ」

「大丈夫? フレイヤ」

「見ての通り……駄目ですわね」

 フレイヤも同じ。他の者もピンピンしている者などほとんどいない。疲弊する者たちを眺めながらへらへら笑っているシャハル、レイルぐらいのもの。

「腕、鞘で固定して」

「自分でやりますわ。それに、貴方も限界でしょうに」

「そんなことないよ。俺、全然――」

 ぐらりと体が傾くクルス。気づいていなかったが、深い集中力で自身の限界を出し続けた代償が今、どっと体と精神を飲み込む。

「……」

「それに、わたくしのことよりも――」

 フレイヤが視線を向けた先、クルスもまた削ぎ落としていた現実に今一度向き合うこととなる。遠く離れた場所で、親友が嬉しそうに親指を立てていたのだ。

 よくやったな、と言わんばかりに。

 利き腕とは逆の手で。

「お、俺、どう、したら、あれ、変だな、視界が、歪んで」

 さらに視界が揺らぐ。足に力が入らない。倒れていく中、クルスの視界には立ったまま絶命する『騎士』と、忘れ去られたかのように地面に落ちた親友の腕。ピコ先生の遺体に、親友の痛々しい姿が脳裏に焼き付く。

 削ぎ落とすには――あまりにも大き過ぎた。

「クルス!」

 クルスの意識はここで途切れる。

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