第89話:不条理なる現実
「……シャクス」
ユニオン騎士団第十二騎士隊隊長レオポルド・ゴエティアは災厄の騎士、その亡骸を前に項垂れていた。彼が何を思うか、それはわからない。
ただ言葉無くずっと近くに立っていた。
一人と一つの安置所に、
「マスター・ゴエティア」
同じくユニオン騎士団第五騎士隊副隊長ユーグ・ガーターが現れた。
「……ああ、君か。もう体は大丈夫なのですか?」
「ええ。体力はありませんが、回復力には自信がありますので」
「それは何より。君はユニオン騎士団の明日を担う人材ですから」
「……どうも」
二人の間には何とも言えぬ白々しい空気が流れていた。
「災厄の騎士に何か御用ですか?」
ユーグの問いに、
「研究所への移送前に状態を確認しておきたくて。一応、浅学の身ながら所長を仰せつかる身ですし、先に出来ることはやってしまいたいですから」
レオポルドはつらつらと答える。実際に彼はユニオン騎士団で頭角を現し始めた段階で、魔道(魔導ではない)に関する研究に力を入れていた。隊長格となってからはより力を入れて、現在ではその分野で世界最高峰の研究所の所長である。
ゆえにこの亡骸はレオポルドが研究所へ移送後、管理監督することとなる。
「この騎士は強かったですか?」
今度はレオポルドが問う。
「はい。今まで戦ってきた敵の誰よりも」
ユーグはそうはっきりと答えた。
「……ならば、強い騎士だったのでしょうね」
それきり二人の間には沈黙が漂う。ユーグは元々、レオポルドを問い詰めるつもりだった。あまりにもタイミングが良過ぎる襲撃。貴方はどう考えているのか、と。どうせ煙に巻かれるのはわかり切っている。
それでも、そうせずにはいられなかった。
なのに今、彼の纏う空気は暗躍する者のそれではなく――
「マスター・アウストラリスの件は残念でしたね。惜しい人物を亡くしました」
いつもと違う雰囲気であったレオポルドであったが、口を開いた時にはいつもの表情に戻っていた。嘘くさいほど綺麗な顔つきに。
「……そうですね」
「教団の上層部とは先ほど話してきました。これからも平素変わらぬお付き合いを、とお願いされましたよ」
「……第十二騎士隊に、ですか」
「一応、そうなりますかね。大した意味はありませんよ。我々は秩序の騎士、一枚岩なのですから。今後とも上手くやっていきましょう。マスター・ガーター」
「……イエス・マスター」
ユーグは悔しげに唇を噛む。つい先日まで拮抗していた教皇派と司教陣営、それを支えていたのがピコたち騎士団及び学校関係者であったのだ。メガラニカ教団の中でも特殊な立ち位置である学校勢力が最大勢力である司教陣営を抑えていた。
それが今、災厄の騎士の襲来、派閥の実力者であるピコの死で大きく元々力があった司教陣営に傾くことになった。
その結果が第十二騎士隊への名指しに繋がる。
「僕よりもピコが狙いでしたか」
「……何の話かわかりませんね。ああ、一つ忠告ですが……すぐに顔や雰囲気に出す悪癖は直しておいた方がいいですよ。勝負師が隙を見せたら終わりですから」
「……忠告、しかと受け止めます」
「ふふ、ではまた」
学校の看板に泥を塗り、厄介な政敵であったピコも排除した。教皇派は勢いを失い、第十二騎士隊とかねてより蜜月であった司教陣営が活発化する。
金と権力、腐敗したメガラニカへ逆戻り、であった。
「……すまない、ピコ。必ず、巻き返して見せる」
所詮は副隊長、今は対等ですらない。隊長になったからと言って本当の意味で対等かと言われたなら違うが、少なくとも建前上は肩を並べられる。
全ては其処から。今はただ、今回の一件を掲げてあと一段を登るのみ。
災厄の騎士、その御首級と共に。
○
クルスが目を覚ますと其処には、
「おっ、ようやく起きたか寝坊助」
「……ふぁひひゃっへんわひょ(何やってんだよ)」
同世代の天才、ノア・エウエノルがいた。クルスの顔を弄りながら。
「いや、どの状態が一番不細工か研究してたんだよ」
「ふぁふぁひふぇ(放して)」
「仕方ねえなぁ。ま、丁度飽きていたしいっか」
飽きるも何も人の顔を勝手に弄るな、とクルスは憤慨するのだが、おそらく彼に言っても微塵も響かないことはサマースクールの間でも充分理解出来ていた。
だからそれについては何も言わない。
「……今日は?」
「事件から三日後だな。あらかた片付けが終わったところだ」
「……三日も」
「肉体的な傷は俺らの中では比較的軽い方。つまりは精神面の疲労で三日も寝込んでいたわけだが……ある意味大物だな、リンザールは」
「……そりゃどうも」
アースの時も随分と寝込んだが、あの時は精神と肉体のダブルパンチだった。もちろん、傷はゼロではないし衰弱もしていたのだろうが、今回はほぼ精神面なのだろう。部分部分多少痛むが、むしろ空腹の方が厄介である。
「腹は?」
「減ってる」
「ほらよ、俺様の昼飯だ」
黒パンに薄切りの肉がこれでもかと挟まれたコレフと言う料理である。ヒハツを含む香辛料がふんだんに盛り込まれたそれは――
「うまっ!?」
「当たり前だろ。このノア様秘伝のレシピだぞ」
「うめ、うめ。え、これ手作りなの?」
「おう。今、学校やってないし暇だったからな。で、どうだ? ソロンより美味いか? 美味いよなァ? おおン?」
何故自分に手作りの料理を、と思ったらソロンが原因だった模様。正直、フォーマルとカジュアルぐらいは料理のジャンルが異なるため何とも言えないのだが。
「の、ノアかな」
「だっろォ? よくわかってんじゃねえか、凡人の割にはいい舌持ってるぜ」
「……ど、どうも」
この男に関しては褒めの一手である。逆を張っていいことなど一つもない。
多分拗ねるし、それはそれで面倒くさいから。
「他のみんなは?」
「お、人気者の自分にはもっと見舞いが来るはずだってか?」
「……穿った見方するね」
「冗談だよ。ま、端的に言うとほぼ全員地元に帰った。と言うか帰らされた、か。サマースクールが中止になったのもあるが……一番の理由はダンジョンだわな」
「そ、そうだよ! ダンジョン! やっぱり学校は大変なことに――」
「うるせえ。死んだのはピコ先生だけだ。中でも戦士級やらがいたらしいが、其処はメガラニカ、現役の騎士が講師を兼務していたりで事なきを得た。講師連中で重傷者はいるらしいが、まあ、被害だけ見たらアースよりずっとマシだ。はぐれていた子供まで無事だったのは何つーか、徹底してんなって感じだがよ」
「そ、そうなんだ」
とりあえずクルスはほっとする。あの中には自分が先生方と一緒に教えていた子どもたちもいた。彼らの安否は気になっていたのだ。
「ただ、災厄の騎士が現れたこと自体がまずい。また現れるんじゃないかって親連中も戦々恐々だろ。昨日まではヴァナディースとかキャナダインとかドレークとかわちゃわちゃしていたんだが、あの辺一応お嬢様だろ? 実家から連絡が来て強制送還だ。所詮は子ども、親には逆らえんわけよ。俺様は別だが」
「……そっか」
忘れがちだがリリアンは超お金持ち、フレイヤは超名門、ジュリアも一応お金持ちのお嬢様である。親もさぞ心配していたはず。
そうなってしまうのも仕方がない。
「メガラニカもここ最近は飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに、これでケチがついちまったから来年からは志望者も減るだろうな。つか、今年入学予定の連中も辞退する奴いるだろ。学校にダンジョン発生はシャレにならんし」
私立の星、メガラニカの勢いもこれで陰る。突発型とは言え、一度もなかったと一度あったでは天地の差。しばらくは風評被害に悩まされる日々が続くはず。
国立勢はほっとしている学校も少なくない、かもしれない。
「そういやお前も編入のオファー受けてんだっけ?」
「え、あ、うん」
「受けんの?」
「……辞退、しようと思う。申し訳ないけれど」
ピコ先生がいたから迷いがあった。認めてくれた人がいなくなった以上、以前ほどの魅力はない。もちろん、選ばれたのは光栄だし嬉しいことだけど。
「へえ、俺がお前の立場なら迷わず受けるけどな」
「……なんで?」
「俺らの代でアスガルドはきついだろ。ヴァナディースにナルヴィ、しかもクレンツェまで首突っ込んできた。もうそいつらで幹部候補は全埋まり。上がり目ねえじゃん。実力云々の話じゃねえぞ? わかってると思うけどよ」
「……そ、それは」
見ないようにしてきた現実を突きつけられ、言葉に詰まるクルス。
「ま、別にお前がどこ行こうとどうでも良いか。ただ、俺のダチがさ、ほら、レムリアの奴いただろ。あいつは結局メガラニカの学びが気に入ったから編入するらしいんだけど、そいつがお前と一緒にやりたいって言ってたからさ」
「そうなんだ」
「ここからメガラニカは落ち目だけど、だからこそ美味しい面もあると思うけどな。天才の俺にとっちゃ関係ないが、凡人には大事だろ、そういうの」
今、ノアに自分がユニオン騎士団を志望していると言ったら、どういう答えが返ってくるのだろうか。まあ、想像通り笑って無理と言われるだけな気もするが。
そして、クルスは起きてからずっと引っ掛かっていたことを、
「で、他に聞きたいこと、あるか?」
聞こうか聞くまいか、迷っていたところにノアが真っ直ぐとした目で問いかけてきた。その眼は何処か咎めるようで、だからこそクルスは、
「……フレンは、今」
口に出すことが出来た。怖くて聞けなかったことを。
聞けなくても聞かなきゃいけないことを。
「ログレスへ強制送還だ。ほっとしたか?」
「なっ、ほっとなんかしていない! むしろ、俺は、謝らなきゃいけなくて――」
「謝る? なんで?」
「だって、フレンは俺のせいで――」
「利き腕がなくなって再起不能になった。ログレスは騎士の専門学校だ。当然、学校もやめなきゃいけないな。二年浪人してようやく入った学校だったのになぁ」
「ッ!?」
再起不能、そして退学。クルスは言葉に詰まる。何も言えなくなる。胸がギュッと、引き絞られるような感覚に陥る。
「な、治らないのかな? ほら、魔導技術もさ、発達してるし」
「治らねえよ。魔法じゃねえんだ。ま、厳密に言えばあの場が安全な手術室で、道具も揃っていれば縫合も出来たかもな。知らんけど。でも、そうじゃなかった。繋げずに塞いだ。だから、もう無理だ。天地がひっくり返っても、戻らない」
ノアの冷たい声が病室にしんと沁みる。
「ふ、フレンなら片腕でも騎士に――」
「騎士を舐めんなボケ。現場じゃ腕が二本でも足りねえって言われる世界だぞ。片腕失ったやつに席があるかよ。あいつは優秀だった。この俺が認める程度にな。だが、もうフレン・スタディオンが騎士に成ることはない。絶対にだ」
「そんな、でも、諦めなければ、いつか――」
「いい加減にしろ!」
「……っ」
「テメエも騎士に成るつもりなら飲み込め。騎士の殉職なんて珍しくもねえんだ。今の時代ですらな。生きてるだけ儲けもんだろ。あいつも、俺も、テメエも、その覚悟が要る。命を失う覚悟が、五体が欠ける覚悟が。自分だけじゃない、仲間が、友が、愛する人がそうなる可能性もある。それが騎士だ。それが戦場だ」
「……」
「飲み込め。背負え。あいつが何と言おうと、だ」
呆然とするクルスの顔面に、ノアは何かを叩きつける。
それは、
「中身は知らん。他人の手紙を読むほど下種じゃねえ」
手紙だった。
ノアはそう言って病室を後にする。それはクルス・リンザールに向けた言葉なのだ。だから、自分だけで向き合え。
そう、彼の背中が言っていた。
「……」
クルスは恐る恐る封を開ける。其処には角ばるほどに生真面目な彼の筆跡に似ても似つかない、がたついた文字の羅列があった。逆の手で書いたのだろう。
彼の字を知るからこそ、その字はクルスの胸を刺す。
○
クルスへ
字が汚くて申し訳ない。家から戻って来いと言われてしまってね。本当なら口で言うべきことが手紙になってしまった。許してほしい。
まず、今回の件、クルスは何も負い目を感じることなんてない。俺の未熟さが招いたことだから。あそこで格好良く守れたらよかったんだけど、なかなか現実は上手くいかないね。悔しいけれどあれが今の実力だった。
だけど、後悔はないよ。俺はあの選択に誇りを持っている。あそこで騎士らしく在れたことは俺の誇りだ。結構格好良かったろ?
隠し切れないと思うから先に書いておく。
俺はもう、騎士には成れない。家が騎士の家だから、騎士の仕事はそれなりにわかっているつもりだ。ハンデを負ってなれるものじゃない。いや、なるべきではない。
あれだけ大見得切ったのにね。其処は少し恥ずかしい。
多分学校もやめることになるだろうけど、それも含めて俺の選んだ道だ。新しい道を模索しようと思う。これでも勉強は出来る方だから、騎士でなければそれなりに道もあるはず。俺はもう前を向いて歩き始めているよ。
だから、クルスも前を向いて歩いて欲しい。
俺はクルスに助けられた。クルスのおかげで頑張ろうと思えた。今回の件、もし俺の貸しだと思ってくれるなら、借りを返しただけ。これで貸し借りなしだ。
一緒に駆け上がろう。お互いの道で。
その先で道が重なることがあれば、それはとても素敵なことだと思うから。
道は違えど志は一緒だ、と思いたい。
約束、守れなくてすまない。だけど俺も進むから。だから、許してほしい。
フレン・スタディオン
PS. 裏面に実家の住所を記載しておくからまた手紙のやり取りをしよう。これきりで関係が終わりとか、寂しいこと言わないでくれよ、親友。
クルスは親友の、精一杯の強がりを受けて涙を流していた。騎士の世界を多少は知ったからわかる。イリオスくんだりまで来て手に入れた志望校への切符。二年、ようやく彼は手に入れたのだ。道を征く権利を。
それを失った。それがパーになった。
震える筆跡は逆の手だから、ではない。きっと、悔しくて、苦しくて、死ぬほど後悔しながら書き連ねたのだ。クルスを振り返らせぬために。
誰かのために、彼はまた心を削った。
きっと今、彼は顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。何故あの時動いてしまったのか。何故自分のために逃げられなかったのだ。
そう自問自答しながら。クルスが同じ立場でもそうする。
いや、そもそもあの場で誰かのために動けたとは、思えない。
彼は騎士に成るべき男だった。誰よりも。
その明日を断ったのは――
「……」
自分である。
「……約束」
クルスは涙を流しながら目の前にあった鏡を睨みつける。昔から自分が嫌いだった。最近は少し好きになれそうだったけれど、どうやら自分はとことん自分を好きになることが出来ないらしい。目の前に映る顔が、ぶち殺したいほどに憎い。
勇敢なる才気あふれる男が散った。
愚鈍なる非才極まる男が生きた。
「……頑張るよ、親友」
その不条理を憎み、クルスは『前』を睨みつける。
映るはただ――己のみ。
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