第78話:約束、そして――

「……あ、あのさ、最近変わったことない?」

「何で?」

「その、夜寝ている時とか」

「特にないと思うけど、どうしたの急に」

「あ、いや、何もないなら良いんだ、うん」

「変なの」

 クルスたちは今、夜の広場を歩いていた。寮も含めた全てが連結され、一体化した校舎がメガラニカの特徴であり、校舎内は閉め切られているがこうして敷地内を出歩く分には自由である。特に門限はなく、そういうところも学校色が見える。

「話ってそれ?」

「い、いや、違うよ。まあ、その大した話じゃないんだけどね」

「ふーん」

 まさか友人の貞操が知らず知らずのうちに危険な状況であると知らなかったフレンからすれば、今からする話などは世間話ほどの重要性もないだろう。

 どう考えても最優先すべきはクルスの貞操な気がするのだが、肝心の本人がどうにも無頓着であるので話のしようがない。

 あと下手に掘って『あれ』と敵対するのも恐ろしい。

「最近、調子いいね」

「だろ? 急にハマった感じでさ。自分でも驚いてるんだ」

「特別クラスの参加者はみんなクルスの名前を覚えたと思うよ」

「君には負けるけどね」

「良い勝負だったじゃないか」

「そうかなぁ?」

「対峙していた俺が言うんだから間違いないよ」

 クルスとフレンの一騎打ちは受けと攻めの剣同士、客観的に見ても強烈に噛み合いかなり良い勝負であった。ただ、クルス側とすれば丁寧に崩しに来たフレンへの反撃手段が乏しく、ある程度捌けたが攻め手は――と言った感じ。

 まだまだ本当の上位層までは遠い、とクルスは感じていた。

「フレンはログレスで何番目ぐらいなの?」

「んー、そこそこ上位、かな」

「あはは、その言い方逆に嫌味だよ」

「……あはは、参ったなぁ」

「やっぱりフレンは凄かったよ。前の俺は比較対象がなかったから、自分よりも強いことしかわからなかったけど……今ならわかる」

 闘技大会でもジュリアよりは強いかな、と言うぐらいの解像度でしかなく、フレイヤやデリング、ディンやミラを知った今、どう見えるかがわからなかった。もちろんジュリアもフレンも一年で成長しているからあの頃のままではないだろうが、それでもフレンは頭一つ上だった。アスガルド最上位層に肩を並べるほどに。

「……いや、そうでもないよ」

「だからそれは嫌味だって」

「違うんだ。本当に」

「……フレン?」

 困ったように頭をかきながら首を振るフレンを見て、クルスは少し怪訝な表情を浮かべた。少し影のある表情はフレンらしく見えなかったから。

「俺さ、身長ぐんと伸びただろ?」

「うん。正直羨ましい」

「あはは。でも、これが原因で前期はかなり調子を崩していたんだ。しかも今でこそ急激な成長が原因でボディコントロールを欠いていた、と認識しているけど、当時は編入組として色々と焦りもあったから……一人で突っ張っていてさ」

「……知らなかった。だって、手紙じゃ――」

「手紙を出す前の話だよ。それにさ、クルスには弱音を吐けなくて」

「……なんで?」

 クルスの表情が一瞬曇る。自分には、その言葉に引っ掛かりを覚えたのだ。

 まあ、それはすぐに、

「……俺はね、一応名門だから学校に通っていない間も家がログレスの講師に匹敵する家庭教師を呼んでくれていたし、実際に勉学の遅れはなかったよ。ジュリアもまあ、上の学校への編入だから苦戦したらしいけど、言っても騎士学校に通っていた。だけど、クルスは違うだろう? 下積みがない。なのに補講すらないと君は言った」

「そっか、最初の方手紙で愚痴っちゃったよね、俺。でも倶楽部の先輩たちが助けてくれたから、そんなに大したことはなくて――」

「大したことだ。それに君が愚痴を漏らしちゃったんじゃない。俺が最初に出した手紙の文面、あれは君の近況を聞き出そうとしていたんだ。だから、俺が言わせたんだよ。聞きたかったんだ、どうしても」

「……」

 フレンらしくない表情。情けない己への嫌悪感で満ちている。

 まるで自分みたいな貌を、彼がしていた。

「調子を崩した。それに覚悟はしていたけれど、ソロンが噂以上で追いつける気すらしなかった。周りも彼に引き上げられて俺の想像よりずっとレベルが高くてね。心が折れかけていた。情けないけれど自分のことでいっぱいで、君やジュリアのことを考える余裕すらなかったんだ。薄情だろう?」

「……それは俺もだよ」

「自分の弱さが嫌になった。先生は焦るなと言ってくれたけれど……ただでさえ遅れているんだから焦るよなぁ。で、一番落ちていた時期に、君を思い出した。俺よりもずっと過酷な環境で戦う君を……勇気が欲しかったんだ。あの頃の俺は。苦労を分かち合いたかった。暗いだろ、俺」

「……ちょっとね」

「あはは。もし君が心折れていたら、俺もどうだったかなぁ。だけど、君の返事は想像以上だった。俺も、それにジュリアも驚いたそうだよ」

「……そんな変なこと書いていたっけ?」

「補講なし。フォローなし。講義はどんどん進むし、人の助けを得なければ追いつくことも出来ない。先輩に、同学年に頼り、何とか食らいつく」

「……いやぁ、我ながら酷い有様だったよ。それこそ情けない話さ」

「違う」

 フレンは真っすぐにクルスの眼を見つめる。

「情けないのは俺だ。少し調子を崩したくらいで弱音を吐いて、誰かに縋ろうとした。そんな奴が騎士を目指すなんて笑い話にもならない」

「……」

「俺よりずっと苦しい状況で君は足掻いた。誰かの手を借りてでも這い上がった。俺は恥ずかしくなったよ。何処かで気取っていたんだ。何処かでタカをくくっていたんだ。自分は通用する。現時点でも自分は上を目指せる」

 フレンは自らを罰するように手を強く握りしめる。

「一人で抱え込んでいたのがその証明さ。甘えていた。ログレスには優秀な先生方がいる。先を征く先輩たちが、目標とすべき同学年の学友がいる。彼らに頭を下げてでも這い上がる、その覚悟が俺にはなかったんだ」

 フレンの言葉にクルスは頷けなかった。クルス自身、本当ならば誰の手も借りずに上達したい性質である。先輩にも、同学年にも、その点では負い目がある。特に倶楽部の面々には、いつかお返ししたい、しなければ並び立てないと言う強迫観念にも近いものがあった。覚悟ではなくそれしかなかった、がクルスには正しい。

 とは言えそんな恥ずかしいこと、この場では言えないのだが。

「後期から四方八方を頼ったよ。フィジークの先生には成長に合わせたトレーニングを。自分より優秀な者たちとディスカッションを交わし、時には良い部分を盗ませてもらったり……ソロンからも学んだよ。沢山ね」

「俺も。本当に凄いよね、彼は」

「俺からしたら拳闘大会の短い期間であそこまで取り込んでいるクルスの方が凄いと思うけどね。半期かけた俺より明らかにより多くを取り込んでいただろ」

「そ、そうかなぁ」

「元々近しい部分もあったと思うけど、それでもさすがだよ。メガラニカでも随分剣の質が変わった。この一年、君が一番伸びたと俺は思っている」

「ログレスを知るフレンにそう言ってもらえるのは嬉しいなぁ」

 クルスは照れる。こんなに褒めてもらったことは人生であまりない。ゲリンゼルの村人からはもちろん、よく考えたら『先生』もあまり褒めることはなかった。アスガルドに入ってからは挫折の連続。最近ようやく――

『君ならもっと上を目指せるからだ』

 ピコ先生から褒めてもらったことを思い出し、クルスは最近の充実、その理由を知る。とても現金で、とても恥ずかしい話だが、自分は誰かに認められたい、認められることに喜びを感じるようである。

 認められることで誰かの何かに成れた気がするから。

「過酷な環境で戦う君を尊敬する。そして今、ここまで登って来た君を誇りに思う。俺の尊敬する友人はこんなに凄いんだぞ! と心の底から思う」

 真っ直ぐと恥ずかしげもなくフレンは言う。

「俺がここまで伸びたのはクルスのおかげだ。クルスからもらった覚悟と、クルスに負けじと頑張ったら、気づいたらぐんと伸びた。これからも、伸びる」

「……」

 クルスは隣のフレンから圧を感じていた。明らかに一つ抜けた、それこそイールファスやノア、ソロンらに近い気配を。

「まずは君に感謝を。クルスに出会えて本当に良かった。二年の回り道、何度も後悔したよ。何であの時、学生ですらない自分が見ず知らずの人のために受験を投げ打ち、救助活動を手伝っていたのかって。ひよっこ一人、いなくたってよかった。無視してもよかった。二年目の編入試験、スカラ獲得のために八方手を尽くしたのに、引っ掛からなかった。今はさすがにカラクリもわかっているけどね」

「カラクリ?」

「学校と家の双方が俺を第二のディン・クレンツェにしたくなかったんだよ」

「ディンに?」

「俺の知る彼は自信に満ちていた。俺と同じくね。だから、ソロンに砕かれた。家と学校に挟まれて、さらに粉々になった。俺を二年時に編入させたら同じことになる、そう考えたんだと思うよ。挫折で雑草魂を、みたいな」

「……そう、なんだ」

 あれだけ優秀なディンが自分をよく卑下したり、大したことないと下げていたのは謙虚さの表れだと思っていたのだが、もしかするとその挫折が今なお尾を引いているのかもしれない。クルスは何とも居心地の悪い思いであった。

 知ってはいけないことの一端を覗いてしまった気がしたから。

「当時から少し、ほんの少しだけそんな気がしていた。ふざけるな、とも思っていたけどね。だけど、そのおかげでクルスに出会えた。用意された挫折より何倍も価値のある出会いだ。君に会えたから今の俺がある」

 照れくさいけれど、クルスは嬉しかった。闘技大会で一目置かれていた名門の少年。自分とは何から何まで違う彼が今、横で自分と肩を並べてくれている。

 大事な出会いであったと、そう言ってくれた。

 これ以上はない。一番、クルスが欲しかった言葉であったから。

「だから、今度は俺の番だ」

「……?」

「ちなみにさ、クルスは何処か入りたい騎士団とかある?」

「あ、え、と、今は、特に。しいて言えばアスガルド、かな」

 クルスは喉元まで出かかった言葉を飲み込む。ピコ先生を信じていないわけではないが、その『目標』を発して馬鹿にされるたら辛い、と思ってしまったのだ。

 所詮は御三家最下位、今の自分にそれを堂々と言い放つことは――

「なら、俺と一緒にユニオン騎士団を目指さないか?」

「え?」

 出来ない、そう思った矢先に、

「家や学校にどんな思惑があるのか知らないしどうでもいい。俺はすでに経歴だけ見たら傷だらけさ。だから、好きにやらせてもらう。文句は言わせない。言わせないだけの実力を身に着ける自信もある」

「……でも、俺、最下位、だけど」

「この一年と同じだけ伸びたら、すぐに追い越すよ。全員、まとめてさ」

「……」

 また、目の前の親友は一番欲しい言葉を投げかけてくれた。

「一緒に高みを目指そう」

「……俺より、ジュリアの、方が」

「そっちは振られた。彼女、意外と現実的だから。でも、俺たちはほら、夢見がちな男の子だろ? なら、折角だしてっぺんを取ろう!」

 フレンから差し出された手。力強く、自分を引っ張り上げようとしてくれている気がした。ピコ先生の言葉も背中を押してくれる。

 二人が自分なら大丈夫と言ってくれた。

 なら、

「……なら、俺はイールファスを倒さなきゃね」

「ああ。俺はソロンを越えるさ」

 自分を信じても良いのかもしれない。

「滅茶苦茶強いよ、ソロン。この前ボコボコにやられたし」

「知ってる。イールファスだって怪物だよ」

「そりゃそっか」

「でも、不可能だとは思っていない。俺が可能なら、クルスも大丈夫さ。一緒に駆け上がろう。そしていつか、二人でユニオン騎士団の隊長になる」

「……でっかい夢だなぁ」

「夢はでっかくなきゃ。折角努力するなら、ね」

「……その通りだ」

 フレンとクルスは拳を打ち付ける。二人だけが知る二人の約束。遥か先の明日を夢見る二人。それでも昔一人で空を見上げていた頃よりずっと近い。

 何より、一人じゃないのが心強い。

「約束だ、親友」

「ああ。約束だ、親友」

 約束を胸に同じ高みを目指す。普段は恥ずかしいけれど、今は不思議とすんなりその言葉が出てきた。目標は遠く果てない。

 だけど二人なら――

「あ、それと実は俺もフレンに相談があるんだけど」

「引き抜きの話?」

「え、何で知ってるの!?」

「ふっふっふ、内緒だ。んー、そうだなあ、俺の考えとしては――」

 届く気がした。天を覆う遠く果てない星空にさえ。


     ○


 目標を得たクルスはその日以降さらに躍動した。メガラニカ側も彼をただのアシスタントとは扱わず、むしろ積極的に講義へ参加させるようになったのは引き抜きのための餌、なのかもしれない。とりあえずありがたく享受していた。

 ついでにアシスタントでは『優秀過ぎて』使い辛いとみなされたシャハルも消去法でユーグのアシスタントに復帰。その分クルスはアシスタント業務を放棄することが出来、もはや完全に特別クラスの一員として講義を受けている。

 クルスは奮起していた。

 そして――

「まだ!」

「……やるねえ」

 フレンはそれ以上に奮起する。いつものユーグとの打ち合いもあらゆる工夫に対し対応し、しっかりと食い下がる。対応し切れない手は力ずくで押す。

 最高峰の肉体と魔力、その上で世代でも有数の技術が乗る。

 惜しみなく吐き出し、

「おおッ!」

「良い気迫だ!」

 誰よりも長い打ち合いを演じた。基本的にユーグは工夫を凝らした者に対してはそれなりの手数を使い応じる。逆にいつもと同じ仕掛けに対しては工夫しなさい、とばかりにさっさと終わらせる。どちらにせよ終わらせる権利は常に、ユニオン騎士団の隊長格であるユーグが握っていたのだ。当たり前の話であるが。

 されど今、ほんの少しだけ、

(……僕を圧すか。日ごと伸びるね、この子も)

 終わらせ切れない自分がいた。

 その様子を見て、

「へぇ」

 メラっと燃えるノア。元々期待していたがここ数日、さらに化け始めていた。才能と努力、それらが上手く噛み合い跳ね上がりつつある。

 足音が聞こえるのだ。

「四人目かもな……『フレン』君」

 才能では己に及ばぬが、其処を努力で埋めるソロンと同じタイプ。素材も似たレベルとなれば嫌でも期待してしまう。

 遊び相手は多い方がいい。競い合えるのならそれ以上はない。

 ノアもまた願う。登って来い、と。

 誰が見ても明らかに一つ、抜け出しつつあった。それがまた周りの奮起を促す。フレン一人だけ抜け出させまいと外周を回る速度が増す。

(……大変だぁ)

 それを見てユーグは苦笑し、彼らの情熱を全て受け止める。メラ・メルという逸材を育て切れなかった後悔。この世代なら彼女をも超えられる。

 新時代の音が聞こえてきた。


     ○


 気合が入れば嫌でも疲労がたまる。広場の隅で横たわる学生たちを見てユーグは先ほどと同じ苦笑を浮かべていた。あのノアでさえへばって腰を下ろしているのだから、どれだけ熱を入れていたかが伝わるだろう。

 本当に素晴らしい世代である。上も下もここまでモチベーションが高い代は他にないのではないか、とすら思ってしまう。

 少なくともユーグの世代は彼一人が突き抜けて、誰一人ついて来ようとする者はいなかった。二つ下のピコ以外は誰も。勝ち抜きではない限り、どれだけユーグが強くともせめてもう一人強い者がいなければ勝負にならない。

 対抗戦、其処に至るまでの記憶は彼にとって苦いものであった。

「……」

 孤独であった。誰にも期待していなかった。だから、誰もついてこなかった。若気の至り、才無き者を見切り自己だけを追求した。

 そのおかげで今があるのだが、ユーグの代はメガラニカだけではなく周りのレベルも全体的に低かった。どの学校もその中で最弱の駒をユーグにぶつけ、他二人をどうにかする作戦を取ってきていたし、それで敗れた。

 ユーグは別、そういう雰囲気が横行していたのだ。

 しかし、この世代にはその気配がない。以前はそういう空気感もあったとは思うのだが、少なくともこの場にそれはない。

 鍛えがいがある。磨きがいがある。

 自然、普段『必要』ゆえぐーたらなユーグも気合が入る。宝石たちを生かすも殺すも教育者次第。ならば全力を尽くそう。

 明日の世界のために。

「……さて、休憩を終えたら続きを――」

 そう考え立ち上がったユーグであったが急に言葉が詰まる。何故か彼は後者の方へ視線を向け、目を丸く見開いていた。

「……馬鹿な」

 そう、つぶやいて。


 次の瞬間――メガラニカの校舎を中心に世界が裏返る。


「……へ?」

 誰もが一瞬、虚を突かれたような顔になっていた。何故ならここはメガラニカの総本山であり、かつて世界の中心であった共和都市ユニオンの近くである。

 つまり、龍脈の観点から言っても、今までの実績からしても安全な、それこそ何百年も前から一度としてダンジョンなど発生していない土地である。

 其処に今、

「……突発型、ダンジョンですわね」

 アスガルドの王都アースと同じく、ダンジョンが突然発生した。

 突発型、ダンジョンのサイズは校舎一棟を覆う程度と小さめであるが、その危険度は突発型ゆえにサイズでは測れない。

「全員、すぐに避難だ」

 ユーグの判断は早かった。あの棟に今、発生した理由を鑑みれば嫌でも狙いは透ける。油断していたわけではない。警戒はしていた。

 だが、ここまでやるのか。

 ダンジョンが揺らぐ。微小な振動が、ここからでも見える。何か、中で起きているのか。その度にユーグの表情が苦渋に歪んでいく。

 幾度目かの振動、ダンジョンが安定化する。

「早く逃げるんだ!」

 そしてすぐ、ダンジョンに激震が走り内部から何かが突き出す。それは巨大な、剣に見えた。ユーグ以外、全員の思考が停止する。

 ダンジョンから剣が飛び出すギミックなど聞いたことがない。そもそもダンジョンは全て黒色の球体状であり、一度裏返ったそれがヌシの撃破以外で破損するなど、それこそウルの全力攻撃と言う超常の力以外ではありえない。

 そんなありえない景色が今、目の前にあった。

 そして、

「……くっ」

 ユーグは唇を噛む。

 剣と同時にダンジョン内から飛び出してきた何かが、彼らの近くに落ちてきた。臓腑を、血をぶちまけながら――

「……え? は? 何で、どう、して」

 テラはその物質を見て、顔を歪めて首を横に振った。

 信じたくなかった。

 だけど、其処には確かに在ったのだ。

 ピコ・アウストラリスの上半身が。

「イヤァァァァァアアアアアア!」

 遅れて悲鳴が、絶叫が迸る。

 もはやまともな判断など不可能であろう。ユーグは指示を諦め、自らが前に進み出た。間違いなく狙いは――自分であろうから。

 秩序の騎士、その視線はダンジョンから飛び出した剣に、

「……」

 ダンジョンの奥より現れた騎士に向けられる。

 漆黒の鎧を身にまとう騎士は自らに突き立った騎士剣を引き抜き、握力のみでへし折って放り投げた。そのまま巨大な剣先へ立ち、敵を睥睨する。

 腕を組み、仁王立つその姿はまさしく――

「さ、災厄の騎士……ユーベル・リッター」

 災厄の騎士であった。

 存在一つで世界が凍り付くほどの恐怖が皆を襲う。先ほどまでは突然の事象に驚き足が止まっていた。だが、今はただ絶対の恐怖を前に立ちすくむ。

 ミズガルズにおける恐怖の象徴が其処にいた。

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