第77話:伸び盛り

 早朝、日の出と共に起床。

「眠ぃ」

「……すぅ」

 眠気眼をさすりながら、グリトニル騎士学校の面々は動き出す。毎朝彼女たちは朝早く起床し、狩りに出かけるのだ。訓練と称し山へ入り、自分たちの食い扶持を確保するために。つい最近対抗戦優勝を機に料理のおばちゃんを雇ったのだが、逆に言えばそれまでは食い扶持の確保も料理も自分たちで行っていたらしい。

「エイルちゃん! 早く早く!」

「これでも急いでいるのだけどね」

 エイル・ストゥルルソンは山に揉まれた彼女たちに遅れまいと必死に食らいついていた。体力にはそれなりの自信はあったのだが、悪辣極まる山岳地帯を走破する訓練はそれほど積んでおらず、毎日生きるために山へ入る彼女たちには及ばない。

「熊野郎発見!」

「アセナ!」

「うん!」

 獲物を発見した瞬間、彼女たちは巧みに陣形を組み換え、包囲して逃げ場を無くすよう展開していく。中央はアセナ単騎、熊を相手にそのまま突っ込んでいく。ただの熊と侮ることなかれ。この世界の人間が魔力を持ち生まれるように、当たり前だが動物たちも魔力を持っている。極めて強力なフィジカルに魔力が乗るのだ。個体によってはその辺の獣級の魔族よりよほど恐ろしい相手である。

 だが、

「ふんがッ!」

「ガァ!」

 そんな怪物と正面衝突し、拮抗できるフィジカルモンスターこそアセナ・ドローミである。牙には鼻っ柱へ頭突き、爪には両の手を差し込み動きを封じる。人間離れしたフィジカルあってこそ成せる業。相変わらずの怪物っぷり。

 其処に、

「「エンチャント」」

 両翼から対抗戦に出ていた同学年の少女たちが飛び掛かり、熊がまともに反応、対応するより前に頸椎をひと薙ぎ、最小の損傷で仕留める。

「これでチビどもに精のつくもの食わせてやれるな」

「最近獲れなかったですからねえ」

 手早く皮を剥ぎ、血抜きを済ませる手際の良さ。腹を捌き内臓を取り出しておくことも忘れない。これを早くやるかどうかで獣臭さが変わるのだと言う。

 上級生は狩りに、下級生は畑を耕すのがグリトニル流。御三家アスガルドの学生であるエイルからすればありえない話である。食事は学費の内、三食当たり前のように摂取することが出来る。それが彼女の当たり前であった。

「くーまーくまくまくーまくまー」

「……ご機嫌だね、アセナ」

「うん!」

 アセナがいる時は彼女中心の陣形を取り、彼女不在の時は先生も狩りに混ざり都度効率的な陣形を採用する。この試みは学びと実益を両立している。

 驚くべきやり方であるが、同時に合理的な側面もあった。

 狩りを終えたら朝食、その後は座学や実技などの講義が始まる。

 一つ驚いたのは、

「夏でも講義をやるのだね」

「行くとこねーからなぁ。特にスカウト組はさ」

 夏休みの間も普通に講義があると言うこと。と言うよりも帰る場所のない者のために補講をしている、とのことだが。特に上級生は大半スカウト組、と言う名の先生がその辺で拾ってきた面々ばかり。

 気性も粗く、しょっちゅう喧嘩も絶えない。対抗戦に出ていたアセナ以外の二人もスカウト組で、元々はとある街を二分するストリートチルドレンのボス、であったとかなかったとか。クルスも大概な経歴だが、ここの連中はそれ以上に酷い。

 ただ、

「早く講義しろよ、時間がもったいねえ」

「先生の休憩もだね」

「要りませんので早くお願いします」

「……はーい」

 学ぶ姿勢は貪欲そのもの。むしろアセナよりも周りの方がぎらつき、率先して『騎士』を吸収しようとしていた。先生曰く、目がぎらぎらした生命力の高そうなのに声をかけたそうだが、どうやらその試みは成功していた模様。

(学習内容は連盟の定める下限スレスレだが、低学年の子を見るに読み書きから教えているレベル。むしろ驚異的な学習速度かもしれないな。特に――)

 昼食を終え、そのまま食後の運動とばかりに山へ向かう。今度は狩りではなく、木こりのお仕事。この辺りは堅い材質の木が多く、高級な建材として売れるらしい。それを体作りの一環、と言う体で学生に従事させる。

(――この劣悪な環境では、ね)

 もちろん、

「ふざっけんな、オラァ!」

 学生全員こき使われている自覚はある。まあ、スカウト組は学費を払っていないため(と言うか払えない)、こういうところで相殺していくしかないのだが。

 唯一アセナだけは楽しんでいた。

 騎士剣を使わず、斧で木を切り倒す。しかもただの木ではない。ミズガルズでも有数の強度を誇る大木相手である。アセナでさえ楽々切り倒せるわけではない代物、他の者にとってはとんでもない重労働であった。

 エイルも参加しているが、

「……参ったね」

 もう何度手の皮が剥け、マメが潰れたかもわからない。それなりに剣を振ってきたつもりであったが、どれだけ騎士剣の性能に頼ってきたかがよくわかる。

 重い手応え。しっかりと魔力を通し振り切らねば食い込むことすらない。導体でも、自身の体でもないモノ(斧)に魔力を通すのは難しいのだ。

 騎士剣であれば容易。されど、彼女たちにとってもこの学校にとっても騎士剣は高級品であり、ほとんどの者が学校の備品を貸与されて使っている。刃筋を誤れば容易に破損の可能性がある伐採作業には使わせられない、そうだ。

 とてつもない重労働を終え、ようやく午後の講義に入る。アスガルドに比べたら朝も昼もとにかく時間が足りない。学習を兼ねている側面もあるが、学習以外の時間が多過ぎるのだ。非効率的、ひと昔前のエイルなら鼻で笑っていただろう。

 だが、

(……あれだけ体を動かしたと言うのに、眠そうな者は一人もいない、か)

 この劣悪な環境で、ぎらぎらと必死に学習する彼女らを見ると、自らの考える効率がどれだけ机上のものであったかがよくわかる。アスガルドで彼女たちは育てられない。クルスよりも下積みが少なかったから。御三家水準に引き上げる前に卒業を迎えてしまうだろう。そも、学校が卒業などさせない。

 グリトニルだからこそ、育てられた人材である。この執念にも似た貪欲さはアスガルドにはない。整備され、合理化された学校にはない。

 エイルの知らなかった世界が其処に在った。

「エイル、あとで勝負しようぜ、勝負」

「私ともお願いしますね」

「あ、エイルちゃんは私と約束してるの!」

「あはは。望むところさ、全員、やろう」

 郷に入らば郷に従う。彼女たちを見ていると何故かかわいい後輩であるクルスを思い出す。下から這い上がって来たもの特有の輝き、ぎらつき。

(私もそれなりに頑張っているよ。君はどうだい?)

 自分に足りていなかったのは、この『非合理』であったのだと知る。


     ○


「……こ、んの」

「はぁ、はぁ、はぁ」

 一瞬の静寂、

「マジか。アシスタントがとうとう、メガラニカのドレークを落としたぞ!」

 次の瞬間、場が沸き立った。特別クラスはユーグ以外の講義もあり、その中の一つに学生同士を競わせる剣闘の、一騎打ちの講義があったのだ。

 其処では基本、全員精鋭ゆえノア以外が勝った負けたを繰り返しており、誰かが負けるのは日常茶飯事であった。だが、レムリアの学生やリリアンたち下から上がって来た者、そもそも競い合う対象ですらないアシスタントが勝つのは、なかった。

「あー、くそ、あんたしつこ過ぎ。ねちょねちょした剣しくさって」

「へへ、悪いね。ジュリア」

「次当たったら絶対殺す」

 ただ、ここまでも惜しい戦いはあった。何よりもクルスと戦った全員が勘弁してくれ、と言うぐらい彼の守りは鉄壁であり、それでいてしつこかったのだ。

 誰かが敗れるのは時間の問題だった。

「絶好調ですわね」

「君を待たせちゃ悪いからね」

「あら、調子に乗っていますわね」

「あはは、乗れる時に乗っておくさ」

 誰が見ても絶好調。とうとう上位陣の領域に足を踏み込みつつある。普段過ぎた軽口には苦言を呈すフレイヤとて軽口を返すだけ。

 自信過剰ではない。単なる事実として、クルスは上がって来たのだ。

「おめでとう、クルス」

「フレン、ジュリアがめっちゃ睨んでるよ」

「……どんまい、ジュリア」

「キシャアア!」

 この特別クラスが始まるまで、精鋭たちのほとんどがクルス・リンザールのことなど知らなかった。眼中にすらなかった。当然であろう。優秀な学生の大半は顔見知り、三学年を終えた身であればとうの昔に頭角を現しているべき。

 彼らはそうだった。クルスは違った。成績は御三家とは言え最下位である。

 それが今、実技だけとはいえ――

「……凄いね、クルス君」

「……ぐうの音も出ん。あいつが一番、メガラニカ向きとはね」

 クルスを知るアスガルド勢の驚きも相当なものであった。ゼー・シルトの解禁もあるが、元々守備には定評があり、その堅固さは彼女たちも承知の上。それだけならば決して、今の評価になっていない。

 攻めが形になりつつある。彼女たちは知らないがソロンと言う理想形を吸収し、メガラニカで基礎を固め直し、その上で精鋭たちの剣を、ユニオン騎士団副隊長の剣を必死で観察し、自らの剣に取り込んでいた。

 攻めがからっきしであった少年はもういない。そして、攻めが形になれば元々得意だった受けもさらに輝きを増す。

 其処から繰り出されるカウンターの鋭さやるや――

「ドレークさんってアスガルドだとどれくらいの順位かな?」

「相性もあるけど、実技だけならフィンぐらいじゃない? ミラまではないと思うけど……どっちにしろバケモンなんだけどね」

「だねえ」

 今はまだ、ハマった時に届く程度。実際今日が初白星。彼女もムラがあるタイプであるし、相性の問題もあるからその辺りは難しい。

 それでも白星は白星。

「でも、届かないほど遠いとは思わない。私は」

「……ラビちゃん」

「折角ここまで来たんだし、私らも一勝ぐらい引っ提げて帰ろうか」

「うん」

 環境が人を変える。精鋭たちの世界に放り込まれた彼女らもまた、クルス同様一気に伸びていた。徐々に適応しつつある。

「……なるほどね。ピコちゃんが気に入るわけだ」

 講師も唸るアシスタント、クルスの成長速度。学校側としては一番伸びている子がアシスタントなのはどうなのか、と思うが、

「よし、アシスタント君。次はスタディオンと組んで」

「は、はい!」

 先生も人の子。伸び盛りの学生を見たいから、教職の道に進んだのだ。

「あとは各々、組みたい相手と組むように。折角の機会だ、色々な相手と剣を合わせなさい。経験値は力だよ」

 今のクルスにはぶつけたくなる。

「よろしく、クルス」

「こちらこそ、フレン」

 壁を。

「俺の遊び相手をよくも。しゃーねえ、ヴァナディースで我慢――」

「俺とやろうか」

「……どういう風の吹き回しだ、アウストラリス」

「ヴァナディースやスタディオンばかりで飽きただろ、と思ってね」

「……へえ。少しは良い面に成って来たじゃねえか」

 実力的には其処に並ぶはずが、今までノアを避け続けてきたメガラニカの首席が今、レムリアが誇る神童へ挑む。

 他の者たちも皆、真剣そのもの。実力が近い分、彼らは直接的な競争相手であるのだ。このクラスが終わった後も就職で、団で、競い続ける相手。

 全員の本気が迸る。

(そんな中でも、先生の一押しはやっぱりスタディオンだ。素材良し、技術良し、華もある。エウエノルは別格としても……そこに迫る逸材だと思うがね)

 先生も一押しの男、

「こうして剣を交えるのは初めてだね」

 フレン・スタディオン。ログレスの名門に生まれた彼の素材としての魅力は枚挙にいとまがない。体格、魔力、技術に知性、いずれも最高水準。

 何より恐ろしいのは、

「……うん。ようやく、来たよ」

「ここは互いに通過点だ。お互いの今を知ろう、親友!」

 まだまだ未完の大器であると言うこと。一応フリーであった頃の調査資料はメガラニカにも残っているが、それと見比べても全てが跳ね上がっている。

「おう!」

 クルスはゼー・シルトに。フレンはフー・トニトルスに構える。流麗な受けと、灼熱の攻め。奇しくもアスガルド産の型対ログレス産の型と相成る。

「勝つ!」

「負けんさ!」

 長年教鞭をとってきた経験が告げた好機。灼熱の攻めと流麗な受け、伸び盛りの二人を掛け合わせた反応が見たい。

 おそらくこれで、

「……ちぇ、妬けるわぁ。女のあたしは立ち入り禁止って感じじゃん」

 さらに一つ、レベルが上がるから。


     ○


 灼熱の講義を終え、夕食を取ったら自由時間である。ノアみたいなのは夜な夜な遊び回るし、真面目な子は明日に備えて休む。

 そんな中、

「失礼するよ」

「どうぞ」

 フレンはノックをしてとある部屋に入った。其処は二人部屋であり、目的の人物は現在、ベッドの上で座禅を組んで瞑想中であった。

「……ど、どうぞと言ったのは君かい?」

 だが、フレンの視線はクルスではなくお隣のベッドで同じく座禅を組むシャハルに向けられていた。

「ああ。今のクルスには声が届きにくいからね」

 もっと言うと、

「……下半身が裸に見えるのだけれど」

 上着が絶妙な位置で死守する大事なところ、である。この状況で何がどうぞなのか、相手が貴婦人であれば説教していたところである。

「裸だね。見るかい?」

「そ、そういう趣味はないよ」

「おや、新たな扉が開けるかもしれないよ」

「……遠慮しておきます」

 シャハルにからかわれるフレンであったが、その間クルスは微動だにせず集中していた。外界の音を遮断するほど彼は入り込んでいる。

「瞑想法はボクが教えたのだけれど、すでにボクより上手く入り込むね。極めて上質な集中力だ。鍛えの入った、ね」

「……道理で今日、厄介だったわけだ」

 フレンは自らの掌の中に残る水の如し手応えを思い出す。柔らかく、繊細で、それでいて深みも出てきた。以前の彼には見えなかった懐の深さ。

 それ以上の怖さ。

 甘えた攻撃には鋭いカウンターが待っている。攻めあぐねたジュリアがそれをやって、カウンターの餌食になった。見た目以上に肉薄されていたような気がする。それがとても苦しく、辛く、それ以上に嬉しかった。

 一人ではない。そう思えたから。

「起こすかい?」

「別に急ぎではないから待つよ」

「まあそう言わず。用はあるのだろう?」

「うん、まあ。でも――」

 むちゅ、とクルスにちょっとディープな接吻をかますシャハル。フレンはびくりと後ずさった。まさか、彼は男である。ならば、もしかして――

「……もが!?」

「お客さんだよ、哲学者君」

 二人はそういう関係で、そういう嗜好なのでは、と。

「……今、何かした?」

「いや?」

 悪びれもせずに嘘をつくシャハルに対しクルスは「そっか」とあっさり信じる。フレンは怯える己を叱咤する。人間色々、そういう嗜好の持ち主はいる。

 差別はいけない。ちょっと面食らっただけなのだと。

「あ、フレン! どうしたの?」

「あ、うん、その、ちょっと話せるかな、と思ってね」

「もちろんだよ。ここで話す?」

「で、出来れば場所を移したいかな、って」

「オッケー」

 意気揚々とベッドから降りるクルス。フレンは深呼吸しながら狼狽えまいと心を落ち着かせていた。騎士たる者、ジェンダーにも寛容たれ。

 さっと支度を済ませたクルスと一緒に部屋を出る際背中から、

「シィー」

 と釘を刺すような言葉が聞こえたような気がして――また身震いした。

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