第71話:相反する道
クルスは今日、初めて特別クラスの講義を目の当たりにしていた。
まず、当たり前だが皆レベルが高い。四学年も混じっているが、基本的にアスガルドの上位層しかいないようなもの。話を聞くと準御三家の上位クラスでも選ばれなかった者もいるらしく、層の厚さは目を見張るほどであった。
そんな中に突如放り込まれたリリアン、ラビ、そしてレムリアの人はかなり気後れしている様子。通常クラスで調子が良く、クルスの入れ替わりと同時にこちらへ流れてきたのだが、現状はやはり見劣りしてしまう。
そして一番の驚きは、そんな中に在って頭一つ抜けたフレイヤとフレン、あとテラと言うメガラニカの子もとんでもなく上手い。
その彼らをさらに頭二つ抜き、超ド級の天才ノアがいる。
その上に――
「さあ、走る走る」
君臨するはユニオン騎士団第五騎士隊副隊長、ユーグ・ガーターである。さほど体格に優れているわけではない彼の特徴は、とにかく桁外れに上手いと言うこと。剣の扱い以前に、体捌き、足捌き一つで相手を制圧して見せる。
技術の結晶、工夫の塊。
彼の一挙手一投足に目が離せない。
何をしてくるか、何が起きるかわからない怖さ。それは対峙するだけで消耗している精鋭たちを見れば一目瞭然。あの体力自慢のフレイヤでさえいつもの力強い足取りはない。唯一、元気いっぱいなのはノアぐらいか。
あとは皆、連日とんでもない数の敗北を重ね消沈しつつある。フレイヤやフレンは元気な方、他の皆はお葬式状態である。
まあ単純に怪物と対峙して、走って、また対峙して、と言う繰り返しがきついのだろうが。混じったばかりの三人もグロッキー状態。
ノアは幼馴染を煽りながらぴゅーと駆け抜ける。
彼だけが色々とおかしい。
(俺も、参加してみたいな)
自分はアシスタントであり、講義の参加者ではない。積極的に振り回すのはピコぐらいのもので、基本的にアシスタントが講義に参加することなど無い。
それでも少し欲が出てしまった。シャハルからはそういうのはない、と言われていたのだが、心の中で思うぐらいは良いだろう、と。
すると、
「なら、君もどうぞ」
「……え?」
「参加したいのならご自由に。今、アシスタントにはやることないからねぇ」
心の中でも読んだかのようにユーグから輪の中へのお誘いが来た。千載一遇の好機である。ない、と思っていたから喜びもひとしお。
「お、お願いします!」
「元気でよろしい」
しばらく観察して要領は掴んだ。ユーグと対峙して負けたら広場を一周、極めてシンプルなルールである。
「あら、参加しますのね」
クルスの参戦にフレイヤは微笑む。
「来たな、クルス」
フレンも嬉しそうに笑う。
「……何で、アシスタントが?」
ただ、大半はテラと同じような感想であった。選ばれし者が集う場である。落ちた者も少なくない。正直言えば、リリアンらの参加を快く思わない者たちもいた。
レベルの高い環境を求めて彼らはここに来たのだから。
しっぽ取りで多少、力があるのはわかっている。それでもこの環境に見合うレベルかと言われたなら、ほとんどの者がそうではないと答えるだろう。
近いが遠い。それが全体の評価である。
ただ、
「あいつ、その辺の空気は読まないからね」
「だね。クルス君は心が強いから」
「何も考えてないだけでしょ、たぶん」
アスガルドの者であれば誰でも知っている。クルス・リンザールがそういう空気に気後れしないと言うことを。そも、その辺りの感覚が鈍いのだ。
故郷では周りの雑音を遮断して生きてきたから。
「ふぅ、行きます」
「……ほう」
ゼー・シルト、珍しい型を使うな、とユーグが思ったのも束の間、
「……おんやぁ」
クルスの『姿勢』に少々、目を見張る。
それは周りも同じ、
「ぶはは、あいつ阿呆だろ! 何処の世界に試し合いで目上に主導権返す奴がいるんだよ。あいつ超面白ぇー。頭のねじ飛んでやがる」
ノアだけは大爆笑していたが、基本的にこのような形式で目上が胸を貸す際、仕掛けるのは下の者と相場が決まっている。要は上の方がわざわざ主導権を渡してくれているのだから、それを無下にせず存分に活かしましょう、と言う話。
なのだが、クルスはそれを知らなかった。
だって当たり前のことで誰も教えてくれなかったから。
「……わ、わたくしとしたことが。教え漏れていましたわ」
また、漏れていた理由はもう一つある。クルス自身、昨年度は最終盤まで受けの型を封じられており、彼自身も自らのスキルアップのため下手なりに積極性を持って仕掛けていたのだ。ゆえに指摘もなかった。
まあ先生クラスと剣を交える経験自体ほとんどなかったから、仕方がないと言えば仕方がない。教わるとすれば一学年の作法ぐらいか。
「ふふ、折角お返し頂いたのなら、貰っちゃおうかな」
そんな何とも言えぬ空気の中、ユーグはソード・ロゥから構えを変えた。皆、別の意味で激震が走る。構えはこれまたクラシカルなハイ・ソード。
「……おいおい、ちょっと待て」
ユーグが出した新たな構え。ノアの眼にはソード・ロゥよりもしっくり来ているように見えた。雰囲気ががらりと変わる。
静謐から、
「じゃ、遠慮なく」
「ッ!?」
苛烈へと。
滑るような足捌きは変わらない。だが、踏み込みの鋭さと言うか質が全然違う。即座に間を詰め、上段から素早く袈裟懸けへ。
「集、中!」
だが、この速度域はクルスにとって初めてではない。『先生』が良く修練を切り上げる際、仕留めにかかる速度域、その始まりの方に近い。
慣れ親しんでいる。ティルの時も近い感覚であった。あれはまあ、馬力が全然違うので噛み合った感じはあれど、懐かしさはなかったが。
これは丁度いい。
「さすがに自信があるだけはある。でも、まだ青い」
受ける直前、いつもの感覚から言っても間違いなく受かった、と確信が持てた。ここから相手がどう繋げてくるのか、それを見極めて捌くぞ、と意気込んでいたほどである。だが、その次はなかった。
受けた瞬間、今まで感じたことがない手応えと共に剣が宙を舞っていたのだ。
「う、そ?」
今までも崩されたことはある。だが、それは受けながらやられた、とわかるものだった。力でも、技でも、受けた瞬間にわからない、と言うのはなかった。
やられた今も、何が何だかわからない。
「さあ、走った走った」
「い、イエス・マスター!」
何をしたかは言わない。自分で考えろと言うことなのだろう。クルスは剣を拾って走り出す。手の内に残る、今まで感じたことのない感覚を握りしめて。
「どっちが本職なんですかね?」
「また君かい。好きだねえ」
大勢をごぼう抜きし、ノアがユーグの前に立つ。想像すらしていなかった。今の今まで遊ばれていたのがまだ、一面でしかなかったなどと。
「どうやったら俺にもあれ、見せてくれますか?」
「ははは、考えなさい」
何度もぶつかり、何度も弾き返される。
クルスの地獄はまだ始まったばかりである。
○
「し、死ぬ」
「だから目上の方が受けて立ってくれている場合、その厚意を踏み躙るような行動は慎むべきですわ。何事にもまず礼節と敬意を持ち――」
「わ、わかったから。ごめんなさい、以後気を付けます」
疲労の極致。講義の後しばらく動けずにうずくまっていたほど。リリアンらも同様、何ならラビに至っては途中で疲労極まり吐いている。
クルスもさすがに満身創痍。走行距離もずっと走りっぱなしできついが、それ以上に何度も何度もユーグと対峙を繰り返す方がきつかった。
せっかくの機会、工夫を繰り返して学ぼうと意欲的に取り組んでいたが、最後の方は疲れ果てまともに頭が回らなかった。
情けない話である。
「……君は随分余裕だね」
「もう慣れましたもの」
「ふーん」
初日、生まれたての小鹿のように足をがたつかせていたことは言わないでおく。意外とムキになると面倒くさいのだ、フレイヤは。
「ただ、貴方の受けならもう少しやれると思いましたのに」
「俺もだよ。でも、やっぱり凄いや。手の内の変化だけでさ、いくつもあるんだよ。何処で見抜かれてるのかはまだわからないけど、たぶん俺の受けは読まれているんだと思う。だから、あっちは逆を突くだけでいいんだ」
「……改めて凄まじい使い手ですわね」
「うん。本当に凄いや」
受けには自信があった。拳闘だがソロンと対峙することで、敗れはしたが少々自信も得ていたのだ。世代の頂点相手でも自分の受けは通用する。もちろん、それだけでは勝てないけれど、戦える手札はあるのだと思っていた。
どこまで通用するのか、そんなことすら考えていた。
「俺、まだまだだ」
「ええ。わたくしも」
達人相手には何一つ通用しない。間抜けな自信はぽっきりと逝った。ここからは攻めを鍛えて攻守備える。その考え自体は間違っていないが、受けが足りていると言う考えは間違っていた。どっちも全然足りていないのだ。
それは大きな収穫であった。
○
「どうでした、新しい子たちは」
「今度メガラニカに来るレムリアの子はさすがに気合が入っていたねえ。アスガルドの子たちは委縮していたけれど、クルス君が入ってからはかなり頑張っていたよ」
「では、そのクルス君は?」
ピコの問いにユーグは何とも言えない表情となる。
「あまりお気に召しませんでした?」
「いや、ピコが気に入った理由はわかるよ。あの子は根が『彼』に似ているね。対峙した瞬間、僕以外を全部削ぎ落としていた。あの眼は、怖い」
「でしょう?」
ユーグはボリボリと気だるげに頭をかく。
「でも、『彼』の道は後進に推奨したくない。全部削ぎ落とす道だからね。自分以外を全部、幸せも、命すら削って戦場に立つ。健全ではないよ」
「何も持たざる者が上を目指せば必然、様々なものを切り捨てる必要がある。あの子の設計者、最初の師もまたそれを理解した上で進む道を提示していた。それも伝わった。……そりゃね、子どもは騎士に憧れるものだ。輝いて見えるから」
「……」
「年端も行かぬ子にその選択をさせ、いばらの道を歩ませる。僕はあまり好きではないな。そもそも『彼』に辿り着く前に、十中八九壊れるよ」
「生きるか死ぬか、ですから。あいつの、レフ・クロイツェルの価値観は。正しいかどうかはわからない。だけど、あの男は成った。自分も、テュールも超えて。誰も注目していない男が対抗戦で化けて、世代の頂点に立った」
「……覚えているとも。君が言っただろう? 僕の成せなかった対抗戦優勝を果たして見せるから見物しに来い、と。まさか、あんな光景を見せられるとは思わなかったけれど。衝撃だった。持たざる者の覚醒、あれほどの衝撃は、まだない」
「あの子にはその資質があります。あいつと、目が似ているから」
「……僕はもう一つの才能の方が好きだけどねえ」
ユーグは苦笑する。真面目で勤勉、妥協せずにとにかく頑張る。その姿に惹かれる者は少なくないだろう。他者のモチベーションを引き上げられるのは一種の才能である。模倣できるものではない。その人の個性、人格そのものだから。
クルス・リンザールにはそれがある。
「無理に削ぎ落とす必要はない。極めずとも彼は良い騎士に成る。今の騎士に必要なのは個の力よりもチームワークだ。今のままの彼が成長することを祈るよ」
「自分はもう一度見てみたいですがね、持たざる者の覚醒を」
「その時の彼はきっと、幸せではないけどねえ」
レフ・クロイツェルとクルス・リンザールは似ているが違う。クロイツェルは成ったが、クルスが成るとは限らない。クロイツェルの周りには人がいない。彼が操るのは駒であり、彼は駒に人格を、思考を求めていないから。クルスの周りには人がいる。共に切磋琢磨し、高め合える関係がある。
その二つはきっと両立しない。選べば、選ばなかった方を失う。
ユーグはクルスの光に期待を寄せ、ピコは彼の闇にかつて己を下した男を見た。どちらが正しいかは誰にもわからない。進んだ先の結果のみが成否を示す。
まあ、彼らがどう考えたところで、選ぶのはクルス本人なのだが――
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