第40話:進級試験

 今年度最後の期末試験を終えてすぐ、学校関係者にとって最も憂鬱で、最も気が重い時間が始まる。それが第六月末に行われる期末会議である。

 その理由は――

「六学年は全員進路が確定。十五名が団入り、残りの九名も団ではありませんがそれなりのところに落ち着きました。就職率と言う点では十割をキープです」

 この辺りで進路の最終決定が出るから。

「うむ。やはり優秀な年じゃったのぉ。今年の六学年は」

「はい。六割越えは三年ぶりですかね」

「他の進路も名門勤めゆえ、高給取りであろう。これからはその辺りも推していきたいところじゃなあ。貴族科の充実が騎士科の進路にも繋がっておるわけで」

「検討しておきましょう。次、五学年」

 そしてもう一つ。それに対しリンド統括教頭が発言を促す。

「現在、対抗戦に向けて最終調整を行い、エイル、ロメロ、リカルドを選抜いたしました。それについて異議のある方はおられますでしょうか?」

 五学年の担任が皆に意見を求めるも、全員口を閉ざしたままであった。

「よほどの理由がない限り、対抗戦の人員に関しては担任の裁量。そのように進めてください。ちなみに貴方はどれぐらいの順位を見込んでおりますか?」

 議事進行のリンドがそれで構わないと言い切りつつ、担任の眼から見た予想を問う。その問いかけに対し、五学年の担任は少々顔を曇らせながら、

「八強を踏めたなら御の字、と言ったところでしょうか。正直、六学年に比べても小粒ですし、期待感には欠けます。ただ、それに関してはうちだけではなく、ログレス、レムリア共にスター不在の谷間です。くじ運と勢い次第では意外と、と言うのはまあ楽観ですな。あと、進級試験に関してですが、五学年は三名ほど受けさせるつもりです。その内二名は私の中では先々を鑑みて、切っていい人材かと」

「五学年で三名ですか。先が思いやられますね」

「成績の低下に伴い向上心も薄れ、周りの足を引っ張ろうと動き出すさまを見ると、哀しい気持ちになりますな。人間とは、集団とはかくも不思議なものです」

「……そうですね。次、四学年お願いいたします」

 促され、四学年の担任である女性教師が起立する。

「以前報告した通り、四学年は五学年よりもさらに苦しい状況です。レムリアとブロセリアンドに突き抜けた人材おり、ログレスも平年並み。現状であれば対抗戦、十六強を踏むことも困難かと。それゆえ、危機感を持たせるためにも進級試験は十名、うち四名を落とすことで、少しでも上位陣が奮起してくれたら、と」

「……予想はしていましたが、酷いものですね」

「面目次第もございません」

 彼女だけが問題ではない。騎士学校における担任など一年時ぐらいしか大きな役割はなく、あとは教師や講師らがしっかりと教育し、騎士に仕立て上げなければならないのだ。つまり、四学年の醜態は教師全体の責任である。

 ただ、こんな年は珍しくない。ログレスやレムリアとて振るわない年はある。と言うか今年は三校揃ってそんな感じで、何とも言えぬ世代であった。

「ただ、厳しくし過ぎてもさらに落ち込むだけ。その辺りのさじ加減を間違えぬように皆さんも留意願います」

「ぶは」

 会議室の隅で、レフ・クロイツェルが噴き出す。

「何ですか、マスター・クロイツェル」

「別に。僕は何も言わんよ。カスがどうなろうとどーでもええし、そんなカスの面倒見なあかん教師は大変やなぁ、って思ってな。僕ならとっくにいびり殺しとる」

「……貴方も今はその一員ですよ」

「僕講師やし。立場ちゃうやろ。まあでもしゃーない。特別サービスで仕事受けたる。切りたいカス集めて僕に預けぇ。一日で自主退学させたるわ」

「……全く、貴方と言う者は」

 リンドは静かに首を振る。彼の言葉は極論である。学校運営に携わる側として到底受け入れることなど出来ない。彼もまたそれを理解して発言し、嘲笑っているのだろう。不自由なる教師と言う職業を。

 この場にいる教師や講師たちは騎士団で活躍した、またはそれに準ずる経歴を持つ者たちばかりである。皆ひとかどの人物、本音を言えば頑張れない学生を見て、甘えた考えを聞いて、論外と突きつけたいものなのだ。

 頑張ることなど当たり前。才能と努力を兼ね備えた者たちしかこの場にはいないのだ。選ばれた、選ばれるために研鑽を積んだ者たちからすれば、たとえ御三家の学生であっても話にならない、と考えるだろう。

 そういう人間だけが騎士に成るべき、皆心の中で思うこと。

「それでは三学年、お願いします」

「はい」

 暗い話題が続く中、三学年の担任であるエメリヒが立ち上がる。

 彼は今日、一つの覚悟をしてこの場にいた。

「皆さんもご存じの通り三学年は優秀です。私が何もしなくとも、上位陣は皆、名門の団に入ることでしょう。対抗戦も優勝が目標です」

「他の学校もその代は良いと聞きますが」

 四学年の担任の問いに、

「それを鑑みても、です。出来れば四枠、五枠あれば確実なのですが」

 エメリヒは笑みを以て返す。イールファス、フレイヤ、デリング、ディン、それに例年であれば楽々代表入りするであろうミラたちの上位陣。揃いも揃ったり大豊作の三学年。ここで勝たなきゃいつ勝つと言うのか、と言ったところ。

 まあ、ほかの学校もスター揃いの年なのは確かなのだが。

「で、哀しいほどに格差が開いていたその他大勢はどうなりましたか?」

 五学年の担任が水を差そうとする。

 だが、エメリヒはその話題が振られるのを待っていたのだ。

「昨年までは大きな溝がありました。優秀な子が集まった世代ですが、それゆえになかなか上位に食い込めず、腐っていた子も少なくなかった。今も実力はあるのに惜しいな、と思う子は中堅上位に何人かいます。まあ彼らはなんだかんだで団入りはすると思いますが。其処は重要ではない。今年の目玉は下位グループです。こんな現象は私の少ない教師人生で恐縮ですが、初めてのことです」

「……?」

「座学、実技共に、期末試験の結果、前期までは大きな溝があった中位と下位の溝がほぼなくなりました。順位も僅差が大半です」

「……なるほど。それは素晴らしいですな。テストの難易度に興味はありますが」

「そこは名門アスガルドの教師陣です。手抜かりはないと信じています」

「まあ、そうでしょうな」

 学年の担任ではない教師陣から刺すような眼を向けられて、五学年の担任は口をつぐむ。テストは学生と教師の戦いである。あらゆる手段(過去問参照など)を用いテスト対策をする学生に、優劣をつけるためにテストは厳し過ぎても易し過ぎてもいけない。皆、平均点が六割となるように調節しているのだ。

 ただ、今年の三学年に限りそれが通じなかった。

「なので、私は今年の三学年に進級試験を実施する必要はないと考えます!」

 エメリヒの発言に全教師が目を剥く。三学年で進級試験を実施しなかった年など、それこそ戦前、戦後すぐまで遡らねばなかったことであろう。集団とは不思議なもので、どれだけ手厚くケアをしても、どれだけ優秀な子を集めても、何故か落伍者が出てしまうものなのだ。理由は様々、単純に優秀な者たちの争いについていけなくなったか、精神的な変化、家庭環境などの外的要因、多種多様である。

 それがない、と言うのは一種の奇跡であろう。

「ふむ。わしは良いと思うが――」

「あかんわボケ。他はどうでもええ。最下位のカスには進級試験を受けさせぇ。そうせな示しがつかんやろうが」

 エメリヒの大胆な提案に、学園長であるウルの賛同を遮ってクロイツェルが噛みつく。他の教師陣もまさか彼が、と驚きの目を向けていた。

 逆はあっても、反対することなどありえないと思っていたから。

「彼の成績は最下位ですが、他の年と照らし合わせると進級試験該当者のラインは越えています。だから――」

「ほんでも最下位や。ええか、世の大半は相対評価、時代を、世代を超えた絶対評価なんぞありえへん。自分が比べられるんは其処の、お友達のカス共や。それを教えてやるんが優しさやと思うんやけどなァ、僕は」

「私は彼らの努力に、成し遂げたことに、報いるべきと思います」

「学生風情が何を成し遂げたっていうんや」

「彼らは――」

「双方、落ち着きなさい」

「僕は落ち着いとるわ、ババア」

「クロイツェル。確かにあの子に関して、貴方には意見を述べる権利があります。負荷をかけたがっているのも承知していますし、我々もそれを酌んであえて放置もしました。その結果が彼自身の向上及び全体の躍進につながったのなら――」

「ズレとる。全体の向上はあのカスが単純に足りひんかっただけや。他の連中に諦めさすぐらい伸びることが出来んかっただけや。反省すべきことやと教えたらな勘違いしてまうやろ。どん底から自分は充分頑張った、てなァ」

「私の眼から見ても今年の彼は充分頑張ったと思いますが?」

 クロイツェルは歯噛みする。何もわかっていない、と言った表情で。

「自分らほんま、あのカスのことわかっとらんな」

「現状、貴方と彼に接点があるとは思えませんが」

「……眼を見ればわかる。あのカスの、唯一の長所が其処や」

「確かに動体視力と視野は特筆すべきところが――」

「ほら、わかっとらん。そんなもん、全部後付けやろうが。まあええわ。どうせ遅かれ早かれ、あのカスは気づく。何せ自分のことやからな」

「……」

 この場の誰もがクロイツェルの言葉、その真意に辿り着くことはなかった。ウルとて彼の言っていることは何もわからない。

 わかるはずがない。

「……クルス・リンザールは三学年躍進の原動力です。私は彼らなら、このまま誰一人脱落することなく全入もあり得ると考えております!」

 全入、その大言壮語を笑う者もいた。それは騎士学校の夢である。全てのものが騎士団に入団し、正しい意味で騎士となること。

 魔との戦争がなくなり、年々騎士の仕事も効率化され、騎士団の人員が削減され続けている時代。それなのに学校は増え、競争は激化するばかり。

 今の時代、全入など夢のまた夢。ログレスであろうとそんなものは夢物語である。そもそも下手な騎士団に入るよりも、名士の執事として仕える方が高給取りであったりもする。そういう意味でも、全入はそれなりの騎士団に皆が入ること前提の話。

 やはり、夢物語でしかない。

「珍しく熱いですなぁ。ただ、昨年ご自身が言った言葉をお忘れか? 騎士時代の自分なら半分は切り捨てる。そうおっしゃっていたではありませんか」

「だから、です。そんな自分の見立てが外れそうだから、熱くもなりますし、彼らに期待をしてしまう。仕事で夢を見られることは、そうありませんから」

「……君にそこまで言わせますか」

 五学年の担任はやれやれと首を振り、

「では、三学年のことはよく知りませんが、エメリヒ先生の大口を信じて賛同させていただきますか。私もまあ、たまにはアスガルドの良いところが見たいのでね」

 若手の肩を持つ。

 それを機にぽつぽつと賛同の意見は出始めるが、それでも鈍い。前例のない話である。アスガルドはお国柄からして、前例のない話は通りにくいのだ。

 道理はある。だが、まだ流れは変わらない。

「あの子はわしの講義に、ただの一度も寝ておらぬよ」

 そんな中、普段こういった場で滅多に口を開くことのない、最古参の教師フロプトが口を開いた。ウルやリンドが目を見張る。

「この場にもわしの講義を受けた者は大勢いるだろう。そしてその全員が、必ずどこかで寝ておる。のお、学園長殿、統括教頭殿」

「ふははは、わしは毎度寝ておりましたなぁ」

「……あの日はその、色々立て込んでおりまして」

 ウルはともかくリンドまで睡魔に敗れるほどの講義。学生時代は何だこれ、と思っていたフロプトの講義であったが、教師になって彼の評価基準を知り、ようやくその真意を理解する。歴史に対する知識は当然だが、もう一つ裏の評価軸があるのだ。

 それが忍耐力である。

 最古参の教師、フロプトは忍耐こそ騎士にとって最も重要な能力だと考えている。苦しい時にどれだけ自らを律することが出来るか、こらえることが出来るか、それを彼は講義で見極めているのだ。あえてつまらなくしている側面もある。

「……グラスヘイム先生の講義を一度も、それはまた酔狂、ごほん、見込みのある学生ですな。少々、いや、かなり驚きました」

 五学年の担任は苦笑いするしかない。

「それに進級試験がない時代などいくらでもあった。のお、学園長殿」

「まあ、わしらの時代は騎士がバカスカ死んでおりましたからなぁ。猫の手でも借りたい状況でしたし進級、卒業すら曖昧のまま、戦場に駆り出された者も多い。そう考えると百年より以前であれば結構普通のことでしたか」

「それを前例があると見るかどうかは、若い者たちに任せよう」

 フロプトは口を閉ざし、起きているのか寝ているのかわからないような状態となる。まあ、ウルは幾度も痛い目を見ているため、彼の前では隙を見せない。

 それはリンドも同じこと。

「と言うところで、そろそろ決めねばの。二学年、一学年の話を控えておる。この世には便利な採決の方法があるでな。多数決で決めようぞ」

「イエス・マスター」

 学園長の鶴の一声で採決の方法が決まる。前例を、歴史を何処まで遡るか。三学年の奇妙な成績推移をどう見るか。

 全ては教師、講師たちの選択にゆだねられた。


     ○


「あの、クルス君。これ、進級試験の対策なんだけど」

「え、あ、ありがとう」

 女生徒からノートを手渡されしどろもどろになるクルス。

「ううん。私、進級試験の常連だから……自慢にならないけど」

(……まあ、確かに)

「たぶん、一緒に受けることになると思うから頑張ろうね」

「……うん」

(天使かな?)

 つい最近までは実技が足を引っ張りブービーをひた走っていた女生徒であったが、実は期末テストの結果はかなり良く、元々そこまで悪くなかった座学は下位グループから頭一つ抜け出し、ブービーではなくなっていた。

 実技もクルスらと積極的に取り組むことで伸びてきており、彼女の躍進も下位グループの発奮材料となっている。下からの突き上げほど上の者を脅かすことはないのだ。例えそれが大差ないものでも、人は下を見ることで安心する生き物であるから。

 まあ、それは腐っていた時の話だが。

「実技の対策を教えてやろう。何を隠そう、俺も常連だ」

「隠れてねえだろ、ブービー」

「煩い! 科学のヤマが外れてなかったら今回はもっと上だったんだよ!」

 このやり取りを皮切りに、下位グループ『であった』者たちがぞろぞろとクルスの周りに集まってきた。そして進級試験がどういうもので、三学年だとどうなりそうか、倶楽部の先輩から聞いた話など口々に語る。

 そんな様子を眺めながら、

「まあ、多分大丈夫だろ、あの様子なら」

「……そうだな」

 ディンとデリングはほんのりと笑みを浮かべる。学校も馬鹿ではない。あの空気感の原因は気づいているはず。そもそも騎士学校を去る人間の大半は、実力不足と言うよりも心の問題が大きい。心が足を引っ張り、研鑽せず落ちていく。

 そういう空気はあの場にない。この学年にはなくなった。

 去年までは結構な数が腐っていたと言うのに――

「はい静粛に!」

「先生、今年の進級試験は誰が受けるんですか?」

「おっと、いきなりだね」

 エメリヒが教室に戻ってすぐ、三十位の男が堂々と問いかける。成績はブービーなのに妙に偉そうなのはまあ、彼は元々座学最下位での入学で、実技はそこそこ上だった。一年、二年とその実技も錆び、腐っていく中、最近ようやく復調してきて輝きを取り戻しつつあったのだ。その分、偉ぶり始めたが。

 ちなみに剣闘の講義ではリンザール最多撃破者である。

 と言っても総合成績はブービー、騎士は文武両道でなければならない。

「今調子いいんで、パパっと突破して夏を迎えたいんです」

「はは、いい気合いだ。是非、その熱量を継続してほしい。と言うわけで今年の進級試験、その該当者だが――」

 クルスは静かに覚悟を決める。自分には逃げ場はない。目の前に試練があると言うのなら、乗り越えるまで。

 やるぞ、と意気込む。

 他の者も同様。正直、成績は団子状態。誰が呼ばれてもおかしくはない。成績だけじゃなく進級試験は目に見えない部分も加味されるから。

 それでも皆、自分の名前が呼ばれるな、とは思っていなかった。呼ばれたとしても今の自分なら乗り越えられる、そう言う自信があったから。

 努力した。伸びた。その成功体験が彼らを変えた。

 だから――

「ゼロ! 今年度、騎士科三学年では進級試験の実施はなし! およそ百年ぶりの快挙だ! 皆、よくやった!」

 エメリヒは躊躇いなくそれを口にした。

 一瞬の静寂、そして――

「う、うおおおおおおおおおおおお!」

 教室が歓喜に爆発した。

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