第39話:現実と理想のギャップ

 クルスは今、拳闘倶楽部で休憩がてらミラともう一人のスパーリングを見つめていた。相変わらずミラの速さはぴか一である。バルバラが言うには軽く、しなやか、体と魔力の連動性に優れているからこその優速であるらしい。

 贅肉をそぎ落とし、筋力を保持したまま軽さを追求する。その上で鍛える筋肉自体も拳闘用に選び、要る要らないを徹底する。

 いくつもの要素が絡み合い、あそこまでに達する。剣を持つ彼女はディンまでの四位と頭半個分劣る気もするが、拳の彼女は逆に半分突き出てすらいるように見える。もちろん、イールファスは別格であるのだが。

 だが――

「この、男がグニャグニャしてんじゃないわよ!」

「……そう言われても」

 今、ミラは苦戦していた。速さはずっとミラの方が上なのに、力すら出しているように見えないのに、しっかりと彼女と渡り合っている。

「ふッ、シュ、シッ!」

「あ、このコンビネーションは無理」

「ふんが!」

 ありったけの力と体力を注ぎ込み、何とかミラは価値をもぎ取る。相手は特に悔しさを滲ませることなく、休憩に入っていく。

 当然、ミラは不機嫌であった。

 触らぬミラに祟りなし。どちらにせよ、彼に聞きたいことがあったのだ。

 そう、

「お疲れ様、フィン。惜しかったね」

「ん、まあ、ミラには勝てないよ。拳闘に対する覚悟が違うから」

 クルスと同じ三学年の拳闘倶楽部メンバー、フィンに。彼もまた成績は上位グループなのだが、学業に対する熱量は見受けられずそれでいて成績上位と言う謎の男である。何処かイールファスと似てつかみどころのないタイプであった。

 同じ倶楽部メンバーだが、実はあまり接点がない。

「あのさ、フィンに聞きたいことがあるんだけど」

「……面倒――」

 面倒くさいが口癖で、駄目元での問いかけであったがやはりかわされるか、とクルスは肩を落とす。が、フィンは少し考え込み、

「あー、俺も質問していいなら、いいよ」

「……俺に?」

「うん」

 珍しいこともあるんだな、とクルスは思うがこれは千載一遇の好機である。

 逃すまい、と彼は口を開いた。

「フィンって避けるの上手いよね? あれ、どうやっているの?」

 クルスが気になったのはフィンの回避方法であった。彼の回避はクルスにとっては回避ではない。被弾前提の回避方法である。最初はリカルドと同じかと思っていたが、先輩のは被弾してかつダメージを負う覚悟で受けるのに対し、フィンのそれはダメージを蓄積しているように見えなかった。

 当たっているのに、当たっていない。

 それがフィンの拳闘術である。

「んー、俺って実は面倒くさがりなんだけど」

「知ってるよ」

「あ、そうなんだ。なら、話早くていいや。正直さ、相手を読むのも面倒くさいんだよね、俺。クルスとかよくやるなぁ、って思うもん」

「俺も結構読まずに、見て対応するタイプだと思うけど」

「起こりを見て、考えて動くなら一緒だよ、俺からしたら。俺は其処見るのも面倒だし、来た攻撃を何も考えずに受ける。これだけ。相手が決めに来た一撃だったらカウンターで沈めるし、牽制なら相手の本命を引き出すまで付き合うって感じかな」

「な、何も考えてないの?」

「うん」

 こいつ天才か、とクルスは愕然とする。

 それを察し、

「あんまり真似しない方が良いと思うけど、俺のも技術だからね。よくバルバラ先生にそれは最後の手段です、って怒られてるし」

 フィンが先回りしてクルスの勘違いを潰す。

「スリッピングアウェー、要は攻撃と同じ方向に顔を、体を動かして受け流す技術。主に対打撃で使われるけど、まあ何にでも応用は利くよ。クルスだって剣だとやってるでしょ、受け流すことぐらい。それを体でやるだけ」

「……か、簡単に言うなぁ」

「攻防を簡単にしたいから俺はこの技術を体得したの。なるべく楽したいからね」

 楽をするためにリスクを冒す。拳闘など被弾しなければしないだけいいのだ。危険、リスクは最小限に収めたいと思うのが普通の考え方。だが、フィンは違う。普通に戦うのが面倒くさいから、普通じゃない技術を極めた。

 リスクよりも本人にとって楽な道を選んだのだ。

「クルスも出来るよ。見るの得意でしょ」

「うん。まあ、たぶん」

「コツは点でも線でも面でもなく、円で受けることかな」

「円?」

「そ。人間の身体って基本は球体で出来ているから。普通の受けなら面意識でいいけど、この受け方だとそれじゃあ普通にダメージ入っちゃうし、立体的に受ける必要がある。それだけ意識を変えたら、まあ、たぶん出来ると思う」

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 普段、イールファス同様、講義では滅多に話さない男なのだが、ここまで懇切丁寧に説明してくれるとは思わなかった。

 意外と教えたがりなのかな、とクルスは感謝しながら考えていた。

 が、その理由はとても意外なものであった。

「じゃあ、俺からも質問。結構色々聞くけど、いい?」

「う、うん。俺にわかることなら」

「多分大丈夫。この前ディンとの会話をしてる時聞いたんだけど、クルスの実家って農業やってるんでしょ?」

「まあ、そうだね。ほぼ小作人みたいなものだけど。自分の家の土地なんて猫の額ぐらいしかないし……え?」

 クルスはフィンの眼を見て驚愕する。眠たげな眼がキラキラと輝き、まるでクルスを尊敬しているかのようなまなざしでフィンはこちらを見つめていたのだ。

「すげえ。本物の専門家だ。何を育てているの!?」

「え、あの、小麦とか大麦。たまに大豆も」

「農業の王様だぁ」

「お、王様ぁ?」

「周期は!?」

「第十月の後月辺りから種まきして、収穫は翌年の第六月、第七月だと思うけど。この話、そんなに面白い?」

「面白い! イリオス辺りの気候だとそういうスケジュールなのか。アスガルドだと第九月から動き出すし、収穫も第八月に差し掛かることもあるらしいよ」

「そ、そっか」

「他には、えっと、ちょっと待って。カバンの中に聞きたい事リストが――」

「……え?」

 クルスは勘違いしていた。彼は教えたがりなのではない。ただ、自分が聞くことの対価として少しでも多くを押し付けようと考えていただけであったのだ。たくさん聞きたいことがあったから、面倒くさいけど頑張って答えただけ。

 その対価は、結構重かった。


     ○


「……とりあえずこんなものかな」

「……それは、よかった、よ」

「農業は奥が深いね。地域でも全然違うし。まさかイリオスじゃ麦を踏むなんて思わなかったよ。俺もやってみたいなぁ」

 クルスにはフィンが理解できなかった。クルスの知る限り、周りで農業をやっている者の中にやりたくてやっている者など一人もいなかった。皆、家が代々やっているから右に倣えで同じことをしているだけ。

 少なくとも幼いクルスにはそう見えていたのだ。楽しいことなど無い。自然相手だからままならぬことも多い。その上で毎年似たようなルーチンワークをし、あとは神に祈るばかり。何処に楽しみがあるのか、今の彼にはわからなかった。

「俺さ、騎士で稼いだら土地を買って農業をしたいんだよね。第二の人生的な奴」

「……な、なんで? 騎士の方が良くない?」

「んー、皆そう言うけどさぁ。俺からしたら逆になんで、だよ。だって騎士って何も生み出さないじゃん? 農家の方が尊いし役にも立っているよ」

「……そんなこと、ないと思うけど」

「俺、三男だし家督は継がなくていいけど、騎士にはならなきゃいけないんだよ。だから、まあそっちは適当に稼げる騎士団に入って稼げるだけ稼ぐ。で、第二の人生で本気出す。そのために今勉強中なんだ。だから魔法科の講義で農業の役に立ちそうなのは取ってる。騎士科は誰も取らないから俺一人だけどね」

「騎士は、適当?」

「うん。俺は農家が本命。楽な道じゃないのはわかっているし、だからこそやりがいがあると思うんだよねぇ。クルスはそう思わないんだ?」

「……まあ、そうだね。そうじゃないから、今、俺はここにいるわけで」

「そりゃそっか。まあ現場の人間の生の声は貴重だから。また聞きたいことあったら聞いてよ。俺もその分聞くから」

「うん。わかった」

 クルスは信じられない気持ちであった。彼の中では明確に騎士と言う高貴な職業があって、その下に自分が生まれた農家がある、そう言う認識だったのだ。だが、騎士の家に生まれたフィンはそうじゃないと言う。

 あまつさえ、農家になりたいなどと言った。

 自分が何よりも成りたくないものに――


     ○


 クルスはその夜、就寝前にベッドの上でストレッチしながらディンに問う。

「フィン? ああ、まあ変わったやつだよな」

「優秀、ではあるよね」

「そりゃそうだ。あいつは効率化の鬼だからな。楽をするためなら何でもする。結果、最短距離を走るって感じか。天才であり秀才でもあるわけよ」

「……努力家でもあるんだね」

「そういうこと。騎士への執着は見えないけど、騎士に成る気はあるんだろうな。座学も実技も常に上位グループだし。たまにヤマを外したって言ってガクンと落ちることもあるけど……で、そのフィンがどうしたって?」

「ん、今日たまたま色々と話したんだ。それだけ」

「へえ。珍しいな」

 クルスは少しためらいながら、ディンにも問うことにした。

「ディンはさ、騎士っていう職業について……どう思う?」

 ディンは少し目をぱちくりしながら、

「難しい質問だな。まあ、ダンジョンが常に発生し続けている以上、必要な職業だと思う。けど、今はちと色々と手を伸ばし過ぎかもな。人の守り手が、人を傷つけることもある、ってのは頂けねえよ。如何なる理由があろうとも、な」

 クルスの問いに真剣に答える。

「人を傷つける? 騎士が?」

「ダンジョンの脅威が去ったら、人は人同士で争う。魔王率いる災厄の軍勢との戦争は百年間起きていないが、人同士の戦はいくつか起きてるんだ。当然、騎士も駆り出される。騎士が民に剣を突き立てることも、あった」

「……」

「そうでなくても今は色々な仕事を騎士がやるからな。中には暗殺まがいの仕事もある。秩序のためにってやつだ。頭じゃ理解してるんだが、飲み込み切れないところはあるよ。青臭いと言われようが、それは騎士の仕事じゃねえ」

「……そんな仕事も、あるんだね」

「綺麗なだけじゃ食っていけない時代。あんまり幻想を抱かない方が良いぜ。少なくとも俺は、両親や周りを見ていい仕事だと思ったことは、一度もねえよ」

「じゃあ、なんでディンは――」

 騎士に成るための学校に通っているの、その問いをクルスは飲み込む。飲み込むも、さすがにここまで漏れ出てしまえば、

「それしか知らねえんだよ、俺たちは。騎士と、それに連なる職業しか知らない。だから、家から飛び出しても、無様にしがみついているわけだ」

 誰でも聞きたいことはわかってしまう。

「ご、ごめん。俺――」

「気にすんな。もう寝ようぜ。明日も早いんだ」

「う、うん」

 騎士の世界しか知らない。それをクルスは羨ましく思っていた。格好いい職業を生業とした、格好いい人たち。それがクルスの想像である。

 だけど、本当はそうではないのかもしれない。ここは学校だから、騎士のきらきらした一面しか教えてくれないけれど、クルスが農業の現場を知るように、騎士の現場にもそういうドロドロとしたものがあるのかもしれない。

 そう思うと、急に道が揺らいだ気がした。

 それでも――

(俺は、もう、騎士に成るしかないんだ)

 奨学金と言う名の借金を背負った。もはやイリオスに、ゲリンゼルに戻ることは許されない。あそこで借金を返済しようと思ったら、一生かかっても返し切れないだろう。成るしかないのだ、騎士に。その道しかないのだと、己に言い聞かせる。

 揺らぐな、進め、迷っている余裕など、自分にはない。

 そう言い聞かせる。


     ○


 光陰矢の如し、集中している時こそ時間の進みは早い。クルス・リンザールは期末までの残り期間、隙間なく勉強を、特訓を、倶楽部活動を叩き込んだ。やるしかない。その一念で彼は努力した。凄まじい密度で。

 だが、

「……腐っても御三家の学生よね」

 それは皆同じ事。

「腐らなかったから、こうなったんだ」

「うっさいわね、クレンツェ。そんなの私もわかってるわよ」

 元々御三家の学生は地力がある。地頭がある。だから名門アスガルド王立学園へ入学できたのだ。学生全体の上位1%の上澄み、少なくとも入学時点での彼らは皆、そう言う超エリートであった。ただ、その中での差や環境の変化、様々な要因が彼らを腐らせ、俯かせていただけ。

 モチベーションが高まり、見上げたならば――

「……リンザールは見事だった。誰が見ても一番伸びた。だが、曲がりなりにも二年間、先んじて積み上げてきた者たち。その積み重ねには、及ばなかった」

「そう、ですわね」

 デリングとフレイヤも表情を曇らせる。ミラも、ディンも、彼の努力を間近で見てきたからこそ、この結果には何も言えなくなる。

 されど、世の中結果がすべて。

「仕方ないわね。進級試験に向けてこの私が力を貸してやるか」

「まだ、そうと決まったわけではありませんわ」

「ハァ? 進級試験が行われなかった年があんの?」

「……それは」

「なら、どう考えてもあいつは対象でしょ。だってあいつは――」

 クルス・リンザール、期末テストの総合成績、騎士科三学年の三十一位。

 つまりは、最下位であった。

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