第38話:最下位の男

 冬が過ぎ、春となる。ぽかぽかとした陽気が降り注ぎ、イザヴェル平原ではピクニック日和、となりそうなところであったが――

「始まったな」

「ああ」

 大体毎年第四月に入ると、今年度も残り三か月となり、皆あることを意識し始める。それは期末試験及び、その先にある進級試験である。

 期末試験を含めた一年間を通しての成績が足りぬ数名は進級試験を受けることとなり、毎年各学年何人かは退学となっている。ちなみに貴族科の面々はよほどでない限り退学はあり得ないのでのほほんとピクニックしていたが。

 騎士科は当然、目の色を変える。一年、二年の内ならまだ潰しは利くが、学年が上がるにつれてそうもいかなくなっていくから。

 まあ、とは言え気合が入るのはボーダーラインの学生のみ。学生たちもある程度自分の立ち位置はわかっているので普段通りの学生の方が多い。

 と言うのが例年の、普通の学年の話。

 だが、今年の三学年は――

「しょ、小テスト八十六点だと!?」

「えへへ。実技がパッとしない分、座学くらいは頑張ろうと思って」

(ぐっ、今年のブービーは固いと思っていたのに)

(じ、実技で取り返す!)

 下位グループで熾烈なブービー争い、ビリッケツの次を押し付け合うため、後期開始してほどなく水面下での死闘が繰り広げられていたのだ。去年よりも明らかに激しさを増す下位の争い。しかも例年よりもずっと早いタイミングでの開戦である。

 その最大の理由が、

「六十二点、平均七十三点は高いよぉ」

 今、うなだれているビリッケツ男、クルス・リンザールであった。彼の点数を耳にし、下位グループの面々は眉をひそめる。またあの男、昇って来たのだ。

 今回の科学の小テスト、決して楽な問題ばかりではなかった。大体アスガルドのテストは一部の楽単を除き、平均が六十前後になるように作られている。にもかかわらず今回、平均点が七十台と高かったのは――

(っぶねー、ギリだった)

(平均高過ぎだろ! こいつら、勉強してねえって嘘ついてやがったな! 俺だけ抜け駆けしたと思ってたのによォ)

(クルス君、頑張ってるんだ。私も頑張らないと)

(サボれよ俺以外ィ!)

 あの男には負けたくない、と言う負の執念からであった。一部、そうでないのも混じってはいるが、基本的に下位グループの想いは一つ、あんなに出来なかった奴に負けたら生き恥だろ、と言う騎士にあるまじき醜い心であった。

 だが、清かろうが醜かろうが、努力は努力である。毎年、落ちこぼれる学生は必ず出て、明らかにモチベーションが低下する学生が散見される中、三学年のそれは異様な状態であった。前期は正直誰もが今年はクルスがその筆頭だ、と思っていた。のんびりと構えていた。それなのにクルスがぐんぐん伸び始めたのだからさあ大変。

 あれよあれよと言う間に三学年の底に張り付いてきた男から逃げ切ろうと、モチベーションが低かった学生たちが一斉に努力を再開し始めたのだ。

 ただ一念、あの男だけには負けんと言う思いだけで。

(……今回は結構できたと思ったのに)

 クルスは焦る。後期の頭、かなり手応えがあってから最下位脱出できそうな予感がしていたのに、皆に追いつきかけてからが遠い。

 彼が自らの至らなさを痛感する一方で、

「……この平均点は、驚いたなぁ」

 教師が一番この状況を驚いていた。


     ○


「はぁ、はぁ、はぁ!」

「クルス君、もう一本お願いします!」

「あ、ああ!」

 剣闘の講義も激しさが増すばかり。今も実技のビリとブービーが激しい戦いを繰り広げていた。クルスが来るまで実技に関しては彼女がビリだった。座学で何とか取返していたが、それも特別優秀と言うわけでもなく、進級試験常連である。

 だが、今の剣劇にその影は見えない。

(……あそこまで食い下がる奴だったか?)

(リンザールのやつも前期とは見違えるようだ。くそ、さっきの拳闘の講義でもそうだが、攻めも板についてきて弱点が減ってきたな)

(まだ勝てる。まだ――)

 下位グループの熱量増加に関しては、最初のウォーミングアップから見ることが出来た。今まで明らかに流していた連中が流さず力を入れるようになり、皆が手抜きしなくなったから誰も手抜きできなくなってしまったのだ。

 おかげで普段手抜きしていた組は組手開始前から呼吸が乱れ、こうして観戦している体で休んでいる。

「ふ、シュ!」

「あっ――」

 拳はもっと顕著だが、剣も随分と様変わりした。新しい剣の効果と言うよりも、拳闘での学びが剣にも生かされてきたのだろう。少し前は受け以外怖くなかった、端的に言えば下手くそであったのに、今はもう見られるものとなっていた。

「クルス君、もうひと勝負――」

「次は俺だ」

「俺がわからせる。二十八位は退け」

「テメエは二十六位でさして変わらねえよ! 拳闘なら俺の方が上だし」

「今は剣の時間ですゥ」

「……お、俺はどっちでもいいよ」

 賑わいを見せる下位グループ。彼らを見てディンやデリングは驚き、微笑んでいた。今、下位の熱を生んでいる原因はクルスである。彼の努力が半ば諦めていた彼らを刺激して、今のバチバチとした空気を作っている。

 他校を知るディンやミラは今がどれだけ異様な状況か理解していた。

 どの学校にも落ちこぼれてしまう学生は出てくるものなのだ。御三家、最優とされるログレスでもそれは例外ではない。毎年何人かは学校を去るし、惜しい者も少なくはないが、多くは進級試験の前に腐っているもの。

 実際、前期の時点でそうなりそうな者は今の三学年にもいた。

(ない、ね。私の知る限り、こんな学年は初めてだ)

 剣闘の講義及び彼ら三学年の担任も務める教師エメリヒは信じ難い光景に驚愕していた。この状況は素晴らしい。是非、継続していきたい。

(今この状況でクルス・リンザールを切る選択肢はない。だけど――)

 現状、クルスがビリなのは事実。そして他の学生が奮闘しているせいで、簡単に抜きされる気配もない。と言うか彼らは意地でもそうさせぬよう努力するだろう。

 教師としてはありがたい。だが、同時にジレンマもある。

 毎年、騎士科は最低一名、退学としているのだ。絶対に学生を退学させるルールがあるわけではないが、実際に毎年切り捨てているのは事実。

 自分以外の教師がどう考えるか、エメリヒとしては気になるところであった。


     ○


「ふいー、お風呂最高。ってやってんなぁ、クルス」

「うん」

 お風呂上りにまったりクールダウンしつつ、同じくお風呂上がりの女子を見つめ、色んな妄想しちゃおう、と最悪のお楽しみを画策していたディンであったが、自分と入れ替わりで風呂から上がっていたクルスがストレッチをしている様を見て驚く。相当長風呂だったのに、まだ続けていたのだ。

(……こいついつも長風呂だな、って思っていたけど)

 どうやら、その後が長いようであった。

「……随分柔らかくなったな」

「毎日やってるからね。少しは柔らかくなるよ」

「……毎日、ね」

 夜は不滅団の活動もあり、最近クルスと風呂時間が重なっていなかったが、どうやらあの日からずっと忠実に真似しているようであった。

 レフ・クロイツェルの柔軟運動を。

 それに彼だけでなく、

(いつの間にやら普段見ない顔ぶれも修練室に顔出してんじゃねえか。昨日今日、焦って始めましたって感じじゃねえな、これ)

 三学年の面々もちらほらと見受けられる。各々、ウェイト系で体を鍛えている者や走って脂肪燃焼及び体力、肺活量向上を目的とする者、瞑想し魔力伝導を高めんとする者、無限に懸垂(チンニング)をしている者、クルス同様ストレッチなどで柔軟性を、可動域を向上させようとする者、様々である。

 いつの間にか、とんでもないことが起きていた。

「……俺もうかうかしてられないな」

「なに?」

「何でもない。俺もストレッチやろうかな。苦手だし」

「いいね。目指せイールファス」

「あいつは特殊だろ。馬鹿げた柔軟性と超反応が売りの男だからな。さすがに努力で獲得できる領域じゃないさ」

「やってみないとわからないだろ」

「……そういうとこ、マジで見習わないとなぁ」

 クルスと言う異物が入ったことで三学年の雰囲気が変わった。去年を知るディンは驚くしかない。まさかそのために彼を取ったのか、と思うほどにクルスの存在が三学年の全体レベルそのものを引き上げている。

 その結果、彼自身が総合成績で最下位から浮上出来ていないのは皮肉なことであるが、とにかく彼の存在が全体にいい影響を与えていることは事実。

(頼むぜ、教師陣。前例なんて蹴っ飛ばしてくれ)

 ディンは祈る。去年よりも学年の雰囲気はずっと良い。特に諦めムードだった下位の変わりようは凄まじい。必要なマスターピースだったのだ、彼は。

 最下位の彼をどう見るか、それに次ぐ者たちをどう見るか、毎年何人かは退学する。それは少しでも学校から団への就職率を上げるため。見込みのない者を残しても、就職率が下がるだけ。其処は毎年、冷徹な判断が下されてきた。

 今年は――どうなる。

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