第37話:その手の本質

 共和都市ユニオン、大陸に中心部に鎮座する大都市である。その歴史は古く、一説には千年前からこの地に根差しているとも言われている。かつての時代、ミズガルズにおけるほぼ全ての国家が所属した大連合国であったが、ウトガルドに対する危機を盾に腐敗し切り、三百年前に他ならぬユニオンの守り手、ユニオン騎士団の手で体制が崩壊した。騎士たちは各国へ独立を促し、その上で彼らは誓う。

 このユニオンは永世中立都市として存在し、都市を運営するユニオン騎士団はミズガルズすべての国の剣として、盾として機能する、と。

 それが今日の共和都市ユニオン、騎士団が治める都市国家の在り様であった。

 その都市国家最高の高さを誇る塔の頂上にその男の部屋はあった。

「……ひーひー、そろそろ引っ越しを検討されてはどうですか、グランド・マスター。お話の度にこうして塔を登るのは一苦労と言いますか、無駄と言いますか」

「騎士が労苦を厭うな」

「何事も効率化の時代ですよ」

「……くだらぬ」

 紅蓮の髪を後ろに流した姿や、筋骨隆々の巨体を見て、彼が齢百を超える老人と思う者はそう多くないだろう。現代では珍しい純血のソル族、ゆうに三百まで生きる種族にとって百歳台は通過点でしかない。

 彼の名はマスター・ウーゼル。グランド・マスターに任じられた際、中立中庸のため姓を捨て、世界のためだけに生きると決めた男である。

 今なお最強の騎士として名が挙がることも多い人物であり、ユニオン騎士団第一騎士隊を率い、騎士団全体を統括する立場でもある。

「なら、最近発明されたエレベーターを――」

「マスター・ガーター。世間話は不要、報告のみを口にせよ」

「あらぁ、ご機嫌斜めですねぇ」

「ガーター」

「はいはい」

 ガーターと呼ばれた男はボサボサの髪をかきながら、ウーゼルの圧を受け平然と立っていた。彼もまたユニオンの騎士、こう見えて結構やる男である。

 見た目は眠たそうな目も相まって大変、みすぼらしいのだが――

「イリオスの封印、マスター・ユーダリルの報告通り解かれていました。魔王イドゥンの心臓、最重要部位ですので、当然封印も最高のものが施されておりました」

「知っておる。俺も当時立ち会った」

「……つまり、マスター・ビフレストは全ての部位の封印を解くことが出来る、と考えられます。しかも、ユニオンの隊長格が現場にいて気づかぬほど静かに」

「……ゼロスではない」

「しかし、ユーダリル殿は――」

「あれが耄碌しただけだ。俺の知る限り、ゼロスと言う男は誰よりも世界のことを考え、平和を愛していた。死んでも世を乱す輩になど堕ちぬ。大方、肉体を魔に奪われたのだろう。それとて許せん話だがな」

「……」

 ガーター、ユーグ・ガータ―は髪をかきながら難しい顔をする。彼個人としては現場で見たウルの判断を信じるべきだと思っているし、百年も経てばそれなりに考えが変質していてもおかしくはないとも思う。

 ましてやウーゼルによるとゼロスはノマ族であり、百年も生きたら褒め称えられるような種族である。空白は大きい。

 人が変わるには十二分な時が流れている。

「もう一つの案件は?」

「……メラ・メルの手記は第十二騎士隊に押収される前に回収しました。ただ、内容は推測の域を出ぬことが多く、確たる証拠にはならぬかと」

「残念だ」

「……残念、ですか」

「何だ?」

「いいえー、何もありません」

「……なら、下がれ」

「イエス・マスター」

 ユーグはメラ・メルが傑出した子であり、次代のユニオン騎士団の中核を担う存在になると思っていた。ウーゼルもそう思うからこそ彼女に困難な任務を課したのだ。今回の件は不幸としか言いようがない。災厄の騎士が襲来するなど、想定しろと言う方が難しいだろう。騎士に戦死はつきもの。悔いても仕方がない。

 ただ、大事に育てるべきだったとは思う。

「それにしても――」

 ユーグは部屋を出た後、辺りを見渡して思う。

「何重にも陣を敷いた場所でも関係なし、か。近頃の老人は元気だなぁ」

 塔の最上階にはグランド・マスターの許可がなければ立ち入れぬ場所であり、貴重な宝物、危険な呪物、機密書類などの保管場所も多い。造り自体も頑丈であるがそれ以上に魔導陣を幾重にも敷き、ユニオン騎士であろうとも好き勝手出来ぬ空間であるはずなのだが、あの老人二人にとっては紙切れ同然。

 争いの爪痕が色濃く刻まれていた。騎士団御用達の建設会社、第一騎士隊の面々も陣の張り直しに四苦八苦している。

 まあ今の二人では衝突するのも仕方ないだろう。メラの件一つとっても教育者からすれば許せぬ差配であったろうし、元々秩序に対する考え方もあの二人は違う。違うから袂を分かったのだ。その辺りは何とも複雑怪奇である。

 ウルも正論、ウーゼルも正論、だからこそ相容れない。

「……しばらく荒れそうだなぁ。面倒くさいよぉ」

 ユーグは泣き言を言いながら、クソ長い螺旋階段をえっちらおっちら降りていく。面倒くさがりの彼にとってこの無意味に高い塔も、無駄に長い階段も、転職を考えてしまうほどには相容れぬものであったのだ。


     ○


 フィジーク、テュール教頭が担当する人気の講義である。騎士に適した体格を構築するための講義であり、どの騎士学校にも存在する(名称はまちまちだが)必修科目でもあった。学年ごとに学びの段階がありアスガルドでは、一学年はボディコントロール、二学年は魔力の伝達、三学年からインナーマッスルを中心とした自重トレとなる。これが四学年以降はより強度の高いアウターマッスルを中心とした筋トレ及び魔力コントロールに移る、とクルスはエイルから聞いていた。

 一、二学年の部分はクルスとしては自信がなかったのだが、その点に関しては必要なフィジークは既に与えられている、とエイルとフレイヤ二人から太鼓判を貰っている。双方から師匠に感謝すべきと言われ、少し嬉しかった。

 そんなこんなでこの講義にはクルスも比較的すんなりとついていくことが出来ていた。まあ、最初の内はやっぱり見るに堪えない状態ではあったのだが。

 今は充分ついていけている。だからクルスは地味な上にきついこの講義が結構好きであった。今日も頑張ろう、と意気込んでいたほどである。

 しかし、

「テュールのカスが出張で不在。僕が代わり。連絡は以上」

 今日はいつもと違った。テュール先生の代わりに特別講師であるレフ・クロイツェルが講義を担当することになったのだ。空気が嫌でもひりつく。現役のユニオン騎士団、しかも若き副隊長である。まだ三学年は彼の講義を受けることが出来ぬため(成績最上位組は別)、またとない機会となる者もいるだろう。

 俄然皆のやる気は跳ね上がる。

「……」

「……」

 だが、講義が始まって十分を経過し、クロイツェルはずっと準備運動である柔軟、ストレッチばかりを延々と続けていた。あまりにも地味である。普段の講義に比べても動きがなさ過ぎる。そして長過ぎる。

 このままではストレッチだけで講義が終わってしまう可能性すら――

「あの、先生」

「何や?」

「いつまで続くんですか、これ」

 とうとう、騎士科三学年が誇るモンスター、ミラが口を開く。先陣を切るなら彼女しかいない。よくぞ言ってくれた、と皆は心の中で称賛する。

 あくまで心の中、と言うのがみそ。

「僕が満足するまでや。イールファスはええよ。自分、僕よりも体柔らかいみたいやし。テュールのメニューでもこなしとけ」

「イエス・マスター」

「他は黙って続けェや」

「納得出来ません」

 ミラ、突っかかる。この女はどこまで豪胆なのだ、と皆が愕然とする。クルスも良く踏み込めるな、と逆に感心してしまうほどであった。

「自分、名前は?」

「ミラ・メルです」

「ああ。この前無様に戦死した恥さらしの親戚か。道理で発言が間抜けなわけやね。悪かったわ、無能やと知っとったら相応の対応に変えたんやけど」

「……っ」

 あまりの発言にフレイヤ、デリング、ディン辺りの表情が変わる。疑問から、敵意へと。死者を冒涜した上での血筋を絡めた罵倒。

 ミラも顔を赤くして、歪めていた。相手が先生じゃなければ剣を抜いていただろう。それが彼女の表情からもありありと伝わる。

「別にええよ。あくまで僕は代わりやから。みんな大好きなテュール先生のメニューをこなせばええんやない? 別に僕は一言も真似しろ、なんて言うとらんし」

「……」

「ただまあ、僕には理解出来んけどね。柔軟性は一定まで誰しも得ることが出来るもんや。やるかやらんか、それだけなんになぁ」

 冷たい、無情の言葉が皆の、クルスの耳朶を打つ。皆、それに対し反感を抱いているようだが、クルスは違った。彼だけは、そうなんだ、と飲み込んだのだ。

 柔軟性は誰しも得ることが出来る。

 其処だけを冷徹にくみ取る。他の雑音は、聞き流す。

 そんなクルスの眼を見て、クロイツェルは立ち上がり彼の前にやってくる。あの日のように指導してもらえるのか、とワクワクしていると――

「それにしても自分、硬過ぎやろがボケ」

「あ、がァ!」

 クロイツェルはクルスの頭を掴み、力ずくで前に倒した。肉が、筋が、悲鳴を上げる。だけど、相手の力が強過ぎて逆らうことが出来ない。

「ええか。あらゆる動作において柔軟性は得しか生まん。凡人が得られるもんえり好みすな。努力で得られるもんは全部得るんや。全部、漏れなく!」

「あ、ぐぅ、ぎぃ」

「足りんこと自覚せえ。貪欲になれ。そうせな自分、騎士になれんよ」

「い、イエ、ス・マ、スター」

 痛い、苦しい、だけど、不思議と反発する気にはなれなかった。足りないことが自覚できたから。また一つ、進むべき道が見えたから。

「そこまでにしてくださいよ、先生」

「これではただの体罰でしょうに」

「看過出来ません」

 ディンがクロイツェルの腕を掴み、フレイヤとデリングが腰の騎士剣に手を回す。弱きを助ける、彼らは非道な行いを見過ごすことが出来なかったのだ。

「ええ友情やねェ。くく、素晴らしきは学友、大事にせんといかんよ、クルス・リンザール。弱い自分を守ってくれる、ええお友達やからなァ」

「……」

「いつか成れたらええね、対等な関係に」

「……え?」

 クルスは虚を突かれたかのような表情となる。クロイツェルの言葉を額面通り受け取るなら、今の関係性は対等ではない、と言うことになる。

 確かに対等な関係性とは言い難いかもしれないが、だけど――

「まあ僕なら、逆転させるけどなァ」

「……?」

 その後、クロイツェルは軽く皆に謝罪した後、テュールのメニューをこなすように指示し、講義の現場を監督することだけに努めた。

 そのまま何事もなく、講義は終わりを迎える。


     ○


 本日はまあ忙しかった。怒れるフレイヤとミラを受け止めるだけでもひと苦労であったし、ミラが少し盛った話を耳にしたバルバラも激怒、柔軟性は大事であるが外部から無理やり力を加えることの危険性を捲し立てたりなど、とにかく面倒くさいことが多かったのだ。一番問題なのは、クルス自身がさほど嫌な気分ではないこと。

 怒っていないのに、彼女らに合わせ怒る振りをするのが疲れた。

 だからクルスは風呂上りに、

「あんなことされたのにクルスは真面目だなぁ」

「体が硬いのは事実だからね。ちょっと頑張ろうと思って」

「偉い! じゃ、俺は仕事に行ってきますわ」

「俺はそれを仕事とは認めないよ」

「そう言うなよ、親友。ではさらば!」

 黒装束を身にまとったルームメイトの親友を見送り、クルスは柔軟体操に精を出す。努力で得られるものは全部得る。その通りだと彼は思う。

 友情のくだりはよくわからなかったが、その辺りは今考えるべきことではない気がしたので頭の片隅に追いやる。今はただ、足りぬものを埋めるのが最優先。

 今日もまた足りないものを知った。埋め方も知った。

 ならば、実行するだけである。


     ○


「……クロイツェル」

「何や?」

「あまり講義を荒立ててくれるな」

「なら、クビにすればええやろ。教頭様の人事権でも使って」

「……出来るわけないだろう」

 学園内の教師のみが立ち入ることのできるエリアで、テュールとクロイツェルは酒を飲んでいた。並んで座るが、視線は一切重ならない。

「あの子はお前と違う」

「同じや。欲深く、醜い。自分ならわかるやろ。ノブレスオブリージュの本質は見下しにある。格下やと思うから、手を差し伸べることが出来る」

「……違う」

「違わん。僕が差し伸べた手、自分、取れんかったやろうが」

「……」

「差し出された手の本質に気づいてからが本番や。与えられた施しの意味に気づいてからが始まりや。タダより高いもんはない。今は負債を積み上げるフェーズやな」

「……あの子の心が、耐えられるとは思えない」

「成るか、死ぬか。心も体も同じや。壊れたならそれまで……人のまま騎士になろう言うんが間違っとる。人を超えて初めて、騎士と成る」

「……お前は、間違っている」

「僕を否定したいなら、僕に勝たなあかんよ、テュール。それを自分が諦めたから、くく、僕らは交わらんのやけどねぇ」

 レフ・クロイツェルは我が道を征く。テュール・グレイプニールにそれを止める権利はない。とうに消失しているのだ。

 比較されることを恐れ、ユニオンではなくアスガルドの騎士団を選んだ時点で。言い訳と共に現役を退き、教師を志した時点で――

 テュールは自らが差し出し握った手を、差し出され握れなかった手を、見つめる。それを見るたびに思い出す。無自覚な驕りを。

 差し出された手の、ノブレスオブリージュの痛みを、想い出す。

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