第41話:謝罪と感謝

 クルスは目の前にそびえる見たこともない高さの建物に怯えていた。王都アースの一等地に聳え立つ巨大なビルヂング。以前闘技大会の折、泊まったホテルも大きかったが、ここはまたそれに輪をかけて大きく、それ以上に何か洒落ていた。

「……あの、うちの飯屋で祝勝会って、言ったよね?」

 そう、今はあの後大盛り上がりした教室で、下位グループの皆が祝勝会をやるぞ、とさらに盛り上がり今に至る。正直、クルスは両方の倶楽部に報告に行きたいなぁ、と思っていたのだが、彼らの強引さに王都アースまで拉致されてしまった。

 そして今、圧倒されているわけである。

「ああ」

「ここ、ホテルだよ?」

「元々は飯屋から大きくなったから飯屋なんだよ。泊まれるってだけ。良いからさっさと行こうぜ。さっき連絡して三階のフロア貸し切ったから」

「……つかぬことを聞くけど、ここ本当に君の家がやってるの?」

「そんな嘘つくかよ」

「そっかぁ」

 三十位の男、アンディ・プレスコット。レストラン・プレスコットの御曹司、王都アースに居を構えて三百年、伝統と格式の超高級レストラン兼VIPの宿泊施設としても有名である。元々は分業化されていた食事処(牛料理なら牛料理専門店、豚料理なら豚料理専門店など)を一所に統合し、ここだけで全てを補完できる場所として設けられたがため、そのメニューは膨大、ミズガルズにおけるビュッフェ発祥の店でもある。まあどう見たって馬鹿ほど金持ち一族である。

「あ、そう言えばこのマーク何処かで見たことあるような」

「リンザールってイリオス出身だろ? なら、うちが出してるミドルクラスの飯屋があったような。食べ放題のビュッフェが売りだったと思うけど」

「……あー、お腹いっぱいになったとこかぁ」

 クルスの脳裏によみがえる爆食の記憶。あそこも学友の家がやっている、と思うと世の中広いのか狭いのかわからない。

 ちょっと色々と生きてきた環境が違い過ぎて――

「確かにプレスコットってメシが美味いけどさぁ。これでレストランは無理があるだろ、ってアスガルドの人間なら一度は思うよなぁ」

「うるせーなぁ。家の方針なんだよ。俺だってホテルだと思ってるわい」

 だが、驚いているのはクルスだけ。他の学生からしたら周知の事実であったらしい。と言うかとんでもない場所なのに皆気楽と言うか、気負っていない。

「ここのお料理美味しいよね」

 元ブービー、天使ちゃんが声をかけてくる。

「あ、うん。凄く美味しかった記憶があるよ」

「私も。たまにアースに来たときは家族で来るんだけど、田舎者だから緊張しちゃって。クルス君はどう?」

「……よかったぁ。俺だけかと思ってたよ。緊張してるの」

「いっしょいっしょ」

(んー、結婚するならこういう子が良いなぁ)

 ひとりじゃない、そう思ってクルスは大変ご満悦だった。

 次の瞬間までは――

「おいおい、それを言ったらうちも田舎だけどよ、今更こいつの家に緊張なんかしねえよ。だって三十位だぜ、こいつ」

「おい! 科学のヤマが外れただけだって言っただろうが」

「それを言ったら僕も算術でケアレスミスしたからぁ! じゃなくて、学友の家なんだから緊張しないでよって話。別にプレスコットなんて大した家じゃないんだし」

「……それを言うなや。所詮うちは飯屋だよ。ただでかいだけの」

「僕の家領地持ち。不労所得ってやつね。そこそこ金持ち」

「私は魔導製品全般のチェーン店、私アマダでしょ、姓が」

「家の話はやめてくれー。金の話ししたらうちみたいな騎士の家が一番貧乏だって結論出ただろ。薄給なんだよなぁ、騎士ってさぁ」

「だよなぁ」

「そうそう。家業継ぐとか手伝った方がお金は稼げるよねえ」

「……」

 クルス、表情こそ平静を装うが心の中では荒波がうねっていた。クルス自身あまり聞かれたくないからこの一年、触れる機会もなかったが、よく考えてみたら騎士の家の子ばかりではないのだ、学友たちの家は。

 だけどそう、考えたこともなかった。

「あ、あの、君の家って――」

「わ、私の家は田舎で工場やっているだけの家だよー」

(こ、工場。そっか、それなら農家の俺でもギリギリ勝負に――)

「リリアンってあのキャナダインでしょ?」

「ああ。普段こんなこと話さないし興味もなかったけど、一番の金持ちはリリアンだよなぁ。何せ、魔導時代の寵児、導体の製造販売だし」

「さすがにキャナダインには勝てないわな」

「そんなことないよー。競合もたくさん出てきたから、もう一強でも何でもないし。大変そうだよ、パパたちも」

「またまたー」

「ふんだ、所詮俺はしがない飯屋の息子だよ。つかさっさと行こう。飯が冷める」

 唯一の活路が一番の怪物だった時の表情、を浮かべるクルス。

 天使ちゃん、もといリリアン・キャナダインお嬢様。これから話しかける時敬語の方が良いのかな、とか色々と考えてしまう。

「み、皆お金持ちなんだね」

「だから騎士の家は貧乏だって。学費捻出するのも大変なんだぞ」

「……そっかぁ」

 正直、お金のことは兄に任せてしまっていたこともあり、あまり理解が及んでいなかったが、どうやらとんでもない世界に迷い込んでいたようである。

 騎士が薄給と認識される世界なのだ、ここは。

「領地がない家は大変だねえ」

「まーな。俺もクルスと同じ奨学金申請しようか迷ってたもん」

「去年進級試験受けたのに?」

「それを言うなや」

 拝啓。エッダさん。ここは恐ろしいところです。敬具。


     ○


 ホテル、もといレストランに入るとそこには何階もぶち抜いて造られた吹き抜けの空間を縦に貫く螺旋階段があり、その横には最新式の魔導エレベーターがせわしなく上下を繰り返していた。とにかくあらゆる場所がキラキラと輝いている。

(天国かな?)

 田舎者の貧民では一生拝むことの出来ない世界が今、目の前に広がっている。クルスの頭はショート寸前、今すぐ帰りたい気持ちになっていた。

「お帰りなさいませ、若様」

「ちゃんとフロア空けた?」

「もちろんでございます。旦那様よりささやかなプレゼントもございますので、そちらも皆様に差し上げてください」

「はいはい」

 こういう時、アスガルドの制服と言うのは非常に便利だ、とクルスは思った。周りを見渡せばスーツやドレスばかり。カジュアルな格好をしている人は一人もいない。ここでクルスがゲリンゼル時代の格好をしていたら摘まみ出されるだろう。

 まばゆい輝きの満ちた世界にクルスは立つ。場違いなのでは、と何度も思う。周りはみんな金持ちで、自分のような人間は一人もいない。

 何も持たず、ただ剣だけを頼りに生きていく者など――

「皆さま、進級おめでとうございます!」

「うわー、おっきなケーキだぁ」

「で、でかいケーキとか要らねえよ! たかが進級決定しただけだろうが!」

 これまたクルスが見たこともない高さのケーキがフロアの中央にでかでかと聳え立ち、その近辺には何人ものシェフが調理の準備をしていた。

 出来るだけ良いものを、良い状態で届ける。立食形式ならばこれ以上はない。

 中央、メインの鉄板にはクソ長い帽子をかぶった、明らかに他のシェフとは一線を画した男が堂々とその時を待っていた。彼の近くには巨大な肉塊が鎮座している。

 これまたクルスが見たこともないほどにその肉は美しく輝いていた。

 その光景に、心奪われる。

「とりあえず肉食おうぜ、話はそれからだ」

「うん。そうだね」

「その通りだ」

 クソ長帽子の男、当ホテルの料理長を務める歴戦の達人が小気味よく、華麗な手つきで肉を捌き、炎を舞わせ、美しき肉を調理していく。

 クルスはその時初めて、芸術と言うものを理解した。

 芸術とは、お肉のことだったのだ。

「こちら、オーナーから皆様へのささやかなプレゼントとして、ログレスより特別に取り寄せました宝牛種の特別ランクにございます。断面は見ての通り艶やかな艶を誇り、肉質は極めて柔らかく、舌の上で甘くさらりと融ける脂が特徴です。是非、味覚を研ぎ澄ましご賞味いただければ――」

「うんまッ!」

「――……」

「おやっさん、ガンガン焼いてくれ!」

「……御意」

 御曹司の鶴の一声が華やかで高貴な世界を、学生の乱痴気騒ぎの場に変えた。男は肉を貪り喰らい、女は肉もそこそこにあっちこっちのケーキに手を伸ばす。

「やわ、うま!」

「あー、疲れた頭に肉汁が沁みるわぁ」

「ログレスの肉は何故、こんなにも美味いのか。アスガルドの肉は何故、そんなに美味くないのか。俺は、ログレスが羨ましい!」

「うま、うま!」

「まあログレスは畜産が盛んだよなぁ。珍種も多いし。一説にはフロンティアラインのせいで魔族と交わることで、雑種強勢的な効果があったんじゃないかって――」

「うるせえ、喰おう!」

「うま、うま」

「リンザールのやつ、無限に肉だけを喰ってんな」

「さっきまで縮こまっていたやつとは思えねえよ。目が肉になってやがる」

「しかもヒレの旨いとこだけを狙って……目ざとい野郎だ」

「うま、うま」

「負けられねえな」

「ああ」

 クルス・リンザール、至福のひと時。目の前でよくわからないおじさんが焼いてくれた肉を腹の中に突っ込む。これが幸せか、と昇天しかかっていた。

 兄さんへ。ここは天国です。クルスより。

「こんなに食べたら太っちゃう!」

「明日から頑張る。明日から頑張る」

「美味しい!」

 男子に負けじと女子も甘味を貪り、明日の自分にすべてをぶん投げる。今日ぐらいはいいじゃない、を繰り返し彼女たちは太くたくましく成長していくのだ。

 昨今、ミズガルズでも謳われるチートデイと言うやつである。

「クルス君、このケーキ美味しいよ」

「ごめん。今、不純物を舌に乗せたくない」

「……?」

 クルスは今、極限の集中状態にあった。研ぎ澄まされた五感は全て肉に注がれている。クルスは肉が大好きである。ゲリンゼルではお祭りの時しか食べられなかった。たまに食卓に出た時も、いつのだよと言いたくなるような塩漬け肉。たぶん結構腐っていたと思う。大人たちは酒で流し込んでいたが、子どもにその技は使えない。だけどあの日、闘技大会の時、クルスの世界は変わったのだ。

 そして今日、あの日の感動を完全に超えた。

「……」

 これが幸せか、とクルスは静かに涙する。

「え、ええ?」

 リリアンは突然涙を流し始めたクルスに少し引いていた。


     ○


「しっかしあれだな。エメリヒ先生もぶち上げたよなぁ」

 食事もひと段落し、今はラウンジへ場所を移しドリンク片手に皆で談笑していた。話の議題は、今日エメリヒが放った言葉である。

『三学年は全入を狙う!』

 全入、全ての学生が騎士団へ入ることを指す業界用語であるが、正直現実味のない話ではある。騎士団へ入るだけでも難しいが、家業と天秤にかける者や今どきは団入りせずとも割のいい仕事は結構ある。無理に零細の団へ入るぐらいなら、他の進路を選んだ方が良い場合も多い。

 つまり全入とは――皆がそれなりの騎士団に入る、と言うことなのだ。

「全入ねえ。正直さ、俺は騎士無理かな、って思ってたんだよね」

「俺はクソみたいな団でも入らないと親に殺されるけど、まあ、ここにいる奴は騎士の家少ないからな。そりゃ、見栄えしなきゃ騎士に成る意味ねえか」

「そうそう。親もレストラン継げってうるさいし。そりゃあさ、入る時は自信あったぜ。ここにいる全員そうだと思うけど」

「まーな。じゃないと御三家受験しないだろ」

「確かにぃ」

 下位グループに甘んじていた彼らであったが、そもそも御三家に受験し合格した超エリートである。騎士の家柄でなくとも幼き頃から騎士の家庭教師をつけ英才教育を受け、受験に臨んだ者ばかり。

 だが、

「だけどさ、やっぱ入ったら違うんだわ。騎士の家の連中はさ。特に座学の厚みっつーか、まあ、先行してる感は感じたよなぁ」

「騎士の家もピンキリだっつーの。あの辺と一緒にすんな」

「でも違う、ってのは感じたよねぇ。私も自信あったけど、やっぱり振舞とかは全然違うし、勉強で埋まる気がしなかったよね、一年の時は特に」

「……私も、今でもそう思うもん」

 彼らは入学早々、イールファス、フレイヤ、デリングと言った化け物たちと遭遇し、中位や上位で蓋をする名門出の連中に打ちのめされ、いつしか腐っていた。

 どうせ騎士に成ることは出来ない。そう心の片隅で思っていた。

「でも、今は違う。クソみてーな理由だけど、半年頑張って思った。俺が思っていたより、上は遠くなかった。手を伸ばせば届く。手応えが、あった」

「……だな」

「そうねえ。我ながらクソみたいな理由だけど」

「頑張ったら、報われる。それがわかっただけでも、嬉しかったなぁ」

「つーわけで、だ」

 三十位の男、アンディが編入生ゆえ話に入れずとりあえずストローから小刻みにジュースを飲んでいたクルスの前に立つ。

「リンザール」

「な、何、改まって。……お、お金ならないよ」

「悪かった」

「え?」

「前期、途方に暮れていたお前を見て嘲笑っていた。何とかしがみついて頑張ろうとするお前を、馬鹿にしてた」

「……」

「年明け、成長したお前を見てビビった。このままじゃ追いつかれる。そう思ったら、自分でも情けない話だけど、頑張ることが出来たんだ。そうしたらさ、なんか、出来なかったことが出来るようになって、楽しくなって……だからよ」

 アンディは深々と頭を下げる。

「悪かった。そして、ありがとう」

 それを皮切りに――

「俺もだ。ほんと、悪かったな。んで、ありがとう」

「女子もねえ。ほら、フレイヤって女子人気も高いから。依怙贔屓だって……は言い訳か。ごめん。私もさ、クルスに拳闘で負けてから火が付いたんだよね」

「私は頑張るクルス君を見て、私もああなりたいなって。凄く、励みになった」

「今度エッチな本やるから許してくれ」

「ちょっと男子ィ! 今そういうあれじゃないから!」

 皆が口々にクルスへの謝罪と、感謝を告げる。彼らも理解していたのだ。己の原動力が決して褒められるようなものではなかったことに。それでも、どんな理由であれ、努力して身に付いたものは己の肉となる。

 その過程で達成感を得て、もっと、もっと、そう思えるようになった。

 ゆえに謝罪と感謝、なのだ。

 まあ、リリアンだけはちょっと違うが――

「……え、俺って、そんなに馬鹿にされてたの?」

「……え、そこォ!?」

「うん。結構普通に仲良く出来ていると思ってたんだけど」

「……ま、マジか。嘘だろ、おい。俺、結構前から前期の発言とか、クソなことばっか言ってたな、とか反省していたのに……そりゃねーよ」

「俺、自慢じゃないけど友達、ちょっと前まで一人しかいなかったから」

「……はは、お前、大物になるわ」

 クルス・リンザール。持ち前の鈍感力で罵詈雑言を華麗にスルー、と言うか前期は本当に限界ぎりぎりだったため、聞いている余裕がなかったこともある。

 あと、エッダ以外に友達がいなかったこともあり、普通に同世代と話しただけで友達認定してしまうぐらいにはざるであったのだ。

「改めてよろしくな。四学年でも負けねえ。ってか、欲が出た。ここにいる全員で、御すまし顔の日和った中位層をごっそりぶち抜いてやろうぜ! 次こそ本当の祝勝会だ。そん時は今日よりもっと、豪勢にやらせてもらう!」

「いいねえ。貧乏騎士の家でもやれるってとこ、ちょっくら見せますか」

「まあ、折角やるなら箔の付く団に入りたいしね」

「確かにぃ」

「うん。頑張ろ!」

 雨降って地固まる。クルス本人は雨が降っていたことにも気づいていなかったが、それでも友達が出来たのは嬉しかった。何よりも彼らがとても努力をしたから、努力をした自分が届かなかったと知れたから、よかった。

「勝負は夏だ!」

「まだ期末テスト終わっただけで学校は終わってないけどな」

「馬鹿。今から準備しておかないと乗り遅れるぞ! 俺はもう、とある学校のサマースクールにエントリーしてきたぜ。復習の夏にする!」

「……親のコネ使って団研修でも行こうかな。零細団だけどさ」

「僕は家庭教師を雇うよ」

「私もカテキョかなぁ。レムリアに旅行行く時でも勉強できるし」

「私も基礎固めのためにサマースクールだよ。クルス君は?」

「……?」

 クルス、首をかしげる。皆が何を言っているのか全然理解できなかったから。その様子を見て、少しずつ皆の顔つきが曇っていく。

「あのよ、つかぬことを聞くけど、夏季休暇があるの知ってるよな」

「うん。知ってるよ。冬もあったじゃん」

「どうする予定だった?」

「どうするって、寮で過ごして図書館で勉強とか、倶楽部と、か――」

 鈍感男、クルスでも気づく。皆の顔が青ざめていることぐらいは。

「……夏季休暇中、寮空いてないぞ。サマースクールの学生に貸し出すはずだし、そうじゃない時も夏は普通に閉めるからな、寮」

「……え? じゃあ、俺どうすればいいの?」

「実家に帰るとか?」

「帰れないよ。普通に勘当されてるはずだし」

「……」

「……」

 目先のことばかりに集中していたクルスに突然の大ピンチ、迫る。

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