第35話:拳闘倶楽部コロセウス

「まずは徒手格闘を修めるメリットを話しておきましょう。では部長、解説を」

「うす!」

 一心不乱にサンドバッグを叩いていた男がこちらへずんずんと歩いてくる。筋骨隆々、背はそれほど高くないが身長以上のサイズを感じる見た目である。加えてお目めぱっちり、笑顔が野性的と圧が凄まじい。

「騎士科五学年、リカルド・バルガスだ。よろしく!」

「騎士科三学年、クルス・リンザールです。よろしくお願いします!」

「しかし線が細いなぁ。ちゃんと食べているか? ん?」

「あ、その、人並みには」

「なら、今日から一品でいい。人並みよりも増やそう。出来ればリーンなたんぱく質だと良いが、魚系ならば脂質も悪くない。とにかく食べることだ。徒手格闘に限らず、争いごとにおいてサイズは重要だ。自身のフレームに対し積めれば積める――」

「リカルド」

 バルバラの静かな一喝でリカルドはびくりと背筋を正す。こんなに強そうな見た目でも彼女相手には潜在的な恐怖があるのだろう。

「おっと、すまんな。ではまず、徒手格闘の利点だが、これは単純明快、帯剣出来ぬ式典や会食、風呂やトイレもそうだな、使うしかない局面があると言うこと。剣を振り回せぬ狭い空間であれば徒手の方が有効であること」

「なるほど」

「あとは徒手格闘の方が格好いいところだな」

「……なるほど?」

「リカルド」

「個人的な発言でしたが嘘は言ってないです、はい。加えて世情も徒手格闘を後押ししている。かつての騎士はダンジョン攻略、防衛などの退魔が主な仕事だった。だが、魔導技術の発展とダンジョン発生予測の精度向上により仕事が効率化、騎士団は抱えた人員を食わせるため方々に手を出した。最近じゃ団が高貴な方々に騎士を執事や護衛として派遣するサービスまで始めたほどだ。となると――」

「徒手格闘の需要は上がる、ですね。執事は帯剣しないでしょうし」

「その通り。だから団も結構徒手格闘の成績を気にするようになってきた。昔はそれこそ剣のサブ的な扱いだったが、徒手をメインとする団もあるほどだ」

「なるほどぉ」

「身も蓋もない言い方をすれば就職に有利、だな。俺としては純粋に徒手格闘を楽しんで貰いたいが、その辺りは人それぞれの目的があるし何も言えん」

 リカルドの説明を聞き、クルスもコロセウスに興味が湧いてきた。俗っぽいがクルスは騎士になりたいからアスガルドに来た。出来るだけ騎士になる確率を高めたいと言うのは本音である。徒手格闘、拳闘がその一助となるのなら――

「次はここ、拳闘倶楽部コロセウスの話をしよう。一応拳闘と銘打っているが、徒手格闘全般の探求が倶楽部の目的になる。拳闘が主体で一部の部員はパンクラチオン、つまり何でもありの総合格闘技の探求を――」

「クルス君。是非俺たちと寝技を極めよう!」

「関節もいいぞぉ」

「男なら投げだ。ぶん投げてなんぼだ」

「拳闘の芸術性が一番だ!」

「全員、黙りなさい」

 クルスを自らの道に引き込もうと手を伸ばす先輩方を、バルバラの覇気が一蹴した。腕を組んで発言するだけで謎の圧が発生するのだから恐ろしい女傑である。

「とまあ多種多様だ。が、まずは三学年の講義でも有効な拳闘から学ぼう。なにせ総合系は四年時以降の、選択必修でしかないからなぁ」

「「「ぐ、ぐぬ」」」

 必修である拳闘に比べ、いまいち総合系の盛り上がりに欠けるのはアスガルドではそれらが必修となっていないからである。逆にレムリアなどは拳闘よりもパンクラチオンを必修としており、其処は学校の色がある。

「習うより慣れろ。とりあえず軽く寸止めのスパーリングをしようか。あ、寸止めするのは俺で、クルスは当てに来てもいいぞ」

「……良いんですか?」

「もちろん。俺を倒せたら自慢出来るぞ」

 リカルドはにやりとクルスに笑いかける。相手が寸止めで、自分が当てていいという条件は侮られている証拠。拳闘の講義ではそれなりの成績である。

 やってやる、とクルスは意気込む。

「部長、今年の対抗戦代表候補だから」

 だが、

「え?」

「代表候補。つまり、騎士科五学年の上位三名に食い込む人ってこと」

 ミラの言葉に冷や水を浴びせかけられる。

「そこそこ強いよ、俺」

「そこ、そこ?」

「そ、そこそこ」

 リカルドの無邪気な笑み。其処に在る余裕を見て、クルスは思った。

 あ、この人強い人だ、と。


     ○


「ぐっ!?」

「オラオラァ! どしたい打ち込んで来い!」

 騎士科五年、リカルド・バルガスの拳闘スタイルはゴリゴリのインファイターであった。ガードを固め、被弾覚悟で相手との距離を詰める。生半可な反撃ではガードをこじ開けることどころか突進を緩めることすら出来ない。

 クルスはかわしながら反撃を敢行するも、岩に拳を叩きつけたような感覚が返ってくるだけ。効いている様子など微塵もない。

「手だけでぺしぺし打っても効かせられないぞ!」

 前進、旋回、また前進。クルスにはリカルドの動きに技術があるとは思えなかった。ただ愚直に突進し、間を詰めて剛腕を叩き込む。とてもシンプルで、相手を破壊できるハードパンチがあるからこその戦術。クルスには真似できない。

(なんて威力なんだ。当てられたらただじゃ済まない!)

 自分の細身では――

「踏み込め。必倒の覚悟を込めて拳を撃ち放て!」

 さらに加速、一気に距離を詰められ、しかもクルスは壁として設定された線まで追い詰められていた。後退は出来ない。横へ抜ける道も、ない。

 前に出るしか――

「そら、ここだァ!」

 リカルドの剛腕が迫り、クルスは無意識にカウンターを放っていた。いや、引き出されたと言った方が正しいか。紙一重でリカルドの拳をかわしながら、しっかり踏み込んだカウンターがリカルドの顔面に炸裂する。

「……っ」

 手応えがあった。やり過ぎた、と思うほどに。

 しかし、

「はい、終わり」

 剛、と唸りを上げる剛腕がクルスの目の前に突き付けられた。倒れるどころかぴんぴんとした様子のリカルドは平然と、会心のカウンターを喰らいながら二撃目をぶっ放していたのだ。何というタフさ、そして揺らがぬ信念。

 相手を倒すまで止まらない、その眼はそう語る。

「空間の把握は上手い。機を見る目もいい。勝負所の度胸もまずまず。さすがうちの三学年エースが認めた男だ。やるなぁ」

「別に認めてませーん」

「だけど、俺は――」

 素晴らしい手応えであったからこそ、クルスは思うのだ。自分の拳には力が足りない、と。あれで倒せないのに、どうやったら相手を倒せると言うのか。

 講義では基本寸止め、きっちり当てて倒す力が求められるのは四学年以降の話。今はそれなりに出来る方でも、今後倒すことが求められた場合、自分では――

「お、悔しがっているな。いいぞいいぞ、男の子はそうでなくっちゃ」

 リカルドは首をゴキゴキさせながら、

「さて、クルス。今、俺が何故倒れなかったか、わかるか?」

 クルスに問いかける。

「……俺が細くて、力がなかったからです」

「違うぞ。今、俺を倒せなかったのはクルスに技術がなかったからだ。拳闘は体格などの基礎出力も重要だが、それ以上に技術こそが核となる」

 そしてリカルドはクルスの答えをバッサリと否定した。

「その通りです。さすがは部長、とても教訓となるいい試合でした」

「どうも」

 バルバラがリカルドの肩をポンポンと叩き、下がらせる。

「拳闘において最も重要なことは空間の使い方です。拳闘とは限られた空間を二人で奪い合う競技なのです。間を潰すのもその一つ。リカルドは常に前進し、貴方から後退以外の選択肢を奪い取りました。逃げ方は巧みでしたが、最後は追い詰められ逃げるための空間を失った。それは同時に、攻めるための空間をも失っているのです。踏み込む空間も少なく、打ち抜くための空間も足りない。最後、彼は貴方のカウンターに対し、さらに前進をして受けました。そう、受けられたのですよ」

「……あれが、受け」

 クルスの認識とは異なる受け方。あえて前進することで攻撃が最大火力に達する前に被弾してしまう、と言う技術をリカルドは使ったのだ。

 ただの猪のように突っ込んでいた部分もそう。単なる前進ではなく、相手を追い込むために誘導していたのだ。本来闘技場の端となる壁際を模した線上へ。

「そういう技術もあります。あまり推奨はしませんが……時には身を投げ出してでも受けねばならぬことがあるのです。あの子は多用し過ぎですがね」

「……」

「拳で相手を打倒する。言葉にすれば簡単ですが意外と奥が深いでしょう?」

「はい」

「そしてもう一つ、貴方には足りぬ技術があります」

 バルバラは移動し、サンドバッグの前に立つ。

「相手を倒すための拳。先ほど貴方は力がないから、とおっしゃいました。確かに力は重要です。持つ者と持たぬ者、有利なのは持つ者でしょう」

「……」

「ですが、それだけであれば誰も、こんな競技に夢中になることは、ない」

 バルバラは軽く構える。部員の視線が一斉に集う。期待の色、尊敬の色、羨望の色、あの誰に対しても勝気なミラすら、そんな目を浮かべていた。

「拳は足で打つ。蹴った力を膝へ、股関節へ、捻転と共に溜めながら肩甲骨から、打ち抜く。着弾の瞬間、強く拳を握り込む。足の力、背中の力、そして握力に至るまでを総動員して放つ拳は……最小限の力で相手を――」

 自らの発言通りに体を動かし、美しく、流れるような動作から放たれた拳は、サンドバッグを打ち抜き、一撃で破壊するに至る。

「――破壊する」

 ぶち抜かれる獣の皮、中より飛び出す砂が爆発したように舞い散る。

「……」

 あまりの光景に、呆気にとられるクルス。その様子を見てミラはにやにやと笑みを浮かべた。誰だってそうなる。『本物』の拳なのだ。

 拳闘の世界で名を馳せた女傑、バルバラの一打にはそれだけの価値がある。何せ今の一打、力みも魔力すらさして込めずにこの破壊力であるのだ。

 腕自慢の騎士科学生をも魅了する、圧巻の破壊技術である。

「単なる腕力に全身を連動させた運動が敵う道理なし。技術を修めたのなら、貴方も相手を打ち倒す術を手に入れることが出来ますよ」

「……にゅ、入部します!」

「ええ。ではここの書類にサインをお願いします。万が一再起不能の怪我や死亡した際の同意書などなど、大したことではありませんね」

「はい!」

「よろしい」

 正直、リカルドとのスパーリングで自分には向いていないかも、と後ろ向きになっていたクルスであったが、バルバラの一撃で全てがひっくり返ってしまった。

 こうしてクルス・リンザールは拳闘倶楽部コロセウスへの入部、もとい倶楽部ヴァルハラとの兼部が正式に決定した。

 その後、ヴァルハラのメンツとひと悶着があったのは言うまでもない。


     ○


「おいおい部長、鼻血垂れてんぞ」

「……うっせ」

 バルバラと説明役を交代したリカルドは倶楽部ハウスの外で天を仰いでいた。其処へ同学年の面々が茶化しに来る。

「良いの貰ったもんなぁ、最後」

「素人があそこであれだけ踏み込めるのは大したもんだよ、実際。初弾は完全に見切られていたわけで……前評判通り拳闘だけは良いもの持ってるんじゃね?」

「……撃たせといてノックアウトはダサいからな」

「「確かに」」

 リカルドは鼻を抑えながら首を振る。いくら想像以上に踏み込んできたとはいえ、連動の甘い拳など手打ちも同然。今はまだ、クリーンに当てられても倒れる気はしない。しかし、技術を得た先で今と同じ戦い方はおそらく出来ない。

 そもそもリカルドはあそこまで逃がし続ける気もなかった。

 後退、捌きに関してはすでに一線級のものがある。

「色んな意味で鍛えがいのありそうな後輩だ」

「ああ。関節技を伝授するぜ」

「寝技の妙技を授けよう」

「「立派な総合格闘家に育て上げてやる」」

「なんで俺の代は拳闘の方が少数派なんだよ……ふつう逆だろうに」

「「どんまい」」

 拳闘倶楽部コロセウス。普通は皆、拳闘の方がメインで入ってくるので必然、拳闘人口の方が多くなりがちなのだが、リカルドの代は珍しくそれが逆転し、総合組が幅を利かせていたのだ。まあ四、三学年は拳闘志向が多数派になったので一安心だが、昨年は結構大変だった。何せ今の六年も半分が総合志向であったから。

 しかも部長が総合派。拳闘派は冬の時代であった。

 まあ、色々とあるのだ。

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