第36話:彼がための剣

 クルス・リンザールは倶楽部ヴァルハラ、倶楽部コロセウスの兼部生活が始まった。ただでさえ学業成績が最下位と講義を受けるための予習、講義後の復習に時間が必要なのに、二足の靴を履く生活はなかなか大変であった。

 だが、それ以上に恩恵は大きい。

「足の力が上手く使えていません。体の開きが早過ぎるので手打ちとなります。溜めを意識し、窮屈に感じるぐらい絞り、放つ。あらゆる動作の基本です」

「イエス・マスター」

 拳闘倶楽部ではバルバラ先生や先輩方が手取り足取り、基礎の基礎から教えてくれる。体の動作、今まで感性と経験則に頼ってきたメカニクスを改めて言語化し、合理的に体得していく工程はクルスにとって新鮮で、わかりやすいものであった。

「拳闘の原則は相手を倒すことだ。なら、一応急所は網羅しとけ。大会によっては禁じ手、後頭部、腎臓、目、股間、ここらは鉄板の反則部位だな。他には肝臓や胃、心臓、顎やこめかみ辺りか。どれだけ非力だろうが、この辺にしっかり拳を撃ちこむことが出来たなら、人間は必ず倒れる。ついでに魔族も大体急所は人間様と同じだから、その辺も頭に入れておくといざと言うときに役立つ」

「なるほどぉ」

 今まで考えたこともなかった人体の構造。何となくで把握していた部分以外にもたくさん、人間の身体は急所を抱えているのだと知った。

 それに魔族と人間に共通項が多いこともここで知る。

「四学年から魔法科と合同講義で解剖学があるから取っておくと良いぜ、クルス。肉体の構造を知れば、どうやったら壊せるかわかるだろ?」

「なる、ほど?」

「骨の付き方、肉の付き方、正しい方向から逆に入れてやれば、人間は壊れる」

「……う、うす」

「おい、クルスに変なこと吹き込むな! 関節マニア!」

 時折パンクラチオン、総合組から熱烈かつ独特な勧誘を受けることもあるが、基本的には皆優しく、こういう場所にいることからも熱心な人ばかりである。

 正しい知識と正しい方向への努力。より明確に言語化され、『理解』に至る。

 『理解』したことはもう、忘れない。

 もちろんコロセウスだけでなく、

「導体の原理は元の語源である半導体の方がわかりやすい。導体の特性は魔力を流すか流さないか、これを切り替えられることにある。ゆえに半分導体」

「へえ。それがどうして色々出来るの?」

「導体の性能は、その基盤上にどれだけの導体を組み込めるか、で決まる。一つならオンオフの0と1、二つあればそれが四通り、どんどん増えてくる。多ければ多いほど複雑な動作を可能にするのが導体の意義。……わかった?」

「それが何故色々出来るのかがわからない」

「ばかあほまぬけ」

 ヴァルハラでも魔導学の補完など俱楽部メンバーからの教育を受ける。特にちんぷんかんぷんな魔導学に関してはイールファナの厳しい指導で叩き込まれていた。彼女自身も説明は得意な方ではないが、クルスの理解力が足りぬ局面も多く御相子と言った様子。あとでエイルがわかりやすく解説してくれたり、その度にイールファナのサルノートにあいつあほ、の文字が増えていくとかいかないとか。

 また、

「最近拳にかまけ過ぎなのではなくて?」

「……そんなつもりは、ないけど!」

「わたくしにはそう感じますけれど」

 拳闘倶楽部に顔を出し始めてから妙に当たりの強くなったフレイヤの実技も熱を帯びる。元々実力に開きがあるため、受けも困難となるほどであった。だが、クルスにとってはむしろありがたい。学年トップクラスの本気を受けられるのだから。

 だが、同時に――

(何か、忘れているような。大事な、何かを――)

 追い詰められる度に何かが脳裏を過るのだ。とても大事なことのようなそれは、思い浮かぶそうになる度にするりとその手を通り抜けていく。

 掴めば、何か得られる気がするのに――

 そんな歯がゆさもあったけれど、かなり充実した日々を過ごしているのは間違いない。幸運だ、とクルス自身そう思う。

 もっと上達したい。

 もっと学びたい。

 もっと、もっと――そんな日々を過ごす。

 何がための日々か、考える暇すらなく。


     ○


「帰ったぞい」

 そんな日々をクルスが過ごす裏で、アスガルドにウルが帰還する。ちなみによく知らぬまますべてを任されていた統括教頭を含めた教師陣の眼は冷たい。

 とっても冷ややかである。

「お帰りなさいませ。書類、しかと貯めておきました」

「ちょっと野暮用を思い出した故、いざさらば!」

「待てやジジイ!」

「そっちもそこそこババアであろうが!」

「私は戦後世代です!」

 いつもの学園長対統括教頭の激しい一戦が始まり、教師陣はやれやれと解散する。あれが始まると長く、会議にならないのだ。

 まあ、それがあの老骨の狙いなのだろうが。

 そして、この場には数名のみが残る。

「そんでこの茶番はいつまで続くんや、ジジイ」

「クロイツェル。不敬だよ」

「ボケ。僕の時間は貴重で有限なんや。ジジイとババアの乳繰り合いなんぞに消費出来ん。僕は帰るで」

「まあ待ちなさい、レフ君」

「あ?」

 残った教師の中には最高につまらない講義と謳われる歴史の教師、フロプト・グラスヘイムがクロイツェルに声をかける。普段、二度目以降自分を名前呼びする相手をぶっ殺して理解させる彼であったが、

「まだ生きとったんかい、クソジジイ」

「ほっほ。学生の忍耐を試す生きがいがある限り、わしは死なぬよ」

「……相変わらず食えん」

 相手がフロプトと知り、口を閉ざす。その様子にテュールは苦笑する。さすがのクロイツェルも学園最古参の教師には強く出られぬようである。

 何せ、百年前の大戦で活躍したウルが学園に通っていた頃からすでに爺であったといわくつきの教師であるのだ。純粋なソル族、ルナ族ならば長寿であることも考えられるが、彼の見た目はそのどちらの要素もなかった。

 黒髪の、ただのノマ族にしか見えない。

「いやぁ、すまぬの、クロイツェル。リンド君が離してくれなくての」

「本当に殺しますよ」

「はっはっはっは」

 統括教頭、リンド・バルデルスの壮絶な視線も何のその、ウルはあっけらかんと席につく。残った教師はリンド、テュール、フロプト、レフのみである。

「テュール」

「はっ」

 テュールが皆の前に錆びた剣を置く。それを見て皆、目を細めた。

「リンザールが所有していた剣と見受けますが」

「その通りです、統括教頭。これは彼が、少し前まで使っていた、使えていた剣になります。この風化した剣が、先日までは使えていたのです」

「……信じられない」

 リンドは口元を抑えながら考え込む。未だかつて見たことがない現象である。頭の中の知識を総動員しても、まるで見当がつかない。

「ふむ。リッターの術理じゃのぉ。しかも高位の騎士のみが使える認識の阻害、其処に、エンチャントの術式を組み込んでおる。ウル坊よ、これは危険な証拠じゃぞ」

「ウーゼル殿も同じ見解でした、先生」

「災厄の騎士と人間が共存しとる証拠、か。くく、秩序が崩壊してまうかもなぁ。魔族は良しなき怪物やないと、あかんやろ?」

「ゆえに破棄せよと言うのがユニオンの回答である」

「飲むんか?」

「飲まぬ。ゆえ、割れた」

「まさか、ユニオンのグランド・マスターと……?」

「ふはは、ジジイが乳繰り合っていただけのこと。大したことではない。わしからしたら混浴のことの方がよほど問題じゃ。愛と自由、平和の話じゃからな」

「まだ言ってる。いい加減に諦めてください」

「わしは諦めんぞ!」

 ウル・ユーダリルはユニオン騎士団のトップであるグランド・マスター、ウーゼルと話し合い、そして折り合いがつかぬまま帰ってきたのだろう。

 少し長引いたのは、皆から消耗を隠すため。

「つまりクルス・リンザールは元ユニオンナイトと災厄の騎士(ユーベル・リッター)、二つの顔を持つ男に薫陶を受けた危険人物っちゅーのが確定したわけや。マスター・ウーゼルなら迷わず殺処分やろ。何が仕込まれとるかわからんしなァ」

「クルス君のことは伏せておるよ。全てを包み隠さずに話せるほど、わしとユニオンの関係はよくないからのぉ。そして彼はアスガルドの学生、如何なる理由があろうとも、彼自身が魔道に堕ちぬ限りはわしが守るよ。命を賭してでも」

 ウルの圧、それに部屋が軋む。普段はボケ老人と紙一重であるが、その実やはりこの男は英雄であるのだ。老いたとて騎士の最高峰には違いない。

「この剣は私が預かりましょう。私の私物として研究所で解析いたします」

「うむ。頼むぞ」

「お任せください」

 露見すれば学園のみならずアスガルドの爆弾になりそうな存在であるが、それでも学生として招き入れた以上、彼らの心は一つであった。

 弱きを守るが騎士の在り方ゆえに。

 無論、本人が道を違えた場合はその限りではないし、彼自身に関しては特例でもあるため、例外な部分はあるのだが――


     ○


 ある日の朝、食堂で朝食をとっていると、

「リンザールさん、お届け物です」

 クルス宛に届け物がやってきた。フレンたちからの手紙の返信が来たのかな、とも思ったが事務員の手にある包みを見て手紙ではないと判断した。

「自分ですか?」

 ゆえに心当たりはない。自分に届け物を送るような人物、故郷には当然いないしそれ以外でも思いつかなかったから。

「ええ。魔導剣専門店アヌのルフタ様からになります」

 だが、それを聞きクルスは笑顔で立ち上がった。忘れていたわけではないが、いつ届くのかデリングとてわからないらしく、場合によって後期中は無理かもしれないとも脅されていたため、まさかこんなにも早く来るとは思っていなかったのだ。

「っ!?」

 それ以上に驚愕していたのは周りの学生たちである。魔導剣専門店アヌとは知る人ぞ知るアスガルドの名店である。普通の学生では色んな意味で手が出ない店であり、まさか『あの』クルス・リンザールが名店から剣を贈られるなど、彼ら全員の想像をはるかに上回る出来事であったのだ。

「こ、コネかな?」

「コネで買えるならヴァナディースは絶縁していないだろ。ほら、確か何代か前のボンクラ当主が買おうとして蹴っ飛ばされたって逸話もあるし」

「信じられん」

「と言うかあいつそんな金あるのか?」

「わ、わからん」

 そんな様子を見て、共に買い物に付き添ったディン、デリング、イールファスは何故かドヤ顔をしていた。何故かはよくわからない。

「……く、クルスのくせに生意気な」

 何故かミラは激怒し、

「……知っていましたの?」

「ああ。俺が紹介したからな」

「そう。わたくしを誘わず、わたくしの立ち入れぬ場所に言った、と。そういうことですのね。わかりましたわ」

「……ど、どうした?」

「別に」

 フレイヤは拗ねる。

 食堂が騒然とする中、ひょこひょこと三学年の級友たちが集う。ディンは誰よりも早く接近、したつもりがイールファスの方が何故か早かった。

「クルス、抜いて見せてくれよ」

 クルス本人よりもわくわくしているディンが急かす。

「う、うん」

 丁寧な包装の下には、上品な装いの箱があった。これまた何重にも巻かれた紐をほどき、不器用な手つきで箱を開ける。

 其処には――

「おお!」

「……」

 硝子細工のような鞘に納まったひと振りの騎士剣があった。鞘に納まった段階からわかるほどに細く、しなやかなフォルム。クルス・リンザールと言う騎士のために拵えた逸品であることは、誰の目にも明らかであった。

 華美ではない。だが、何処か気品のある佇まい。

「綺麗」

 誰かの言った言葉、それは皆の総意でもあった。

「……あっ」

 柄を握った瞬間、吸い付くような手応えがあった。それこそ昔から、自分の体の一部であったかのような錯覚が襲い来る。ここまで違うのか、とクルスは愕然とした。まだ抜いてすらいないと言うのに、この期待感たるや。

「……」

 クルスはゆっくりと鞘から剣を引き抜く。

 煌めく刃金。薄い蒼色を浮かべたそれのベース金属は見る者が見れば驚愕するほどの素材であった。その名は――

「……蒼銀(ビスマリル)、マジか、いくらすんだよこれ」

 蒼銀、ビスマリル。ミズガルズでは滅多に採れぬ希少金属であり、主な採掘場所はダンジョン、つまりウトガルドと呼ばれる領域であった。当然、採掘自体に騎士が必要であり、危険も伴うため非常に高価である。

 同じ重量の金よりも高い時があるとか――

 それがふんだんに使われた騎士剣。値段は想像もつかない。蒼銀は非常に魔力伝導効率が高く、内蔵魔力の少ないクルスの欠点を極力補う構造となっていた。

「すん、げえ。はは、クルス。マジでヤバいぞ、これ。こりゃあお前専用だわ、間違いなく。形状、材質、全部が理に適っている」

 ディンが振ろうとすれば軽過ぎるだろう。フレイヤが握るには伝導率が良過ぎるため、無駄にセーブすることを強いられるはず。

 まさに彼がための剣である。

「魔力、通してみろよ」

「う、うん。エンチャント」

 その瞬間、まるで水が弾けるような錯覚を、皆が見た。透明な、かすかに蒼づく水しぶき。何処となく小さなせせらぎを、小川を其処に見る。

 だが、クルスは一人だけ、別のものを感じた。

 奥底の、

『集中』

 深く、広き、紺碧の大海を。

「相当上手く受けないと折れそうじゃない、これ」

 モンスター、ミラ参上。いつひったくられてもおかしくはない。

「いや、蒼銀自体は粘り気もあり、相当耐久性も高いはず。ただ、材質はともかく形状からしても正面から受けたくないことは間違いないな」

 デリング参戦。剣大好きマンなので話したくてうずうずしていた模様。

「軽く、脆そうな見た目だが存外タフ、か。らしい剣だな、クルス」

 ディンは友の肩を抱き、新たな門出を祝福する。

「う、うん。俺にはもったいないよ。なんか、そう思った」

「卑下しなさんな。誰が見てもそれは貴方の剣で、だからこそそれを打ち鍛えた者の期待に貴方は応えねばならない。足りぬと思うなら、見合う騎士になりなさい」

「……ああ」

 フレイヤもまたクルスへの祝福を込めて、檄を飛ばす。反面、フレイヤは思う。彼の剣を見た瞬間、過ったのは兵士級と交戦していた彼の姿。折れかけながらも笑みを浮かべて受け続けてきた『冷たさ』を、この剣にも見る。

 彼の設計者と鍛冶師の解釈一致。その構図だけは気持ち悪いと思う。まるで彼の人生すらも、すでに線路が敷かれているようで――

「やるよ、俺」

「クルス」

「なに? イールファス」

「俺のと交換して」

「……冗談?」

「本気」

「嫌だ」

「ケチ」

 クルスの決意に水を差す天才、イールファスであった。


     ○


 クルスはその夜、よくわからない夢を見た。

 其処は今と変わらぬアスガルドの景色。ただ、人は知らない。片方の人は何処かで見たことあるような気もする。もう片方は確か、教科書で――

『悪かったな、ゼロス。戦には間に合わんとよ。折角予算度外視で馬鹿みたいに金をかけたのにな。ガン○ムばりに』

『なんだそれ。構わないよ、エレク。元よりこの剣で戦うつもりだった』

 ゼロスとエレク。一人は優しげな表情をする人物で、もう一人は美しい顔つきだが何処か冷たい表情をする男であった。

『足りない俺やお前さんのような騎士こそ、魔導剣を持つべきなんだが……まあ仕方ない。何事にも優先事項ってものがある』

『こちらから仕掛けられる機会などそうないからな』

『ああ。俺にとっても丁度良い頃合いだ』

『何がだい?』

『そろそろリュディアに返してやろうと思ってな』

『何を?』

『エレクを』

『……?』

『くく、冗談だよ、冗談。まあ生き延びることだ、至高の騎士よ。そうすりゃお前らの時代が来る。馬鹿魔力が自慢のクソガキじゃなく、な』

『ウルはあれで真面目だよ。君相手は、その、初恋絡みだからあれだが』

『はっ、俺の知ったことか。とにかく近い内に世界は変わる。人々の差は縮まり、お前のような騎士がどんどん出てくる。今、騎士になることを許されぬ者も舞台へ上がれる。そいつを見ることが出来ないのは残念だが、まあ、それも一興』

『さっきからどうした? 君らしくない』

『……さあな。お互い生き延びたら、教えてやるよ』

 そう言ってエレクを名乗る男はゼロスに背を向ける。すると、景色が歪み始め、見る見ると景色が遠のいていく。

 そして、

「……あれ?」

 クルスは目を覚ます。記憶は何一つない。何か、不思議な夢だったな、と思うだけ。とりあえず新たな剣を掴み、腰に提げる。気分は上々。

「よし、やるぞ!」

「むにゃ、まだ、十分だけ」

「ディン、朝食の時間終わっちゃうよ」

「あと五分だけぇ」

 だが、早速ルームメイトの駄々が目ざめの爽快感を吹き飛ばしていた。この男、夜な夜な徘徊行為をしているせいで朝が物凄く弱いのだ。

 もうやめなよ、と何度も言っているのだが、これは俺の使命だから、とかたくなにやめようとしない。本当に不純異性交遊への敵意以外は良い男なのだが。

 そんな感じでいつもの一日が始まる。

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