第34話:兼部という選択肢
「クルス、ウォームアップ手伝って」
「うん、いいよ」
(名前呼び!?)
バルバラ先生による拳闘の講義、その開始すぐに事件は起きた。超名門メル家の生まれであり、おそらく紆余曲折を経てアスガルドにやってきたミラ・メルはこの一年、三学年全員と一定の距離を取り、取りつく島もなかった。
彼女自身は成績優秀であり、人の助けも必要としなかったため問題にならず、何だかんだとここまで誰とも与せず一匹狼のままであった。
当然、全員苗字呼びである。
それが今、クルスだけ名前呼びに変わっているのだ。
「ど、どうなってんだ?」
「小間使いで信頼を得たとか?」
「サンドバッグに名前を付ける趣味とか?」
「同志から伝わった情報によると――」
「なん、だと」
学友たちの驚きはかなりのものであった。
それは、
「どうした、フレイヤ」
「……いえ、別に何でもありませんわ」
フレイヤ・ヴァナディースにとっても例外ではなかった。普段、人の交友関係などさして気にならない性質なのだが、何故か今もやもやしたものが漂っている。
忠犬の如くミラに付き従うクルスを見て、ほんのり不快な気持ちになっていた。まるで、そう、自分が可愛がっていた犬が他者に懐いているのを見るような気分だ、とフレイヤは思う。犬扱いは酷いのだが、気分を害した彼女には関係がない。
デリングは理由がわからずオタオタしていた。この男、フレイヤ絡み以外は完璧なのに、彼女が絡むと露骨にポンコツと化してしまう。
ちなみにディンは本日謎の体調不良で欠席である。
そんなことはつゆ知らず――
「あんたさぁ、拳闘だけは結構まともよね」
「だけって、ひどいなぁ」
「実際そうでしょ? これだけは御三家の基準に入ってんのよね。謎過ぎるけど、長所は伸ばした方が良いんじゃない?」
「そ、そうかなぁ?」
長所と言われて少し照れるクルス。この男、褒められ慣れていないため、少し褒められるだけですぐ落ちるちょろさを持っていた。
「私の拳にもきちんと反応してるし、受けも的確」
話しながら加速し、上下左右フェイントも交えたコンビネーションをミラが披露する。大体の連中はこれを初見で対応することなど出来ないのだが、クルスは後手を踏みながらもきちんと捌いて見せた。
明確な『欠点』はあるが、それはこれから埋めればいい。
彼女はそう思い、
「決めた。あの、バルバラ先生」
クルスらに向ける声色とは全然異なる声でミラはバルバラへ声をかける。心なしか目もキラキラしているように見える。
よく考えたら彼女、拳闘の講義は人一倍熱心なような――
「何ですか、ミラさん」
「倶楽部の枠、余ってなかったですか?」
「定員には達していますが、推薦と言うことであれば入れますよ」
「ありがとうございます! ってことであんたさ」
ぐるりとクルスに視線を向け、いつもの声色に戻り、
「倶楽部コロセウスに加入すること。いいわね」
「……え!?」
「私の推薦。ありがたく受け取りなさいよ。一応名門倶楽部だから、意外と熾烈らしいわよ。底辺連中にとっては」
「うぐっ!?」
三学年の何名かは今の一言で心の傷をえぐられてしまう。倶楽部コロセウス、拳闘の向上を目的とした武闘派俱楽部であり、戦闘能力の向上と昨今の時勢が追い風となり人気急上昇中の倶楽部であった。つまり、落ちた者もいると言うこと。
まあ、今傷をえぐられた彼らは皆、拳闘だけならばクルスよりも成績が下なので何も言うことは出来ないのだが。其処はきちんと実力主義である。
「あ、でも俺、倶楽部入ってるし」
「あー、ヴァルハラ? あんなの貴族の遊びでしょ? アスガルドと何が違うの?」
ピクリ、とフレイヤの耳が聞き咎める。
「勉強教わったりとか、教えたりとか、色々やってるんだよ」
「勉強なんて自分でしなさいよ。あと、今のあんたが人に教えられる身分とは思わないけど……あ、ごめん。今のなし」
普段通り思ったことを臆面もなく口走り、途中ではたと過ちに気づき謝罪するミラ。このモンスターでも一応恩義は感じているらしく、泳ぐことに関してはきちんと彼女の中でも教わったことになっている模様。
「別にいいよ。とにかく俺は――」
「じゃ、放課後倶楽部ハウスで」
「ええ!?」
何故そうなる、と顎が外れるほどにクルスは驚く。ミラはきょとんとクルスの反応に首を傾げた。この女、自分が強引だという自覚すらないのだ。
と言うか善意だと思っている。
「聞き捨てなりませんわね」
「あン? ヴァナディースには関係ないでしょ」
「同じ倶楽部の仲間ですの」
「だから?」
「強引な勧誘をやめて頂いてもよろしいかしら?」
「強引? 意味わかんないんだけど」
本当に自覚がなかったのか、とクルスを始め三学年の騎士科全員が驚く。それほど交流がない者でも、さすがに彼女の特性を理解しつつあった。
「彼の意思を尊重してあげては如何、と申していますの」
「入りたそうだから誘ったんだけど」
(え、俺入りたそうにしてた?)
「そうは見えませんでしたわ」
「節穴かよ」
(どっちが!?)
もはやツッコミが追いつかない。誰も彼もが息を呑む。三学年女子のツートップがビリッケツ男を挟み、睨み合うと言う不思議な構図が出来上がっていたのだ。
「あ、あの、お二人とも」
「「クルスは黙って(なさい)!」」
「あ、はい」
二人の女傑が向かい合う。
「後期も始まったことだし、そろそろ優劣付けても良いかもね」
「同感ですわ」
双方、拳を構え。
「決闘、始め!」
突如割って入ったイールファス立会いの下、フレイヤとミラの戦いが勃発した。一分後、バルバラが長引きそうなので二人を力ずくで止めて、沈静化した。その間、イールファスは珍しくケラケラと笑っていた模様。
何かツボに入ったらしい。天才はよくわからない。
○
「――と言うことがありまして」
「ははぁ、なるほどね。道理でフレイヤの機嫌が悪いわけだ」
「悪くありませんわ。普通です」
明らかに不機嫌な様子のフレイヤにエイルは苦笑いする。ちなみに何故かイールファナも不機嫌であった。飴を与えてもあまり効果がないので重症である。
さらに、
「マスター!」
貴族科の問題児、アマルティアが倶楽部ハウスに飛び込んでくる。これにて全員集合、騒々しさもマシマシであった。
「最近付き合いが悪いです! 全然倶楽部に来ないですし!」
「いや、来てるよ。アマルティアと日が合わないだけで」
補習やミラの強制連行を除けばそこそこの頻度で顔を出しているはずだが、たまたまアマルティアと噛み合わずにここまで来ていた。
まあ、前期までは毎日欠かさず来ていたので、そういうすれ違いも発生しなかったのだが。今は落ち着いてきたのでしばらくは大丈夫なはず。
「合わせてください!」
「えー」
「面倒を見るって約束しました! 嘘はちょうちょ道に反してます!」
「……ご、ごめんなさい」
「わかればいいんです!」
とりあえず謝っておく。これはエッダとの交遊でクルスが身に着けた処世術の一つであった。謝罪安定、学びを活かす。
「クルスは最近腑抜けている。努力が足りない」
「そ、そうかな?」
「そう。だから補習何かに参加する」
仕方ないじゃないか、泳ぎ方も海水の冷たさも知らなかったんだから、知らな過ぎて逆に出来る気がしていたんだから、と言いたくなるのをぐっとこらえて、
「ごめんなさい」
謝罪安定。
「わかればいい」
イールファナが無言で手を差し出してきたので、其処にさっと飴を置くクルス。あまりの早業、巧みな賄賂捌きには円熟みが漂っていた。
ちょろいもんである。
「泳げないのならわたくしたちに質問すべきでしたわ」
「おっしゃる通りで。申し訳ないです」
「以後気を付けるように。倶楽部の沽券にかかわりますので」
「ははぁ!」
謝罪安定。これで嵐は乗り切った、とクルスはほくそ笑む。そんな後輩たちの可愛らしいやり取りを尻目に、エイルは少し考え込んでいた。
そして、
「倶楽部、兼部してみたらどうだい?」
「「「!?」」」
「え?」
エイルの爆弾発言に三人が何故、と言った表情になる。クルスも少し驚いていた。折角謝罪連打で綺麗にまとまりかけていたのに、と。
「私も去年までは別の倶楽部と兼部していたし、フレイヤは倶楽部アスガルド、イールファナはハピナスと兼部しているだろう?」
「「うぐ」」
「私はしてないですよー」
「倶楽部次第では反対していたけれど、コロセウスなら私は賛成だよ。得られるものも多いと思う。徒手格闘の需要は年々上がっているしね」
「私はしてないでーす!」
「だけど、ここでの時間が――」
「私はここだけでーす!」
「時間は有限さ。だから、上手く使う必要がある。経験は何物にも代え難い。折角親しい友人がいるなら、飛び込んでみるのも一興さ。なに、合わなければやめればいいし、合ったのであれば儲けもの。気楽に考えればいいさ」
「わた、しはぁ、ふぐ、うぐ」
「ああ、すまない。無視する気はなかったんだ。ほら、クルスが今日は森へちょうちょを探しに行こうって言ってるよ」
「ほんどう、でずがぁ?」
「もちろんさ。ね?」
「も、もちろんだよ。よーし、久しぶりにいいとこ見せちゃうぞー!」
「やったー!」
一瞬で涙と鼻水が引っ込み、飛びついてくるアマルティアを受け止めるクルス。何か、とてつもなく柔らかな物体の感触がした。五体に電撃が走る。
これは凶器だ、と。
「ばかあほまぬけ」
「鼻の下、伸びてますわよ」
「スケベだねえ」
「ち、違いますよ!」
紳士クルスは断固として鼻の下など伸ばしていない。この清い目を見よ、と思ったが誰も視線を合わせてすらくれなかった。
とりあえずむしゃくしゃしたので大樹ユグドラシルの周りでちょうちょマスターの実力を如何なく発揮し、アマルティアからの尊敬を集めた。
その巧みな手さばき、広い視野、暇だったので見物に来ていたフレイヤやエイル、イールファナらも少なくない驚きを覚える。
まあ、尊敬してくれたのはアマルティアだけであったが――
○
歴史の講義、それがもたらす圧倒的な眠気を越えて、クルスは立ち上がった。相変わらずの入眠率、にもかかわらず先生はそれを注意するどころか着々と横道に逸れて行っている。彼は誰に向けて、何のために話しているのか。
アスガルド七不思議のひとつである。
「兼部ゥ? 中途半端は嫌ーい」
「ごめんって。とりあえずお試しで、ね」
「まあ良いけど」
ここでも謝罪芸が生きる。
放課後、今日はミラに案内され拳闘倶楽部コロセウスに向かっていた。歴史と伝統、それに実力も兼ね備えた徒手格闘の学びの場。多くの騎士たちがここで徒手格闘の神髄を学び、仕事で生かしていると聞く。
倶楽部ヴァルハラには恩があり、兼部と言う考えすらなかったが、それを度外視して考えたなら興味はあった。何せ拳闘はクルスが、縛りなしで如何なく実力を発揮できる数少ない講義であったから。
それをさらに深められるとなれば気にもなる。
「失礼します」
倶楽部ハウス内は熱気に包まれていた。各学年三名の定員(実際は推薦もいるのでもう少し多い)の少数精鋭が獣の皮に包まれたサンドバッグを一心不乱に叩いていたり、鏡の前で入念にフォームをチェックしていたり、学生同士でスパーリングをしている者、一人で黙々と縄跳びを続けている者もいる。
その中で、
「来ましたね。ようこそ、倶楽部コロセウスへ。顧問のバルバラです」
「ど、どうも」
最も目立つのはやはりコロセウスの顧問であり、拳闘の講義を任されている元拳闘士と言う異色の教師、バルバラであった。
「ここでは講義ほど優しくないので……覚悟してください」
「い、イエス・マスター」
クルス・リンザール。倶楽部コロセウスへ体験入部スタート。
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