第26話:事後

 アスガルド王立学園、その広大な中庭を望むテラス席にイールファス、フレイヤ、デリング、ディンが座っていた。何とも言えぬ沈黙が続くが、イールファスだけはモリモリおやつを頬張る。甘味類が好きなのは双子揃ってであった。

「……観測史上初めてアースにダンジョンが発生、百年ぶりに災厄の騎士出現、か。世の中を揺らがせる大事件だな」

「その間、デリングは地獄の基礎特訓講座を受講してた、と」

「煩いぞディン。取りたくて取ったわけじゃない」

「自主選択制なんだがそれは」

 デリング、沈黙。まさかフレイヤが基礎固めをしたいといきなり言い出して、なら自分もと受講したら何故かフレイヤがいなかったなどとは口が裂けても言えない。

「まさかダンジョン体験に行く前に討伐数がカウントされるとはな。兵士級をイールファスと俺が討伐数一ずつに、フレイヤが討伐補佐二、か」

「そうですわね」

「つーわけでめでたく、俺とイールファスは兵士級討伐っていうクソデカい箔が付きましたとさ。世代最速だぜ。まあ、本当の最速はクルスだけどな」

 その一言で全員が沈黙する。

 公式ではイールファス、フレイヤ、ディンの三名で兵士級二体を討伐、となっている。だが、その前にクルスが一体倒している。彼らも兵士級の死体を確認したし、その場にいた少女もそう証言した。

 それなのに――

『このカスに今は箔なんぞ要らん。討伐数は二、それは好きにしてええ。だが、三体目はおらんかった。それが僕の見解や。つまり公式記録は、そうなる』

 どれだけ、何を言っても覆ることはなかった。兵士級の亡骸はボロボロ状態のレフ・クロイツェルに焼き潰され、現場に証拠は残っていない。

「ありえるのか、クルス・リンザールが兵士級を屠るなど」

 証拠を見ていないデリングは半信半疑である。

「んじゃ、あのお姫様が兵士級を屠ったってか? 三人とも見てるんだぜ、兵士級の死体を。俺らが仕留めた奴と同じような外見のやつだ、実力も、同じだろ」

 ディンの言葉にデリングは考え込む。ありえないと切り捨てられる状況ではない。むしろそれが消された事実、そもそもあの場にクロイツェルが現れたことも謎を深める。手負い、それも相当深い傷を負いながら、わざわざクルスの前に現れた。

 そして、これまたわざわざ痕跡を消したのだ。

「マスター・クロイツェルが講師として雇われた条件に、騎士科の枠を一つ、という噂がありましたわね。講義が始まってすぐにかき消えましたけれど」

「クルス・リンザールの実力が基準に達していなかったからな」

「ああ、そうだな。使ったことのないフォームを強いられて、だがよ。そうなんだろ、イールファス。お前だけ、知ってたんだ。あいつが受けに特化した、ゼー・シルトなんてのを使ってたってよ。なんで言わなかった」

「聞かれなかったから」

 小首をかしげるイールファス。確かに、誰もこの男に聞いていないだろう。

 ちょっと話し辛いので。

「そもそもおかしいと思ってたんだ。どこの学校でもよ、未就学の学生相手なら特別なカリキュラムを用意してる。あんま実績ないが、ログレスですらそうしてる」

 枷を与えられ、さらに何も対応をしない、という特別措置をクルスは負っている。冷静に考えずともあり得ぬ負荷。だからこそフレイヤは彼に手を差し伸べた。

「極めつけは、この天才が即名前を覚えたってことだ」

「んまんま」

「なぁ、フレイヤ。俺らは三対二で兵士級相手にそこそこ苦戦したよな。俺は、あれ以上を単独撃破しろって言われたらちょっと考えこんじまう。今の俺らの限界、水準は兵士級なんだろ。戦士級はたぶん、歯が立たないと思う。この天才は別だけど」

「わたくしも同様の意見ですわ。推測でしかありませんけど」

「じゃあよ、クルスの実力は俺らと同じってことにならねえか?」

 またしても沈黙の帳が下りる。おそらく制限を帯びていない拳闘の講義を見ても、自分たちと互角の実力だとは思えなかった。もちろん剣と拳、同じではないが。

「この中じゃクルスが一番弱い」

 その沈黙を破ったのは話す方ではない男、イールファスであった。

「敵との相性もある。クルスの受けは強固だし、眼もいい。素直な剣ならある程度格上とも戦える。でも、勝ったのは奇跡。百回やれば九十九回負ける相手」

「今日はよく話すな」

 驚くデリングをよそに――

「だけどその奇跡は、近いうちに当たり前となる。だから、クルスはアスガルドに来た。強くなるよ。そして、いつか、俺『たち』を脅かす」

 イールファスは満面の笑みを浮かべていた。三人が見たこともない種類の笑み。俺『たち』、そこに含まれているメンバーを考えると彼らは笑えない。

 ログレスに、レムリアに、アスガルドに、それぞれ一人ずつ。

 世代の山巓に立つ者たち。

「それを期待してる。じゃないと退屈だから」

「……刺してきますわね」

「悪気はねえんだろうがな」

「だからこそ、腹立たしい」

 今回の勝利は奇跡によるもの。少なくともあの満身創痍の身体を見ればそれは理解できる。だが、奇跡を呼び寄せるだけの力はあり、そこへ至る期待感もある。学園は彼の成長を促進するために無理な負荷をかけ続けている。

 ようやく不可解な状況が解けた。

「ったく、楽になるつもりでこっちに転校したのによ」

 ディン・クレンツェ。ログレスの最高傑作、栄光を約束された男の輝きに焼かれ、アスガルドへ逃げてきた。燃えカスだった男にさしてやる気はなかった。適当に卒業してそれなりの騎士団に入って、そこそこの生活を、と考えていたのに。

 今は、少し考えられそうにない。再燃してしまったから。

「親友ポジを確保するのも難儀だぜ」

 クルスに触発されてしまった。学園側がグルとなって彼の自己評価を下げ続ける限り、彼の足は止まらない。自分も進まねば置いて行かれてしまう。

 それは嫌だな、と思ってしまったのだ。それだけのこと。

「わたくしは負けませんわ。クルスにも、この場の誰にも、最後には全員ぶち抜いて差し上げます。それでは御機嫌よう。乙女には今宵の準備がありますので」

 立ち上がるフレイヤの眼にも炎が宿っていた。分析せずとも、あの立ち姿を見れば有資格者かどうかなどわかり切っている。何かのためにあそこまで命を削り、盾となる姿。燃えぬわけがない。あれこそが己の目指す騎士道なのだから。

 颯爽と去って行くフレイヤの背中を見ながら――

「……し、しまった!? 今日ダンスパーティじゃねえか!?」

「今更だな」

「くそが、相手の決まっているお坊ちゃんは暢気だぜ」

「相手が相手だぞ、緊張している」

「俺はその相手がいねーんだよ。クソが、やるしかねえ。使いたくなかったが切り札を。背に腹は、変えられねえからなァ」

 覚悟を決めるディン。デリングはため息をつく。

「いいの、デリング?」

 おやつタイムを終え、唐突に話しかけるイールファス。

「何がだ?」

「準備があるってことは相手がいるってことだけど」

「……あ」

 デリング、勝手に轟沈。自分以外の誰かが彼女と踊る。それを今日、指をくわえて眺めていなければならない。厳密にはアスガルドの王女様と踊りながら、だが。

 緊張と感情の崩壊により頭が壊れたデリングの明日はどっちだ。


     ○


「此度の件、わしが直接ウーゼル卿へ報告に赴く」

 学園長室には今、アスガルドの重鎮たちが集まっていた。

「文書では漏れ出る可能性がある、と」

「しかり。己が足こそ最も確実に、情報を伝達する手段であろう。色々問わねばならぬこともあるのでな。しばらくは任せるぞ」

「「「「イエス・マスター」」」」

 統括教頭と三科の教頭たちが頭を下げる。災厄の騎士の出現、王都にて突発型のダンジョン発生、その中身が百年前の魔王イドゥンの領域と酷似していたこと。

 話すことなどいくらでもある。

 何よりも――

「第十二騎士隊、クロイツェルの話ではほぼ黒、だそうです。ただ、他の隊にどこまで根が張っているのかは、秘密裏に調査中であった、と。どうやら、メラ・メルもウーゼル卿が手引きし、第十二騎士隊に潜入させていた、とのこと」

「……難儀な状況じゃのお」

「お気をつけください、学園長」

「うむ。ではの」

 ゼロスの言っていたサブラグが、もし彼らの予想する存在を指すのであれば、ことはそう簡単なことではないだろう。魔王イドゥン、もうひと柱の魔王サブラグ、ウトガルド側も一枚岩ではない。当然、ミズガルズ側も同じ。

 状況は混迷を極めている。時代がまたしても、うねり始めていた。


     ○


 クルス・リンザールは目を覚ました。知らない天井である。

 そして横では――

「やぁ。随分と活躍したみたいだね。覚えているかい?」

 テュール先生が本を読んでいた。

「え、と、兵士級と思しき相手と交戦した記憶は、あるんですが」

 記憶が混濁している。思い出せるのは何かを掴んだ感覚。だけど今は、それがするりと抜け、手の中には何も残っていなかった。

「あ、アルマは!? あの女の子は、無事、ですか!?」

 すでに傷口などは治療済みだが、いきなり起き上がっては痛いだろうに、それでもクルスはまずそれを問うた。今の彼にとって一番重要なのはそこだから。

 今の彼は、あの時とは違う。

「ああ、無事だよ。君にとても感謝していた」

「そう、ですか。よかった」

 クルスは安堵を浮かべ、もう一度横たわる。

「君が戦っている最中、イールファス、フレイヤ、ディンの三人が現場に到着し、増援の一体を含めて二体の兵士級を討ち果たした。私は見ていないので何とも言えないが、公式記録ではそうなっているようだ。記憶との相違はあるかな?」

「いえ、たぶん、それで合ってると思います。よく、覚えてないですが」

 記憶の混濁。すでに少女の顔も思い出せない。帽子を常に目深に被っていたのもあるだろうが。本当なら己の力だけで助けたかった。

 でも、救えたのであれば充分。自分はこのざまなのだから。

「先生、俺、弱いです」

「皆、初陣の時はそう思う。君は幸運だった。多くの騎士はね、そういう時に何かを失うものだから。己の命、仲間の命、守るべき者の命、その痛みが人を騎士とする。平和の時代にも喪失はある。君は失わずにそれを知った。素晴らしいことだよ」

 皆、大なり小なり痛みを抱えてさらなる高みを目指す。クルスははた、と少しだけ手の中に何かを感じた。何かを失えば。削ぎ落とせば、何かが――

「大丈夫。焦らず一歩一歩踏みしめて強くなりなさい。君は強くなる。君を強くするために私たちはここにいる。それを忘れずに、研鑽し続けなさい」

「イエス・マスター」

「よろしい。今宵はダンスパーティだ。名物だけあって食事も豪華、今の君に一番必要な栄養が溢れている。踊っても支障はないと思うが、羽目を外さずに軽く見物するだけでも楽しいものだよ。じゃあ、お大事に」

 テュールは手をひらひら振って、そのまま去って行った。

 残されたクルスは生き延びたことを噛み締め、自分だけではどうしようもなかった事実を、歯を食いしばりながら悔しがった。ソード・スクエアを強いられた理由、実戦でようやく理解できたのだ。理解するのが遅過ぎた。

 もっと早く意図に気付いていれば、もっと上手くやれたのに。

 混濁する記憶の中でも、いく度も自分の名を叫ぶ少女の声はくっきりと残っていた。心配させてしまった。怖い思いをさせてしまった。

 全部、己の弱さが原因である。

「もう二度と、あんな思い、させてたまるか」

 強くなろう。この挫折が、彼のモチベーションとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る