第23話:『騎士』
魔獣の群れから少女を守りながら、クルスは敵のいない方に進む。自分一人だけならばまだしも、少女を守りながら交戦するのは得策ではない。とにかく今は敵を避け、彼女を安全な場所まで避難させることが重要だと考えていた。
そうして敵を避けていると、どんどん城の内部に導かれてしまう。まるで何かの意思に誘われるように、彼らはその部屋に辿り着いた。
この不気味な城にあって、何故か雰囲気の違う一室。
「クルスさん、これ」
「女の子の、ドレス? それに、ベッドの装飾とかも女の子っぽいと言うか」
「こちらの絵の方の、お部屋なのでしょうか?」
「わからない、けど」
クルスとアルマは部屋の壁に飾られている黒髪の美しき少女の肖像画を見つめていた。ダンジョンに似つかわしくない、穏やかな笑顔を湛えた少女である。
美しく、何故か眼の奥には悲哀の色が見て取れた。
彼女はいったいどこの誰で――
「クルスさん!」
「……この、振動は」
急に城全体を揺るがせるような衝撃が、彼らにも伝わった。クルスは彼女を大丈夫だと抱きながら、考え込む。少女は俯きながら沈黙していた。
(状況がわからない。だけど、敵の眼がこの振動に向く可能性はある。脱出するなら今しかない。幸い、動き回ったおかげで多少は道もわかる)
森を駆け回った経験。自然の構造物である森と意図の介在する人工の構造物では、道も見出す難易度は桁違い。山育ちを舐めるな、とクルスは息まく。
「行こう!」
「は、はい!」
少女を守りながら、謎の部屋を飛び出すクルス。次の一歩目にはあの部屋に飾られた絵の事など脳裏から消えるが、遥か遠い先、彼は知る。
これは必然であったのだと。
○
ディンは魔獣を断ち切る。
「ふひー、こういうのは来年の夏、ダンジョン実習からやるつもりだったってのに。まあ、四の五の言ってられる状況でもねえか」
ウルに似た炎雷まといしディン・クレンツェの剣。世にも珍しい中間属性ゆえ二つの要素が同時に発現していた。クレンツェ家特有のノーブル・カラーである。
そして、クレンツェ家の当主が見出し、現在での主流の一つと成りつつあるフォーム、攻めのスタンダード、フー・トニトルスを用いる。
隙なく、間断なく、激しく素早く、シンプルに。
「男連中は女子供を守るように囲みつつ騎士団の到着を待ってくれ! それまでは、この騎士の卵にまっかせなさーい!」
攻めの基本が詰まった正眼の構え。わずかに利き手側に流すのがこのフォームの特徴。それでさらに全体のバランスを整える。整えば、隙はなし。
「ディン・クレンツェ、たまにはマジにやるぜェ!」
炎雷の名門が吼える。
別の場所では――
「しィ!」
アース市民を守りながら戦う麗人の姿があった。右手には剣を、左手には盾を掲げ戦う姿はまさに戦乙女。まとうはルビーの如し真紅。どの炎よりも紅く、美しいのがヴァナディース家の誇りであり、彼女はその中でもひと際美しい。
「ありがとうございます。フレイヤ様」
「感謝する必要はありませんわ。皆さんを守るために我らは在るのですから」
民草を守るための刃であり盾。
彼女が実戦で用いるフォームはヴァナディース家独自の剣と盾を合わせ用いるものであった。どちらにもエンチャント、魔力を通す性質上、より多くの魔力を消費するのだが、潜在魔力量が多い家系ゆえ長い戦いを可能とする。
当然、剣一つよりも堅牢。盾自体も攻撃に活用できる。
際立った攻防のバランス。揺らがぬ存在が戦場に咲く。
『■■■■!』
「さあ、征きますわよ」
続々と現れる魔獣を前に、戦場の花が咲き誇る。
さらに別の場所では――
あえて敵の多い道を通るイールファスの姿があった。銀色の閃光が奔り、魔獣の首を刎ね飛ばしていく。鎧袖一触、近づくたび、触れるたび、剣は奇妙な軌跡を描いて思わぬ方向から意識の外を断つ。講義のイールファスはバランス型の構えを取るが、実戦でのイールファスはそもそも構えない。
脱力し、だらりと垂れ下がった腕は鞭のようにしなる。いや、腕だけではない体全体がそうなっているのだ。ゆえに、全方位に彼は隙を作らない。
「……ダンジョンの中の、災厄の騎士、見ておきたいけど、今の俺じゃ役に立たない。だから、雑魚を処理する。うん、そうしよう」
天才の興味は獣にあらず。今、ダンジョンの中で巻き起こっているであろう四騎の怪物がぶつかり合う極限の戦場にある。されど、そこにはまだ、己の居場所はない。ゆえに、まずは務めを果たす。
シンプルに天才は考える。そしてただ、走る。
より敵の多い所へ。より多くの災厄を断ち切るために。
皆が戦っている。
騎士も、騎士の卵も、必死に。
そして――
○
ここにも騎士の本分を貫いている者がいた。
「ふっ!」
透き通る小川の如し剣を振るい、魔獣を跳ね除けるクルス。今は講義ではない。そもそも制限がどうとかいう状況でもない。ゆえに彼は本来の型を用い少女、アルマを背中にして前から襲い来る魔獣を跳ね除け、断ち切り続けていた。
「結構戻って来れたと思う。あと少しだ」
ここで攻めの練習が生きた。人間よりも彼らの隙はわかりやすい。それもそのはずで、山では彼もそれなりに獣と触れ合っており彼らの習性はある程度分かる。彼が普段頭を捻りながら何とか食らいついている騎士の卵たちに比べたら、なんと単調で素直な攻撃か。見切ることが出来る。返しに断つことも出来る。
やれる実感があった。自らの成長が感じられた。
何者でもなかった自分が今、
「クルスさん、その、足手まといで、すいません」
少女から『騎士』のように頼られている。
「あはは、全然問題ないよ。こう見えて騎士の卵だからね。これが仕事になるんだ。それが少しだけ、早く来ただけ。それだけのことだよ」
今、己の背中は小さな少女にどう見えているのだろうか。頼りなく映るだろうか、それとも騎士らしく映っているだろうか。そんなことを考えながらクルスは剣を振るう。とても静かで、集中できている。開き直っているのだろう。
緊張もない。
それに、何よりも驚いたのはこうして極限状態に置かれ、かつて『先生』から授かったフォーム、ゼー・シルトを用いた際である。やはり水に合う、そう思ったことと同時に守るべき点だけでなく攻めるべき点、機も見えるようになっていたのだ。
これはきっと、学園で別のフォームを強いられているから、だろう。守るだけでは見えなかった活路が、見える。だから今、一人で守れているのだ。
「一人で完結、か」
「どうしました?」
「ううん。独り言。大丈夫、揺らぎはないよ。間違える気も、しない」
決して強がりではない。今の集中力であれば、何度でも針の穴を通せる。ベストコンディション、どれだけ獣が攻め寄せようと今のクルスは間違えない。
灰色の眼が俯瞰し、刹那を見切る。
魔獣は死を恐れない。しかし、攻めるべき隙が見当たらぬ以上、本能が足を止めてしまう。いく度攻め寄せてもさざ波一つ立たぬのだ。
『■■■』
獣が、半歩後退する。それを見逃さずクルスは微笑んだ。
「最高の調子だ。今なら、俺は――」
それに続かんとする言葉を、次の瞬間にはクルスは忘れてしまった。
『■■ッ!』
獣たちの四肢が吹き飛ぶ。血のような闇がクルスの頬に付着した。
獣の屍を踏み越え、現れるは黒き鎧をまとう異形。
「そ、そんな、災厄の騎士が?」
少女は自らの震えを止めることが出来なかった。彼らが住まう世界、ミズガルズにおける絶望の存在。闇の領域ウトガルドより来る災厄の軍勢、それを率いる天災そのもの。それが災厄の騎士、ユーベル・リッターである。
恐れるな、という方が無理であろう。
「……違う。騎士じゃ、ない。おそらくは戦士級か、兵士級か。出来れば、兵士級であって欲しいけれど」
クルスは顔を歪めていた。講義で習った災厄の軍勢、その陣容。魔王を頂点として騎士級、戦士級、兵士級、獣級が並ぶ。平和の時代、ダンジョンであれば兵士級以上と遭遇することもあるが、それは騎士団が複数人のチームで当たる案件である。
兵士級であっても騎士の卵、成績最下位の男が戦える相手ではない。
『■■■■■■ァ!』
怪物の咆哮。クルスは震えが止まらない。先ほど身を包んでいた万能感など露と消えた。絶対に勝てない。逃げなければいけない。恐怖が心を焦がす。
(俺一人なら、逃げられる? 逃げるだけなら、相手が兵士級なら、いけるかもしれない。どうせ、戦っても二人して死ぬだけ。それなら俺一人でも生き延びた方が)
頭の中で巻き起こる打算。冷たい方程式。本能が、理性が、逃げろと叫ぶ。
少女を捨て置いてでも、それが合理であると。
「く、クルスさん。私、大丈夫です。ひとりでも、へっちゃらです。だから、その、助けを、呼んできてください。私は、大丈夫なので」
そう、思っていた。少女が自らこの場における最適解を提案してくれた。何を迷うことがある。助けなんて間に合うわけがない。彼女は死ぬと言ってくれたのだ。
甘えよう。そしていつか力をつけて彼女の無念を晴らそう。
それが最適解。今のベスト。だからクルスは少女に視線を向ける。そうしよう、それしかない、そう言って逃げるために。そのために振り向いた。
そして、見てしまった。震えながら、気丈に、無理やり笑みを作っている少女を。そんな姿を見てしまった。彼女に今の醜い己はどう映るだろうか、そんなの愚問である。それなのに、弱い彼女が自らを差し出して己を生かそうとしてくれた。
逆だろう。逆でなければならない。
「ごめん。俺、逃げようとした」
「大丈夫ですから、私は――」
クルスは少女に背中を向けた。精一杯の虚勢を張りながら――
「ごめんね。俺、君を不安にさせてしまった」
クルスは深呼吸をする。それは弱く、醜い己との決別でもあった。あの日、『先生』と出会った時、学園長の誘いに乗った時、己の道は決まったのだ。
騎士に成ると決めたのだ。
空虚な己を捨て、何かになるための道を選んだ。
あの何もない村で、ただ漫然と生きて行く道を切り捨てた。安寧を捨て、何者かになると決めた。人間を何者かと定めるのは他者の眼である。
人の眼に自分がどう映るか、
「大丈夫、君を守るよ」
少女の眼に、自分はどう映るか。
「俺は騎士に成るって、決めたから」
ならば恐怖は今、削ぎ落とせ。それは騎士にとってただの贅肉である。
『先生』の教えを思い出す。学園での講義を思い出す。クロイツェルとの邂逅を思い出す。彼らの誰も、逃げ方を教えようとしなかった。それは当然のこと。
『最後に一つ、テュールも言っとったやろうけど、騎士は一人や。どこまで行っても一人で完結すべき存在なんや。僕らの後ろには誰もおらん。常に最後の一線に騎士は立つ。ええか、安ないぞカス。よぉ刻んどけ。それが『騎士』や』
ここが最後の一線、騎士の後ろには何もない。己が守らねば、誰が守る。
己も『騎士』と成るのなら、今ここで腹を決めよう。
「クルスさん、でも、だって、逃げなきゃ、死んじゃいます」
「誰も死なせない。俺も、君も、守る。足りないなら、今、強くなるッ!」
クルスは己が頬を思いっきり引っ叩く。この熱を忘れるな。今この瞬間を刻みつける。ここが己の分水嶺、贅肉を削ぎ落とせ。恐怖はここに捨てる。
今はただ、守り抜くことだけを考えろ。
「俺がクルス・リンザールだァ!」
それは覚悟と決別の咆哮。今この瞬間、彼は『騎士』と成った。
涼やかに、凛と彼は構える。ゼー・シルト、守るための剣を。
『■■■ッ!』
災厄の剣が襲い来る。その破壊力に――
「う、がッ!?」
クルスの顔が歪む。今まで受けたことがない手応え。ただ相手を破壊する、その一念だけが込められた無情の刃。重く、速く、鋭い。
それでも、灰色の眼は見ることを諦めない。
「まだ、まだァ!」
『■■■!』
クルス・リンザールの戦いが始まる。
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