第24話:削ぎ落とした先に在るモノ

 ウルの剣は一点突破の超火力型であり、そもそも小細工を弄するような性質ではない。それは気質もそうで、相手がゼロスであった場合を考え、かつての教え子でありその中でも極めて優秀な二人を戦闘の補完として連れてきていたのだ。

「……驚いた。先の彼女といい、いつの時代にも優秀な騎士とは現れるものだな」

 黒き炎をまとう剣を振るい、苛烈に攻めるはレフ・クロイツェル。相手が守りたいと思う場所に、先んじて剣を差し込む先読みと力業の融合こそこの男の剣の持ち味。とにかく位を取る、潰す、相手に思うような受けを取らせない。

 攻撃で攻防をコンプリートする。

 だが、ゼロスほど練達の受けをする者の前では、その攻めだけで磔にするのは難しい。クロイツェルもまた信じ難い手応えに顔を歪めていた。災厄の騎士が強いことなど子どもでも知っているが、災厄の騎士が巧いと言うのは初めてのこと。

 ただでさえ、災厄の騎士は人間より遥かに強大な魔力を誇り、スペックに関しては圧倒的に上なのだ。力では勝ち目がない。技でも相手が優位。

 世界最強の騎士、ユニオン騎士団を統括するグランド・マスターであるウーゼルですら、単身でこの怪物を下すことは難しいだろう。

 だからこその――

「無駄が多いぞ、クロイツェル!」

「黙って僕の補完しとけや、元天才!」

 三人目、テュール・グレイプニルがその戦力差を埋めんと援護に回る。クロイツェルの手が足りぬ所を的確に自身の剣で埋め、とにかく相手に反撃の隙を作らせない。彼もまた頂点に近い騎士であったからこそ、こんな芸当が出来る。

 まあ、頂点に近いのと頂点では天地の差があるのだが。

「隙、ありじゃ」

 その二人が苦労して生み出した隙を、ウルの超火力が射貫く。これが今持てる戦力で考え得る最強の布陣であった。

 普通の災厄の騎士ならば、これで仕留められる。百年前、騎士級と幾度も交戦したウルだからこそ断言できた。

 だが――

「…………」

 ゼロスはその一撃を、切っ先を向け撫でるように逸らした。騎士級をも屠り、魔王にすら傷をつけた火力である。

「……化け物か」

「集中せェや。糸切れたら、すぐ死ぬで」

「ああ。わかっている」

 堅牢にして強大。それでいて技巧にも長けている。元々、最高の騎士と誉れ高き男であったが、内蔵魔力に関しては普通の騎士でしかなかった。それでも彼は時代の頂点に立つほどの騎士だったのだ。当時よりもそれが重視されている時代に、である。そこに災厄の騎士の力が乗った。

 足りなかった力が補完され、完全なる者となった。

「いかんのォ」

 ウルは万全を期したつもりであった。持てる最高戦力を、考え得る限り最高の布陣でぶつけた。その結果がこれ。

「…………」

 三対一で、劣勢に立つ。

「皮じゃ、足りんわな」

「何の話だ?」

「大したことやない。僕がこじ開けたる、それだけや」

 クロイツェルの雰囲気が変わる。それにゼロスはかすかに反応を見せた。


     ○


「「「おっ」」」

 イールファス、フレイヤ、ディン、三人はバッタリと遭遇する。イールファスはその辺を駆け回り片っ端から魔獣を切り裂いてきた。フレイヤ、ディンは騎士団に守っていた市民を引き渡した後、出来ることをしようと同じようにダンジョン近くで魔獣を倒しながら、ここまでやって来たのだ。

「考えることは同じ、かぁ」

 ディンはへらへらと笑う。まるで大したことはやってませんよ、という風体だが、返り血のような闇がべったりと張り付いており、そのポーズに何の意味もない。

「まだあちらでは続いていますわね」

 フレイヤの格好も同様である。

「そろそろ表も落ち着いてきたから、ダンジョンに行きたい」

 すでに獣狩りに飽きたのかイールファスはそわそわしていた。低学年の内は体験することすら出来ない経験が目の前にあるのだ。自分の力に自信のある者であれば、試したくないと言うのは嘘であろう。

「学園長にユニオンの副隊長、アスガルドの元騎士団長が入ったんだぜ? 俺たちレベルが立ち入る状況じゃないと思うけどな」

「ディンがそう思うならそれでいい。俺は行く」

「おやめなさい。わたくしたち学生が許可なくダンジョンに立ち入るのは、規模の大小にかかわらず禁じられていますわ。規範を守り、出来る範囲で剣を振るう。表側に一匹でも獣が残るなら屠り、市民の安全を守る。それが今のわたくしたちに出来る役割というもの。騎士なればこそ、私欲に走るべきではありません」

「今の状況は不測の事態で、例外。ダンジョンの発生に巻き込まれた人が中にいるかもしれない。人通りの少ない地域だけど、人がいないわけじゃない。なら、手の空いている者が中を改め、人を救うことこそ騎士の本分」

「そ、それは、そうですけれど」

 イールファスの言葉にフレイヤは困った顔をする。彼女とて本音はそうしたい。だが、騎士には規範と言うものがある。学生もそう。

 そこに反した振舞いは素直に肯定できなかった。

「とにかく、俺は行く」

 別に同行は求めていない、と二人に背を向けスタスタとダンジョンに向かって歩いていくイールファス。その背を見て、ディンは頭をかきながら、

「あー、くそ、知らねえぞ、どうなっても!」

 彼を追う。残されたフレイヤもまた、

「……もう!」

 彼らを追った。


     ○


「クルスさん!」

 少女の叫びを背に――

「しィィイ!」

 血まみれのクルス・リンザールは戦っていた。体中至る所に刻まれた傷、それは致命傷を避けるためにあえて差し出した受け傷であった。無傷では捌けない。最初の一合でクルスはそう判断した。リスクを払わねば手に負えない。

 だから支払う。シンプルに、単純に、やるべきことをやる。

『■■■!』

 災厄の兵士の体力は無尽蔵なのか、一向に剣が休まる気配も緩くない気配すら無かった。受けるたびに軋む身体。覚悟無き先ほどまでの己なら一合で叩き伏せられていただろう。おそらくは逃げることすら叶わなかったに違いない。

「大丈夫、守る、から、安心して」

 鼻血が噴き出る。血がのどに絡む。しかし、気にしている余裕などない。

 今、眼前に死が横たわっているのだ。

「もういいです、クルスさん! 逃げて、お願い、逃げてください!」

 クルスは少女に申し訳なく思う。頼りないから、彼女に強がりを強いてしまうのだ。騎士にとって弱さは罪、あの男の在り様が胸に沁みる。

 強くなりたい。強く在りたい。

 それは誰かのためであり、本当のところは己のためである。

(一人で完結出来ぬ弱さ。本当に情けない。ここで死んだら、本当のカスだ。助けは来ない。来る気配すら無い。守っているだけじゃ、勝てない)

 その守りですら、もはや限界に達しつつある。

 相手の攻撃に削がれていく力。握力は残り僅か。猶予は、無い。

(……く、そ)

 意識が朦朧としてくる。何故、戦っているのか、何故、守ろうとしているのか、色々なものが削ぎ落され、消えて行く。

 残ったのは――

(……嫌な、景色だ)

 ゲリンゼルの風景。視界一杯の麦畑が夕日に照らされ、紅く染まる。人にとっては美しく感じることだろう。たまに来る行商人とかはそう言っていた。

 だけど、クルスにとっては――

『なんで兄のように出来ない!』

 村人としてよく出来た兄。そう振舞うことも出来ない自分。ここでは疑問を抱くことすら許されない。飲み込むしかないのだ。

 心がどう思っていようとも。

『うちのエッダと、あまり近づき過ぎないでくれ。勘違いされてしまう』

 エッダしか遊び相手がいなかった。初めての友達で、初恋でもあった。でも、彼女の両親にそう言われてしまったら、どうしようもない。あの日、エッダと言う逃げ道すら、彼女が知り得ぬ場所で絶たれていたのだ。

 だから、『先生』の来訪は本当に嬉しかった。逃げ場のない場所に差し込んだ光、何の選択肢も持たぬ少年に舞い込んできた、たった一つの道。

(ああ、そうだ。俺は、何でも良かったんだ)

 騎士である必要などなかった。あの村に無い選択肢であればなんだってよかった。村を離れ、ただ何者かになりたかった。

 誰かに必要とされる、居心地のいい場所が欲しかった。

 ただそれだけの、馬鹿みたいに中身のない存在こそが、クルス・リンザール。

 彼にとっての『騎士』は――

(何がため、はは、そうか、そうだよな、その通りだ。高貴さも、力も、正義も、愛も、俺にはない。そんなもののために、俺は騎士に成ろうとしたわけじゃない!)

 何者でもない己が、

(俺は俺のために――)

 何かに成るための手段。

(俺だけのために剣を振る!)

 圧倒的なエゴ。高潔なる者たちが見れば醜いと感じるかもしれない。それでも、それは全てを削ぎ落としたクルスの偽らざる真実であった。

 彼は今、『自分』を掴み取った。

(……見える!)

 その瞬間、クルスは笑みを浮かべながら、迷いなく行動に移した。

 贅肉を削ぎ落とせ。

『クルス、もっと集中。深く、潜るように』

 『先生』の言葉を反芻する。もっと深く、深く、呼吸すら届かぬ領域へ。

 掴んだ感覚を、見えたものを、信じる。

『――の神髄はね、クルス。脱力だ。死の間合い、そこで力を抜けるかどうかが肝なんだ。怖い? 当然怖いさ。でも、忘れなさい。戦いの最中は無であるべき』

 無をまとう。恐れも惑いも、遥か彼方。

 そしてレフ・クロイツェルの言葉も反芻する。

 踏み込み、かかと一つ、浅い、ヘッド、立て過ぎ、指三本、下げ、手首の返し、早く、腰は退かずに、命を惜しむな、彼もまたこれを、この状況を見据えていた。

 全部を喰らい、クルスは踏み込む。

「集中ッ!」

「クルスさん!」

 肉が、断ち切られる。鮮血が、さらに己を染める。もう、退路はない。

 かかと一つ深く、ヘッドを指三本分下げて、手首を即座に返す。引ける腰などもうない。惜しむ命もまた捨てた。この一撃に全てを賭す。

 軸は前へ、姿勢も前へ。全てを投げ出す。

 その上で、脱力。力を、抜く。クロイツェルの言葉がクルスを死の領域まで運んだ。そして『先生』の言葉が死の領域にて抗う術を与える。

『■?』

 勝利を確信した怪物が何かを悟る暇なく、水の如ししなやかさで災厄を断つ。

 清流が、涼やかに流れる。

 完璧な、これ以上ないタイミングでカウンターがさく裂した。

『■■■■■■■■■■■■ッ!?』

 闇が、噴き出る。災厄の、怪物の貌が歪む。

「完璧、だ!」

 満身創痍のクルスは静かに、手の中に残る『完璧』を掴み取った。最高の手応え。今の自分に出せる全てを出し切った。

 怪物の絶叫が辺り一帯にこだまする。そして、崩れ落ちた。

「クルス、さん。すごいです。本当に、すごいです」

 少女は自分を守ってくれた『騎士』を抱きしめる。感謝と、それ以上の気持ちを込めて。クルスはそれを目の端に捉え、少し申し訳なく思う。

 だって自分は守るべき対象であった彼女すら、最後には削ぎ落としたのだ。誰かのためではなく、自分のために振るった剣。

 それをこうまで感謝されると、何とも言えぬ心地となる。

「逃げましょう。歩けますか?」

「うん、大丈夫だよ。でも――」

 クルスは自分から少女を引き離し、一歩前に進み出る。

 そこには――

『■■■』

『■■』

 新たなる敵が現れていた。

 絶望は、終わらない。先ほどと同じような外見の災厄が二つ。少女は絶望に顔を歪める。こんなの、もうどうしようもない。一体でも絶望的だったのに。

 それが二体もいるのだ。

「……クルス、さん」

 それでもクルスは立つ。剣を構え、しなやかに、教わった通りに。灰色の眼は敵を涼しげに見据える。その手に在る『完璧』を握りしめ――

「来い」

 言葉短く、己がための『騎士』は嗤う。

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