第21話:ちょうちょ探し

 クルスは疲れ果てた様子で夜空を眺めていた。

 肉体的な疲労は普段より遥かに少ないのだが、精神面での疲労はかなりのものであった。何とか取り繕い切ったが、これだけ精神をすり減らす催しごとなどゲリンゼルの田舎にはなかっただろう。煌びやかな世界だけではないのだ、騎士とは。

「疲れただろ、クルス」

 ディンが素知らぬ顔で隣に立つ。騎士体験参加者に割り振られる部屋も同室と、何かと縁のある友達であった。余裕綽々な姿を見ると、差を感じてしまうが。

「ディンは余裕そうだね」

「そうでもないさ。フレイヤもな。むしろ、家が関係するあいつが一番気疲れしただろうなぁ。そこいくとマイペースを極めたイールファスは大物だよ」

「つまみ食いしてたからね」

「……え、マジ? それはやべーだろ。つーかよく見てるよな、クルスって」

「周りを見ないと何すればいいのかわからないからだよ」

「その辺は慣れだな。俺もガキの頃から連れ回されて覚えたクチだし。それでもやっぱ疲れる。疲れるし、楽しくねえ。それなのに笑っとかないといけねーんだ」

「ディンもフレイヤも、皆凄いよ。それが自然に出来てるから」

「俺らなんてまだまだ。この辺はさ、突き抜けねえ限り一生ついて回るんだ。俺の親父とかもそう。そこいくとユニオン・ナイトはやっぱすげえや」

「あー、あれだけの面子が揃ってるのに、礼節も何のそのって感じだったね」

「メラ・メル、王門メル家の中でも突出した才人なんだと。三年前、対抗戦でマグ・メルが優勝した際のエースだぜ。俺の兄貴が負けたからよく覚えてる」

「確かに、底知れない感じがしたね」

「鬼のような強さだぜ。御三家の学生すら一切寄せ付けず自身は無傷で無敗。そのままユニオン騎士団第十二騎士隊を指名して入団、超エリートだ」

「指名って確か、入団する人でもごく一握りしか出来ないっていうあれ? 普通はユニオン騎士団本体が勝手に各騎士隊へ振り分けるんだよね」

「そのあれ、だ。年に一人、いない年もある。それがメラ・メルだったわけだな」

 突き抜けた存在、絶対の自信が彼女にはあるのだろう。だからむやみやたらに頭を下げる必要も、気を使う必要もない。絶対的な確信、それを握る様は――

「羨ましいなぁ」

 クルスにはとても眩しく見えた。

「ま、あれが本当のてっぺん。アスガルドで一等賞取るくらいじゃねえとな」

「……果てしないね」

「本当に」

 クルスはともかくディンは狙える位置にはいるだろう。学年四位、二位三位とそれほど大きな差はない。だが、一位は少し遠い。そしてメラのような『絶対』を握るには、そういう一位でなければいけないのだ。

 それは本当に、ディンの立場でさえ果てしなく遠い。

「明日はどうする?」

「んー、あまり来ることないから、アースを見て回って学園に戻るよ」

「俺も用あるから、あれだな、帰り時間合わせて一緒に帰るか。一人じゃ列車の時間が退屈で仕方ねえ。んで、数日したらダンスパーティだぜ」

「相手見つかった?」

「……まだだ。まだ俺には切り札が、残ってる。クルスは?」

「残念無念、今年は壁際の住人になるよ」

「意外だな。アマルティアちゃんは無理だったのか?」

「友人が来るんだって」

「残念だな。エイル先輩は知らないけど、ファナちゃんは毎年兄妹で踊ってるもんな。ちなみに知ってるか? あいつらどっちも兄と姉だって言ってるから、弟妹は禁句なんだぜ? あいつらのツボ、よくわからんけどそれだけはガチらしい」

「へえ、知らなかった。てっきりファナが姉だと思ってたよ」

「その辺は不明だな。あ、フレイヤはどうしたんだよ?」

「デリングがいるだろうから誘ってないよ」

「……あー、そうか、知らないとそうなるよなぁ。今年はさ、デリングの予定が埋まってんのさ。本人の意思にかかわらず、な」

「……どういうこと?」

「あいつ、どえらい婚約者がいるんだよ。本人の意思が介在できる範疇を余裕で超えてるお相手さ。それが今年の相手。アスガルドの第二王女様、だ」

「いっ!?」

「ビビるだろ? あいつも内心ビビり倒してるぜ。不興一つで家が傾く。上手くやれば今よりもナルヴィ家は強固で絶大な力を得る。どう見てもフレイヤ一筋のあいつだけど、その想いが叶うことは絶対にないのさ。きちーよな」

「……そう、だったんだ」

「まー、でも、フレイヤだろ? 正直高嶺の花過ぎて手を出しづらい感じはあるが、それでも人気はぶっちぎり、誰かは手ぇ出してんだろ」

「だよねぇ」

「悪いが俺は切り札を用いてでも参加するぜ。悪く思うなよ」

「いいよ。来年は頑張るから。今年はもう、充分さ」

 片田舎の貧農、そこからこんな場所までやってきた。あそこにいたままでは上流階級に触れることも、彼らなりの苦悩も知ることはなかっただろう。

 まだ遥か高み、それでも何となくの距離は見えた。

 手を伸ばす権利くらいは――そう思えるだけ己は幸せなのだと思う。


     ○


 クルスは王都アースの街並みを見て回っていた。

 以前訪れた際はウル学園長らと一緒だったため、ゆっくり見て回る時間はなかった。そこから怒涛の日々、張り詰め続けた四か月。皆のおかげで多少、先を見る余裕も出てきた。もちろん、未だぶっちぎり最下位なのは変わりないが。

 進級も当然の如く危うい。

「あー、そう言えば手紙書くって言ったのに書いてないなぁ。二人からも届いてないし、忙しくしているのか、それとも――」

闘技大会で出来た二人の友達は今、何をしているのか。別れる前に手紙を書こうと話をしたが、今のところ誰からも来ていない。自分から送るべきなのか、はたまた空気を読んで送らないでおくべきなのか、友人がエッダしかいなかったクルスの弱い部分が出ていた。物凄く迷っている。

 それでも――

「いや書こう。迷惑かもしれないけど、初めて外で出来た友達だから」

 クルスは手紙を書こうと思った。彼らがいなければ今の自分はなかった。彼らが引っ張ってくれたから、アスガルドや他の学校からも声がかかったのだ。

 だから、書く。彼らにとっては社交辞令でも、自分にとっては違うから。

「まあ、便せんは学園で買えるからいいや。それよりも何か買い物、お土産でも買おうかな。日頃お世話になっている先輩とかファナとか、一緒の体験に出たフレイヤに買うのはなんか違う気もするけど、別々にするのもあれだし」

 とりあえずお土産ならば甘味だろう、とそれっぽい店を探すクルス。

 今回の体験は年末の行事に忙しい騎士団の人手、という側面が強く。こういった体験学習は給金が出るケースも多い。御多分に漏れず日当二万リアという都会での相場の倍を三日間、計六万リアという大金を入手したクルス。

 奨学金だけでは苦しい(主に機嫌取りの甘味類)生活にようやく光が射した。

 そんな感じできょろきょろしていると――

「あれ、あの子どうしたんだろう?」

 帽子を目深に被った少女がクルス同様辺りをきょろきょろと見渡していた。どうにも切羽詰まっている様子である。しかし、誰も声をかけようとしない。

 都会は冷たいなぁ、と思うクルスは――

「どうしたの、迷子?」

 とりあえず声をかけた。田舎出身の特性、と思いきや田舎者が余所者に声をかけるケースは稀なので、これはクルス特有の行動である。

「え、と、その、迷子では、ないです」

「じゃあ探し物?」

「は、はい」

「そうなんだ。どんなものなの?」

 都会ではあまり見られない距離感に少女はたじろぎながら小さな声で、

「ちょ、ちょうちょ」

 と言った。言ったそばから赤面する少女。馬鹿にされるとでも思ったのだろう。この歳でちょうちょを探しているなどおかしい、と考えたのかもしれない。

 だが、このクルス・リンザールは違う。

「へえ、どんな色? 羽の形は? 探してるってことは飛んでるんでしょ? 冬なのに成虫なんだ。もしかしたら冬眠するためにどこか――」

「く、詳しいんですね」

「ん、まあちょうちょには一家言あるよ。ゲリンゼルのちょうちょハンターとは俺のことさ。全然自慢にならないんだけどね、あはは」

「げ、ゲリンゼルということは、イリオス王国出身なのですか?」

「うわぁ、ゲリンゼルみたいな小さな村でわかってくれるなんて感激だなぁ。俺の友達もイリオス出身だけどゲリンゼルのゲの字も知らなかったからね」

「わ、私のお友達も、たぶん、知らないと思います。隣町の名前も曖昧なので」

「それは変わった子だねぇ」

「でも、私のたった一人のお友達です。楽しい人です」

「そっか、いいお友達だね」

「はい!」

 ちょうちょによって緊張がほぐれたのか、普通に話せるようになった少女。まさか村でも馬鹿にされた唯一の特技が他国の都会で力を発揮するとは予想だにもしていなかった。とはいえ一家言あるのは事実。しかもやるべきことは最も得意なこと。

「よし、じゃあちょうちょ、一緒に探そうか」

「でも、ご迷惑じゃないですか?」

「全然。友達と夜に帰る約束しちゃって手持無沙汰だったんだ。こう見えて騎士の卵だし、困っている子は見捨てられないからさ」

「あ、ありがとうございます!」

 クルスは少女のはにかんだ姿を見て驚いた。帽子を目深に被り、視線もずっと下を向いていたのでわかりにくかったが、この少女相当の器量である。ちょっと見たことないレベルで顔立ちが整っており、同世代だったら下心が溢れ出ていただろう。

「クルス・リンザール。君は?」

「え、と、アマル、いえ、アルマ、です」

「アルマちゃんだね。よし、ちょうちょのことならお兄さんに任せなさい!」

「よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げるアルマ。クルスは唯一の特技を生かせるシチュエーションに心が躍っていた。村のいる時はエッダにすら馬鹿にされた特技である。

 騎士の卵と謎の少女、二人のちょうちょ探しが始まる。

「どんなちょうちょなの?」

「不死蝶と言って、冬眠せずに成虫のまま七度冬を越えると言われています。とても貴重で、たまたま手に入って、お友達が見たい見たいといつも言っていたので」

「七度、なんてすごいちょうちょなんだ。ゲリンゼルにはいなかったなぁ」

「赤色の羽がキラキラしているので、比較的見つけやすいと思うのですが」

「ふーむ、この辺にはいないね」

 王都アースのメインストリート。人でごった返す中、クルスは軽く見て回っただけでいないと判断する。昔から視野の広さは『先生』に褒めてもらっていた。

「逃がしちゃった場所って分かる?」

「いえ、いつの間にか虫かごから消えていて。街中なのは間違いないのですが」

「なるほど。ちょうちょハンターの腕が鳴るね」

 手掛かりのない状況、それでもクルスは努めて明るく振舞う。小さなアルマを不安にさせたくない、その一心であった。

 そうやって辺りを窺う中――

「あれ、『先生』?」

 かすかに、自分の恩師に似た姿が目に入る。次の瞬間には雑踏に紛れ消えていたが。見間違いかもしれない。でも、会ってお礼を言いたい気持ちはある。

「どうしました?」

「ん、いや、何でもないよ。ちょっとこの路地に入ってみようか」

「はい。日陰は残雪がありますね」

「こっちの冬はもっと降るらしいんだけど、今年は全然らしいね。そのおかげで騎士体験の雑務から雪かきが消えて助かったよ。毎年すごいらしいんだ」

「おととしは皆さん朝早くから頑張っていました」

「へえ、おととしもこっちに来たんだね」

「あ、はい。その、親戚が、いるので」

「そっかぁ」

 特に深く掘り下げることもなくクルスはちょうちょを探す。話を聞く限り、相当目立つ蝶であるようで、メインストリートであれば多少騒ぎにもなるだろう。そんな様子が見受けられない以上、人通りの少ない道で人目に付かなかった、と考えるのが筋。まあ、最悪なのはすでに他の者が捕獲してしまったケースだが。

(ここもなし。そっちもなし。あっちもこっちも、なし)

 他愛もない会話をこなしながら、クルスは集中して景色を俯瞰する。俯瞰能力とは見たモノを記憶する力。動的な状況では記憶と予測を連動させ、あたかも俯瞰したような景色を頭の中で構築することである。見えないモノが見えるわけではない。

 見えるモノを見逃さないのが俯瞰視点を持つ者の力なのだ。

「クルスさんはイリオス王国のこと、どう思いますか?」

「んー、ゲリンゼルにはあんまりいい記憶はないかなぁ。何もなくて……友達がいなかったら退屈で死んじゃってたよ。親も兄さん以外は、ね」

「そ、そうなんですね。すいません」

「何で謝るのさ」

「え、いえ、その、何となく、です」

「あはは。でも、『先生』に会えたし、王都の闘技大会のおかげで俺、騎士になる道が拓けたんだ。だから、いい思い出もあるよ。全部の始まりだからね」

 クルスは無意識に微笑んでいた。それを見てアルマは、

「あの時の」

 目を大きく見開いた。

「え、どうしたの?」

「いえ、大したことでは。あの……将来、騎士団に入るんですか?」

「うん。入りたいね。でも、枠が少ないらしいから頑張らなきゃ」

「でしたら、その、卒業しましたら、イリオス王国の――」

「待って! 見つけた!」

「え?」

 クルスは眼の端に紅い羽ばたきを捉える。ほんのわずかな軌跡、ちょうちょマスターを担う男はそれを見逃さなかった。クルスは即座に駆け出す。

 少女の言いかけた言葉は宙に漂うまま――

「取ったッ!」

 速く、しなやか、何よりも優しいタッチ。水の如し手さばきで不死蝶を掴み取る。あまりの速さにアルマは不死蝶が死んでしまったのでは、と危惧するほど、その手は速く鋭かった。

「あはは、心配しないで。一家言あるって言ったろ」

 しかし、そこはちょうちょマスター。傷一つ付けることなくクルスはそっと少女の抱える虫かごに不死蝶を入れる。そして少女、アルマに向かってにこりと微笑み、

「もう無くしちゃダメだよ」

 と言って頭を撫でてあげた。アルマは顔を真っ赤にしながらこくりと頷く。

「ありがとう、ございます」

「どういたしまして。さ、通りに戻ろうか。きっと君のお父さんたちも心配――」

 その時、急に地面が揺れた。それと同時に視界が、塗り替わる。

「クルス、さん?」

「……これは、まずい!」

「え?」

 クルスは咄嗟にアルマを庇うように剣を抜いて構える。この状況を彼は体験したことなどない。だが、学校での学びで知識はあったのだ。

 これは、ダンジョン発生の状況と酷似している。

「まさか、そんな……ここはアスガルドの王都だぞ⁉」

 絶対にありえないはずの事件が、起きてしまった。

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