第19話:教師陣

 剣の実技、クルスの剣を受けながら教師は確かな変化を感じていた。事前の通達通り、あまり贔屓せぬよう助言の頻度は他の子と同じように接してきており、当然であるが進歩は遅々と、苦しい状況が続いていた。

 だが、ここにきて急にコツを掴み始めている。

(軸が倒れる癖も抜け、攻撃に対する嗅覚も一気に向上した。俱楽部活動の賜物、学生にここまで的確な指導が出来るとは思えないが……うん、いいね)

 そうなってくると、俄然教師としては手を入れたくなるもの。

「軸の意識は良い。攻め所も見えて来たね」

「ありがとうございます!」

「折角だ、良い感覚をさらに伸ばしていこうか」

「は、はあ」

 教師は後退し、剣を収める。そして視線を、

「ディン、デリング、少し皆の手本になってくれるかな?」

「「イエス・マスター」」

 三学年上位である二人に向けた。二人は何のことやら、と思いながらも目上からの命令は絶対、と言う騎士の鉄則に倣い返事をする。

 返事を聞いて教師はニヤリと笑い、

「皆も一旦手を止めて。しばし待機だ」

「イエス・マスター」

 そそくさとその場を後にする。学生たちは直立不動で待機の姿勢を取る。

 しばらくして、

「さ、このリンゴを二人には頭に乗せてもらう」

 二つのリンゴを携えた教師が戻って来た。

「何故ですか?」

 デリングは眉をひそめ問うも、教師は微笑みながら、

「リンゴを切られた方が負け。落とした方も負け。構えはソード・スクエア、皆にここらで一度初心に立ち返ってもらうためだ。不服かい?」

「いえ」

 デリングに反論を許さず黙殺する。

「ソード・スクエアって」

「今更? リンザールじゃあるまいし」

「贔屓じゃない?」

 幾人かがクルスを睨むも、

「……?」

 当の本人は状況をよく理解していなかった。

「まあ、先生のお願いだ。やろうぜ、デリング」

「……断る気はない。そちらこそ、俺の相手として不足してくれるなよ」

「そこは任せろ。結構得意なんだよ、ソード・スクエアは」

「奇遇だな。俺もだ」

 二人の雰囲気が張り詰めた瞬間、

「構えて、始め」

 デリング、ディンが同時に構え、動き出した。最近コツを掴み始めたクルスだからこそわかる。二人の所作、その丁寧さを。

 彼らのフォームはソード・スクエアではない。それでも二人は当然のようにそれを使いこなす。しかも、頭にリンゴを乗せながら。

 激しいやり取り、軸の維持など難しい。彼らも倒れたり、前のめりになったり、その都度姿勢を戻しつつ、やはり軸は揺れ動く。

 だが、リンゴは頭の上にしかと、在る。

「やっぱあの二人はスゲーわ」

「最近下手くそのソード・スクエアばかり見せられていたしな。騎士ってのはやっぱこうじゃないと」

「だな」

 周囲のやり取りはクルスの耳に入らない。集中して、二人を見ていたのだ。あんなにも軸が揺れ動いているのに、あれだけ剣を振って、かつリンゴを落とさないなどと言う離れ業が出来るのか、を。

「クルス、あれを見て何を感じる?」

 教師からの問いにクルスは顔を歪ませながら、

「軸が、あんなにもバラバラなのに、なんであんなにバランスが取れているのか、型として整っているのかが、わかりません」

 あの気持ち悪い光景を、そのまま言葉とする。

 それを聞き教師は微笑む。

「あの二人の軸は、基本的に一度としてズレていないよ。君は世界をまだ平面としてとらえているんだ。だから、理解出来なくなる」

「平面、ですか?」

「そう。世界は立体で、軸や重心ってのは状況によって大きく変わる。足場がきっちりとした平面とは限らないし、今の状況もまた特殊だ」

「今の状況……あっ」

 クルスはようやく気付いた。彼は二人の身体を、平面に対する軸だけを見ていたが、彼らにとって今大事なのは自分の身体ではなく、頭の上のリンゴなのだ。必然、彼らはそこを中心とした動きとなる。だから、見た目には軸が揺らぎ、バランス悪く感じても、リンゴの視点で見れば常に一定の軸を、重心を保っている。

「三学年には早い話だが、騎士にとって大事なのは目的を、任務を達成すること。勝負に勝ちましたが、護衛する相手を死なせてしまいました、じゃ騎士失格。今日、イイ感じだったからこそ、一歩進んだ考え方も頭に入れておこう」

「リンゴを守るための、剣」

「加えて、リンゴを攻め落とすための剣、でもある」

 身体を見ればグニャグニャと揺らいで見えるのに、リンゴに視点を移せばあの二人の姿勢、そのなんと美しいことか。芸術にすら見える。

 軸が見える。くっきりと、目的意識に沿ったものが。

「いい加減落とせよ!」

「そっちこそ!」

 二人とも適当にやる様子だったのに、勝負が始まってしまえばどちらも負けず嫌いがさく裂し、中々決着がつかないでいた。

 それを見てフレイヤはふん、と鼻を鳴らし、イールファスも顔をしかめる。

 こと基礎、ソード・スクエアに関してはたぶん、上位二人よりもデリング、ディンの方が上なのだろう。だからこそ、教師は彼らを選んだ。

 強さはともかく、正しさで言えばもう文句のつけようもない。

「軸の意識は良い。彼らもほら、身体を見てもバラバラに見えて、その実戻りの意識はある。常にフラットに、その意識があるから、バランスは整う」

「……はい」

「皆もしかと参考にするように。騎士たるもの、これぐらいは出来るようにならないと話にならないよ。称賛しているようじゃまだまだ、だ」

 気の抜けた者たちにも教師は言葉を投げかける。響くかどうかは彼ら次第。

「共に学ぶ学生からも学びなさい。その上で、先生も利用すること」

 教師は穏やかな笑顔を向けた後、優しい足取りで、されど物凄い速さで、二人に接近し、二人の頭がフラットに揃ったところを、切り裂いた。

「「⁉」」

 二人の気づかぬ早業で。

「油断大敵。私が手を出さないとは言っていないよ」

「ちょ、先生。リンゴの汁が、垂れ……ない」

「先生の昼食は見本となってくれた二人に進呈しよう。では、今日の講義は以上。期末も近いからね、皆も気を引き締めるように」

 呆気にとられるクルスをよそに、剣の講義は終わりを迎える。ムスッとしたディンとデリングは、頭の上のリンゴを引っ掴み、思いっ切り咀嚼する。

 切られたはずのリンゴは、そのあまりにも鋭く精緻な剣筋により、切断後そのままくっつき、元に戻っていたのだ。

 とんでもない達人芸であった。

 剣の講義を終え、次の講義へ向かう途中――

「……デリングに集中し過ぎたぁ。クソ、あれに気づけないんじゃまだまだだな」

「優勢だった俺が見落としたことは反省せねばな」

「誰が優勢だって? 完全に互角だったろうが」

「……ふっ、優劣も見極められないとはな」

 高い次元の攻防を見せた二人が、低い次元で争う姿を尻目に、クルスは二人の攻防と、それを遥かに上回った教師の動きを咀嚼していた。

「何を考えこんでいますの?」

 クルスの妙な様子を気になったのか、フレイヤが声をかけて来る。それだけでディンといがみ合っていたデリングの敵意が、クルスに向いた。

「いや、二人も凄かったけど、先生も凄かったなぁ、って」

「……何を当たり前のことを言っていますの?」

「そうだぜクルス。先生がすげえのなんざ当たり前だろ。騎士学校の先生なんてどいつもこいつも騎士としてそれなりの実績を積んだ人じゃないとなれないんだぞ。名門なら特に、だ。あの先生だって若いけど、テュール教頭の後輩であの人が団長時代は副団長を務めていた超ド級の天才だったらしいぜ」

「マスター・グレイプニルと共に働きたいから、とユニオンの誘いを蹴ったほどの人だ。強いのは当然。接近に気づけなかったのは、俺の落ち度だが」

 皆の当たり前をクルスは知らなかった。

「あの歴史学教えているよぼよぼの爺さんだって、元は名人、大戦時代活躍した歴戦の騎士だって話だ。さすがにもうまともに振れないだろうけどよ」

「実績と言えば次の講義の――」

「ああ。統括教頭殿だな。世界的に有名だもんな。教科書に載るような人だし、教師陣の中でも別格だよ、間違いなく」

「え、そんなに凄い人なの?」

「魔導学の権威でありながら、名門アスガルド王立騎士団で長年王家直属の近衛騎士を勤め上げた女傑だ。毛色の違う三科をまとめ上げているのは伊達じゃねえ」

「アスガルドの誇りですわね」

「ただ――」

 普段、あまり人に弱みを見せないデリングが肩を落とす。他の者も、フレイヤですらあまり良い顔色とは言えなかった。当然、クルスも。

 その理由は――


     ○


「リンザァァール!」

「はい⁉」

「まるでお話になりません。魔導学の基礎からやり直しなさい。ダンジョンの発生予測は現代の騎士にとって必須の単元です。地脈、龍脈、過去の統計データ、それらを用い計算し直し、再提出。近似値が出るまでは」

「は、はい」

 統括教頭による名指しでの叱責、クルスは胃を抑え込んでいた。この講義では毎度のこと。それでも彼女の叱責は腹に響くのだ。

 ちなみに、普段はクルスを茶化す者たちも、誰一人彼を嘲笑おうとしなかった。だって彼らも知っているのだ。名指しされたのがクルスなだけで――

「皆さん。今回、提出頂いた課題の精度は、大変残念なことにあまりにも私の基準からかけ離れたものでした。唯一、優を与えて良いと思えたのは魔法科、イールファナ・エリュシオン学生のみ。他は全て、不可です」

「……⁉」

 皆、声なき悲鳴を上げる。そこで衝撃を受けていないのは、名指しで呼びつけられたクルスと、存在しないちょうちょを幻視しながら戯れるアマルティアだけであった。ちなみに統括教頭が持つ講義は三科合同である。

「魔法学を元にした、魔導学が興って百年余り。先人が積み上げてきた知識を、貴方方は蔑ろにしておるとしか思えません。かつては予測不可能の天災とされてきたダンジョン発生ですが、魔導学の興隆によりある程度予測可能なものとなりました。騎士の、貴族の、魔導学者の使命は民を守ることにあります。そして、民の安全を脅かす最大の脅威こそが、ダンジョンによるウトガルドの魔族による侵攻です。なれば何故、貴方方がもっと必死に、この講義に身を入れないのかが理解出来ません」

 統括教頭の鋭い視線が、イールファナ以外の全員に突き立つ。

「リンザールは再提出、魔法科のエリュシオンのみ優。他は不可です。期末ではこのようなことなきよう願います。私も、不可を付けたくはありませんので」

「…………」

「返事は!」

「イエス・マスター!」

 その理由は、厳し過ぎる講義の内容にあった、のだ。


     ○


「あのババア、全員不可って何考えてんだよ!」

 ディンは激怒した。ディンには政治はわからない。魔導学も得意ではない。それでも彼は激怒したのだ。だって不可は酷いじゃないか、と。

「ま、まあ、俺なんて再提出だから」

「ってことは、優の可能性もあるってことだろ? 良どころか、可ですらあれだぞ、学年二位になれるんだ。フレイヤもデリングも、イールファスすら抜けるぞ」

 名指しされた面々がびくりと反応する。だが、成績優秀者の面々は不可を取った衝撃から、いつものように食って掛かる元気はなかった。

 あのイールファスですら放心している。

「まあ、大事な講義だってのはわかるよ。誰にとってもダンジョンの発生は大事なことさ。早期攻略しないと、周辺地域の被害が広まるからな。でも、今時は分業化も進んで魔導学者の算出した発生予測に従って騎士団も動いているんだぜ? 騎士科や貴族科がここまで厳しくされる理由なんてねえよ。畜生めぇ」

 ディンの言っていることは間違いではない。実際、昨今の騎士団はそれらの予測を魔導学者に委託し、算出してもらっているところが大半である。

 騎士が予測を出し、攻略に赴くような時代ではないのだ。

「どっちにしろ、突発型とかは予測できない、正解のない分野だぜ? 少しくらい大目に見てくれたって良いだろうによぉ」

「まあまあ、さすがに就職に関わる期末はもう少し甘いんじゃないの?」

「そりゃあクルス、お前が甘い。あのババアが、甘いテスト出すと思うか? 去年の三学年、騎士科の半分近くが不可を取った。冗談抜きであの女はやる。ちなみにここ五年ほど、あの女は一度も優を出していない。一度も、だ」

「……マジ?」

「マジだよ。くそぉ、不可なんて取った日には家になんて言われるか。ただでさえこっちに来る時色々あったのに……つらい」

「が、頑張ろう、ディン」

「そうだな、クルスはまず再提出だけどな」

「……あ、ああ」

 偉人である。国家の功労者であり、学園にとっても多くをもたらした人物でもある。だが、学生にとっては恐怖の大魔王でしかなかった。

 なまじ全ての分野で実績のある人物だから、何も言えないのが苦しい所。

 ちなみに統括教頭が三学年に教えている内容は、ダンジョンの発生予測。ミズガルズに遥か昔から存在する天災、魔族の住処であるダンジョンがこちら側に現れる現象を、魔導学の観点から解析し予測するという大変高度な学問である。何しろ近代にいたるまで、それらは経験則から発生しやすい場所、しにくい場所ぐらいは判明し、人類の生存圏もそうなっていたが、基本的には予測不能な地震などと同列に扱われていたのだ。それが今ではほぼ予測通りと言うことで、発展が窺える。

 かつてはその現象を裏返った、異界に繋がった、と表していたらしい。何故ダンジョンが現れるのか、どのような理屈による現象なのか、この辺りは依然研究段階、わからないことの方が多い分野である。

 だからこそ、研究する価値があるのだが――

 とにかく難しい学問であり、イールファナを除く全ての学生にとって鬼門である。ここを無事乗り越えられるかどうかで、彼らの冬休みが決まるのだ。

 まあ、大概は泣きを見るのだが。

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