第18話:師弟

 光陰矢の如し、第十一月の末ともなると肌寒く、枯れ葉もほぼ落ち切る。

 当たり前だがちょうちょは姿を消し、アマルティアのモチベーションを維持するのにクルスは四苦八苦していた。クルス自体も何とかかんとか講義に喰らいついているが、未だ拳闘以外で最下位を脱出出来てはいない。

 まあ、ウォーミングアップの持久走は中位のお尻に張り付けるようにはなってきたが、その辺は皆手を抜いているので何とも言えないところである。

「あ、アマルティアはエネルギー切れだな、これ」

「ちょう、ちょ」

 末期の言葉を残し、アマルティアの思考は天へと召される。

「フレイヤはもう一つの方ですか?」

「ああ、そのようだね」

 倶楽部活動は兼部も可能であり、フレイヤはヴァルハラとアスガルドを兼部していた。本人は入る気がなかったらしいが、家の方に入部願いが行ってしまったようで、やむなく兼部という形になったそうだ。デリングが嬉しそうに話していた。

 ちなみにデリングも倶楽部アスガルド所属である。

「あそこは貴族科と親交が厚くなるし、騎士としての仕事の良い練習になるからね。入れるなら入った方が良い。名門以外には難関だけど」

「……名門の家柄なのに入れない友達がいるんですが」

「よほど、難があるとしか。あと、ファナもハピナスに出入りしているらしいよ。あそこは合法という所以外、グレーをひた走る組織だからね。少し心配だ」

「逆に怪しい響きですね、合法って」

「本当にね。合法だから大丈夫、親友がハピナス所属だからよく白い粉を薦められたよ。もちろん丁重にお断りさせてもらったけれど」

「合法、白い粉、いかんいかん。それにしても兼部ってよくあるんですね」

「んー、倶楽部によるんじゃないかな。ヴァルハラは伝統的に多いね。そもそも優秀な者が集まって高め合う、というふわっとした活動内容だから。兼部してきちっとした倶楽部に入る傾向がある。私も四年まではキャヴァリアーに入っていたし」

「なるほど。まあ、俺は皆さんのおかげでしばらく兼部しないで良さそうです」

「ご満足頂けているようでよかった」

「俺は、本当に幸運です。こんな名門に選んで頂いただけじゃなく、エイル先輩たちみたいな良い人に巡り合えて、毎日が幸福で仕方がないんですよ」

「大げさだね」

「本当のことです。何も持たなかった俺に、騎士はこんなにも色んなものをくれた。『先生』に、学園長に、先輩に、友達に、感謝しかないです」

 エイルはたまに思う。クルスの我武者羅に努力する根源、そこには虚ろが揺蕩っていると。情熱とかではない、むしろ対極。虚ろに戻りたくないから、熱を求めているような、虚ろから逃げるような、異質な熱量を彼は秘めている。

 そんな気がした。

「そういえばエイル先輩、あのレフ先生の講義取ってるんですよね」

「ああ、取っているよ」

「四学年以上のアッパークラス限定、成績上位者しか取れない選ばれし講義ですもんね。騎士学校に通ってみてわかりました、先輩たちは怪物です」

「そんなことないよ。レフ先生、本人は名前呼びを嫌がるから、クロイツェル先生、かな。彼は丁寧で、それこそ指先ほどの誤差も許さない人だけど、あれでかなり加減している気がするんだ。私たちは、誰一人彼の期待に応えられていない」

「そ、それは、考え過ぎなような」

「ユニオン騎士団の隊長格っていうのは本当に化け物なのさ。同じ人間じゃない。人間の範疇じゃ、彼らは満足しない。厳しいし言動もきつい。でも、教え方は細かく丁寧。いい先生だよ。本気を出したら、怖いと思うけれど」

 本気でない内は厳しいけれどいい先生。エイルはそう言った。

「私も去年まではユニオン騎士団を目指していた。でもね、世界を知って考えが変わったんだ。ただの一位程度じゃユニオン騎士団に入るべきではない、と」

 エイルの貌に浮かぶのは自らへの失望。

「分相応、人間それが一番だ。それを超えたいなら、人をやめるしかない。私にそれほどの熱量はなかった。とても、哀しいことだけれど」

 この時のクルスには彼女の言葉がピンとこなかった。余りにも遠いところでの出来事で、そんなことないです、という無責任な発言も出来ない。きっと頂点に近づけば、わかるようになるのだろうか、と思うに留まった。


     ○


 クルスは一人、森の中で剣を振っていた。轟沈したアマルティアを貴族科の寮(騎士科の数段増しで豪奢)まで送り届けた後、いつもより早めだったためたまには外で自習しようと北の森まで訪れていたのだ。誰もいない、静けさが支配する空間に。

 聞こえるのは、自分が剣を振る音だけ。

 未だ馴染まぬソード・スクエア。基礎の基礎、攻防備えたバランスの剣。この前、フレイヤやデリング、ディンのも見せてもらったが、彼らの型ではないのに彼らは完璧に使いこなしていた。基本ゆえに、実力が透ける。

 自分のそれとは大違いだった。

「俺、このままで良いのかな?」

 多少は自信があった実技もボロボロ。制限のない拳闘ではそれなりにやれている以上、ゼー・シルトであれば同じくらいにはなれるはず。

 今からでもテュール先生にお願いして――

「なんや、カスみたいな音聞こえたと思たら自分か」

「れ、クロイツェル先生!」

 名前呼びを嫌がっている情報を思い出し、咄嗟に姓で呼んだクルス。

 静寂の、孤独が支配する森に現れたのはレフ・クロイツェルであった。

「……こんなとこでコソコソ何しとんねん」

「その、練習を」

「騎士科の寮にトレーニングのスペースなんて腐るほどあるやろうが」

「……型が馴染まなくて、その、あまり人に見られない場所で、と」

 言葉を濁すクルスを、クロイツェルは顔を歪ませながら見つめていた。しばらくは放置、アスガルドが基準まで引っ張るのを待つ。今、どれほど厳しくとも手を差し伸べるのはただの救い、負荷にはならないと考えていたから。

 だから、教える気など無かった。教えるべきではないとすら考えていた。

「振ってみぃ。暇やし見たるわ」

 それなのに、

「は、はい!」

 気づけば、クロイツェルは己でも信じられない言葉を吐いていた。遠回りである。自覚するのを遅くするだけ。無駄なことを口走ってしまった。

 だが、一度吐いた言葉は、飲み込めない。

「はよ、構えや、ボケ」

 クルスにとっては願ってもない展開である。四学年以上、それも成績上位者しか受けられない講義を担当する講師の教えを受けられる機会なのだ。しかも個人レッスンなど、それこそ一時間で十万リア取られても文句は言えない。

「いきます!」

 クルスが構えた瞬間――

「死ねカス」

 止まれ、の代わりに罵詈雑言が飛んできた。

「入りからセンスの欠片もないわ。一回構えんとただ立てや」

「は、はい」

 クルスは構えを解き、言われた通り立って見せる。

「自分、ゼー・シルトの姿勢を無意識に己の基礎としとるみたいやけど、それが騎士の基本姿勢、芯であり軸や。要らんこだわりは今、捨てェ」

「そ、それは」

「誰が口答えせェ、言うた? 直立、その姿勢が基本や、言うとる。なら、カスは黙ってそうせェや。そこから全てに派生すんねん。ゼー・シルトなら若干軸を倒し、寝かせる。僕の型なら前に倒す。基本は今や。わかったら言う通りやれ」

「はい!」

 クルスは直立の姿勢を維持したまま、ソード・スクエアに構える。違和感がある。軸が少し前かがみになっているような、そんな感覚が。

「自分は今、前に行き過ぎとるイメージやろうが、鏡見て構えれば嫌でもわかるわ。今までの自分がどれだけ不細工やったか、が。意識を修正せぇ、感覚を矯正せぇ、出来ひんなら死ね。騎士が不細工な構え見せるな、ボケが」

「すいません」

 肩を落とすクルスを見て、クロイツェルは舌打ちする。

「一度だけ僕が手本見せたる。死ぬ気で観察して、盗め。安ないぞ、僕の剣は」

「は、はい!」

「エンチャント」

 騎士剣が黒い炎に染まる。そして、クロイツェルが正眼に構えた瞬間、ゾクっとした感覚が身を包む。構えただけでわかる。『先生』の時と同じ、否応なくこれが正しいのだと言う説得力を持つ圧が、クルスを襲った。

「よォ見とけ」

 そこから見せたクロイツェルの剣は、怖気がするほど美しく、無駄がなかった。理合いがあり、感覚的な部分はない。何処か無機質で、刃金の冷たさだけがそこに在る。『先生』の剣とは全然違う。違うのに、心奪われる。

 目標が、黒く塗りつぶされていく。

「こんなもんやろ。大事なんは意識や。剣戟の中、常に基本姿勢を取るのは不可能やけど、常に基本姿勢に戻ろうとする意識は要る。そのコアこそがソード・スクエアの姿勢であり、真っ直ぐ立つ、になる」

「ゼー・シルトは、その姿勢から倒す、イメージ」

「それでええ。今を中心に置け。過去は残したまま、今が在って過去へ行く。戻るやないぞ。ゼー・シルトの構えにするんや。わかるな?」

「イエス・マスター」

 彼はゼー・シルトの構えが間違いとは言っていない。ただ、それありきの動きをすることにダメ出しをしているのだ。ゼー・シルトからソード・スクエアに変えるのではなく、ソード・スクエアからゼー・シルトに変える、もとい行く。

 そのちょっとした意識の変化が、型の在り方を変えるのだ。

「もう一度、構えや」

 クルスはもう一度構える。あの美しさに近づける。黒き炎の幻影をいく度も頭の中で咀嚼し、全神経を集中して――

 今までの感覚を修正した。何度構えても、何度振っても、拭えなかった違和感が今、消えてなくなった。驚くほどすんなりと、立てたのだ。

「……僕が軽く合わせたる」

「ありがとうございます!」

 クルスの構えを見て、クロイツェルは彼の前に立つ。鏡合わせのような同じ構え。背丈も、体格も、生まれも育ちも何もかもが違う二人である。

 共通項を見つける方が難しい。

 だが、何故か、何故かその向かい合わせは、しっくり来た。

「行きます!」

「踏み込み、かかと一つ浅いわボケ。やり直しィ」

 クルス、一歩目からつまずく。やり直し。次をクリアしても、

「ヘッド、立て過ぎやカス。指三本、下げェ」

「手首の返しが遅いから次がつかえんねん。死ぬ気で返さんかい」

「腰が引けとるわ。半端に命を欲すな。捨てェ! 自分如きカスの命守ってどうすんねん! 要らんねん、騎士やぞ。命捨てるのが仕事やろうがボケェ!」

「漫然と振るなカス。常に相手をイメージせェ。敵を、シチュエーションを、創造して戦うんや。誰と、どこで、何のために、それが出来たら組手なんぞ意味ないわ。全部ひとりで事足りる。完結せェ。自分の後ろには誰もおらんぞ!」

 怒涛の罵倒にも似た助言。一つ一つが切り裂くようにクルスの脳髄に刻まれていく。最高の手本と正確無比な助言。あれほど染み込まなかったフォームへの苦手意識が薄れていく。意識が、黒く、冷たく、冴えて来る。

「相手の呼吸を感じろ。瞬きを見ろ。隙言うんは、そこにある。生存の繋ぎ目、人も魔も、必ずどこかで呼吸をする。瞬きをする。そこが隙や。繋ぎ目を突けェ」

「イエス・マスタァ」

 今まで見えなかった攻撃の糸口。簡素に言語化されたそれが、クルスの脳裏に刻まれる。観察は得意なのだ。見るのも得意なのだ。

 なら、

「狙いはええ。が、突くなら急所。甘えず、殺せや!」

「はい!」

 掴めないはずが、ない。出来ないはずが、ない。

 気づけば初雪が降っていた。しかし、二人の周りに雪はない。

 冷たく、熱い何かが全てを溶かしていた。

「ハァ、ハァ、ハァ」

 もういく度剣を振ったか、型を繰り返したかわからない。それでもクルスに疲労感はなかった。進化している実感が、成長の手応えが、疲労を消す。

「もう一回、お願いします!」

 何十時間でも続けてみせる。

 クルスの貌を見てクロイツェルはかすかに笑みをこぼした。

「いや、ええやろ。もう門限過ぎとるからな」

「え、そんなに? でも、俺、まだ」

「カスが一丁前に口答えか? 僕の講義は安ない言うたやろ? カスに教える暇はないねん。ほんでも自分、幸運やぞ。カスの中で上位に入れば僕のありがたい講義が取れるんや。二流止まりのカスくらいぶち抜け、せやないと一流になれんで」

 クロイツェルの一流、それが意味するところをクルスはまだ知らなかった。

 それでもクルスはもっと、と思ってしまった。『先生』に稽古をつけてもらった時と同じ感覚。確かな手応えが其処にはあったから。

「最後に一つ、テュールも言っとったやろうけど、騎士は一人や。どこまで行っても一人で完結すべき存在なんや。僕らの後ろには誰もおらん。常に、最後の一線に騎士は立つ。ええか、安ないぞカス。よぉ刻んどけ。それが『騎士』や」

 この日、初めてクルス・リンザールはレフ・クロイツェルの教えを得た。これが始まりで、ある意味これが全て。この先いく度も反芻することになる記憶。

 この雪の日が、クルスの道を決定づけたのだから。

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