第17話:双丘

 白き湯気の奥、揺らめきの先に在るのは美しく均整の取れた肢体。

 艶めかしい二つの肉体は――

「アマルティア・ディクテオン? ああ、有名人だなぁ、うん」

「あ、やっぱり有名なんだ」

 ディンとクルスであった。

 魔導技術の結晶、シャワーを浴びながら髪を洗っている。水洗トイレの衝撃以上に、蛇口をひねるとお湯が出る、と言う感動は今もクルスの心に宿っている。

「ぶは、そりゃあな。確か出身、クルスと同じのイリオス王国だろ?」

「え、知らなかった」

「色んな意味で有名人だぜ。まず、同盟国の王族、その親戚だし超権力者だ。アスガルドの王女様とも横の繋がりがあるって話だし、コネが尋常じゃねえ」

「……マジかぁ」

「校内唯一、学力を不問とされたアンタッチャブル。あんまりいい目じゃ見られないけど、咎めるやつもいないわけよ。貴族科じゃありがちだけど、下手に突っ込むと逆に教師も首が飛ぶってな。おそろしやおそろしや」

「あの子はたぶん、そんなことしないと思うけどね」

「するのは気を遣う周りだよ、いつだってな」

「なるほどぉ。怖いなぁ、上流社会」

「へっへっへ。お前も騎士になれば仲間入りだぜ。あと、あのおっぱいだな。フレイヤみたいなボンキュボン、じゃねえが、小柄でぽっちゃり爆乳だろ? 男子人気はエグイ、が、立ち位置がヤバすぎて攻められねえパターンだな」

「確かに。たぶんさ、フレイヤよりもあるよね?」

「全学年合わせても最強だろ。たぶん、あの胸に栄養が全部いってんだ。じゃねえとあの歳で虫取り網振り回してねえだろ」

「……そ、そうだね」

 春、夏と一人野山を駆け回り虫と戯れていた男は口を閉ざす。

「エイル先輩も変わり者だって聞くし、フレイヤ、イールファナ、アマルティア、だろ。面子はマジで濃いわ。羨ましいが内情を知ってる分、俺は胃の方が限界を迎えるだろうな。聞いてるだけで胃もたれ起こしそうだぜ」

「内情って、どんなの?」

「やめとけ、知らなくていいさ。幸い、クルスの場合は家同士のしがらみがねえ。学園内なら普通に付き合って良いと思うぜ。外に出たら、多少気を使う必要もあるだろうけど、そんなこと滅多にないだろうしな。そん時はそん時だ」

「気になるんだけど」

「ただの女の子だよ。学校内にいる限りは。ちょっと、個性は強いが」

 そんな話をしながら大浴場に浸かる二人。「あああああああ」と気の抜けた声が浴場内に響き渡る。疲労が一気に解放されていく感覚。

 お風呂って素晴らしい。

「もがー」

「お、イールファスも浸かってたのか」

「いつも潜水してるよね、イールファス」

「髪も洗えるから便利」

「……洗ったげるからシャワーの方行こうか」

「もがー」

 出てくる時と同じ言葉を発し、湯船に沈んでいくイールファス。まあクルスもアスガルドに来るまではシャンプーなど使ったことはなかったが、今となってはシャンプー、石鹸無しの世界は考えられなくなっていた。

 水洗便所と同じ、もう戻れないのだ。

「シャンプーが出来ないそうだぞ、目に染みるから」

「……目を瞑ってれば良いんじゃ」

「不特定多数が出入りする場所で目を瞑りたくないんだと」

「……イールファスが、わからない」

 すいーっと湯煙の先に消えていくイールファスのアホ毛を見送り、二人はどちらともなく「上がろうか」と言って風呂を後にする。

 体をふき、ゆったりした服に着替えた二人は九階のトレーニングフロアに来ていた。風呂上がりの学生は大概ここ九階か、七階の娯楽室で涼んでから部屋に戻る。

 九階の良いところはトレーニングしている女子を眺めながら涼めるところ、だとかつてディンは言った。クルスも年頃の男の子、肯定せざるを得なかった。

「眼福眼福。んじゃ、ちょいとクレンツェ流秘密の特訓を教えよう」

「ん、あ、ああ、楽しみにしてたよ!」

「ガン見し過ぎると寮長のおばちゃんにお叱りを受けるぜ? 俺は既に三回叱られてる。一度この九階も出入り禁止になったからな」

「気を付けます」

 クルスとディンが向かい合う。特訓という雰囲気でもないが。

「まあ、別にもったいぶるほど大した練習じゃねえよ。こうやって」

 ゆったりとディンが拳を突き出してくる。とても遅い攻撃、かわせばいいのか、受ければいいのか、判断がつかぬままクルスの鼻先でそれは止まる。

「この速度域で組手をする。早くなっても遅くなってもダメ、お分かり?」

「……なる、ほど」

「とりあえずやってみようぜ。色々しゃべるよりやるのが早い」

「ああ!」

 ゆったりとした攻防。クルスはすぐさまこの練習の意図を察した。難しいのだ、それこそ普通の組手よりよほど難易度は高い。急ぐことが出来ない以上、最短最善手を選び続けねばならないし、フェイントもよほど上手くやらないとバレバレでただの無駄打ちになる。誤魔化しがきかない。細かい部分まで粗が目立ってしまう。

「ほれほれ、どしたいどしたい」

「ぬぬぅ」

 こうして見るとディンの動きは無駄が少なく、効率的でフェイントも含め最短であることが多い。対するクルスは粗が多く、同じ速さなのに追いつけないケースも多発し、無駄が多いことがあらわになっていた。

「大事なのはタイミングだ。読みも思考も、基本は前であればあるほどいい。眼が良いのは認める、が、上位のフェイントは本物と見分けがつかねえ。それこそ、イールファスのは俺でもわからん。その場合は、どっちでも対処できる体勢を取る。それしかねえ。ポジション取り、それがこの練習の肝だぜ、クルス!」

 話しながらでも間違える気配すら見せないディン。ゆっくりだからこそレベルの違いが見えてくる。思考能力の差が透けて出てしまう。

「考えろ考えろ。先に先に、有利な空間を押さえるんだ。あえて踏み込みを深くして、相手の足場を削るのも効果的だぜ。自分ばっかりじゃダメ、相手の嫌がることが出来なきゃ勝てねえぞ。ほれほれ、この位置俺にくれちゃっていいのォ?」

 これがディン・クレンツェ。これが上位勢の戦い。

「と、まあこんな感じだよ。最初にしてはよかったと思うぜ。ちゃんと練習の意図を理解して速度を一定に保ってたしな。これが馬鹿相手だと負けたくないってんで動きを早くしたりするから、練習にならないんだな、これが」

 肉体の疲労はほとんどない。だが、精神の、頭の疲労は桁違いであった。

「これでまず、考えて戦う癖をつける。それを普通の戦闘でも同じ感覚で出来れば完璧だな。クールダウンには持ってこい、良い練習だろ?」

「……ディンはこれ、いくつからやってるの?」

「三歳か四歳かな。練習法は違うけど、他の家も似たようなもんだ」

 改めて思う、騎士の家と一般家庭の差。ちょっとしたことで厚みを感じてしまう。どれだけ気合を入れても追いつけないんじゃないかという焦燥感。

「面白そうなことやってますのね」

「よぉフレイヤ。クレンツェ流秘密特訓だぜ」

「わたくしも混ぜてくださるかしら。クールダウンにはちょうど良さそうですし」

「しゃーねえなぁ。クルス、秘密特訓の先輩としてバシッとやったれ!」

「へ? あ、うん。やってみる」

「なんだなんだ、へばってんじゃねえぞクルス!」

 少しぼうっとしていたクルスの背をバシバシと叩くディン。しかし、クルスはそれどころではなかった。普段、フレイヤは金色の髪をクラウンブレイド、王冠編みという形にしており、長い髪に見えなかったのだが、今は風呂上がりゆえに全部垂らしている。騎士然とした普段の凛々しい姿も格好良いと思うのだが、まるで物語のお姫様にしか見えないサラサラと煌めく金髪に謎の緊張をクルスは覚えていた。

「お手柔らかにお願いしますわね、先輩」

「ふぉう!?」

「おお、気合十分だな。まあ、掛け声の意味は分からんけど」

 そして――

「……時間が合えば次も参加いたしますわ。全く、情けない」

 謎の緊張に見舞われていたクルスはありえないくらい調子を崩し、無様に転がされていた。ディンも「あれー?」と首を傾げるほどの体たらくである。

「わたくしが教えているのだから、早く成長なさい」

「……了解です」

 まるで粒子でもまとっているかのような美しき金髪と共にフレイヤはこの場を去って行く。呆然とそれを見つめるクルスにディンはため息をついて、

「普段引き締めてるけど、パジャマだとあれだな、やっぱ胸めちゃデカいな」

「ほんそれ」

「お前もまた、ヤバいとこばっか目を付けるよなァ」

 なんとなく察したディンは「まあいっか」と、生活費困窮(主に甘味類)により、節約に勤しんでいる親友のため、ミルクを買ってあげることにした。


     ○


「現代魔法、魔導技術の基礎は基板作成にある。魔力の結晶化技術を用いて造られるのが魔導基板。この作成のために必要な設備は窒素、もしくはアルゴンなどの不活性ガスを雰囲気とした上で、そこからマナを失わせ真魔空間を形成する必要がある。そこで希少魔力を用途に応じて反応、結晶化させ、魔法もしくはガスレーザーで削り回路形成、これで基板の最下層が出来上がる。あとはこれを繰り返すだけで多層化し、より複雑で強力な魔法を発生、保存することが出来る。超簡単説明終わり」

「……え、と」

「要は魔導革命で一番大きな変化は魔法を物質化し半永久的に基板として留めおけるようになった、ということ。わざわざ魔方陣を描く必要もない。事前に必要な基板を持っていれば自身の魔力を通すだけで発動する。今は基板の性能が向上し、多様化が広がっているから、術者に必要なのはトリガーの魔力とコマンド入力のみ。魔導剣、魔導槍、魔導杖、これらの機能向上も魔導革命の余波」

「魔導革命は凄いってことだね」

「クルスはばかあほまぬけ」

 イールファナはこれ見よがしに『サルでもわかる魔法学講座』ノートの中に魔導基板の項目を書き足す。ばかには魔導は難しい、という一言が加えられた。

 おそらくはアスガルドでもトップの知能指数を誇る才女であるイールファナとクルスではアマルティア現象(話が通じない)が発生しているのだろう。まあ、彼女が人に教える技術を持たない、というのも大きな要因ではあるだろうが。

「今日はあきれたのでここまで」

「せめて疲れたので、にならないかな?」

「つかれてないのでならない。あとはアマルティアと遊んでて」

「……何とか教えるよ。前に教えてもらった単元は、多少は理解できたから」

「ふーん」

「うわー、興味ゼロだねぇ」

 実際ゼロなのだろう、難しそうな魔導書を開いた瞬間、彼女の視界からクルスの存在が消え去った。仕方がないので早朝捕獲したばかりのちょうちょを眺めて悦に浸っているアマルティアに勉強を教えようと腕まくりをするクルス。

「マスター! 今日はちょうちょが見たいのでお休みしたいでっす!」

「千里の道も一歩から、残念だけど一緒に頑張ろう!」

「ちょうちょー!」

 断末魔の叫びと共にクルス先生の魔法学が始まる。イールファナに教わった基礎中の基礎、それこそ一学年で学ぶ内容なのだが――

「ほえー」

「魔法には五大元素ってのがあってね」

「はえー」

「体の中にある魔力と大気中にある魔力、大まかには二つがあるんだ」

「すぴー」

「はい、寝ちゃダメ!」

「ちょうちょー!」

 クルス自身、本当の基礎に関しては『先生』に教わっているため、それなりに教えることが出来る。まあ、そんなことを三学年にもなって教わっている彼女も相当なのだが、白紙と考えればある意味教えやすい。

 かつて『先生』に教わったようにやれば良いだけだから。

 講義が長引いたエイルと所用があって遅くなったフレイヤがほぼ同時に倶楽部ハウスに入ってきた。そこには少し珍しい光景が広がっていた。クルスがアマルティアに勉強を教えている、これは最近始まったことだが、それを読書しているはずのイールファナが横目で覗いているのだ。

 他者に興味が無く、集中していると周りが見えない彼女が、である。

「何か面白いことでもあったかい?」

 エイルは二人の邪魔をしないような声量でイールファナに問う。

「……特に」

「ふーん」

 ニヤニヤするエイルを見てイールファナはため息をついた。

「クルスはばかだけど、教えるのが上手い。教えたことをかみ砕いて自分の言葉で教えてる。それが意外と思ったから見てただけ」

「なるほど。確かに私も同じことを思ったよ。彼は飲み込みが早い。要領が良い方じゃないから地頭ってわけじゃないんだろう。考え方、その基礎が鍛えられてるんだろうね。知識の鮮度はともかく、彼の『先生』は優秀な教師だったようだ」

「実技でも同じですわ。基礎がしっかりしている、というよりも積み方が上手い印象ですわね。要するにエイル部長のおっしゃる通り、考え方が良いんでしょう」

「最初はこの程度か、と思ったけど、この熱量をしっかりキープできれば、意外といいセン行くかもしれないね。アマルティア君とも噛み合っているようだし、どうやら彼がこの倶楽部のラストピースだったようだ。君のおかげだね、フレイヤ」

「別に、わたくしは何もしておりませんわ」

「ふっふっふ。そういうことにしておこう」

 ぶすっとするフレイヤをよそに、エイルは丁寧な教え方でアマルティアに教えるクルスを見つめていた。知れば知るほどに、彼という人物は丁寧に造られている。元の人格もあるのだろうが、明らかに後天的に組み込まれた要素が強い。

 特別な三枠目、かすかによぎるのはその事実。

 クルスの実力が知れ渡るまで、噂話で語られていた内容を思い出してしまう。レフ・クロイツェルがクルスの枠を造ったという噂。彼が講師を請けた理由がクルスにある、という噂なのだが、今となってはかき消えている。

 何故なら、肉親でもない限り取引をする理由は一つしかないから。ユニオン騎士団第七騎士隊副隊長、それが欲する人材。つまりユニオン・ナイトに至る人材ということ。今のクルスがそうなる可能性はゼロに近い。だから噂は消えたのだが。

 何か感じるモノがあるのは、エイルの気にし過ぎであろうか――

 その時、不思議なことが起こった。

「あ、私のちょうちょが!」

 ふたをしっかりしておらず、ひらひらとかごの外へ飛び出すちょうちょ。それは何の意図があるのかアマルティアの胸元に留まる。

 慌てるアマルティアだったが、対面に座るクルスは落ち着いていた。手の届く範囲にいる以上、ゲリンゼル一のちょうちょハンターたる己の手を逃れることは出来ない。いつも通り、スナップを利かせて柔らかいタッチで捕まえるだけ。

 むにゅり、と謎の感触と共にクルスはちょうちょを捕獲する。相変わらずの匠っぷり。ハンドスピードと水の如しタッチ感。微塵の傷もなく捕獲は出来ている。

 ただし――

「ひゃん。マスター、手冷たいでっす」

「し、しまっ――」

 ちょうちょへの集中力が究極に極まった結果、胸への意識が完全に消えていた。学園一の爆乳に服越しとはいえ挟まれている現状。決して悪気があったわけではない。欲望が暴走した結果ではない。純粋にちょうちょを捕まえようとして――

「この、破廉恥男!」

 フレイヤの飛び蹴りがクルスの側頭部にさく裂する。むにゅりと双丘からすっぽ抜けた手にはちょうちょが一頭しかと握られたまま男クルス、気絶する。

「無事ですの? アマルティア」

「す、すごい。気絶しても私のちょうちょをしっかり確保してくれてます。しかも羽を傷つけない力感。そ、尊敬してしまいまっす」

「……え、と、嫌ではありませんの?」

「ちょうちょをかごに入れてーっと。え、なんでー?」

「その、胸を、いきなり殿方に触られたんですのよ。普通は、嫌でしょうに」

「んー、ちょうちょのためだし、私マスターのこと好きだから別にいいよー」

「しゅ、しゅき!?」

 あまりのストレートな発言にフレイヤは我がことでないにもかかわらず顔を真っ赤にする。遠巻きに見ていたイールファナも少し驚いていた。フレイヤの反応も込みであろうが。エイルはニヤニヤと興味深そうに三人を見ていた。

「マスター、起きてー、お勉強教えてー」

「ん、んん、なにか、記憶が混濁して、何故かこめかみがずきずき痛いけど」

「なんにもないよ。さ、ちょうちょマスターになるために私にもお勉強を教えてください。マスターが、クルス君が教えてくれると馬鹿の私でもわかる気がするんだぁ」

「そ、そう? 照れるなぁ」

「千里の道も一歩から、アマルティア、覚えました!」

「えらい!」

「えへへ」

 そして何事もなかったかのように再開されるクルス先生の馬鹿でもわかる講義。どうにも釈然としないフレイヤは、今日の風呂の時間を合わせてあの練習でストレス発散、もといしごいてあげようと心に誓うのだった。

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