第16話:ちょうちょマスター

「――魔導革命とはある日突然起きたものではない。皆も良く知るアルテアンの勇者、リュディアと共に魔王イドゥン率いる災厄の軍勢(ユーベル・レギオン)と戦ったエレク、彼こそが起源であるとする見方が最近になって有力とされている。一度滅びたアルテアンを復興した智の、商の英雄として名高い彼であるが、魔法を組み合わせた使い方など、当時としては革新的な発見をいくつかしており、その組み合わせの中に魔導の発想があったとされる」

 ミズガルズの歴史、この講義を真面目に受けているのは、よほどの真面目か進級ラインをぶっちぎるバカくらいのもの。

 前者がフレイヤやデリング、後者がクルスである。

 つまり、その他は皆、睡魔との戦いとなる。戦っていない者が多数であるが。

 それもそのはず、つい先ほど剣闘の講義で体力を猛烈に消費したばかり。崖の底にいるクルスでさえ睡魔と戦っているのだ。抗える者はごくごく一握りであろう。

 あと、講師の話がつまらない、というのが致命的であった。

「ただし、世論は立場によってまちまちである。魔導分野では評価されつつあるが、我ら騎士にとっては不倶戴天の敵、傭兵ギルドを構築したこともあり、騎士界隈の評価は未だどん底。傭兵ギルドが現在の冒険者ギルド、俗に言う何でも屋となってしまったせいで、小さな私設騎士団の数は激減してしまった。商隊の護衛など、本来は小さな騎士団の仕事だったものが根こそぎ安価な冒険者に取って代わられた。安かろう悪かろう、それでも安価には勝てず、多くの歴史ある騎士団が消滅してしまう」

 脱線し、気づけば本線を見失って暴走する講師の話を、クルスだけは気合と根性で聞き入っていた。凄絶な表情である。

「そうそう、冒険者ギルドと言えば昨今――」

 魔導革命の話はどこに行った、というツッコミをする者は不在。

 真面目一徹のフレイヤでさえ、

「ぐぅ」

 両目をばっちり開けながら腕組みし寝ていたのだから。

 暴走する講師を止める者は、誰もいない。

 講義を終える頃にはクルス以外、全員睡魔に囚われていた。

 本日最後の講義(睡眠)を経て元気いっぱいの騎士科の学生は席を立ち、各々の放課後を過ごすために動き出す。起きていたクルスが驚くほどの元気さである。

「嘘だろ、クルス。おまえ、あの爺の講義起きてたのか!?」

「起きてたよ。俺だけね」

「え、フレイヤとデリングは起きてただろ。あいつら目開けてたぜ」

「目を開けて寝てたんだよ」

「「ッ!?」」

 何故気づいた、とばかりに二人はクルスへと視線を移す。

「はえー、あいつら真面目そうなのになぁ。俺と一緒じゃん、なっはっは」

 心外極まる、とばかりにディンを睨む二人であったが、実際に寝ていたのは事実なので何も言えない。悔し気な二人にニヤニヤと笑みを向けるディンには悪意しかなかった。この男、煽りスキルも備えている模様。

「で、放課後どうすんだ? また倶楽部?」

「うん。そのつもり」

「そーかそーか。羨ましいなぁ。俺は倶楽部アスガルド落ちてしまってよ。まあ、元鞘だな。女っけはゼロで泣きたくなるけどさぁ」

「ディンがどこの倶楽部に所属してるのか聞いてないけど」

「非公認だし言うほどのもんでもねーよ。ただの自己満足だ」

「ふーん」

「んじゃ、また夜飯一緒に食おうぜ。で、ちょい夜練やんね? 最近のクルス見ててよ、面白い練習思い出したんだな、これが」

「いいね! 風呂前にやろうよ」

「風呂上がりで良いぜ。クールダウン代わりの練習だし」

「へー、気になるなぁ」

「夜のお楽しみ、な。ほいじゃ、また寮の食堂で」

「合点承知」

 颯爽とどこかへ去って行くディン。その背中は生き生きとしていた。きっと彼は自分の居場所へ向かったのだろう。活力に満ち溢れた素晴らしい倶楽部に違いない。

 自分も倶楽部ハウスに向かおうと、中庭に足を踏み出すと――

「クルス」

 珍しいことにフレイヤから声をかけられた。隣に立つデリングは真顔である。

「どうしたの、フレイヤ」

「わたくしの馬、乗せて差し上げますわ」

 デリングの眉間にしわが刻まれる。

「え、なんで? 俺、歩いていくよ」

 いきなりの申し出だが、普通に歩いて行ける距離である。わざわざ馬に乗るほどではない。乗れば早いだろうが、そもそもクルスは――

「馬術の講義での醜態。同じ倶楽部会員として許し難き光景でしたわね」

「……あ、ああ、あれね。ごめん」

 本日の講義、魔導革命を経てなお列車網のないところでは重要な足であり、騎士にとって必須の技術、馬術の講義があったのだが、ビビり倒したクルスを本能的に忌避したのか、後ろ足で蹴られ吹き飛んだクルスは女子に突っ込み、あわやキスというところで胸を鷲掴みし事なきを得た、わけなく当該女子は泣き出し、クルスは怒られた。その手があったか、と真似したディンは吹き飛んだ瞬間、教師のかかと落としで地面に叩き付けられ意識不明の重体となっていたが、次の講義ではけろりとしていた哀しい事件があったのだ。

「女子から落ちこぼれ破廉恥クソ野郎と呼ばれていますわよ」

「凄いね、何かあまりにも盛り盛りで悲しい気持ちも起こらないや」

「事件は、まあわざとではないのでしょうし、目をつぶって差し上げます」

「いや、わざとだ。騙されるなフレイヤ」

「ただし、馬にも乗れぬ騎士などありえませんわ。騎士と馬は人馬一体、それが当たり前ですの。まして貴方はわたくしと同じヴァルハラの会員、出来ませんで終わらせる気はありませんわ。今日からはわたくしがビシビシしごいて差し上げますので」

 無視されたデリングはしょぼんと肩を落とす。ついでにクルスを睨む。

「覚悟なさい」

 フレイヤのドヤ顔。大変うれしい申し出なのだが、さすがにクルスも最近では気付きつつあった。デリングはもとより他の男子諸君からの殺意の波動を。ついでに彼女を慕う女子からの視線もザクザク突き刺さっている。

 彼女の厚意、それに授かりたいモノはアスガルド中にいる。手が届かぬ高嶺の花、皆眺めるだけで満足していたところに、落ちこぼれがノコノコやって来てあれやこれや世話を焼いてもらっているのだ。そりゃあ嫉妬の一つでもするだろう。

「クルス・リンザールゥゥゥウ」

 どこからか降り注ぐ視線、その殺意の濃密さと多彩さはクルスを悩ませるには充分であった。が、フレイヤは微塵も気づいていない。

 とはいえ馬術を覚えたいのは事実なので――

「乗らせて頂きます」

 申し出はありがたく受け取ることとした。その隅っこでは、

「お姉さまの、お尻、その場所に、下賤の、許せない、いつか、殺す」

 殺意が強まっていた。クルスは冷や汗を流しているが、フレイヤは気づく気配すら無い。ビシバシ指導してくれている。それがまた火に油を注ぐのだが。


     ○


 フレイヤの白馬にまたがって、途中いく度か振り落とされながらも何とか倶楽部ハウスにたどり着いたクルスとフレイヤ。しかし、何か様子がおかしい。中にはエイルとイールファナ、騒がしい要素は微塵もないはずなのに、どたどた音がする。

 その様子にフレイヤはため息をついた。

「最後の一人、ですわ」

「あ、そういえばもう一人いるって言ってたね。ずっと来てないからすっかり忘れてたよ。どんな人なの? そもそも何科?」

「貴族科でわたくしたちと同じ三学年」

「へえ。貴族科の人って初めて会うかも」

「わたくしとデリングは貴族科の講義も取ってますわよ」

「はー、たまに講義いないなって思ってたらそういうことだったんだ」

「別に取りたくて取っているわけではありませんけど。色々ありますの」

「ふーん、大変なんだね」

 そんな世間話をしながら倶楽部ハウスの扉を開けると――

「あああああ! 私のちょうちょー!」

 一頭のちょうちょがひらりひらりとクルスらの横を通り過ぎようとしていた。突然の出来事、普通であれば見逃してしまう。

 そう、普通であれば――

「あ、綺麗な色のちょうちょだ」

 しかし、クルスは見逃さなかった。しゅっと小気味いい手さばきでちょうちょを掴み、拘束する。そのあまりの早業に隣のフレイヤは眼を見開く。それ以上に、大声で追いかけてきた少女は茫然とクルスを見つめていた。

「はい、逃がしちゃダメだよ」

 しかも、そのちょうちょ、凄まじい早業で拘束されたにもかかわらず傷一つついていなかったのだ。早く、正確に、優しく掴まねばこうはならない。

「……ちょうちょマスター」

 少女は自然とその言葉をこぼしてしまう。

「あはは、大したことないよ」

 謙遜するクルス。しかし、内心彼はこの技能に誇りを持っていた。およそ誇れるものなど何もない男であったが、唯一蝶を捕まえることだけは誰にも負けたことはない。ゲリンゼルにおいてエッダはもちろん、兄も含めた上の世代、大人を交えてなおクルスが最強だったのだ。そこに『先生』の指導も加わった。

 蝶の捕獲に関してはこの男、一家言ある。

「私、アマルティア・ディクテオンと言います! 弟子にしてください!」

「構わないよ。でも、一朝一夕じゃ体得できないのが蝶の道だ」

「覚悟の上です!」

「なら、よろしく。クルス・リンザールです」

「よろしくおねがいしまっす!」

 初対面、しかし、この二人の間にはちょうちょが舞っている。ちょうちょが繋いだ固く熱き絆。挨拶もそこそこに彼らは互いを理解した。

 君もか、と。

「……驚いたな、アマルティア君と波長が合うとは」

「驚愕」

「何を阿呆なことを言ってますの?」

 エイル、イールファナ、フレイヤはその光景を驚きと呆れの感情で見つめていた。まさかあの問題児をたった一つの動作で落とすとは、この場の誰も予想していなかったから。エイルは想像とは大きく異なったが都合の良い状況に苦笑する。

「アマルティア君。君はクルス君の弟子になったのだね?」

「はい! ちょうちょ道を極めるために!」

「うん、ちょうちょ道に関しては以前、彼と語り合ってね。私も多少は知っている」

 初耳であるクルスは驚いてエイルを見る。

「とても険しい修羅の道だ。でも、君は覚悟を決めた。そうだろう?」

「もちろんでっす!」

「ならば、クルス君。部長命令だ。君は彼女にちょうちょ道を極めるに当たって必要なことを教えて欲しい。大丈夫、君なら出来る」

「……え、と、ちょうちょの捕まえ方を、ですか?」

 エイルはちょいちょいと指でクルスに近づくよう指示する。アマルティアは先ほどの一連の動作を思い出しているのか一人ニコニコしていた。

「なんでしょうか?」

「私はね、この倶楽部を助け合い、相互に協力し高める場としたいと考えている。現状、君は私たちから受け取るばかり、だろう? もちろん、あの二人は教えることで学ぶいい機会となっているけどね。でも、君からも一つ、与えて欲しいんだ」

「……ま、まあちょうちょのことなら得意ですけど」

「まさか君にそんな特技があるとは思わなかったけど、やって欲しいのはそれじゃない。ちょうちょをだしにして、彼女に勉強を教えて欲しいんだ」

「え!? 俺が教えるんですか!?」

「どうしたんですかー、マスター」

 突然のことに大きな声を出すクルス。それにアマルティアが反応する。

「何でもないよ、アマルティア君」

「そうですかー」

 あまり考えこむタイプではないのか、納得しニコニコし続ける彼女を見て、クルスはエイルに向かって首を振る。

「俺、無理ですよ。ただでさえついて行けないのに人に教えるなんて」

「大丈夫。君は知識不足なだけで馬鹿じゃない。でも、彼女は馬鹿なんだ」

「え?」

「馬鹿、なんだ。貴族科、いやアスガルド史上、おそらく最大級の問題児。成績はぶっちぎりの最下位だけど、家がアスガルドの同盟国、そこの超名門でね。貴族科だし、進級こそしているが、おそらく一年次から何一つ理解できていない」

「……そ、それは、俺が言うことでもないですけど、壮絶ですね」

「私も努力した。どうにか彼女を理解しようと。というか彼女ほど面白い人材はいないと倶楽部を割ってまで彼女を入れたんだけど、そうしたらこの人数まで減ってしまった。そして未だ、彼女を理解する糸口は掴めないまま、だった」

 何故名門なのにこんなにも人数が少ないのか、と思えばこんなしょうもない理由だったのか、とクルスは驚愕してしまう。

「そんな中、君の技能が彼女の尊敬を得た。君の言うことなら、きっと聞く。私たちから教わったことをかみ砕いて、君なりに教えてくれればいい。目標は卒業までに最下位を脱出するところ、くらいかな。それで十分だ」

「……で、出来るでしょうか、俺に」

「出来るとも。彼女のちょうちょ愛は本物だ。無理やりそれにこじつければきっと言うことを聞くはず。何しろ、彼女はとんでもない馬鹿なのだから」

「け、結構酷い言い方ですね」

「ふっ、私たちとは会話すらままならないからね。一説には知能指数に大きな差があると会話が成り立たないとかどうとか」

 暗にクルスは馬鹿寄りだから噛み合うだろう、と言われているのだが、クルス自身は人に教えるという事実だけであっぷあっぷなのかそこに気付いていない。

「人に教えることは君の勉強にもなる。助け合い、だ。クルス君」

「わかりました。やってみます!」

 男クルス・リンザール、恩人の願いは無下にできない。

 そしてやるからには本気でやろうと思った。

「アマルティアさん、今日から俺が君のマスターだ!」

「はい!」

「じゃあ勉強しよう!」

「はい! ……え?」

「大事なことなんだ!」

「……はい!」

 勢いで押し切る。こうしてクルスとアマルティア、奇妙な師弟関係がここに誕生した。エイルらが教えた勉強をかみ砕き、クルスなりの手順で彼女に叩き込む。

「ちょうちょー」

「ちょうちょマスターになりたいなら我慢だ」

「うう、イエスマスター」

 ちょうちょをだしにして――

 これが最後の一人、アマルティアとの出会いであった。

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