第14話:倶楽部ヴァルハラ
クルスは必死に喰らいつこうとしていた。
実技、座学、何もかもが劣る現状だからこそ、どんなことでも全力で喰らいつくしかない。そう思って軍事演習の講義前、大樹ユグドラシル周りをぐるりと回ってくるウォーミングアップのジョギングでさえ全力で取り組む。
所詮はウォームアップ、全力を出している者などほとんどいない。
それでも、いや、それだからこそ、クルスは顔を歪めてしまう。
そこには途方もない差があったから。
「長距離は、苦手」
「天才にも苦手があってディン君嬉しいぜ。まあ、苦手でもトップ集団っていう新手の自慢かもしれないが、この天才に限ってはねえか」
「当たり前でしょ。あんたと違うのよ、クレンツェ家の恥さらし。つーか相変わらずヴァナディースとナルヴィのツートップは空気読まずに爆走してんわね」
「あいつらにそんな機能はついてねえよ。そっちは流しか、今年度の編入生ちゃん」
「正規の期待されてない方って? バッカじゃない。あんな雑魚と一緒にされたくないっての。私は入りたい騎士団の枠があるから、アスガルドを選んだ。別にログレスでもレムリアでもどこでも入れたし。そもそも特待よ、私」
「まあ地力は違うわなぁ。二年どころじゃねえもんな、俺ら騎士の家系と一般家庭の差は。生まれた瞬間からそう育てられたんだし」
爆走するフレイヤとデリングがぶっちぎりの先頭。そこより後方に先頭集団である三学年の上位勢が固まっていた。クルスと同年に編入してきた女学生もそこに混じる。彼女は、元マグ・メル出身という経歴で、ステップアップとしてアスガルドに来た。基礎は固まっているし、実力も申し分ない上位勢。
家は何とメル家、つまり王族である。まあ、あそこは色々とあるらしいが。
そう、腐っても御三家、アスガルドに集うのはディンや彼女のような騎士の家系でもそれなりに名の通った者たちばかり。必然、入学前から騎士に必要なことは叩き込まれているし、学校側もそれに則ったカリキュラムを作成している。
要は入学前から、騎士の家系と一般家庭には途方もない差があるのだ。そこからさらに二年、クルスと彼らには差がある。
「でも、気合はあるぜ」
ディンは第三集団、最後尾に喰らいつくクルスを見て微笑んだ。
「気合で騎士になれんの?」
「そもそも進級できんだろ、このままじゃ」
「先に退学かもねー」
上位勢にかかわらず、クルスを見る目は冷たい。生まれた瞬間から騎士になるべく育成された彼らにとって、あの程度で騎士になろうという存在自体が目障りなのかもしれない。その気持ちはディンもわからなくはない。
だが――
「俺は、それが見たいのかもな」
ぐん、と加速するディン。栄光を約束された男、彼と張り合う道から逃げるようにアスガルドに来た。逃げの編入、夢を諦めてここにいる。
もしこの差を、自分とあの男よりも遥かに巨大な溝を気合で、執念で埋めることが出来たのなら、それは努力の強度を示してくれるもので、自分の道が誤っていたことの証拠になるから。だからこそディンは期待してしまうのだ。
「ちょ、この、クレンツェ!」
「名前で呼べ、俺はディンだ!」
「ウォーミングアップで熱くなるなよー」
「眠ぃ」
喰らいついて来い。そして証明してくれ。己の過ちを。
努力の価値を。周回遅れでも届き得るのだ、と。
(頑張れよ、クルス。座学ほどの差はねえぜ、体力ならよ。実技だってなんかあるんだろ、見りゃあわかる。絶望するほどじゃ、ねえぞ!)
加速するディンは先頭二人の後方に迫る。
「……あの男がウォームアップで牙を見せる、か。明日は雨だな」
「いい影響、ですわね」
「何の話だ?」
「いいえ、ただの戯言ですわ」
この一年、常に死んだ魚のような眼だった男、その眼に揺らぐかすかな火。ただの残り火か、それともこれから燃え盛る予兆か。
それを見てフレイヤは微笑む。自らの選択が誤りであった、という惑いが消える。あくまで己のため、イールファスという超えるべき壁が即座に名を覚えた何かを、彼女は知らねばならない。あくまでそう、それを知るための選択。
それだけのこと、と彼女もまた加速する。
「ッ!?」
「置いて行きますわよ、デリング」
「……甘く見るなよ、俺を。お前の隣に立つのは、俺だ!」
「待て待て。加速すんな馬鹿ども。格好つけたのに追いつけねえじゃねえか!」
「「断る!」」
ただのウォーミングアップ。それがにわかに活気づく。
○
「いやー、降ったなあ、雨」
「…………」
「おいおい、どうしたどうした。なんで黄昏てんだ?」
「……だ、大丈夫。俺は元気デス」
突如降り出した雨の中、軍事演習の講義を終えた彼らは全学科が共同で使える大食堂にて昼食を取っていた。ビュッフェ形式で好きなように食事をチョイスできる、のだが学生にはあまり好かれていない。あんまり美味しくないのだ。
そもそもアスガルド自体、食が千年遅れていると揶揄される程度には食事へのこだわりが薄い。それが理由で受験しない者すらいる始末である。
「もしかして、演習でポカやったから落ち込んでんのか?」
「……うん」
「あっはっは。気にし過ぎなんだって」
「でも、今も睨まれてるし」
「へ?」
ディンはちらりとクルスと演習で一緒になった学生を見る。確かにチラチラ睨んでいる。取り巻きもよく見ると演習で組まされた者たち。
「よ、よく気付いたな、クルス」
「まあね。昔からよく気が付く子だって近所の人には言われてたから。家族には言われたことないし、演習では生かされなかったけどね、あはは」
肩を落とすクルス。他の講義と違い、演習系はチームで動くため自分一人の範疇ではなくなってしまう。足を引っ張れば恨みも買うかもしれない。
それがチームワークの恐ろしさ、である。
「気にすんなよ。半年後も同じ感じならちょっとヤバいけど、今の段階じゃ配置した先生もクルスが足を引っ張ることなんて織り込み済みだろ。大事なのは、その上でどう捌くかって話。クルスをどう使うか、補うか、見たいのはそこだ。率いたあいつにゃ悪いけど、その程度の意図すら見抜けないのは騎士として足りてねえのさ。チームの中でどう機能するかが評価軸、あの講義で見てるのはあくまで個だぜ」
「……な、なるほどぉ」
鼻を鳴らすディンを見て、クルスは驚いてしまう。普段おちゃらけている男だが、最優ログレス出身なのは伊達ではない。
「ま、四学年からはガチのチームが組まされる。そこまでに出来るだけ追いついとけばいいのさ。わかんないことがあったら聞けよ、ルームメイトなんだし」
「ディ、ディン!」
クルスは涙が出るほど感動していた。ディンもまんざらではない様子で「声がでけえよ」と照れている。今までエッダ、フレンとジュリア以外友達のいなかったクルスはアスガルドで新しい友情を知ったのだ。ディン・クレンツェという友人を。
「やあ、君がクルス君だね。初めまして、五学年のエイル・ストゥルルソンだ」
そんな中、いきなり見知らぬ人に声を掛けられるクルス。
それが超絶美人の先輩女子であったためディンの表情が凍る。
「これ、読んでくれたまえ」
差し出された手紙を見て、クルスは当惑するもディンは目の色を失っていた。
「返事を待っているよ、ではね」
颯爽と去って行く背中を見つめながら、クルスは「はー」と感嘆の声を上げる。さすが都会の学校、あんなにも格好いい生徒がいるのだ、と驚くばかり。
ディンは以下省略。
「あ、その昼食。美味しくないだろうがもう少しバランスを考えた方が良い。野菜が足りていない。炭水化物はそのままでいいが脂質は削り、その分タンパク質で埋めると良い。身体を作るのは日々の食事、騎士にとって食は大事だよ」
的確なアドバイスを追加して、去って行くエイル。
「……野菜はわかるけど、他の言葉は全然、わからなかった」
ただし、受け取り手の知識量を過大評価していたようではある。
「あとで教えてやる。だから、手紙、見せろ」
「え、でもこういうのって」
「内容によってはルームメイト同盟は解消。クルスは敵と成る」
「ええ!? なんでさ!」
「見せろ、話はそれからだ」
目の奥に邪悪なる嫉妬の炎を浮かべながら、ディンはひったくるようにクルスの手紙を奪い取り勝手に開封していく。普通にクソ野郎である。
「…………ほほう」
内容を確認するにつれ、邪悪さは抜け、少しずつ真面目な表情に変化していくディン。最後の方には笑みすら見せ始めた。女性絡みなのに。
「なるほどね。ノブレスオブリージュ、だな」
ディンはクルスに手紙を返しながら、ある学生の方に視線を向ける。顔色一つ変えずに美しい所作で食事をとる姿、あえてこちらを見ていないのが逆に笑えてくる。
「良い話だぜ。あの人、五学年の首席だ。騎士学校はな、基本的に六学年は勉強より就活、そのためのインターンとかが主だし、実質五学年が最終学年。つまりあの人が、今このアスガルドに常駐してる学生のトップってことだな」
「え、と、すごい人なんだね」
「とにかく読んでみろよ。その人からのラブレターだぜ」
本当にラブレターだったらおそらくディンは引き裂いて発狂し、ルームメイト同盟は解消された上で、何の敵かわからないが敵となっていたことだろう。
そうでないということはこのラブレター、恋文以外の――
「あ、え!?」
驚愕の内容、クルスが驚く横でディンはにやりと微笑む。先ほどまでの醜態を想うと素直に格好良いと思えないところが玉に瑕、であった。
○
倶楽部ヴァルハラ、学園の東側に広がる倶楽部群の中でも燦然と輝く一等星。優秀な学生が優秀な学生を呼び、積み上げられし歴史は栄光に彩られている。
倶楽部創設者はウルたちと共に魔王を討ち果たした女勇者リュディア。ウルもまた後輩として倶楽部の一員であった。彼女の同期にはその魔王との戦いで戦死した『制海』ゼロスなども名を連ねる。百年前の伝説、そこから積み上げられた歴史。
栄光の前にクルスは立っていた。
「ようこそ、倶楽部ヴァルハラへ!」
エイルが両手を広げ、歓迎の意を表す。
他のメンバーは視線一つ向けてこないが。いや、そもそもメンバーがエイル以外二人しかいない。一人は騎士科三学年の二位、フレイヤ。もう一人はイールファスにそっくりなルナ族の女の子。ルナ族特有の褐色の肌ではないが。
たったそれだけである。
「私が部長のエイル・ストゥルルソン。この前挨拶させてもらったね。こちらはご存じ、アスガルドの名門ヴァナディース家の至宝、フレイヤ・ヴァナディース。こっちは君も良く知るイールファスの――」
「姉」
「双子の、姉。イールファナ・エリュシオンだ。魔法科三学年のトップだね。すでに色んな研究所からオファーがあるとかないとか」
「この前二十五個目のオファーが来た。受ける気はない」
「素晴らしいね。我が校の誇りだよ、君は」
「どうも」
イールファス同様口数少なそうなイールファナ。ただし、トップだったりオファー数だったり成績や結果を語る口は少しばかり饒舌で、先ほどまで視線すら向けていなかったクルスに対してドヤ顔だけは向けてきていた。
まあ、クルスにはそのオファー数が凄いのかどうかすらわからないのだが。
「騎士科で言えばすでに騎士団から入団を打診されている状態。イールファスですらそんなものは来ておりませんわ。理解できて?」
フレイヤの言葉にクルスはようやく彼女の凄さが理解できた。
「す、すごい!」
「…………」
「偉い!」
「……」
「君が一等賞!」
「……飴あげます」
「ありがとう!」
同時にイールファナの性格も理解してしまう。全く表情に出ていないのだが、褒められると嬉しいらしい。試しに褒めるとローブの袖口から飴を取り出しクルスに放ってきた。興味ゼロから大いなる進歩である。
というか見た目と雰囲気に反してちょろ過ぎである。
「本当はもう一人いるのだけど、残念ながら今日は倶楽部ハウスまで辿り着けなかったようだ。きっとちょうちょでも見つけたんだろう」
「……え、ちょうちょ?」
何か不穏な一言がさらりと放たれていたが、エイルはそのまま話を進める。
「さて、ここに来てくれたということは、倶楽部加入の意思がある、と見て良いかな? 一応事前に他の三名には了承を取っているんだが」
「反対一です」
「でも、今なら?」
「まあ、いてもいいです」
ちょろ過ぎる女、イールファナ。ちょっと心配になってしまう。
そもそもクルスが褒めるようオファーの話をエイルが掘り下げたのでは、と勘繰ってしまうほど出来過ぎた流れであった。
「反対ゼロ。さあ、クルス君、共に――」
でも――
「すいません。今日は俺、断りに来ました」
びくりとするフレイヤ。イールファナも少し驚いている。
エイルだけは表情を崩さずに、
「何故、かな? いい話だと思うんだが」
クルスに問いかける。クルスは大きく息を吸い、言葉を紡ぐ。
「俺、今、講義について行くだけで精いっぱいで、倶楽部活動を行っている余裕がないんです。今頑張らないと、一生後悔する。とても光栄なお話だと思います。友達のディンも、絶対受けるべきだって言ってくれました。でも、俺は騎士になりたい。俺にはそれしかないから。無駄は、削らなきゃ、いけないんです。凡人、なので」
クルス・リンザール。凡なる中に潜む、かすかな歪み。
それを見つめ、エイルは苦笑する。今年から自分たち上級生の上位クラスを担当することになった怪物、彼と同じことを言ったから。
『自分ら脂肪まみれや。無駄、削らんと騎士になれんよ』
削ぎ落とす道。なるほど、とエイルは理解する。この子のために彼はこの学校に来たのだ。このわずかな歪みに期待して、怪物は時間を割いた。
「なるほど。強制はしないよ」
エイルは測りかねていた。果たして彼がこのヴァルハラにいい影響を及ぼすのか否か、を。昨年、ゴタゴタを経てヴァルハラは新たなる道へと歩み出した。その一環として彼の加入は正しいのか、誤っているのか、未だにわからない。
だから強く推薦する気はなかった。面白いとは思っていたが。
「愚かですわね」
「え?」
「愚かと言いましたの。己の足で立つことすらままならぬ者が、それが無駄か有用かも見極められぬ者が、何をもって無駄と言い切りますの?」
「倶楽部活動をしている暇がないって話だよ、フレイヤ」
「何故、わたくしに教えを乞おうと思いませんの? 魔導関連ならイールファナ。エイル部長は五学年のトップですわよ。気軽に教えを乞える環境、それが目の前にありながら断る理由が分かりませんわ」
「……質問したくても、わからないことがわからないんだよ! 俺は、君たちとは違う。本当に白紙で、してきたつもりの勉強も、何一つ、だから!」
「だから頼りなさい、と言っていますの!」
「っ!?」
フレイヤが近づいてくる。
「効率的に学びなさい。今、貴方がすべきことは頭を下げることでしょう。騎士になるのでしょう? ならば、なおさら遠慮は無用。己のために環境を選びなさい」
「でも、皆の足を引っ張るわけには」
「同じ学校の仲間でしょう? くだらぬ遠慮ですわ」
クルスの眼前に来たフレイヤは彼の手を取り、胸に当てる。
「頼りなさい。そして追いつきなさい。わたくしの競争相手として、強くなりなさい。そして、わたくしの成長の糧となりなさい」
何という身勝手極まる論理。しかし、だからこそクルスにとっては救いだった。質問のしようがわからなかった。ゆえに、講義中先生に問うことも出来ず、ディンに相談も出来なかった。一人で突っ張るしかなかった。
当たり前だが、苦しかった。
そんな時に彼女は言ってくれたのだ。自らを頼れ、強くなれ、競い合え、そして自らの糧と成れ、と。最後の一言があったから、クルスは彼女に頭を下げられる。
「……教えて、ください」
「ええ。その代わり強くなりなさいな」
「うん。なるよ。君よりも強く」
「……いい度胸ですわね。まあ、いいでしょう。意気込みだけは受け取っておきますわ。ということで一名追加、よろしいでしょうか、部長」
「構わないよ。うん、良いものを見れたことだしね」
「熱血物語」
「良いじゃないかファナ。熱血、これぞ青春だよ」
こうしてクルスは倶楽部ヴァルハラへ入ることになった。
そしてすぐ――
「何でこんなことがわかりませんの!?」
こうなったのだが。
「だからわからないって言ったじゃないか!」
「はいはい、とりあえず座学は私が見ようかな」
前途多難だが。
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