第13話:おちこぼれ
急遽開かれた会議、議題はこの方、
「学園長は何処ですか⁉」
クルス・リンザールについて。三科統括教頭の女性がぎゃおーんと火を噴いている傍ら、絶対こうなると思っていたテュールは困り顔をしていた。
理由は、
「この子はアスガルドの敷居を跨ぐにふさわしくありません!」
先日始業に先立って行われた編入生の学力を調べるテストが行われ、無事クルスが類を見ない点数を叩き出してしまったことが発端である。
フレンやジュリアが危惧していた通り、クルスの座学は悲惨だった。
「もう取ってしまいましたから」
テュールがなだめようとするも、ぎろりと女傑の睨みがさく裂し、轟沈。
「こうなるのを察知して姿をくらましている学園長には、あとで統括教頭殿より温かな言葉を頂くとして、実際にどうするんです、この子。間違いなく三学年の講義にはついて来れませんよ。補講するにしても抜けている範囲が膨大過ぎですし」
とは言え、実際にテュールもこの結果には驚いていた。師匠もついていたことだし、それなりには出来るのだろうと思っていたのだが、結果はもう惨憺たる出来。これで一切座学が出来ていないならまだわかるが、算術や魔法学など結構出来ている部分もあるのだから謎も深まるばかり。
昨夜ウルにその件を報告すると、ゲラゲラ笑った後にこう言った。
「これではまるで百年前の騎士の水準です。お話になりません!」
今、統括教頭が言った言葉と同じようなことを。魔導革命前と後では、騎士に必要とされる知識も大きく様変わりしていた。
彼を鍛えたのが百年前の騎士であれば、ある意味つじつまは合う。必要な座学を与え、特化した技術も与え、完成された騎士と成ったかもしれない。
百年前であれば、だが。
「でも、実技は結構やりますよ。僕が見ましたけど、面白い育成が施されています。僕でもあれ見たら、取りたくなっちゃうかもしれません」
実技を担当した教師が口を挟む。
「なら貴方が彼の座学を見ますか?」
「……それはご勘弁を」
統括教頭の鋭い一撃に、沈む。
「その実技ですが、これも皆さんにご相談があります。特に三学年を担当される先生には、少しご無理頂くことになるかもしれません」
テュールの言葉に該当する先生たちが一斉に顔を背けた。
「今の彼が用いるのはゼー・シルトという型ですが、こちらを一旦変更し、彼に攻防の基礎を改めて叩き込んで頂きたい。理由は、言わずともわかると思いますが」
「……承知しました。まあ、座学よりは下地がある分、何とかなりますし、何とかして見せますよ。その辺りは僕が責任を持ってフォローします」
「頼みます」
結局のところ最大のネックは座学なのだ。今のままでは絶対について来れない。挫折してしまうのは目に見えている。
だが、
「今期から着任される講師から、彼の処遇について提案があります」
これに関してはもう、内々に対応は決まっていたのだ。
「ああ、ユニオンの……提案とは、包んだ言い方ですね」
統括教頭は静かに着席する。彼の提案、その意味を汲み取ったから。
「クルス・リンザールの型を除く全てに関して、あらゆる点から一切の特別扱いをしないこと、です。補講も、教師陣からの手助けも、無用とのこと」
「……それはあの子に死ねと言っているようなものです」
「この段階で負荷耐性が見たい、と言っておりました」
「……相変わらずあの子は、己の尺度でしか物事を見ぬようですね」
かつてこの学校の学生だった男。当時は決して才気あふれる人材ではなかった。むしろここにいるテュールの方が将来を嘱望されていたほどである。だが、結果は今の立場が示す通り、非才であったはずの男が頂点に輝いている。
自らにも厳しく、他人にも厳しい。厳し過ぎる。
「彼が自ら活路を見出す才気があるか、それとも他者を頼る器量があるか、手を差し伸べてくれる他者が現れる運を持っているか、見定めましょう。あの子の処遇に関しては、新たな講師の意見が優先されます」
「なるほど……エリュシオンの才ではなく、そこで取引をしたのですね」
「はい。それが理事会の意思でもあります」
「……承知しました。納得は、ありえませんが」
理事会が求めたのはアスガルドの復権。そのための一石として、目玉講師を外から引っ張って来る、と言うのがあった。中央から離れていても、御三家アスガルドならば最高の教育を受けられる、その宣伝材料として。
ある意味彼は、そのための人柱である。
○
クルスは届いたばかりの制服に身を包み、テュール先生から呼び出されたので学園の本館に向かっていた。ディンから聞いた話だが、ウル学園長はもちろんのこと、テュール先生も教頭であり下の学年に教えることはほとんどないらしい。
なので、こうした直接の呼び出しはとても珍しい。
もちろん、編入の件に関してだろうが。と言うか先日のテストの件であろう。どう考えても酷い結果だった。フレンたちの指摘通り、である。
まさか退学と言われないか、ひやひやしながら、
「クルス・リンザール、入ります」
騎士科の教頭室に入る。
「どうぞ」
テュールの管理する教頭室は酷く簡素であった。
本、ベッド、机、椅子、それだけ。
部屋の中心、机の向こうのテュールがクルスを手招く。
「先日受けてもらった学力調査テスト。結果はたぶん、君の今の緊張とリンクしたものだった。仕方ないとはいえ、中々厳しかったね」
「は、はい」
やはり、と肩を落とすクルス。
「もちろん、それで退学になることはない。これからの努力に期待するよ」
「頑張ります!」
「その意気だ」
テュールは励ますように笑みを浮かべていた。
「三学年からだ、正直最初は苦しいと思う。だが、君ならば耐えうると私と学園長も確信しているよ。励むと良い。あと、だ――」
テュールは立ち上がる。
「少し外に出ようか。君に課題を出す。学園長もおっしゃっていたフォームに関してだ。苦難の道になる。ただでさえ苦しい状況、辛いだろうが」
テュールの部屋から外に出ると、本館の死角、塔と塔の間にぽっかりと空いたデッドスポットがあった。軽く稽古する分には問題ない広さである。
「君は一度、己のフォームを封印してもらう。君の受けは素晴らしい。同世代でも受けだけで見れば上位層に位置するだろう。だが、総合的に見れば論外、だ」
クルスは論外という言葉にびくりとする。
「何故なら、騎士とは単独で完結せねばならないからだ。受けるだけでは勝てない。攻防コンプリートせねば、騎士足りえない。ゆえに論外。これは既に学園長から聞き及んでいるはず。飲み込んで欲しい」
「はい」
「もちろん得手不得手はある。極論すれば九対一でも構わない。ゼロでさえなければ、どちらに傾いていても良い。君にはその『一』を得るために、今日からの私たちが良し、と言うまで別のフォームを使ってもらう。これは本学への入学条件だ」
今のクルスに否定権はない。そもそもウルが身をもって教えてくれたのだ。攻められない騎士の無意味さを。
「色々使ってみて欲しい。どんな騎士でも得意な型はあれどある程度他の型も使えるものだ。で、とりあえず講義ではこのフォームを使ってもらう」
テュールは剣を抜き、構えを取る。
真っ直ぐと立ち、両手で剣を握り正眼に構える。
まさに基礎、と言った出で立ち。
「ソード・スクエア、従者の剣だ。見ての通り基礎基本が詰まった型となる。攻防バランスが良く、練達の騎士が一周して愛用することもある完成されたフォームだ」
クルスも物真似し、構えてみる。しっくりこない。全然、ハマる感じがしない。ゼー・シルトはあんなにもしっくり来たのに。
「私が受けの型を用いよう。まずは試し、やってみよう」
「……イエス・マスター」
それでも否とは言えない。騎士になるために、唯一の糸を手繰ってアスガルドに来た。もはや道は一つ、アスガルドの教えと共に心中するしかない。
例えどれだけしっくりこなくとも――
「「エンチャント」」
それが彼の苦難、その始まりであった。
○
入学式を経て、全学年新しい年度の講義が始まった。
謎の第三枠、クルス・リンザール。その実力は同学年の騎士科のみならず全学科、全学年が注目するものであった。特別扱いに見合う力があるのか否か。
その結果は、数日も待たず全校生徒が知るところになる。
講義終わり、皆が次の教室に向かう中、クルスは茫然と板書したノートを見ていた。全然、理解できない。当然ながら三学年の講義内容は二学年分の積み上げがある。それのないクルスがついて行けるわけがなかった。
図書館での自主勉強など焼け石に水。
もはや、何故わからないのかがわからないのだから。
「クルス、移動だぜ。次は剣闘実技だ。行こうぜ」
「あ、ああ、今行くよ、ディン」
声をかけてくれるのはルームメイトのディンのみ。そのディンでさえ気を使ってしまうほど、半月もしない内にクルスは落ちこぼれていた。
「仕方ねえよ。なんかわからないことがあったら聞いてくれ。一応、今んとこ全単元何とか出来てるからよ。まずは慣れることだぜ、クルス」
「うん、頑張るよ」
座学がついてこれないのは、他の者はともかくクルス自身はある程度予想出来ていた。事前に釘を刺されもした。
ただ、問題は実技の方――
本来の型を用いればどうにでも出来る相手にすら――
「ぐっ!?」
「うっわー、去年の編入生の方がずっとマシじゃん。弱すぎ」
容易く捌かれ、転がされる。もはや皆、彼に何の期待も抱いていなかった。何かの間違いで名門に迷い込んだ異物、そうとしかみなされない。
「さあ、リンザール。立ち上がって。そう、立ち方は良い。それなのに君は構えると重心が後ろに下がってしまう。それでは駄目だ。ソード・スクエアは基礎基本、常に姿勢はフラットに、きちんと立った状態を維持する。そう、そのまま」
先生による細やかな指導はある。頭ではわかっている。だが、身体が勝手に染み付いた動きを取ろうとしてしまう。その結果、ゼー・シルトなら正しかった重心のせいで、まともに受けすら成立しなくなっていた。
「……あの男、基準に達していない」
三学年、第三位デリング・ナルヴィはそう呟く。
「おい、デリング。んなこと言うなよ。まだ本調子じゃねえだけさ。環境変わったんだ、調子崩すことだってあるだろ」
「お前は崩したか? あのレベルの相手に劣ることがあったか?」
「それは、ねえ、けどよ」
「……進級試験まで持つとは思えないな」
ディンは否定の言葉を言おうとしたが、現状を鑑みるに妥当な判断であったため、何も言えずに押し黙るしかない。今、組み手をしていた相手は二学年の進級試験参加者、しかも座学の成績は足りていたのにもかかわらず、である。
つまり、三学年の騎士科でも下の相手にクルスは負けてしまったのだ。
しかも、一方的に。
「明らかに未習熟なフォームですわね。繋ぎがちぐはぐですわ」
三学年二位、高貴さがさく裂する少女、フレイヤ・ヴァナディースが私見をこぼす。最初、騎士科の顔合わせの際、あの破廉恥男(クルス)との遭遇でひと悶着あったが、今となっては遠い昔であろう。懸念は露と消え、哀れな存在と認識していた。
「そうだ。あれが本来の動きであるはずがねえ。そもそも重心見ても、受け寄りだろ? 魔力も水属性だし、守りの型が適性だと思うんだが」
ディンは舌打ちする。学生にもわかること、アスガルド騎士団に所属していた経験を持つ剣闘実技の教師にわからないはずがないのだ。でも、指摘が無い。
あっさりと次の組み合わせを読み上げていく。
「水だからって受けってわけじゃないだろ?」
「気にし過ぎだって、ディンは。違うフォームだとしても、あそこまで弱いのはもう無理でしょ。一年持てば充分、来年度はいないよ」
ディンはイールファスを見る。彼が名前を憶えていた。それは決して安くないはず。今だってディンより下の名前はうろ覚えのはずなのだ。
それでも――
「くぁ」
あくびを一つ、クルスの方を見てすらいない。今のクルスは見る価値もない、とでも言うように。その冷たさにディンは苦笑する。
天才に人間性を期待する方が間違っているのだから。
ただ、外を知るディンは学園側の介入が無さすぎることに憤慨していた。
(実技はいい。こればっかりは実力だ。どの学校でもよ、強い奴が強い。それに変わらない。でも、座学は違うだろ。完全未就学だぞ、編入前に学力調査だってしてる。こうなるのは目に見えているはずだ。なのに、何の対策もしてねえ。私立なら補講だったり、フォローアップがあったり、ある程度対策する。国立だって最近は……ログレスですらここまでじゃねえぞ。こんだけ放任すりゃ潰れるに決まってる)
アスガルドが保守的なのは今に始まったことではない。だからこそ、未就学の学生を取ってきた時、とうとうアスガルドでも間口を広げるのだな、と皆が思っていた。だが、蓋を開けてみるとこのザマ。
ここまで助け船が無ければどうしようもない。
ディンも何度か助けようとしたが、そもそもわからないことがわからない以上、先生ではないディンには教え方すらわからなかった。
これでは、絶望に沈むしかない。
「それでも、諦めない、か」
デリングは隅で教師指導の下、剣を振るクルスを見つめていた。騎士科下位の連中にすら馬鹿にされる状況、諦め、荷物をまとめて去って行く。
普通ならそうする。
それでも足掻く姿は、上位層からすると決して不快なものではなかった。その熱量をもってしても下位にすら届かないのは、その分苦しいのだが――
「イールファス、友達なんだろ? 何かアドバイスしてやれよ」
「何故?」
首を傾げるイールファスにディンはため息をつく。
「友達だから、だ」
「友達だけど、いやだ」
「冷たい奴だな」
「逆に俺にはわからない。なんで、皆がのんびりしてるのかが。だって、これ特別扱いだ。放任するっていう特別。クルス以外なら、学園は助け船を出す。得手のフォームを封じたりしない。もっと優しくする」
(……本当にあいつの名、覚えているのか)
デリングは顔をしかめていた。あの天才に名を覚えさせるのに、学年三位であるデリングでさえ半年かけた。それなのにもう、彼は名を覚えている。
「クルスは友達だけどライバルだ。だから、手なんて貸さない」
天才の信じ難い発言に、上位陣が固まる。
(信じ難い)
(ありえませんわ)
(マジで言ってんのか、この天才は)
「そもそも座学の教え方なんてわからない。実技は、これでいい。この先嫌でも化ける。その時まで待つだけ。退屈だけど、仕方ない」
退屈、これだけのメンツに囲まれても、彼はそう言い切った。
「言いますわね……今日は勝たせて頂きますわよ。夏、積み上げたモノをお見せし致しますわ」
「ん、たぶん無理」
「俺もいる。安泰だと思うなよ、引きずりおろしてやる。ナルヴィの名に懸けて」
挑発に乗る上位二人は横に置き、ディンは剣を振る友の姿を見ていた。イールファスが言う以上、何かあるのだろう。だが、見えてこない。
経験上、強い奴というのは立ち姿から匂い立つもの。彼からは、無い。
足掻く姿、痛々しさだけが彼の胸を抉る。
○
クルスは一人、図書館で俯いていた。
まるでついて行けない状況、焦りだけが募っていく。わからないことがわからない。だから教えを乞うことも出来ず、こうして一人頭を抱えるしかない。
何から手を付けていいのかもわからないのだ。
「やるしかないんだ。騎士になるって、俺には、それしか」
足掻くしかない。どうにかするしか、無い。
自分が騎士になるため、この学校に来たのだ。
涙をぬぐい、クルスは手に取った本を読みこんでいく。ついていけなかった講義の関連書籍であるとおぼしきものを、とにかく頭に叩き込む。
非効率的であっても、それしかなかったから。
「……愚か、ですわね」
それを窓の外から見つめる視線にクルスが気付くことはなかった。
普段であれば気づいていたはずだが、それだけ切羽詰まっているのだ。
「どうした、フレイヤ」
「何でもありませんわ。少し借りたい本がありまして」
「なら、あとで図書館にでも行くか」
「別についてこなくても構いませんわよ、わたくしだけの用向きですし」
「……い、いや、まあ、俺も借りたい本が、ある、から」
「そう、なら良いのですけれど」
デリング、馬を手繰りながら脂汗を拭う。幼馴染、これだけくっついていても伝わらぬ想い、それどころか距離を置かれかけたことに、彼は慌てる。
誰よりも好感度を上げている自信はあるが、未だ手応えはない。
デリング・ナルヴィ、秘した思いを胸に秘め、人知れず手応え無き戦いに身を置く男。もとい、告白する勇気がないダメ男、である。
全く伝わっていないフレイヤは無言で馬を駆る。慌ててついて行くデリングは思考の中にない。破廉恥極まる行為をした男、だが、今のままではあまりに哀れ。
ノブレスオブリージュ、高貴なる者の責務を胸に彼女は思考をまとめ上げた。
「少し、倶楽部に顔を出してきますわ」
「……倶楽部なんだが、やはり俺は入れないのか?」
「わたくしに推薦する権利はありませんの。入会したばかりですし」
「むう、それは、そうなんだが」
「では、ごきげんよう」
颯爽と倶楽部ハウスの方に向かっていくフレイヤを眺め、デリングはため息をつく。出来れば倶楽部も同じところに所属したかった。
だが、彼女の所属する倶楽部に入る伝手をデリングは持っていなかった。去年までであれば何とか出来たのだが、色々あってメンバー自体が減ったあの倶楽部に入るには、ただ一人、とある女性への伝手を持たねばならない。
デリングはため息を重ね、逆方向へ馬を駆る。
その背は哀愁に満ちていた。
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