第9話:さようなら
ゲリンゼルに到着した一行はクルスの家に向かう。村特有の、余所者に対する視線が突き刺さるも、注目されていることに慣れているウルからすると、いつも通りぐらいの感覚なのだろう。逆に手を振って挨拶をしたりしている。
「いい所じゃのお」
「ねむい」
「そ、そうですかね? 何もない所ですけど」
「いや、わしら世代からすると今時は何でもあり過ぎてな。こういった風景が懐かしく感じてしまうのじゃよ。まさに老害、であろう?」
「そ、そんなことはないと思いますが」
ウルのジジイブラックジョークに、クルスは愛想笑いを浮かべるしかなかった。イールファスは歩きながらうとうとしている。浮世離れした天才である。
「クルス⁉」
家の近くまで来ると、びっくりした兄が近づいてきた。まあ、びっくりするのも無理はない。洒脱な老人と、ここら辺じゃ見ないルナ族の少年と共に帰ってきたのだから。異質ここに極まれり、である。
「そ、そちらの方々は?」
「お初にお目にかかる。わしの名はウル・ユーダリル、アスガルド王立学園の学園長を務めておる者です。クルス君の入学に際し、説明と承諾を頂きに参りました」
「あ、アスガルド⁉ クルス、お前、そんな遠い所に行くのか?」
「う、うん」
兄の驚きような凄まじかった。兄には騎士学校の名門であることなどわからないが、単純に弟が遠い異国へ行くことに驚いているのだろう。
「御父上はいらっしゃるかな?」
「今はその、隣の村との会合があり、大人たちは皆そちらへ行っております」
「ふむ、間が悪かったのぉ」
ウルがどうしたものか、と考えこんでいる横でクルスはほっと胸をなでおろす。あの父に何を言っても、承諾などなかなか得られなかっただろう。ウルに圧倒され、言われるがままの可能性もあったが――
「あの、その説明と承諾は、兄弟では駄目なのでしょうか?」
「駄目ではないが、いや、厳密にはどうじゃったかのぉ。まあええじゃろ。たぶん」
この老人、結構適当である。
「ありがとうございます!」
「あ、ありがとう、兄さん」
「気にするな。今の内、だ」
兄の機転にクルスは感謝する。そのまま兄と共に一行は家の中に入る。
ウルの説明はとても丁寧なものだった。あまり学のない兄にもわかりやすく、良いところと悪い所を包み隠さずにすべて説明する。
「生活費も出して頂けるのですね」
「出すと言っても借金じゃがの」
「いえ、お金を借りる大変さは私たちも理解していますから」
兄が説明を受けている間、すでにイールファスは立ちながら眠っていた。クルスもひと眠りしようかと思ったが、自分の寝床は既に撤去されていた。
まあ、あの父があの出て行き方で残しておくわけもない、が。
「――よろしいかな?」
「はい。あの子の好きにさせてやってください。保証人は、私が」
「兄弟思いじゃのお」
「いえ。何もない村から、学校に通う子が出てきた。それが自分の弟なんです。それは、とても誇らしいことだと思いますので」
「……うむ」
陰でこっそり聞きながら、クルスはぐっとこぶしに力を込める。ずっと、兄が自分を庇ってくれていたことは知っていた。父が言うことを聞かない自分に対し、殴りかかろうとするところを止めてくれたことだってある。
一緒に殴られてくれたことも、あった。
「……俺、頑張るから」
小さく、クルスは決意を溢す。
○
説明を終え、承諾を得た後、ウルは少し周辺を見て回りたいと姿をくらました。少ししたら戻ると言っていたので、家の周りでクルスは待つ。
ちなみにイールファスはその辺の草っぱらで寝ていた。すやすやと気持ちよさそうに寝ている。やはり立ち寝は辛かったらしい。
なのでクルスはボーっとしている。兄は用事があるから、と話を終えたら出かけていたし、あの様子だとおそらく隣の村に何かあるのだろう。
兄はもうこの村では立派な大人である。
「クルス、帰ってきたの?」
「ううん。行くための準備。俺、学校に受かったから」
「……そっか」
幼馴染のエッダがクルスの隣に腰掛けた。小川のほとり、いつも二人が遊んでいたところである。同世代の子どもはクルスとエッダの二人だけ。
だから、いつも一緒だった。『先生』が外からやって来るまでは。
「お兄さん、結婚するんだよ。知ってた?」
「え? 聞いてない」
「隣村の人。お互いほとんど会ったことすらない者同士。大人の話し合いで決まったんだって。村同士の交流のため、みたいな」
「……そん、な」
「私も多分、そうなる。ねえ、クルスはどう思う?」
「え、そりゃあ、よくないことだと思うよ。エッダも嫌なら嫌って言った方が良いよ。最悪さ、村を出ちゃえばいいだけだし」
「……そういうことじゃ、ないんだけどなぁ」
エッダは哀しげに顔を歪め、クルスを見つめて微笑む。
「私は村から出ないよ。ずっと、ここで生きて行く。村が好きだからとかじゃない。何もないから、何者でもないから、生まれた場所から離れられないの」
「そんなこと――」
否定の言葉を吐きかけたクルスの口を、エッダの唇が塞ぐ。
「ッ⁉」
ほんのひと時の、邂逅。
「え、エッダ⁉」
「別にいいでしょ。初めてってわけじゃないんだし」
「そ、それはずっと前の話だろ! 子どもの頃の、まだ小さくて何も――」
「私は、あの頃に戻りたいなぁ。ずっと、子どものままで、何もわからないままで、いたかったなぁ。だからさ、クルス」
エッダは立ち上がり、クルスに背を向けた。
「いってらっしゃい。それと、さようなら」
「……いって、きます」
そして彼女は、そのまま歩き去って行った。小さな余韻だけを残して。
そんな様子を、
「……えっちだ」
少し頬を赤らめながら、イールファスは覗き見ていた。
○
ウルは山の中をかき分け、探索していた。
「やはり……裏返っておった、か」
クルスを連れてこなかったのは万が一のため。どちらにせよ、案内に意味はない。おそらく彼が通っていた場所は、もうここには存在しないから。
もう、繋がっていないから。
「……マスター・ビフレスト。貴方は、やはり」
ウルは唇を噛む。生前の彼は間違いなく騎士の中の騎士、であった。誰よりも高潔で、正義の士であり、誰もが彼のように成らんと努力した。
己もまたその内の一人。
『……マスター・ビフレスト。なぜ、僕を』
『ウル、今必要なのは卿の力だ。それを守るのが、私の、役割だ。悔やむな、立って戦え。それが騎士だ、ウル・ユーダリル!』
『イエス・マスター!』
未熟な己を守り、散った、偉大なる騎士。守り手であった。
「……魔の者よ。もしあの御方が、自らの意思で魔道に堕ちたならば、それは致し方ない。だが、貴様らの手で堕ちたのであれば――」
大気が、揺らぐ。
「この老いぼれが、貴様らを断つ。命を賭してでも、の」
トリガーである言葉を発することなく、騎士剣と鞘の隙間から炎雷が零れ出る。ここにはもう誰もいない。それが分かった上で、ウルは己を抑え切れなかった。
そんな彼を見て、
「変わらんな、ウル」
仮面の男は、微笑んでいた。
○
そして、何食わぬ顔で戻って来たウルとクルスらは合流し、ゲリンゼルの村を出た。誰の見送りもない、寂しい出立である。
「いずれ騎士と成り、凱旋せねばのぉ」
「いえ。たぶん、ここは自分がどうなっても、もう受け入れてくれないと思います。そういう、場所、ですので」
「……そうか。まあ時代は変わっておる。緩やかに、しかし確実にの。ここもいずれは変わるじゃろうて。良くも、悪くも、の」
「……そうなのでしょうか?」
「変わらぬものなど無いのだ。何事も、な」
クルス・リンザールは故郷を発つ。次に戻ってくる日が来るのか、今はそんなこと想像すら出来ない。受け入れられるとも思わないし、受け入れられたいとも思わない。エッダの言葉が少し、棘のように刺さっていた。
さようなら。
クルスは一度だけ振り返り、心の中でそう唱えた。
その姿を遠目で見る少女は、静かに涙を流す。
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