第150話 ダイニングにいたり

 ゆっくりと鍵を回し、ドアを開ける。芽生がダイニングにいるのを見てどきんとした。

 びっくりした。一昨日の事があるから、待たれていたかと思った。


「……おかえり」


 芽生は珍しく自分の部屋以外で書類を広げていた。私を見てさっさと書類を片付け始めた。


「ただいま。テーブル、まだ使ってていいよ?」

「だいぶ進んだから、あとは部屋でやる。このテーブルを一人占めできるとかなりいいね。また、たまに使うよ」

「うん」


 仕事で疲れているのかな。なんだか、ぐったりしているように見える。

 

「食べてきたんだよね? お腹すいてたりする?」


 芽生がぽつんと言った。


「ううん」

 

 お腹がすいている……とは正反対だな。


 さっぱりした料理だったから、もたれはしないだろうが、とにかく量が多かった。あの後、鍋も食べたし、雑炊も食べたし、フグだけでなく蟹も出てきた。デザートまで……。勿体ないと思いながら雑炊は少し残してしまっていた。

 

「お腹いっぱいで苦しいぐらい」

「……そっか」


 何となく、水面下で様子を探り合うような空気がある。まとめ終えた書類をいったん部屋に戻しにいってから、芽生は台所にきて棚からマグカップを取った。


 コーヒーでも飲みながら作業するのかな。私も冷たいお茶だけ飲んで寝ようかな。


 冷蔵庫を開けると、プリンが二つ並んでいた。


「プリン作ったんだ?」

「まぁね。作り方を変えた」

「え?」

「ゼラチンやめた。そっちのほうが美味しかった」


 それは、私がなにか、言ったからなんだろうか。プリンの事で喧嘩してから、もしかしたらもうプリンを作ってはくれなくなるかもしれないとまで思っていた。二つあるけど……いつも通り、私の分も作ってくれたってことでいいのかな。


「今、お腹空いてるか聞いてきたのって、もしかしてプリン出してくれようとした……?」

「別に食べなくてもいいし」

「食べてみたい」

「……明日にしよっか」


 妙に低い声だった。少し目が赤い気がする。考えてしまう。私がお腹いっぱいだと言ったからやめた? 放っておいてほしい? どっちだろう。

 やめだ、やめだ。あまりつつくと藪蛇になる。芽生が明日にしようというのだから。


「楽しみにしとく」

「うん」


 芽生はあまり私と目を合わさないままで、コーヒーを入れてすぐに自室に行ってしまった。私は冷たいお茶で小さな胸のひっかかりを流し込む。

 今日は、相手が何を考えているのかを探ろうとしすぎて、疲れてしまっている。小林にしろプリンマニアにしろ、わからない事だらけだ。こんなときに色々考えても、疑心暗鬼になって、あまり良くない。

 

 部屋に入り、ベッドに体を沈めて、しばらくぼんやりとする。


 ――プリンマニアさん。


 さっきの電車内でのチャットからだいぶ時間が経っているが、少し落ち着いたのだろうか。

 だいぶやられてたな……。自虐的になってた。


 チャットを見返す。

 

 ――ちょっと。変な気分になった。

 ――おつぼねぷりんさんが、優しいでしょう。なんていうか、ドキドキして、甘えたくなった。おつぼねぷりんさんに。

 

「…………」


 そんなこと書かれたら、こっちもドキドキしますって……。

 

 単純にドキドキしたのであれば、「そんなこと書かれたらこっちもドキドキします」、とそのまま返したかもしれない。モヤモヤと胸の中に充満してしまっているものが、そうさせなかった。

 なんでいきなり、あんなこと書いてきたんだろう。今日のプリンマニアは、いつもの感じと違った。少しねじれた感情で接してきていたような気がする。


 同じことされたらおつぼねぷりんさんだって嫌がるくせに。


 いつもなら、プリンマニアはああいう書き方はしない。自分の言動を思いとどまったり、気を遣ったりする余裕もないのかもしれなかった。


 あんな、決めつけるような、いじけるような書き方……精神状態がかなり悪そうだった。

  

 ルームメイトさんには見せる「嫌な言動」というのは、あれに近いものなのなんだろうか。だとしたら、確かに、どんな反応を返していいかわからなくなりそうではあるけど……。本人が言うほど嫌がられそうな気はしない。


 あそこは、嫌じゃないですよ、と言ったほうがよかったのだろうか。私には到底、その言葉は言えなかった。急にこちらに意識が向かってきたような気がして、まともに食らったら期待して、変な事を言ってしまいそうで。

 変に意識して、冷たい返しをしてしまったような気がする。


 同じことされたらおつぼねぷりんさんだって嫌がるくせに。


 そう書かれた時点で、私はすでにドキッとしてしまっていた。

 同じ事されたら、の言葉で、プリンマニアが書いてきた色々な事、やきもちを焼くことや、当たってしまうこと、独占欲を向けたり、ハグして匂いを嗅いだりといったことまで、思い描いてしまった。

 プリンマニアがどこまでを指して言ったのかはわからないが、私が先走ったことを想像してしまったのだけはわかる。

 同じ事されたら嫌がるでしょうと言われても、実際にされてみなければわからない。

 

「返事に困るんだよ……」


「ドキッ」は「モヤッ」にすぐに形を変えてしまった。突き返したいような感情がいきなり沸いて出た。何だろう、あれは。

 

 ――私がまだ嫌がってもいないのに、勝手に私の行動を予測して、当たらないでください。

 

 怒ってる顔文字まで送ってしまった。あれはないかもしれない……。当たらないでください、ってキツいよな……。


「あああああ……」


 ――でも。ちょっと本気で、腹は立ったのだ。

 どう返事をしろというんだ。

 プリンマニアにそんなふうに独占欲を向けられたら嬉しい、と私が言ったりしたら、逆にどう思うんだ。


 プリンマニアから、ルームメイトさんへの執着の深さを聞かされた後だったから、余計に感じたのかもしれない。

 

 この、「モヤッ」の原因は――「同じことされたらおつぼねぷりんさんだって嫌がるくせに」への本音の返答は、恐らくこうだ。

 

 ――ルームメイトさんに対してと同じ感情を、私には向けないくせに。

 

「……最悪」


 難しい。文章のやり取りも、友達付き合いも、顔の見えないネットの相手とのやり取りも、顔を合わせてのリアルの付き合いも。私には、人付き合いは全部難しく感じる。

 こんな日は、どんな反応を返しても間違っているような気しかしない。

 

 上から目線で「よしよし」かよ。どんだけだよ私。

 

「なにがよしよしだ……」


 ドキッとしたくせに。本当は少し、嬉しかったくせに。

 本当は、実際に会って、もっと話だって聞きたかったくせに。

 それをプリンマニアに悟られるのが、怖かったくせに。

 

 プリンマニアの書くことは、時々有害だ。私を混乱させてくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る