第144話 寝不足だろと思ったり
あり得ない。絶対にあり得ない。プリンマニアとのやりとりを芽生に見せるとか。
百合漫画を貸してみる、どころの話じゃない。芽生の悪口、芽生をネタにして百合小説を書いてること、過去に女の子を好きになったことまで全部読まれるってことだぞ。
プリンマニアの繊細な悩みまで、私のせいで読まれる。
「見せない」
どの方面から見ても一発アウトだ、出来るはずがない!
「個人的な相談内容とかも入ってるから、困る」
「引いてはくれないか」
芽生の体がゆらりと動いた。玄関まで行き、芽生はドアにチェーンをかけた。そこまでするのが信じられなかったので、すぐに何も言えなかった。ダイニングの椅子を玄関扉の前まで持って行って置き、その上に芽生は体育座りした。私をちらっと見ると、芽生はそのまま膝を抱え込んだ。
「じゃ、わたしもここを退かない」
え? 何が起こってるんだコレ? 芽生って、ここまでするヤツだった……?
ちらりと時計を見ると、だいぶ時間が経ってしまっている。しまった。たぶんもう焼き鳥のだいちもオーダーストップだ。チャットを見直してみると、プリンマニアからメッセージが届いていた。
purinmania:ごめんなさい。今日は無理そうです。いまからルームメイトと喧嘩すると思う
あ~~。
おつぼねぷりん:了解です。なにか大変そうですね? またの機会にしましょ。お気になさらず
おつぼねぷりん:おやすみなさい
返信して、ため息をつく。まぁ、ちょうどいいというか、有難いのか。待たせずに済んで。
ちらりと玄関を見やる。芽生はうずくまったままだ。
「芽生」
「退かない」
ぴしゃりと愛嬌のまったく無い声で芽生は言った。
「もういいよ。今日は行かないことになったから」
「…………」
門番の石像みたいに固く意地になっている芽生に、ため息をついた。芽生も用事があったはずなのに。まったく動く様子が無い。
このまま部屋に戻るわけにもいかない。焼き鳥屋で飲むはずだったし、どうせだから一杯飲むか。
流しの下の扉の奥から酒瓶を取り出す。レモンチューハイと、安いワインが残っている。ワイングラスなんてお洒落なものはないから、小さな円筒状のグラスにほんの少しワインを入れて、冷蔵庫から適当に笹かまを出した。
「芽生のも入れたよ。飲む?」
ダイニングテーブルに二人分のワインを置き、座って自分の分の笹かまの包装を取った。プリンマニアとの焼き鳥が、芽生とのワインになってしまった。アルコールで気分をほぐして少し話せば、芽生も部屋に戻るだろう。
芽生は黙って立ち上がり、グラスを受け取ると、また玄関の椅子に戻って膝を抱えて座り、ワインに口をつけた。
いやそこから退かないんかい‼︎
「今日はもう行かないってば。一杯飲んだら部屋で寝よう、お互い」
「わたしここで寝るから、あおいは部屋に戻っていいよ」
「ええ……?」
これ、部屋に戻ったらわたしが抜け出すと思われてる……? 行かないって言ってるのに。信用がなさすぎる。
「行かないよ? 向こうも来られなくなったから」
「…………」
芽生はいじけたように私を見つめた。
「わたしの言う事より、ネットの知り合いとかバイク女の言う事のほうが、あおいにとっては魅力的なんだと思うけど」
「え……?」
「今日はわたしはここで寝る。そんな日ぐらいないと、悔やんでも悔やみきれない」
ここで寝る、って。……玄関でか⁉︎
こいつどうしよう。すぐにはこっちの言う事聞いてくれそうにないぞ……。
しばらく何も言わずに二人でちびちびワインを飲む。かあっと喉の奥が熱くなってきて、少し酔いが回って来たのを自覚する。
「どうせまた同じこと考えるんだよね、あおいは」
低い声で恨めしそうに、芽生は床をにらみながら呟いた。
「警察が事情聴取に来たら、『あおいは前から抜けていました、でもまさか知らないネット上の相手にほいほいついていくと思わなかったんです』って言う。警察が『あおいさんは普段どんな生活を』って聞いてきたら、『事務員をしていて、同じ環境でずっと働いていて、周りもいい人ばかりみたいでした。人を見る目も養われて来なかったと思います』って言うから」
ええ……。
「絵本が好きで、たしかにメルヘンの世界の住人だったかもしれません。でもそれの何が悪いでしょう……何も、何もこんなむごたらしい最期を遂げなくても」
「ちょっと」
むごたらしい最期ってなんだよ。なにを想像してんだ。
「これが最期だと思わなくて。いい子でした。お墓には、純粋でピュアで人を疑うことを知らないイノセントな彼女にぴったりの、白い白い、彼女が初めてわたしに買ってくれた花を……」
「ちょっと。殺すな」
「想像で死ぬのと、実際に死ぬのと、どっちがいいわけ?」
キッと鋭い視線で私を睨んでくる。
極端なんだよ! 想像が! 無駄に細かいんだよ!
「花なんか買ったっけ?」
「わたしに白い大きな百合をプレゼントしてくれたことなんてすっかり忘れて……」
まだ続けるのかこれ。うそだろ。もう深夜一時過ぎるぞ。
ちょっとどうしよう。芽生、これ寝る気ないだろ……。
「ホラー嫌いなくせに、夜が人間を一番恐ろしくする時間だとも思わずにノコノコと……彼女は記憶力もなければ警戒心も無いんです。許せない。犯人が許せない、許せない……! っう~~、許せな……」
「わかったよ!」
あまりのしつこさと、わざわざ芽生なりに面白おかしい言い方をしてでも気を引いて聞かせる様子を見てやっと、本気で心配されているらしいことに気がついた。
「もう深夜は行かないから。初めて会うときは昼間で、駅前の人の多い店とかにするよ」
「……最寄りも良くないから。相手が家まで簡単についてこられないとこにして……」
「わかったよ」
最寄り駅を知られないようにするって、大事な事ではあるんだろうけど、プリンマニアだしなぁ。そもそも最寄り駅、もう知ってるし。無駄に心配させるようなこと、口走らなければ良かった。
芽生の頭が少しだけ船を漕ぎはじめたのを見て、手から滑り落ちそうになっているグラスを受け止めた。
ほんと、こう考えると、プリンマニアと芽生って真逆だな。プリンマニアも初めはネットの相手に気をつけろと諌めて来てはいたから、そのぐらいの警戒は普通にするものなのかもしれないが。
会っておけばよかったの一言で、「今からラーメンでも」と送って来るあのフットワークの軽さは、芽生にはない。
ないけど……。
部屋から厚めの毛布を持ってきて芽生を覆った。芽生は肩にかかった毛布に少し目を覚まし、
「あおいのにおいがする」
と言った。
「部屋で寝てほしいんだけど」
「うん。いや……ここでいい……」
椅子から、落っこちるんじゃないかな。ぽろっと。
「心配してくれたんだよね。芽生」
もう唸っているだけの芽生の横に、私は自分の掛け布団を持ち込んだ。三和土の部分に掛け布団なんか敷いたら土がつくのだが、芽生が三和土まで水拭きするせいであまり汚い感じがしない。後でカバーを洗えばいいのだ。布団を敷いておけば芽生が落ちても少しは安全だ。いや、……やっぱり危ないか。
「ねぇ。起きてって」
芽生をゆさぶる。
「退かない……」
「わかったから、椅子から降りて床に座って」
とろんとした目をした芽生がようやく椅子を降りたので、さっさと椅子をどかす。玄関に敷いた掛布団の上へ座って不機嫌そうにしている芽生を、すぐ隣の靴箱にもたれさせた。もう一枚毛布を持って来て自分の体に巻きつけ、私も芽生の隣に腰を下ろした。
玄関に座って寝るの、初めてだな……。寝られなさそうだ。明日仕事なのに、二人とも寝不足だろうな、これ。
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