第148話 食事が小説になったり

 深々とお辞儀をして小林を見送ったあと、うずうずとした気分になっていた。早く帰って、小説を書かねば……。いやむしろ帰りの電車でスマホから書かねば。


 何回言わされた? 三十……、三十一、いや、三十六回は復唱させられた。フグフグフグフグ。しつこいんだよ! ご馳走になっているから、さすがに言えない。が、何もあんなに復唱させることないだろ。

 初め淡泊だと思っていたふぐは……ふぐは、食べれば食べるほど、美味しかったけど!

 一万六千円ということは、二人分で三万円以上の出費だ。ここまでご馳走して貰って、感謝と反省以外に何も返すべきじゃないのはわかっている。

 ……せめて笑ってほしかった。完璧なお説教ポーズで、ずっと小林が真顔なのがまるで拷問のようだった。

 今日はお局小説を更新する!

 

 ふいに、肩に何者かの手が置かれ、振り向く。


「藤森さん……」

 

 小林が追いかけてきていた。

 

「なにあなた、反省させられて、その顔でずっと歩いてたの?」

「う?」

 

 小林は私の顔を見て、息を吐くだけの笑い方をした。膨れっ面をしてたのがバレたらしい。

 

「すごい顔してるわね。待って、あなた、ちょっとその顔のままで止まって!」


 小林は私の正面でまじまじと私の顔を眺めた。


「まだよまだ。止まってて。ちょっと目に焼き付けるわ」

 

 小林の冷たくなった指が、私の両頬におずおずと触れた。


 …………?


 いきなりの接触に面食らう。小林はじっと私を見つめると、そのまま、ピタン! と手のひらで勢いよく頬を軽く挟んだ。


「いっだっ!」

「フグみたいね」

 

 小林は食事以降で初めて声を出して笑った。


「い、痛、いはぃです!」

「私を笑わせた復讐よね」


 そう言って小林はそのまま逆方向、来た方へと戻っていった。何のために追いかけてきたんだろう、と思ったが、追及しないことにした。



 ※



 帰りの電車で、そのままを小説に転用する。


「フグみたいね」

 ピタン! と軽く私の両頬を手のひらで潰して挟んだマサコに、文句を言った。

「ひどいです」

「わかったわ。じゃ、私も……」

 そういうと、マサコは自分の顔も手で挟んでみせた。

「まだよまだ。止まってて」

 むぎゅっと唇が突き出されたマサコの顔が近づいてくる。目が爛々と見開かれている。

「ん、ちゅ……」

 顔を自分で挟んで、自らもフグのような顔になったマサコのキスは、淡泊なフグの味がした。


 ふぅ、と息を吐いて、「公開に進む」の青いボタンをタップする。


 なんていうか……そのまま小説に転用するの、罪悪感ハンパないな。小林に対してというより、読者に対して。読者なんてほぼ一人だから、それはつまり、熱い感想を送ってくれるプリンマニアへの罪悪感ということになる。

 私が小説書くのなんて、動機はこんなものだ。せめて、ちゃんと考えて小説書ければいいんだけど。

 電車の中は、うとうとしているOL、子供連れの疲れ切った母親のほかは、大抵スマートフォンを覗いている。静かに暗くなったビルの間を車両が滑っていく。電車が地下に潜ると、私はまたスマートフォンに目を落とした。書いたり読んだりのサイトを読み込み直す。プリンマニアさんからのコメントが入っていた。


@purinmania:今回はなかなかのロマンス回ですね! にしても、変顔作って近づいてくるとか安定のマサコ様。なんでフグ(笑)


おつぼねぷりん:フグ、今日、食べたんです。ロマンス感じていただけましたか


 コメント返しをしてからサイトを離れる。

 

おつぼねぷりん:実は、お局小説のほうの、モデルになってるお局さんに、フグをご馳走になりまして


 プリンマニアへのチャットに打ち込むと、すぐに返事が返って来た。


purinmania:仲いいんですね


おつぼねぷりん:私の失敗で迷惑かけてしまって。説教とセットのフグ料理店だったので、戦々恐々とした気分でした。みっちり反省もさせられましたし


purinmania:食事しつつ慰めも入ったなら、飴とムチというか、お局さん、おつぼねぷりんさんのこと、大事にしてるんでしょうね。おつぼねぷりんさんからしたら、プレッシャーかもしれないけど。説教会議でフグってのはかなり豪勢かと


おつぼねぷりん:フグはね……不具合報告書を、フグ隊報告書、と書いて先方に提出したんですよ


purinmania:ちょw


おつぼねぷりん:この高級なフグに誓って、不具合はフグ隊と間違えません、って。三十回以上復唱させられました……


purinmania:待ってw それだけの為にフグご馳走したんですか、そのお局さん


 そう言われれば、それだけの為にするには、かなりの出費だ。小林、ストレスでもたまってんのかな。

 

おつぼねぷりん:私のふくれっ面がフグみたいだと言って、笑いながら頬を押されましたよ


purinmania:ああ、あれ、本当にあったんですね?


おつぼねぷりん:ですね……


purinmania:やっぱり仲良いように見えますね。そういうのを小説に転用してるわけか。なるほど。キスもしました?


おつぼねぷりん:それはしてない!


purinmania:してないのか


おつぼねぷりん:全然、そういう空気じゃないですよ。フグは美味しかったんですが。味がわからなくなりそうな程度には緊張しました


おつぼねぷりん:そういえば、


 そこまで打って、少し迷う。プリンマニアが自分から言ってくるまで、話に出さない方がいいか?


 おつぼねぷりん:ルームメイトさんと。大丈夫でした?

 

purinmania:喧嘩っていうほどの喧嘩にはなりませんでした。う~ん。まぁ……大丈夫なのかな? でもわたしだけ変になってるかな


おつぼねぷりん:変って? なにが原因で喧嘩っぽくなったの


purinmania:向こうが夜中に知らんやつと出かけようとしたから、止めたんですよ


 ああ……あれ、けっこう深夜だったもんな。私も芽生に止められたぐらいだし。

 

おつぼねぷりん:止めて、やめてくれたの?


purinmania:結局行かなかったですね。やめてくれたのかな? わたしが止めたからやめたのか、よくわからなかったけど。結構な強硬手段で邪魔したから、行けなかったのかも


おつぼねぷりん:強硬手段て


purinmania:とおせんぼ的な


おつぼねぷりん:かわいいw


purinmania:ドン引きされてる可能性ありです。かわいい系のとおせんぼじゃないし。今も、向こう帰り遅いから、リビングで待ってる。もう、どうしようもない。連絡しようかと思ってはやめて、ストーカーみたいになってますよ


おつぼねぷりん:連絡しないの?


purinmania:あまり遅いようなら、大丈夫? ってぐらいは入れるけど。こないだ出かけるの無理に止めて、今日の普通の外食までいつ帰って来るか聞いたりしたら、さすがにウザがられる

 

おつぼねぷりん:そっか


purinmania:これ、けっこうもう無理だと思う


おつぼねぷりん:無理?


purinmania:向こうがね


 最近のプリンマニアは、言葉の端々から、限界になっているんだろうな、と感じさせる。


purinmania:危ないことだけ止めたの。そこだけでしょ、わたしが口出せるのなんて。でも、


purinmania:どうにか、自分をどうにか抑えていないと、感情だけ、そこから先はダメだろってとこまで行きそうで


おつぼねぷりん:ダメって、たとえば?

 

purinmania:もう、ほんとおかしいんですよ。他の人とプリン食べるな、から始まって、他の人と会うな、まで思ってるとこある。友達とイチャイチャしてるのちょっと見ただけで、今の時点でこうなってるのに、向こうが、恋人できることもあるんだなって。想像したら、なんだか変になりそうで。向こうに恋人できたりして、それ帰ってくるの待つようになったら、わたし、もたないだろうなって


 だから――好きな人と同居なんて、無理ですって。

 そう打ちかけて、やめる。思った以上に弱気になっている。付き合って同棲というならいいけれど、片思いで同居なんて辛いだけだ。その考えは今も変わっていないが、私の考えを言ったところで、ほうれ見ろと言っているようにしかならない。


purinmania:どうしたら、優しくできるんだろう

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る