第130話 謝ってみたり
リビングで芽生は私が渡した清涼飲料水を飲んでいた。ぼうっとしている。
「芽生」
ぼんやりとした顔のまま、芽生は振り向いた。
「さっきの、私も悪かった」
いつまでもギスギスしていたくない。シャワーを浴びているうちに落ち着いたので、謝る気になってきたのだが、タイミングは重要だ。まだ放っておこうか。迷って結局、話しかけるほうを選んだ。
「悪かったって、なにが?」
「ごめん」、「いいよ」で済ませない女、それが芽生。漠然とした反省では納得しない人間、それが芽生。反省点を踏まえ分析し、改善しないと許してくれない、それが芽生だ。
この返しが来るのは予想していたので、やっぱりとしか思わない。何が悪かったのか、ちゃんとわかってるの? というやつだ。
「玄関を砂だらけにしたのと……」
寝た子を起こすようなことをしている気がする。ひやひやしながら続ける。
「プリンを……茶碗蒸しって、言ったやつ」
「…………」
芽生はふいと目をそらした。
「別に怒ってないし」
嘘だろ! めっちゃ怒ってるだろ!
「楽しかったんでしょ。いいよ。わたしに邪魔する権利ない」
わたしのプリンをこけにして楽しかったんでしょ。
そういうことだよな。あまりに嫌味が過ぎないか? そんなに傷つけた?
芽生はペットボトルの中身を飲み干すと椅子から立ち上がり、準備していたらしい服をかかえてさっさと脱衣所に持って行った。
浴室から、ピーッという電子音と、浴槽へお湯を入れる準備が出来ました! 風呂のお湯の蛇口を開いてください、というアナウンス音が聞こえる。湯を溜める音がし始めた。
芽生は無言で脱衣所から出てくると、私と目も合わせずにスマートフォンをジップロックに入れ、水筒に氷水を入れ始めた。空っぽの水筒に落ちた氷がからんと音を立てる。ざくっざくっと冷凍庫の氷を掻く音は、恨んだ相手を埋葬する穴でも掘るかのようだ。
防水対策したスマートフォンと水筒は、半身浴するときの準備だ。長風呂して、汗とともにすべてのストレスを流し去るのだ。
ストレスは、もちろん、私だ。
「ごめんて」
「怒ってるわけじゃないから。ほっといて」
これのどこが怒ってないっていうんだ。行動全体で私を呪っているようにしか見えない。
しかし、怒っていないと言われてしまうと、それ以上絡みつくことができない。許してほしいからってまとわりつくのも違うだろう。
仕方がない。しばらく時間を置くしかない。玄関に掃除機をかけはじめる。
「そこ、もう掃除した」
芽生が不機嫌そうに言った。
「え?」
確かに砂が無くなっていた。床の光り具合を見るに、おそらく拭いてある。
「拭き掃除までしてくれた?」
「別に。わたしが掃除したくなっただけだから」
そうだ。こいつは、すぐに片付けないではいられないヤツだった。
「ごめん。ありがとう……」
「貸しが三百四十五になったから」
ウッ……!
一気に疲労が襲ってきた。
有難い。やってくれたのは、有難い。だけど、別に自分の汚したものを掃除させたかったわけじゃない。やるはずだった掃除を先にされて謝るしかない、という状況にもやっとする。
「私、やるって言ったよね? やるつもりだったよ?」
「知ってる」
芽生は、眉間を揉みほぐした。
「もう……も~~、もう」
うっとおしそうな唸り声がやたらと整った唇から漏れる。
「もう、今だけでいいから少しほっといてくれる? あおいじゃない。わたしがだめ。もうだめだわ。お風呂入る。もう、ほっといて……」
突き放された。
そう感じた。芽生の、塩対応を通り越して氷のような対応に、一瞬泣きそうになった。
遅れて、そんな自分の反応に腹が立ってきた。
もうだめって何だよ! もう掃除した。もうだめだわ。もうほっといて。モーモーモーモー、何なんだよ。ヲマエは牛か!
そんなに、そんなに邪険にするなよ!
「わかったよ!」
そんなに私がストレスか。
わかったよ! 今日はもう話しかけねーよ。くそ! 謝るんじゃなかった。
芽生から何か言ってくるまでこっちだって無視だ!
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