第125話 勇ましい二輪女に挑まれたり
「凄い」
景色を見て出てくる言葉が「凄い」だけ、というのはどうなんだろう。小説を書くくせに。
語彙力の問題なのか、眼前に開けた海の存在感に圧倒されるからなのか。
途切れずに向かってくる波を見たとたん、言葉をこねくり回すのが馬鹿らしくなった。遠く広がっている空と海の境目を、ただ眺めていたくなる。
トンビが空の高さを知らせている。海水浴シーズンが終わった砂浜には、ぽつぽつと人がいるだけだ。陽光はちらちらと波にかすかに散り揺れ、濡れた砂浜には眩しいほどクリアに光が映っている。
「富士山見える」
「おっ、すげ」
ペットボトルを片手に、私たちは浜辺のコンクリート階段に腰を下ろした。磯の香りを乗せた強い海風にぶるっとくる。
「休日って感じがする」
「でしょ」
ふん、と笑うような息を漏らして、皆堂は太陽を携帯のカメラで撮った。海を動画で数秒録った。砂浜にカメラを向けると、小石が作りだした波の模様を撮った。
「たまにはこういうのもいいね」
「出かけたほうがいいですよ。気分変わるし」
「ほんとそうだった」
家に籠っているよりいい、気分がだいぶ切り替わる。
「で」
皆堂はひとしきり写真を撮ったあと、急に振り向いた。
「なんで避けてたんすか」
「避け……?」
「避けてたでしょ。私のこと。目も合わせないし。なんかしましたか私?」
言葉にして言われると驚いてしまう。なんだかんだ言って、よく私のこと見てるよな。
「言ったら、嫌がると思うよ」
皆堂は眉をしかめて、こっちを見た。
「ああやだやだ!」
「え?」
「そういう前振り要らねえし。今さらでしょ。先に嫌がっときましたから。さぁ、言ってください」
「…………」
きっと皆堂は、オブラートに包まれるのも嫌だろう。
「頼まれたんだよ。皆堂さんの、服装指導しろって。制服に着替える前の私服も無難にするよう言えって」
「……だれに」
「ヤシと、課長」
一拍置いて、皆堂の巻き舌が炸裂した。
「……っんだよ!! うるるるっせーなぁ!!」
完全に体ごとビビった。
「で!?」
気分悪そうに皆堂は砂を蹴飛ばした。
……そうだよな。この反応になるのは予想してた。
「自分の意見でもないのに、言わされたくないし。それで避けてたと思うよ」
「ええ?」
ちょっとその威圧感を抑えてくれないもんかな、と思うが、まぁ、仕方がない。
「どういう服装ならオッケーとか、どこまで合わせるべきとか、正直よくわかんないよ。ホテル業務なんかはメイクの決まりとかガッチリあるらしいし。郷に入れば郷に従えで私は生きてるし」
皆堂はまばたきした。
「服装とか見た目で配置転換までするのは納得できない、ってことは課長に言ったけど」
「マジ?」
「皆堂さんの部署替え、それもあるらしいよ」
皆堂は私を見つめた。
「課長、なんだって言ってました?」
「……えーとね……」
勝手な思い込みで必要な教育を受ける機会を奪うとしたら、それこそが差別だ……、私の迷いを深めたのはその言葉だったが、それを話すと月影さんの話をしないといけなくなる。
「うちの部署に移れば、窓口から近いし電話対応もある、色々変わらざるを得ないかも、ってことらしくて」
「ああ、まあ、それは言われたことありますね」
「最終的に、君からは言わなくていいわって。諦められたような、そういう感じで終わった」
「へぇ?」
「皆堂さん以外に、注意するように言ってほしいって話が他にも出てて」
どこまで伝えるかを考えながら話すせいで、話し方が自然とゆっくりになる。
「それにはもっと口出したくなかったから。私からは言わない、って逃げちゃったんだよ。私の感情的な様子みて、無理だと判断されたのかもね」
とりあえずは、そこまで正直に話す。ほかの誰をどんな内容で注意するよう言われたか、知りたがるかと思ったが、皆堂が突っ込んできたのは別の事だった。
「感情的? 感情出したんすか、先輩」
「え? まぁ……。出てたと思うよ?」
「見たかった!」
力が抜けた。
悪趣味はプリンマニアだけじゃないようだ。
「やだよ見られるの。こっちはお子様みたいな反応しちゃってるし」
芽生の前ではもっとひどい当たり方したけどな。
「へえ……?」
「お子様になってる時に、社会人として必要な事を覚える機会を奪うな、って言われると、もう何がいいのかわかんなくてね。ほんと色々、言わなくていいこと言ったんだよ。それで勝手に
「へえ。そうなんだ。……へぇ、意外」
小さな声で、皆堂は呟く。
「先輩も凹むんだ」
意外なのはそっちなのか?
「なんでそんなに感情的になったんです?」
「え?」
皆堂はじっと私を見つめた。
「…………」
見つめて、私が返事をしないので、頭を掻くと、質問を変えた。
「どうするのがいいと思います? 私」
「え? それ、私に聞く?」
こちらの意見を言ったところで、納得できるようにしか、できないんじゃないのか?
自分の中で答え出てるだろ、これ。
「うるっせぇな! って巻き舌で叫ぶほどの皆堂さんに、会社も辞めるな、何でもかんでも周りに合わせろ、とまで強制する気はないよ。皆堂さん巻き舌でヤバいヤツだし」
凄まれた復讐に、本音を呟く。皆堂は眉をあげてくっくっと笑った。
「巻き舌突っ込まれた」
「元ヤンでしょ」
「元ヤンじゃねぇし」
「現ヤンキー?」
「ちげーし!」
皆堂はまだ笑っていた。
「ぶつかるの、わかっててやってるわけでしょ、皆堂さん。それなりの理由があるんでしょ? 私にわかんなくても」
「……うーん」
皆堂は黙り込み、ぽつんと言った。
「どうなんだろうな?」
「会社辞めたい理由、こないだ言ってたこと以外にあったりする?」
皆堂は私を見て、少し迷うと、おっくうそうに首を振った。
「先輩に言ってもな。いいよいいよ、めんどくさい」
「ほんとに言い方に遠慮がないな」
慣れてくると皆堂は後輩というよりは、ざっくばらんな妹のようだ。皆堂は「性格なんで」と言い、ペットボトルのサイダーを一気に飲み干した。
「うちの部署のやつらが、私に辞めて欲しがってんですよ」
「…………」
「ヤシの部署行ったらその派手な服も性格も治るんじゃないの、って冗談みたいに言ってくるのがいんですよ。たださぁ、そいつ、最初はその服いいねとか合わせてきてたヤツだったわけ。それが、部署内で力関係が変わった途端に手のひら返したみたいになって、私の机の引き出しン中のクリップの置き方までチクチク言うようになったワケ」
ん……? これは、人間関係の問題なのか?
「少しぐらいなら合わせてもいいとは思ってたんですよ。でも、なんか、聞こえてくんですよ。ヒソヒソヒソヒソ、聞こえるか聞こえないかみたいな絶妙な声量で噂してんの。ヤシんとこに異動になれば、会社辞めるだろう、異動するように上に言ってやった、って周りと言いあってると思う。ヒソヒソやってんの見ると、こっちとしては、『直接言って貰っていいですか? 聞こえねーし。言われるまでこの服装で居座ってやんよ?』って気分になったり、辞めよっかなって気分になったりすんですよ。辞めてほしいだけだろ面倒くせえなって」
ああ。そうか。皆堂の服装は、異動させるための口実として使われてるのか?
「服装変えたところで、どうせまた異動させる口実を探すだけだろ。イタチごっこみたいに、今度は態度が、仕事の仕方が、って探して行くんだよ。前辞めたやつもそうだったし。その度にヒーコラ頭下げて、言われるまんま自分を変えるのも、無理に居続けるのも、馬鹿らしいなって。部署移動しても、隣の部署からじーっと見てるわけじゃん。同じフロアだし、ヤシへの対応も全部見えるし。こっちが変わったら変わったでヒソヒソ、ヤシに合わせるたびにヒソヒソ、ヒソヒソ言いながら、見物されると思うとね。気持ち悪いんすよ。私はいい気分で仕事したい」
いい気分で仕事したい。
辞める事に対して、私は自分に忍耐力が足りないと思いがちだが、気分一つが体調に関わるのだから、「いい気分で仕事できる」というのは、大切な労働条件ではあるのだ。転職の当然の動機かもしれない。
「こういう、ちょっとしたストレス、めんどくささみたいなのって、どうしたらいいんだろうな」
「私も知りたいね、それは」
答えを探すとも、相手の言葉を待つとも言えないほんの少しの間を、波の音が埋めてくれる。しばし聴き入っていると、皆堂が語り出した。
「最初にうんちゃら先輩って思い始めたのはさ。飲みのときだったんだよな」
皆堂は太陽を見つめ、眩しそうに目を細めた。
「ヤシがさ。新人はお酌して回れって怒りまくってただろ。特に女は率先してやれとかってさ。それで新人は一気にヤシを嫌がり始めたんだよ。時代錯誤だとか言って。挨拶の為に新人が回れってならみんな納得したんだろうけど、若い女がやるほうが喜ぶもんなんだから、って言い始めて、さっさとやんなさい、って怒鳴り始めたから特にね」
「ああ、そんなことあったね」
毎年恒例の飲みの流れで、いつもはわかりました、で動く新人が動かなかったので、小林がキレた。
「そんとき、先輩、率先してビールの用意とかしててさ。ああ、数年すると染まるんだな~~なんて見てて」
「…………」
「私が手伝いにいって、『ああいう言い方、理不尽だとか、感じないもんなんですか。怒鳴る意味がわかんないんすけど』って聞いたら、『理不尽なことばっかりだよ』ってドスの効いた声で言ったんですよね先輩」
そんなことも、あっただろうか。小林の、お酌の強制のしかた自体にも理不尽を感じないわけではないが……どちらかというとあの日は、キレた小林に不当に当たられてイライラしていたような気がする。
「新人のうちに全部否定しても、角が立つだけで上手くいかないし、やってるうちに納得するものもあるから、やってみて、どうしても我慢できないことに絞ってタイミング狙って少しずつひっくり返すんだよこういうのは、って言ったんだよ」
……あ。言った。
確かにそんな事を偉そうに言った覚えがある。あの時の新入社員、皆堂だったのか。
「で、よーく見てると、やっぱ不服そうなんだよな、先輩って。偉そうなこと言っていつひっくり返すんだよ、お手並み拝見といこうじゃん、センパイ、なんつって。私、えっらそーに先輩のこと見てたんすよ」
「それはまた……」
本人に言うって、なかなかのもんだぞ!? いつ辞めてもいいと思っている人間は、そういうものなのか。
「そしたら先輩、なっかなか、『どうしても我慢できない』になんねぇんですよ。さすがに先輩も我慢の限界でしょ、と思っても、翌日ニタニタしてる。なかなか限界が見えない」
「そういうの、見ようとしなくていいし」
「ヤですよ。ひっくり返すとか、もうどうでもいい。面白ぇもん、先輩の隠れ百面相」
こいつ、趣味、人間観察とか言っちゃうヤツか。プリンマニアよりタチ悪くないか?
「先輩って、上の人たちとつるんでても目がめっちゃ怒ってるし、かといって若い中にいても冷めた目してんですよね。周りと合わせてんのに、水槽の外から中の魚見てるみたいな、どっちにも、どこにも属せませんし仕方ありませんけど? って言ってるみたいな、目してる時あんだよね」
げ……。まじで、なんだよ。こいつ? だいぶ観察されてんぞ私。
「それが、常識がなくてすみませんでしたね! だっけ? いっきなりブチ切れてポスト回し蹴りじゃん。結局ブチ切れてんじゃんって」
「ああ……うん……キレたね」
「回し蹴りした後の肩が、めっちゃ怒ってんのな、フーフー言ってる感じで。おお、かわいそうなポストだ、まじで怒れる先輩になったぞ、ヤッベー、って」
「私の話はいいってば。楽しんでない?」
「半分ぐらいしか楽しんでないっすよ。大丈夫かこの人、みたいな心配もしてますし。怒れる先輩なのかイカれてる先輩なのか知らんすけど、私、孤立ぎみでイカれぎみの人好きなんですよ」
「イカれぎみて」
だめだ。褒められている気がまったくしない。皆堂がさっぱりわからない。
「だから、なんか、言いたくなっちゃったんすよ。ファンですって。お手並み拝見、じゃなくて、途中から応援になっちゃったんです。こっちの気分が」
「ごめん、どこを、なにを応援されているのかさっぱりわからない」
「共感してるだけです」
皆堂は、ややぐったりしてきた私の目を覗き込んだ。
「だから、つまり……意見聞きたいってより、だから、つまり、先輩が止めてくれるかどうかを、知りたいだけなんですよ、私は」
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