第122話 他の人と出かけられたり
リビングで生卵を濾していると、あおいが出てきた。
「あおい、プリンにチョコ味で二層に……」
「ごめんあとで」
あおいはバタバタと着替え、メイクをして玄関へ向かう。
「でかけんの?」
「下に知り合いがきてる」
サンダルを履いて出ていったかと思うと、しばらくして戻ってきて今度は革の手袋を探している。
「手袋……、手袋、革手袋、ない、ない」
「革手袋なら、下駄箱の中にしまってなかった?」
「ほんとだ、あった」
手袋するほど寒いか?
部屋に戻ったあおいは、ジーパンに履き替え、ジャケットを羽織って戻ってきた。数年前流行りで買ったオーバーサイズの革のジャケットは、あおいが着ると、オーバーサイズ過ぎて着られているように見える。
……そんなに寒いか? 風邪引いたんじゃないか? 大丈夫か?
あおいは靴箱の奥からペタンコのショートブーツを出して履くと、こっちをちらっと見た。
「夜ご飯作れないかもだから、念の為、今日は別々にしよう。なにか適当に食べて」
「え? うん」
「行ってきます」
あおいが玄関から出て行く。卵を濾すのは時間がかかる。カップを持って窓に移動し、濾しながら見ると、一台のバイクが停まっていた。あおいがバイクに近づいて行く。
え? まさか。知り合いってアレか?
黒のライダースジャケット……誰?
あおいがジャケットを脱いでライダースに渡した。ライダースが、脱いだジャケットをあおいに放る。
二人はお互いの交換したジャケットを身につけた。
「…………は?」
ジャケットの交換……だ……と……?
ジャケットの交換って……ロザリオの交換どころじゃねーぞ! 体温と匂いがついてるだろうが!
あおいがヘルメットを受け取り被る。顎紐をつけてもらっている。
……なにあの世話しあってる感! っていうか、顔近すぎるだろ!
ちけーよ!! なんでそんな近いんだ、「タイが曲がっていてよ」どころじゃねーぞ!
ジャケットを脱いだ時に見えた体つき。女だった。
そう思ったとたん、焦げるような熱さが胃を焼きはじめた。
誰? 誰だ?
あおいがバイクの後ろに乗る。あおいの腕がその人物の腰に回され、ぴったりとしがみつく。わたしの手にプリンがかかった。カップに濾していた卵がずれたのだ。ねっとりとした嫌な感触が皮膚を伝い床へ垂れていく。
そこまで抱きつくか? そんなにしがみつくか?
いやわかるよ、バイクなんて普段乗らないし、スピードの出る乗り物なんだから怖いだろうよ、落ちるなよ、しっかりしがみつけ。でもそんなに、そこまで、密着するとは……。恨めしい。二輪の乗り物が心底恨めしい!!
ジャケットの袖から、グローブに覆われた細い手首が見える。
男ならわかる。わたしと同じ女の身でありながら、あおいとあんな風にくっついて出かけるとは。
男でも嫌だったはずだ。あれだけべたべた触れ合っていても、きっと恋人とかじゃない。それなのに、自分より体の距離が近い「女」が現れたというのが、こんなに神経に触るとは思わなかった。
目の前で見たせいだ。
自分が女でなければよかった、とわたしは何度、思ったことか。そして、それよりもはるかに多く、強く、女でよかったと、何度思ったことか。
女だから、同性だからこんなに近くにいられる。男だったら、恋人になりでもしない限り、あおいにここまで近づけない。あおいと一緒に住んで、食事をして手を握ってプリンを食べさせる、これができるのは私が同性だからだ。
わたしが同性の特権をつかって無理に築き上げたその場所。特別な場所。
わたしがしがみついているその位置に、あのライダースは一足飛びに駆け上がり、入り込んでしまったのだ。
顎紐が……顎紐が、ゆるんでいてよ……、くあぁぁぁあああ!!
床に落ちた生卵を、臭くなってもいいボロ布で拭きながら、わたしの頭の中で先月観たドラマのワンシーンが再生されていた。
不倫された主婦の叫び。
「どうせわたしは家事係よ、臭くなったボロ雑巾のように捨てるんでしょっ!」
捨てるも捨てないもない。あの主婦とわたしは違う。
家事は必要だから勝手にやっているだけ。あおいだってやってる。わたしはただのルームメイトだ。
そもそもルームメイトになったのだって、わたしがなりたがったのであって、無理にわたしがあおいの日常に割り込んだのであって。あおいから、何ひとつ頼まれてもいない。あおいがわたしを選んだことなんて、一度もない。
わたしはただ近くにいて腐っていくだけ。
自転車に……自転車に乗れない、夜中に焼き鳥屋にすぐに行けない……こんな友達といるより、絶対楽しいよね。
腐ったプリンはどんな臭いがするんだろう。たぶん、わたしも嗅ぎたくない臭いだ。卵を拭きとったボロ布を、そのままゴミ箱へ押し込んだ。今日はプリンは作らない。待つのがいやだから。今日作るプリンはねっちょりしていそうで、自分でも嫌だ。
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