第114話 媚薬を使われたり

 様子のおかしいあおいの目の前に、マニアックプリンの箱を出す。今日のあおいは涙もろくなっている。泣いていないと言っているが、そうは見えない。


「わたしが買ったプリンだから、あーんはわたしの権利」

「権利って」


 苦笑してみせ、あおいはテーブルに置かれた箱をつつく。


「マニアックプリンだ。気に入っちゃったの?」

「まあね」


 箱から出して、あおいの前にシャインマスカットを置く。


「苺と、どっちがいい?」

「苺」


 思っていた通りの答えが返ってきた。どっちも買ってきてよかった。


「シャインマスカット味見する?」

「うん」


 椅子を寄せて、淡い薄緑のシャインマスカットを一粒、あおいの口元に持っていく。


「わがまま娘さん。どうぞ?」


 あおいが目をぱちくりし、その唇が丸くみずみずしい緑の珠を含む。美味しいといって頬が膨らむのが見たい。やわらかな頬に福をつめこみたい。

 咀嚼してしばらくしてから、あおいはもう一度わたしを見て、何か言いたげにしてから、視線を外した。


「どした?」

「さっきの、なんか、ごめん」


 わがまま娘と言われて、さっきの自分を思い出したのか。


「変なこと言ったよ……」

「わたしが見るあおい史上、最大に変だったね」


 否定はしない。さっきのあおいは眠くなった幼児みたいだった。今までで一番おかしいし、続くようなら心配になるレベルだ。


「お風呂入って、さっぱりした?」

「うん」

「ちゃんと全部蓋あけてきた?」

「閉めてきたよ」


 あおいは頬を膨らませる。

 ほい、といってシャインマスカットを揺らす。


「食べて、寝なよ。今日は」

「…………」


 ぱくん、とあおいの唇がふたつめのマスカットをくわえる。少し力が抜けたような、甘ったれたような顔。

 こいつはたぶん、わたしという変態を刺激する天才なのだ。わざわざこんな中途半端な食べ方をして。

 わたしはマスカットの粒を指先でつついて、あおいの唇の奥に押し込んだ。


「おいしい?」

「指かじりそうになったよ。芽生の」


 あおいは少しわたしを責めるように言った。かじってもいいよ、と指を差し出しそうになって、引っ込める。


「人食いめ」

「マスカットおいしいね」


 やっとだ。満面の笑みとまではいかないが、少しはちゃんと笑ってくれた。

 あおいに笑顔を向けられて、ざわざわとわたしの胸のうちに小さな花がたくさん開き、顔がぽうっと温かくなっていく。頬が緩んでいく。

 自分が食べさせてもらうより、あおいに食べさせるほうが甘ったるい気分になるの、なんでなんだろうな?


「芽生って」

「ん?」

「愛情深いほうなのかなって」


 何をいまさら。愛情深いというか…… 。あおいに向かう分が濃い。自分でも認める。


「なに、急に」

「へんなのに入れこまないように気をつけなよ」


 黙っていると、あおいはわたしをちらっと見て、口を尖らせた。


「どれだけ迷惑かけてもいいよ。一緒にいてくれたら……」

「ちょ、」


 こいつ……油断してた! 最悪だ。まさかリピートされると思わなかった!


「やめて?」

「自分が言ったんでしょ」

「そうだけど!」


 やめてくれ。叫びたくなる。顔から火を噴きそうだ。テーブルに突っ伏したくなるのを、ぐぐっと顎を持ち上げて、どうにか平常心を保つ、ふりをする。恥ずかしさが致死量に近い。どうやってまともでいろというんだ。


 もうすぐ寒くなってくる季節だというのに。熱い熱気がわたしをもわもわと包んで、まるで体中蒸されているようだ。


「へんなのに言うのはやめときなね?」

「へんなの?」

「私に言う分にはいいけど。なんか、一抹の不安を感じたんだよな……」


 あおいは考え込むように呟いた。

 たしかに、自分でも、ヒモに縋りつくみたいだなとは思ったけど!


「芽生を大事にしてくれる人にだけ、言うんじゃないと、危ういなぁって。いくら一緒にいたい相手でもさ」

「わたしを心配するぐらいの元気が出てきたならよかったよ」

「言う相手は選びなよね」


 あおいがちらりと、こちらを横目で見た。

 なんで、わたしはこいつに説教されてるんだろう。


「優しさだけでそういうことを言うのもね?」

「優しさだけで言ったつもりないし!」


 わたしは優しくなんかない。無差別に人の言う事を聞くような人間でもない。あおい相手だと、ペースが多少崩れるだけだ。あおいだけだ。


 どうして、あおい相手だとこうなるんだろう。


 それこそ本当に魔法をかけられてんじゃないのか? シチューで。

 シチューで魔法をかけられているか、シチューに媚薬が入っているか、あおいの体から無意識に媚薬が発散されているか、どれかなんじゃなかろうか!?


「大丈夫だから。あおいにしか言うつもりないから」

「…………へ、へぇ……?」


 あおいはわたしを見て、そのまま目を泳がせて視線をはずした。なんて返事していいかわからないといった感じで、あおいは頬杖をつくかのように自分の耳の後ろを撫でさする。わたしを見ないようにしている気がした。

 あ。やば。

 謎の媚薬にやられて、変なことを口走ったかもしれない。


「あおいみたいな世話が焼けるタイプの人間、なかなか転がってないしね!」


 あおいは眉をしかめて、小さく唸ったかと思うと、顔を隠すように机に伏した。耳が真っ赤に染まっていた。


 オマエは世話が焼ける。……。

 と、そう言ったことになる。


 また、やってしまった。針がどっちに触れても、結局は「言い過ぎ」になる。


「食べなよ。肥えて寝ろ」


 プリンを口元に持っていく。

 この日のあおいは、時々落ち着かなさげにむすっとしたり目をそらしたりはしていたが、最後まできちんとわたしの差し出すプリンを食べきった。

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