第113話 魔法を使われたり
「友達がね、ビーフシチューを魔法みたいだって言ったんだよね」
「魔法?」
芽生が二皿もおかずを準備してくれたので、食卓が華やかになった。豆腐サラダと、チーズのつまみができている。
「色が変わるからだって」
「ああ、なるほどね」
芽生はシチューを先に食べてくれていたようだ。空になった皿がある。私がシチューを食べている間、芽生はチーズをゆっくりつまみ、サクサクとおいしそうな音を立てている。
昔私がネットで見つけて、試しに作ってから、芽生のほうがハマってしまった。電子レンジでチーズ鱈をチンしただけのものだが、食感が変わって美味しくなる。
「鍋に入れてグツグツ煮て、色が変わるから? 魔女のイメージか」
「その子の周りだけ魔法の世界があるみたいだったな。かわいくってね。なんか」
「へえ」
好きな色になるわけでもないのにね。
言うのはやめた。我ながら言うことがいちいち、ケチをつける感じになりやすい。嫌味な言動なら今日は芽生より私が勝つんじゃないか。本当に今日はやられてる。
やられてるのかな。やられていることにして、救われたいだけかもしれない。考えなしで幼稚な自分の今日の言動に、自分で罰を与えて、許された気になりたいだけ。
私の皿が空になったタイミングで芽生は席を立った。片手鍋をテーブルまで持ってきて、おかわりをよそいながら気づいたようだ。
「あれ? 肉入ってない?」
「入れてない」
「ビーフが入っていないビーフシチューが魔法……」
こうやっていつも、余計な一言を言うのだ。芽生も。
人間、そんなにすぐには変われない。私の周りに魔法は存在しない。
「魔法が使えればな」
ぼやきながら、芽生の手つきを眺める。肉が無いせいか、まるで宝石をすくうみたいにして人参を丁寧に皿に入れている。
魔法なんて使えるはずもない。自分のことすら変えられないのに。
「使えたら何すんの。ロクなことじゃなさそうだけど」
「ほんとに一言多いな。魔法が使えたら、ホウキを芽生の口に突っ込んで黙らせるよ」
「それ魔法じゃなくて、ただの暴力じゃね?」
芽生は笑い、私のお皿にもシチューのおかわりを注ぎ込んだ。
「じゃ、賄賂」
「ありがと」
芽生が好きだからホワイトシチューばかり作るけど、ビーフシチューもいい。ビーフ入ってないけど。
「魔法かもね」
シチューを一口すすって、芽生はしみじみと言った。
「なにが」
「ビーフシチュー。というか、シチュー全般」
ちょっとした思い出話で出した話題を、芽生はつなげてくれようとしている。
「ファンタジーの話はもういいよ」
私には、自分の妄想した百合小説というファンタジー世界だけはある。これからもそれを原動力に生きていくからそれでいい。現実にファンタジーは要らない。
「中学の時になんか痛いのがいてね」
「痛いの?」
「魔法研究会ってサークルに入ってて」
芽生は思い出したようにちょっと笑った。たしかに前、中二病の子がいたとか言ってたような。
「その子が魔術の定義について話してた。意識に変化を起こす技術だって」
――魔術とは、意識の中に変化を起こす技術である。
「ほら」
芽生が差し出したスマートフォンの画面は、全体的に黒い色だったが、その中の数行の文字が選択されていた。
「空中から火を出すとかじゃなくて?」
「意識だけでいいなら、食事を作る時点で魔法だってことになるね。特に、あおいが作るシチューはわたしには魔法なんだわ」
芽生はなんでもないことのように、言った。
「わたしを幸せな気分にする」
肉入ってなくてもかよ!
突っ込むように言ってやろうかと思っていたのに。
「にく……入ってないし」
突っ込みの言葉はパンチ力がないせいで、愚痴のように床に吸い込まれていった。
この部屋のなかで、芽生は、受け入れてくれている。私のことを何もわからないままで。
わからないままだから。
「入ってなくてもいいけど?」
芽生は私の顔色を窺い、立ち上がろうとし、椅子に座り直した。椅子の背に手をかけたまま、心底困ったような表情でこっちを見ていた。
「泣かせるようなこと、なにか言った?」
「別に泣いてないよ」
不思議だ。いつもは芽生の神経質な視線が居心地悪いことも多いのに。今日の私は、この場所でだけ、何も考えずに食事ができる。
――わたしを幸せな気分にする。
わかってもらう必要なんてどこにあるというんだろう。普通に生活しているだけなのに。こんな簡単なことを、幸せだと言ってくれる人間がいる。今日、一緒にいてくれるなら、その相手は私のことは何もわかっていなくていい。今日の私は、何も知らない芽生の前でだけ、人間でいられる。
言葉の力で、芽生が私に魔法を使ったから。
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