第104話 これからの話をしたり

「皆堂さんの服装は、確かに主張が強いです。言うべきことがあれば、言えるタイミングで、言うと思います。でも私、は」


 会社で、個人の意見を伝えることは初めてだ。


 あえて「私は」と言った。


 自分の感覚が、正しいのか、自信が持てない。「私が」勝手に感じて、考えていることに過ぎないから。自分以外はそう思ってくれなさそうで、自信がないから。

 でも、「私は」と言えば、かえって主張が目立ってしまうのだろう。


「身に着けるものも含めて、見た目ではなくて、仕事能力で判断して配置される職場っていいなと……思っていて。だから、こういうのが原因で配置転換までするっていう話にまでなっているのは、どうしてなんだろうって。こういう気持ちのままで、ただ皆堂さんに言うというのが、できません。納得できないです」


 隣で小林が静かに深呼吸をした。


「納得できないかぁ〜……」


 課長は唸り、頭を掻いた。


「ちょっと試しに言ってみて欲しいだけだったんだよ。君がこういう対処できる子だったら、僕も助かったんだけどね」

「…………」

「皆堂さんに言って納得させられるようだったら、もう一人、お願いしようと思っていたコもいたからさぁ」

「月影さんですか」


 課長はちらっと、同席していた小林を見た。

 二人の視線のやり取りを眺めて、本当にそういう話が出ていたのがわかる。


「んー、まぁ、そう。あのコも、頑固で、ぶつかるんだよ。周りと」

「なんて言ってぶつかるんですか?」

「なにも言わない」


 課長は首を振った。


「表面上、そうですね、とか。勉強になりますとか。でも、わかりましたとは言わない。反抗はしないけど、自分を変えない。社会人なら僕じゃなくってワタシかワタクシと言いなさいって、僕言ったんだよ。それは会社では直し始めたんだけど」


 社会人ならワタシかワタクシ。それを言うなら、課長も「僕」を使うのをやめてくれないと……、角が立つことを言いそうになって飲み込んだ。


 喧嘩売りそうになってる。どうした私。


「もう伝えてあるんですね。それなら、もう」


 ずるいのかもしれない。私は、「自分の口から」言いたくないだけだった。内心ほっとしている自分に気がついた。


 直し始めたというなら、これ以上私が言う事はないはずだ。


「うっかり口に出るんだよ。プライベートでも直していかないと、いざというときに出るんだろうね。だから、日常生活でもね? 気を付けるように、言ってほしいんだよ」

「……日常生活でも?」


 それ、「会社に着てくる私服に口出し」よりさらに難易度高くないか……?


「身だしなみとしての化粧もね、僕はいいんだよ。でもどっちかというと、ここだけの話、女性のほうが色々目が厳しくてね。人間関係的にうまくやっていく方法の一つとして、まぁ、少し合わせる気持ちになってほしいというか」


 私の知らない世界の、暗黙の了解。

 私が勝手に感じ取り、自分で自分を縛っているだけなのかもしれない、暗黙の了解。


 目配せしながら、黒い影のように取り囲んでくる人の輪が、だんだんと半径を縮めながら迫ってくるようで。


 可愛いパンダの靴下をもらったから、すぐに履きたかっただけなのだが――、ヘンな靴下で学校に来た、そんなくだらない理由で始まったいじめを思い出した。

 

 今思うと、靴下だけが原因じゃない。雑談が合わなかったり、恋バナに乗れなかったりして、もともと距離が開いていた私の人間関係が大きかっただろう。


 私はあの後から、見よう見まねで、服も、雑談も、そして恋バナも。適当に周りに合わせるようになった。

 本音とかけ離れた日常は、私を少しだけ楽にした。


 「ズレてる」と言われて、周りからどの程度浮いているのか測ろうとしても、測るための定規はいつも見えない。あやふやだ。女性の集団のなかでは、目立つ中心人物の感情で簡単に変わってしまう。


 ズレてない人なんて本当に存在しているのだろうか?


「どう言ったらいいか、迷います。役職が上の方でも、営業さんでも、僕って言ってる人も多いし」


 自分も言われている、と気が付いたのか。課長は、攻撃を受け流すように少し白けた目することで、自分を抑えたように見えた。


「僕は、こういうくだけた場では僕って言うけど、そうした方が話しやすい空気になるから、判断してそうしてる。場を読む力というかね。取引先では僕だって、ワタクシだよ。それに、男性が言うのと女性が言うのでは、どうしても、違う感じがするでしょ。判断力の問題なんだよ」


 もう一人の自分が、この風景を上から眺めている。この話し合いの場から、自分を外してほしくなっている自分を。


「ねぇ、本当に、そんなたいそうなことじゃないから。無難に合わせて欲しいってだけだから。服装だって、お化粧だって、ご年配が安心できる無難なもので、自分をお客様の前に出せるように整えてくる、そういう対応でいいのよ」

「もし、私が、まわりが……」


 もう何も言わないほうがいい。変なこと言おうとしてる。


「不安になりそうな……安心できなさそうな、まわりの人が不安になるような私、だったら、やっぱり、だめですし……?」


 語尾が震えている自分の声が耳から入ってきて、いったんしゃべるのをやめた。


 気持ちを落ち着かせるために瞬きをしたとたん、かろうじて目元にひっかかっていた涙が転がり落ちそうになった。


 バカヤロウ!! 会社で涙は厳禁だ!! 相手がコミュニケーション取りづらくなるだろうが。引っ込め! 引っ込め!


 こんなことで……こんなことで、感情的になるなんて。


 会社でこういう自分を出すなよ! 言ってることが感情的で幼稚すぎるだろ。

 涙と一緒に、「シャカイジン」から転落してしまうんじゃないか。


「あまりキツく締め付けすぎると、そこから外れる人は出てくると思うんです。皆堂さんや月影さん関係なく、どんな事情のある人でも働きやすい職場がいいのかなと」


 働きやすい職場が良い。……ニュースから流れてくるような平坦な言葉の羅列が、自分の唇から放たれて、耳のそばを通り過ぎていく。私の唇から出たばかりの、状況を考えきれていない浅い言葉が、「人を不安にさせる」その言葉の前で霞み、勇気を失って転がり落ちていく。


「そ……その……最近、かなり厳しいらしいですし」

「厳しいとは?」

「あの……。え……えじびっ……」


 めっちゃ噛んだ!


「例えばの話ですけど。LGBTQの人達は、例えば、どこにでもいると聞いていて」

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