第127話 流れ星に願いを込めたり
「私に止めてほしいってこと?」
「……そういう聞き方すんなし……」
「辞めるの、止めてほしいってことだよね?」
「どう思うか知りたいだけですよ」
皆堂は早口で短く答えると、気分悪そうに砂を蹴った。夕日に照らされて耳たぶが朱く染まっている。
「避けてたのは、服装のこと私から言いたくなかったからだよ。もう、おいでよ皆堂さん。嫌な思いさせられてる側が辞めるの、腹立たない? こっちの部署で、気分良く仕事しようよ」
「…………」
皆堂はちらっとこちらを見たが、部署が替わったところで気分良くは過ごせない、という内心が目に表れている。
「隣からジーッと見られてたって、見えない壁作ってさ。邪眼よけシールドみたいなの」
「邪眼よけ」
皆堂が、茶々を入れるようにリピートした。
アニメにでも出てくる技の名前のように「邪眼よけシールドッ!」と唱えてやろうかと思ったが、中二病ぽく見えそうなのでやめた。
「言い得て妙だな。要るな。邪眼よけとか、マヨケ」
「そうだよ。そのペットボトルに水入れて置いとけばいいじゃん。机に」
「それ猫よけだし!」
勢いよく突っ込んで、皆堂は吹き飛ばすように笑った。
「わかりました。先輩にまで避けられてるとなると、さすがにどうしようかって感じだったけど。猫よけかなんか準備して、そっちの部署に行くからいいや」
「来て来て。避けて、ごめんね」
「いっす」
話してよかった。
「先輩」
「なに?」
気分を変えたいのか。皆堂は突然海を見渡した。
「タオル持ってきてないんすけど、水に足つけるの、どう思います?」
返事をするかわりに、靴下ごとブーツを脱いだ。柔らかい砂に足指が埋まる。幸い今日は、ギャーギャーうるさいことを言う芽生がいないのだ。
海に向かって歩き出す。気持ちいい。振り向いて手招きすると、皆堂は眩しそうに目を細め、少し迷った様子をみせてから裸足になった。
「タオル、コンビニに買いにいこうって話になると思ったのに。いきなり靴脱ぐって」
「皆堂さん重ね着してるでしょ。そのカットソーでふたりで足拭こうよ」
「なかなか最悪っすね、先輩」
※※
「気持ちよかった!」
「たのしそーで何よりです」
濡れた足を乾いた砂で乾かし、砂を払うと、私はそのままブーツを履いた。ざらざらするが、靴下は洗えばいい。ざらついた砂に石が混じっている。石だけを靴下の中から取り除く。
意外なことに、皆堂は本当にカットソーを脱いで足を拭きはじめた。皆堂の服で足を拭くのは冗談だったのだが、いまさら言わないほうがいいか。
陽は焼けてすでに山ぎわに近づき、空に幾層もの色帯ができている。久しぶりに充実した時間を過ごしたと思った。
芽生と来ていたら、こんなにのびのびと気楽に自由には楽しめなかっただろう。
でも、見せたかった。
家に帰ったら私は芽生に話したくなる。しらす食べたよ、海を見たよ、天気良かったよ……。
雲の上に裾野を広げて浮かび上がる富士を。沈む太陽を。太陽が沈むときにせりあがって迫って来るように感じる地面の大きさを、波の音が耳をくすぐることで感じる身体の水分を、血のうねりを。言葉で伝えて、何になるというんだろう? 話すのでは伝わらない。見せたかった。
打ち寄せる波に洗われて、身体の中身が入れ替わってしまうみたいだ。
芽生はどんな目でこの景色を見るだろう。なんて言うだろう? 芽生と一緒に見たかった。
でも、芽生はどうかな。
……芽生が、景色をみて感動したとき、一緒に見たいと思うのは誰だろう。
好きな気持ちはわたしを幸せにしてくれるのに。
芽生の言葉が耳に蘇った。涙をぽろぽろこぼしていた芽生の姿が目に浮かんできて、胸がぎゅっと締めつけられる。
好きな人、いるんだよな。
赤く焼けた空。この色は、体に滲むように沁みて、だんだんと切なく苦しくなってくる。今日がもう終わってしまう、その最後の色だからだろうか。
私達の同居は、いつ終わってしまうんだろう。
「グリーンフラッシュ、見られないかな」
「グリーン……何です?」
「太陽が沈む時に、緑色に光って見える事があるんだって。見たら幸せになれるらしいよ」
「へぇ。願い事とかしちゃう派ですか?」
皆堂がニヤニヤしている。こいつ本当に……。
「方角的に、水平線に沈む感じにならないし。ここでグリーンフラッシュはやっぱ無理かなあ」
今願い事を聞くと言われたら、何を願うだろう?
芽生の、恋愛成就を、願ってあげよう。
そうしよう。
ついでに、プリンマニアの分も、願っておこう。こないだ不毛だと言ってしまった罪滅ぼしに。
ついでに、私の分も。
今のままの私では、雑念が混ざるから。
大切な誰かが幸せになったときに、引き止めたくならないように。羨みすぎる自分にならないように。
恋愛でもそうじゃなくてもいい、私自身も、幸せに向かっていけるように。人を絶望させる台詞を、もう吐かないでいられるように。終わりかけの光を見ても、その先の明日を怖がらないでいられるように。
いつか、私が好きだと思っても、困らないでいてくれるような、そんな人と出会えたらいいな。
芽生と、プリンマニアと、私の、幸せな未来を……、そう思っていた時、今日の最後の火輪が山の端でゆらめき始め、同時に。
大きな光の粒が、空をゆっくりと横切りはじめた。
「あ、あ? あ、」
「何すか」
芽生とプリンマニアと私……三人まとめて恋愛成就!!!
光の粒は瞬きをするぐらいの短い瞬間、火がついたように緑色に光り、水平線の向こうへ消え去った。
大地を焦がした太陽は山際から柔らかい最後の光をすべらせ今日の恩恵を終えた。
「すごいもの見た!」
言葉に変換する時間はないと思ったので、雑な念じ方だったが、準備万端だったせいで初めて流れ星にお願いごとをする事ができてしまった。
「何すか? 何すか?」
「流れ星だった! 緑色に光ってた!」
「嘘でしょ。緑?」
「嘘でしょはこっちだよ。見てなかったの? もったいない! ゆっくり流れてた!」
「先輩がアッとか言うから、先輩のほう見ちゃったし!」
見そびれたらしい皆堂が唸っている。
「願い事しちゃったよ」
「どんなんです?」
「ルームメイトと、私と、ネットの知り合いが幸せになるように」
皆堂は少し黙って、唇を突き出した。
「……私の幸せは??」
「次に見た時に祈っておくね?」
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