第128話 他の人と食べないでほしいと思ったり

 あおいが帰ってきたとき、わたしはかなりげっそりしていた。玄関から音がすれば、いつもなら顔を出して声をかけるのに、部屋の扉を開ける気にならなかった。

 自転車を漕ぎつづけただけなのに。


 営業先に挨拶回りする時などはもっと過酷なスケジュールの時のほうが多い。荒ぶる自分を精神力で制御し続けるほうが疲れる。くだらない嫉妬に体力をもっていかれたんだ。


 ぐうぅとお腹が鳴る。

 プリン用に準備していた卵液の残りは、卵焼きにしようとして、思わずぐしゃぐしゃと掻き回したせいで炒り卵になった。

 その炒り卵と、自転車の練習がてらコンビニへ行ったときに買った鮭のおにぎりを夕方に一つ食べただけだった。空腹がたたって物寂しく、恨みがましい気分だけが積もっている。


「芽生? プリン、買ってきたんだけど」


 ドアを叩く音と、あおいの小さな声が聞こえた。


「ぷりん……」


 あおいの姿が少し見えたとたん、ドアを開けた事を後悔した。

 ジャケット着てる。さっき交換してたジャケット。

 もやっとした気分は胸の中で黒く渦を巻いた。


「……ありがとう。一緒に食べようか?」


 部屋から出て口元だけ笑って見せたが、感情を押し込めたせいで、わたしの声は自分でも驚くほど低くなった。


「芽生のしかないよ?」

「あおいのは?」

「お土産だから。芽生に」


 あおいはわたしを見上げた。二つの瞳が、あおいの心をうつして澄んでいた。


「おいしかったから」


 なんでわたしは、可愛いこいつが、わたしの為に買ってきてくれたプリンを前にして、息をとめているのか。


「…………」


 今日のあおいは、まばゆいぐらいの透明感を発している。

 あおいの邪気のない目と、自分のぐにゃりとゆがんだ胸中は、あまりに差がありすぎた。


 嬉しい、お土産を買ってくれるあおいの気持ちが嬉しい。

 ただ、つまり、あおいは今日、さっきのヤツとプリンを食べた。わたし以外と、プリンを食べた。


「タベタ……プリンヲ、タベタ……」


 自分でも聞きたくないほど、声に怨念がこもった。


「作ってたもんね。明日食べれば?」

「…………」


 その位置に、わたし以外の人間を入れるな。


 二人で食べたかった。言いかけて飲み込む。腹の底からどろどろとうねる何かが、声音にまた影を作りそうだ。恨みがましい言い方になる。 

 自分のしようとしている言動が、まともな枠におさまっているかどうか怪しい。下手したらこのまま、わたし以外とプリンを食べるなと口走りそうだ。

 しゃべらないほうが良い。今の気持ちをあおいにぶつけたら、煙たがられてしまうだろう。

 わたしはただ、ありがとう、と言ってプリンを受け取った。


「あ、そうだ」

「ナニ……?」

「芽生のプリンって、なにか入れてる?」

「え……?」


 あおいの唇を想像上で味わうために、ゼラチンを入れている。それ以外は、シンプルな材料しか思い浮かばない。

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