第73話 野グソ化されそうだと思ったり

「朝早いからとか言って、うっそつき♪」


 照島は椅子に自分のジャケットをかけると、腕まくりをしてメニューを取った。


「朝早いのは本当ですよ。気分転換したくて」

「飲みの時は、次の日用事があってもいつも遅かったじゃない」


 照島は私の食べたかったごぼうのから揚げと酒を頼んだ。


「如月さんワイン?」

「もっと色々、お話があったんじゃないですか? 柿崎さんとか、田中さんとか。久しぶりに照島さんにお会いできて、積もる話がたくさんあると、話して……申してましたし」

「如月さんが気になってしまって」

「…………」

「出ていくとき、なんだかぐったりしているように見えたから。元気ないのかなって」


 ぐったりしてたのは、お前がきたからだ。そう思ったが、言えるはずもない。


「大人数になってくると、人疲れしてしまうので」


 意味を込めて言う。人疲れしている。だから早く退散してくれ。


「そうね。僕も二人でこうやって飲むのが好き」


 そういうことじゃない!


「一人が好きなんです」

「うちの、嫁さんも同じこと言ってたよ」


 照島は五年前に奥さんに家を出ていかれてしまっている。まだ未練があるのが伝わってくる。わたしを時々、奥さんに似ていると言い、そして奥さんへの愚痴をこぼす。

 照島が奥さんの話をし始めると、正直、またかと思う。途中から恨み節に変わってくることが多いからだ。


「本当は寂しがりだったんだよね。でも一人が好きとしか言えなかった。うちの嫁さん」


 肩に手が置かれた。体に触られるのは久しぶりだった。そういうこと、しなくなってきていたのに。二人きりだとやっぱり距離が近くなる。黙って振り払おうか、何か言って振り払おうか。迷う。


「奥さんのお気持ちわかります」


 肩から照島の手を外しながら、言った。


「簡単に女性の肩に手を置いたりしないで、とわたしなら思います。紳士な照島さんにそんなつもりがなくても、誤解されますよ」

「紳士とか! 僕が紳士じゃないの知ってるでしょ」


 照島は笑い出した。


「照島さんは紳士で素敵なかたですよ」

「うそくさい。芽生ちゃん最高」


 ヒーヒー笑いながら、照島はそれでもわたしの肩に手を置くのをやめた。


「その冷たさがいいんだけどね」


 わたしはたこを口に詰め込み、急いで噛みきって飲み込んだ。ぱっと見では口説きにかかってきているように見える。でもこいつはそれだけじゃない。どこか冷静で、人の反応を値踏みしているのだ。めんどくせぇな。


「わたしの恋人もヤキモチやくので、この辺で帰ります。お互い寂しがりの相手を持つと大変ですね。では」


 にこりと笑って鞄をとり、レジへ向かう。わたしが二千円出そうとしたレジのトレイに万札を乗せて、照島は少し笑った。


「奢る」

「いえ。奢られる理由がありません。他の素敵なかたにお使いください」

「可愛くないね。こういう時はお礼を言って奢られるのがスマートだよ」


 店員が困ったようにわたしたちを交互に見比べた。


「ご一緒で宜しいですか?」

「別会計でお願いします」


 そう言うわたしの手に、レジに出した二千円札を押し込んで、照島はトレイごと万札を店員に渡し、無理にわたしに奢った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る