第74話 やりすぎだろと思ったり

 駅に向かう手を引っ張られて、さすがにこれはもうダメだと思った。はぐらかしてかわす段階じゃなくなってきている。

 かなりの塩対応をしているつもりなのに、伝わっていないのか?


「恋人なんていないでしょ」

「どうしてそう思います?」

「松田さんとか、芽生ちゃんに彼氏なんかいないって言ってた」


 松田あとで覚えてろ。勝手に決めつけるな。いないけど。


「いてもいなくてもどっちでもいいでしょう?」

「いないなら僕を断る理由ないでしょ」


 ……は?


「いったん試してみようよ。僕と」

「またまた。照島さんモテるんですから、わたしでは不釣り合いです」


 いきなり手をぎゅっと握られ、恋人繋ぎされた。

 なに……ちょっとなにこの人? 断り方が弱かった?

 そのままビルの隙間に連れ込まれた。


「芽生ちゃんも可愛いよ」


 距離の詰め方が今日はあからさますぎる。わたしは手を振り払った。どうした今日。前から行動するクソではあったが、行動力倍増しになってる。


「真剣に好きな人がいますので」

「芽生ちゃんみたいな子に好かれて断る男がいるわけないでしょ。あのさ、僕、次期社長だよ?」

「社長だろうが無職だろうが、あなたのことが好きだったら、わたしは断ったりしません。馬鹿にしないで下さい」


 いつになくハッキリと言ったのは、正直、ビルの間なんかに引き込まれて怖かったからだ。


「馬鹿にしてるわけじゃないよ。むしろ今の聞いて、ほんとうに良い子だなって。ピュアで可愛いね」


 照島が手を握る力が増した。


「でも、僕は良い子じゃないんだよ」

「は?」

「次期社長だから好きになるだろうって言ってるんじゃない。僕が社長になったときに、芽生ちゃんの会社での居場所がなくなるよって言ってるだけ」


 ――この、野グソが。


「いっそすがすがしいわ……」


 口に出ていた。


「一度だけ試してみようよ。試してだめなら、それでいいから。甘えていいから」

「甘える?」


 思いっきり嫌そうな声が出てしまったが、謝る気もしなかった。


「いつもつんけんしてるけど、芽生ちゃんって、もっとまわりに甘えていいと思うんだよ」


 嫁さんがそうだった、放っておけない、と照島は呟いた。

 放っておけない、甘えさせたい相手を、あんたは脅すのか。


「彼氏がいるとかだったら、こんなにしつこくしないんだけどね」

「興味ないので」

「男に興味ないの? 女が好きとか?」

「…………」


 笑いながら言われたこの質問に、わたしは迷った。


 いままで好きになって来たのは全員女だった。今好きなのも女だ。女が好き、……と答えればわかりやすいのだろう。


 そうだと言ってしまったほうが楽だろうか?


 こういうとき、異性愛者の女性に、「男が好きなの?」と聞いたら、「男が好きです」という返事をすんなり返すものなんだろうか。


 恋愛対象が男な女と、男好きの女では、ニュアンスが違う。

 うまく説明できないが、「女」が好きなわけじゃない――。全部の女が好きなわけではないし、男が全員嫌いなわけでもない。

 恋愛対象として意識する前、わたしにとって、女も男も恋愛対象というより、ただの人だ。


 男が好きなら自分も好かれるはずだとグイグイ来ている照島に、女が好き、と答える違和感が、ハンパない!


 仲良くなる前から「恋愛対象内だ」と条件だけで浅ましい気持ちを抱いた人間が、一人だけ、いる。

 おつぼねぷりんだ。

 女性を好きになる女性かもしれない、と思ったとたんに、わたしは意識した。まわりにそんな人が、いままでいなかったから。


 好きな相手がいるのに、ばかみたいにかすかに期待する気持ちを、自分の中に感じた。それだけで、わたしは自分を浅ましいと感じたのに。おつぼねぷりんに失礼だと。


 わたしは本当に面倒くさい人間だ。ついでに、色々面倒になった。


「女が好きだったら何ですか?」

「え? 本当にそうなの?」

「さあ。そうだったら、照島さんがどう言うかと思っただけです」


 照島は少し黙ってから、首を傾げてわたしを見た。この男が真面目な表情をしたのを初めて見た。


「もしそうなら、男を試したほうがいいよ。近場で探すとか、どうなのって思うよ。僕が君を変えてあげられるかもしれない。本気で僕で試していいよ。満足できてると思っているだけじゃない? ほんとうにそれでいいの?」


 こいつは何を言っているんだ。知らない世界を教えてあげる? なんて使い古されたネタを……。


「棒が一本足りないよ?」

「ふくっ……」


 わたしは怒るより前に力が抜けた。定型文かよ。笑っちゃったじゃないか!


「照島さん面白い。うふふ」


 ……真面目な顔で言うんじゃないよ、ほんとかえって笑えるよ、タチ悪い。

 棒が一本あったとさ……。

 葉っぱかな? 葉っぱでいいよ、充分だ。

 

 思いが届かないなら、わたしに棒が一本ついてたところで不満なものは不満だよ! 


「一本あれば足りるとでも?」


 その日のわたしは、おかしかったのかもしれない。照島の下ネタに下ネタで返すなんて。リアルの世界では下ネタにはいつも制限をかけている。だんだんエスカレートしていって、面倒な反応や期待を返されるからだ。いつもなら異性からの下ネタは適当にいなして、流すのに。

 ピュアだという照島の妄想を剥がしたかったのかもしれない。


「触る場所なんて数えるほどありますよね? 棒一本ごときで満足するとか。どうしてエロジャンルに触手ものがあると思ってるんですか」

「芽生……ちゃん……?」

「って、彼氏持ちの友達が、言ってましたよ。うふふ」


 やっちまった……。


 そんな棒の話をする友達などいない。

 だが、このままにすると、後々面倒そうなので、ぜんぶ「友達が言ってましたよ」で締めた。

 しかし、照島の目には、「友達が言ってんじゃなくて、言ってんのアンタだよね?」という光が確実に浮かんでいた。


 ……混乱させて煙にまくのに、言葉を使えば必ずイメージは暴走する。レズビアンのイメージまで落としたくなかったから、敢えて言った。


「わたしは、男性が好きな女ですけどね。棒はスプーンで足りてます」

「……スプーン?」


 照島は目を丸くした。


「痛くない?」


 頭に血が上った。ちがう、そういう意味じゃない!!


「スプーンは最高のプリンを食べるためです!!」


 わたし、今、何を言ったんだ? なんかえらく変な誤解されたぞ……!


 スプーンで足りてるって何だよ! スプーン一本でしあわせ……性的な意味で。ある意味正しいけど、そういう意味じゃねーよ! 最悪だ! こいつの頭から記憶を消去したい。


「照島さんは、そういう面で満足するかどうかだけで人を好きになるんですか? 会えもしなけりゃさわれもしない、そんな奥さんに未練があるように見えますけど?」


 照島が引っ張る手から力が抜けた。瞬間にわたしは手を振り払ってその場を後にした。

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