第75話 やりすぎたと思ったり


 あああ。

 たくさんの棒が欲しいエロ女みたいなセリフを吐いた。しかもスプーンを使っ……、最悪だ。エロジャンルがどうとか。なんで言ってしまったんだ。


 押し付けられるピュア妄想も面倒だが、エロ女を妄想されるのも面倒だ。一を聞いて十を知る人もいれば、一を聞いて十誤解する人もいる。わたしは十の誤解を解くか、誤解されたままその視線に耐えるしかなくなる。


 面倒くさい。


 もう今日は、一言もしゃべるものか。このまま寝る。手を洗って寝る。気を張って話すのがもうしんどい。考えるのは後だ。酒も入ってもう眠い。そうだ、メイク落としたら気持ちいい清潔な布団に直行だ。


 わたしは駆け引きに向いてない。恋愛だろうが仕事だろうが、相手を探りながらの会話なんて本当は苦手なんだ。


 布団……清潔な布団。ふわふわの布団に包まれてさっさと寝る。

 そう思った時、携帯が震えた。照島だったら無視しよう。見ると、飲み会に参加していた先輩だった。

 居酒屋に忘れ物でもしたか……?


「もしもし。お疲れ様です」

「ちょっと如月さん。さっきのは無いよ」


 声を聞いて、電話を取ったのを後悔した。ギリギリの状態で聞く内容じゃなさそうだ。寝ていたことにして明日かけ直したほうが上手く対応できるやつだ。


「さっきのって」

「照島さん来たらすぐ帰ったでしょう。感じ悪いよ。いやわかるよ? 照島さん苦手なんだよね? だからあたし達、あなたが過呼吸とか起こしたから、それがわかってるから、守ってあげようと思って我慢してきたよ? みんなあなたのこと、考えてるじゃない」

「…………」


 ああ……うん。知って……います。そうでした……。


「そうやって周りがしてあげてるんだから、そういう気持ちに鈍感でいちゃ駄目よ。当たり前みたいにサーッと帰るの、何なの? 少しくらい頑張ってみようとか無いの」

「すみません」

「しかも何、照島さん来るなら二次会来なかったって言ったんだって? 本人には聞こえてなかったみたいだけどさ、いちおう会社の飲み会は、仕事だから。ちょっと最近勘違いしてると思うよ」


 あれは、確かに、口から出さなくてもいい言葉だった。少なくともこういうことになる。嫌悪感が勝ちすぎた。公私混同していたかもしれない。


「すみませんでした。言葉が過ぎました」

「照島さんはああいう、わきあいあい! って感じの人だけど、あそこの会社から来る仕事でどれだけの金額が動いてると思ってるの? うちのナンバーワン取引先の営業を、自分から外れる時点で、あなた仕事の上で負けたとか思わないの」


 ……思ったけど、外れて距離を置いたほうが問題が起こらないと思ってしまったんです……。


「最近は過呼吸も無いよね? 無い? 無いの、あるの、どっち?」

「無いです」

「みんな待ってたよ? あなたが元気になるのを。まだ甘えてるのはおかしいんじゃないですか。照島さんだってさ、そうだよ。如月さんが前に目の前で過呼吸起こすの見たから、心配してくれてるところもあるわけだよ。そういうのちゃんと感じてるの? ものごとを勝手に悪く受け取りすぎるクセ、直して。それで周りを振り回してるのに、もうそろそろ気付いて? あなたもう社会人なんだから。ね?」


 胃がぎゅーっと痛むように重くなってきて、わたしは途中から、この電話を切る方法ばかりを考え始めた。反省。反省……します。しますから、反省するの、明日でもいいですか……。


「照島さんとさっき、会いました」

「それで?」

「手を握られました」


 ちょっと変な対応してしまったかもしれない……それだけ報告しておいたほうがいいだろうか? 報告するような事ではない? 疲れて頭が回らない。


「それだけ?」


 放り捨てるように物言いに、答え方を迷った。


「それだけです」

「あのさ。あなた、営業向いてないと思う」


 先輩ははっきりと言った。


「なんでもかんでも照島さんのせい? 前もそうだったよね。手を握られて過呼吸とか、自意識過剰だし神経質すぎるから。潔癖もいいかげんにしてよ。向いてないよ。考えたほうがいい」


 照島さんのせいではないです。わかってます。過呼吸は……前も手を触られて照島さんの前で起こしましたが、ちがいます。

 どちらかというと原因はあなたです。……なんて言っても仕方ない。この人がじいっと見ている前で照島にそつのない対応をしようとして、不安が混ざり、上手くやろうとして興奮しすぎた。自分ではそう分析している。

 現に今日も手を握られたが平常運行だ。多分。


 今日は角が立つことしか言えそうにない。照島を我慢するのもおかしいと思うが、こういう先輩とのやりとりも含めて、わたしには求められているものがあるのだろう。

 説明して納得させる語彙力とか、可愛い相談力とか……? 交渉力とか? スルーする力とか? 

 それが無ければ仕事に向いてないと言われるなら、負けたくない。こんなやつらに負けたくない。

 何か言うなら明日以降、冷静になってからだ。

 わたしは何度目かのすみませんの最中にホームに迎えにきてくれた電車をながめ、早口で最後のすみませんを言った。

「すみません、電車きたので!」




 家についたら午前様になっていた。洗面所で念入りに手を洗う。

 男は気持ち悪くない。照島の視線が、へばりつくような、わたしに色々なものを重ねて見る視線が、想念のこもった手の感触が気持ち悪い。


 恋愛対象かどうかだけの差なのかな。ちょっと考えてしまう。

 もし照島が女だったら?


「あなた女好きなんでしょ? 私で試してみない? 私は社長よ」


 妖艶な美女で再現された。照島よりは数段マシだったが、妖艶な美女でも気持ち悪かった。

 人の気持ちを全然考えずに無理に寄って来られたって、無理だって話だ。


 でも。あおいだったら?

 あおいが自分の立場を利用してそんな事を言うはずがないから、そこは想像できない。


「芽生、女の子好きなの? 私で試してみる?」


 胃がかあっと熱くなった。


 試す――試すとか言うな!! そんな失礼なこと、あおいにできるわけないだろ!


「あおいで」試すとか。あおいとの関係を、自分を試す為に使うなんて、そんな事。そんな人間だと思われるだけでいやだ。

 女が好きだからあおいに目をつけた、ってわけじゃないぞ! あおいを好きになったから、ああ今回も恋愛対象が女だったと思うだけだ。毎回毎回女ばっかり好きになって、やっぱりレズビアンだなと自覚するだけだ!


 ってか近場ってなんだよ。同性は近場か。一緒に住もうがプリンあーんしようが意識すらしてもらえない、これが近場か?

 近場で探したわけじゃない。近づきたかったから、近くにいたかったからルームメイトになったんだ。


 性的にさわれなくたって、好きなもんは好きなんだよ。


 目頭がじんじんしてきて、早く顔を洗いたいと思った。


 だいたい、ラブラブで付き合ってる異性愛カップルが、なにか身体的な問題があって夜の生活が「できなさそうに見えた」ら、一方的に満足できないはずだと決めつけて、相手の選択からして間違ってるとか、言うつもりなのか。普通のカップルに口に出して言ってるのかそれを。失礼だと思いもせずに。

 何で女同士のときだけそういう思考になるんだよ。


 失礼な。

 …………失礼な。


 棒が何本あろうが、好きじゃなかったら、気持ちが通じてなかったら満足できんわ。


「ほんっと、足りてます。棒はスプーンをもう使ってるんで、ほんっといいです、足りてます……」 


 ――会えもしなけりゃさわれもしない、そんな奥さんに未練があるように見えますけど?


 照島がした、苦みが走ったような表情。

 自分の攻撃の言葉が頭を回りはじめる。


 照島がどう感じたか知らない。が、照島の、突くと嫌なポイントはそこだろうと思った。その上で、わざとそれを言った。

 失礼な事を言うな、わたしの事情に触れるなと思いながら。


 性的な意味でさわれもしないのは、わたしも一緒だ。


 いくら嫌いだからって、なんであんな事を言ったんだ。


 嫌な事を言われた、そんな事ばかりで頭をいっぱいにして、嫌がらせの言葉を吐いたのはわたしのほうじゃないか? 

 あんな言い方しなくてよかった。


 ――そういうのちゃんと感じてるの? ものごとを勝手に悪く受け取りすぎるクセ、直して。それで周りを振り回してるのに、もうそろそろ気付いて。


 ブーッとパンツのポケットが震える。

 通知を見ると、照島だった。


 ――久しぶりなのに、さっきは失礼しました。僕は君に振られるのが好きみたいなんだ。君に振られるとほっとする。


 照島の本音は、このメールの方かもしれない。


 本来ならもっと話せたかもしれないし、こんな変な対応じゃなく、うまく流せたのかもしれない。わたしがこいつの事を、ここまで嫌いでなければ。


 ……知ってるよ。

 知ってるよ、照島が本当は、自分の条件に寄ってくる女が嫌いでたまらなくて、それでも奥さんにいてほしくて、憎らしくて疎ましくて、ぐにゃぐにゃしてるの、知ってるよ。


 照島はきっと、女好きの女嫌いだ。自分を振るような女にしか信頼の芽を探そうとしない。知ってるよ。わたしが靡かないから、脅してでも甘やかしてでも、手の内に取り込みたいんだ。わたしに振られるたびに、わたしに執着するんだ。

 そこにしか希望が見出せないから。


 照島は、わたしをどこかでその奥さんと重ねている。言動にそれが出ている。一番牽制になるような気がして、だからわざと言ってしまった。


 いくら嫌いだからって。


 どうしてほしいんだ、わたしに。

 毎回ベストな反応なんて、返せるわけないじゃないか。

 近づかないでほしい。

 期待しないで。期待しないでほしい、わたしに。


「どうしたの」


 声をかけられて、小さく声をあげてしまった。


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