第72話 誘っていないか様子見してみたり
「お疲れ様でーす!」
飲み会が終わり、二次会に行くかと聞かれたので、時計を見る。十時か。まぁ、まだ飲める。あおいはもう夜ごはん食べ終わってるだろうし、場合によってはだらだら過ごしてそのまま早寝しているかもしれない。どっちみち今から帰っても顔を合わせられない可能性が高い。
二次会の言い出しっぺに聞き返す。
「外から誰か来ます?」
普通、会社の飲み会で二次といったら、その場でまだ飲みたい人だけが繰り出すものだが、うちの会社の飲みの二次会はカオスだ。飲んで気分が良くなった人間が、外から人を呼ぶ。辞めてしまった人間を呼ぶこともあれば、社員の奥さんが乱入することもある。
現に隣で、
「早紀ちゃん」は、五か月前に派遣の契約が終わり、今は別の会社に勤めている。辞める前から、社員のおうち飲みだのバーベキューだのにはいつも参加していて、縁が続いている人は続いている。飲むの好きです、誘ってください! と言い残して辞めたので、今でも二次会に呼ばれることがある。フットワークが軽いから誘いやすいのだ。
「早紀ちゃん来るんじゃない?」
「早紀ちゃんと、あと」
「
「苦手なひとって……」
わかってるんだな……と思う。何度か二次会に現れた事がある人間。取引先のクソ男。
取引先の人間で、ここまで入り込んでくる男を、わたしは見たことがない。
今の時点であのクソを誘ってないなら、行こうかな。
二次会で盛り上がってきたころ、現れた人間の顔を見て、げっとなった。
きやがった。
「今日、
つい出た愚痴に、自分でも失言だったかと思う。酔いすぎたかな。
隣の上司がごめんねぇ、と頭を掻いた。
「照島さん、僕にもだけど、いろんな所で飲みたい飲みたい言っててね。二次会行く話になったときに、だれか照島さんにメールしちゃったんじゃない?」
四十五歳と聞いている。少し白髪の入り始めた髪を綺麗に撫でつけて、灰色のスーツを着こなし、多少出てきた腹もうまくベストで隠している。全体的に漂っている雰囲気はお洒落で、明るくひょうきんだ。こういう男性が好きそうなわたしの女友達はたくさんいる。
照島は取引先の社長の息子であり、丁寧に接しなくてはいけない人間だった。
飲み会で見る彼の姿はざっくばらんだ。家族経営の会社とか嫌ですよ、この会社に転職したい……なんて愚痴っていたりする。照島の事を、うちの会社の人間はそこまで悪く思っていない。むしろ可愛い男だと思っている節がある。
照島は、「義理」と「友人」、その境目を描いたライン上を自由に行ったり来たりするタイプの人間だった。うちの会社の何人かの社員にとって、「取引先の人間」という、義理で付き合う対象だったが、何人かの社員にとっては立場を越えて付き合える「本音で話せる友人」であった。
うちの社員と飲んだり、休日にパチンコへ行ったり、場合によっては夜の店に行ったりという付き合いがあって、もう何がなんだかわからない。
新入社員はよく、照島のことを、別支店のうちの会社の人間だと間違える。距離が異様に近いのだ。他の会社の飲み会に乱入とかするからだよ……と言いたいところだが、営業的な戦略も兼ねているのならやり手なのだろう。
次長以上の人間なら、社員同士の飲み会に若手が彼を誘うことに不安を覚えそうなものだが、二次会はそもそも課長までしか来ない。だからいつもカオスなのだ。
わたしはこいつが本気で嫌いだ。男という生物は嫌いでもなんでもないが、こいつは嫌いだ。だいぶ昔、飲み会の時に、わたしの座る椅子の上に手のひらを上にして敷いてきたことがある。下ネタを振ってきては、「こういう話題に慣れるようにならなきゃねぇ。大人の階段登れないよ」と言ってきていた。ある日突然しなくなったが。距離がやたら近いのは今でも変わらない。わたしのパーソナルスペースにいきなり侵入してくる。
たちが悪いのは、女性社員に誰にでもそうなのではなくて、恐らくわたしに対してだけおかしいと言う事だ。全員に対してそうであれば、あのセクハラ男がということで、周りからの理解を得やすいのだが。彼は、モテはするくせに、自分から寄ってくる女に見向きもしない。
取引先の社長の息子。立場として、それを有効活用しようとするのは、わたしに対してだけだ。
二年前、営業でこいつの会社を担当していて、多少身の危険を感じたので、それとなく担当から外してもらった経緯がある。その時に何人かから言われた。セクハラって言ってもそうたいしたものじゃないでしょ? 照島さんいい人じゃん、と。自意識過剰と受け取られているのを感じながら、なんとか担当からは外してもらえた。もう担当ではないから距離を置いていいはずだが、丁寧には接している。取引先には違いないから。
「正直さ」
上司は耳元で呟いた。
「如月さんに会いたい会いたい言っててねぇ。如月さんがいる場への乱入チャンス狙ってたと思う。たしかに、君、気に入られてはいるんだよ。だから、いい時間で帰っていいよ。照島さん来てすぐ帰ると感じ悪いから、三十分くらいしてから」
わたしは照島に感じる自分の負の感情が、よくわからなかった。下から上まで舐めるように移動する視線も、忌避の最大の原因というわけではなかった。彼の繰り出すものがただのセクハラなら、流す術を知っていたはずだ。それなのに、近づけば近づくほど嫌悪感がある。
おそらく、彼の目の中に、わたしではない何か別のものが映っているからだ。「女」「年下」「いい体」……それだけではない、照島の目には何かねばっこいものが混ざっていて、そこには多少の憎しみというか、軽蔑と敵意のようなものがある。
その、敵意を持ちながら依存させようとしてくる空気感が、わたしは苦手だった。
三十分して、わたしはお言葉に甘えて帰ることにした。
「失礼します、おさきに」
にっこりとほほ笑んで見せる。
「如月さん帰るの」
照島がわたしを遠くの席から呼び止めた。わたしは照島の近くに行き、膝をついて一応座った。
「照島さんお久しぶりです。用事があって明日朝早いので、今日はこれで失礼しますね。お元気そうで何よりです。楽しく飲んでくださいね」
「うん。如月さんも元気そうでよかった」
上手く巻けてよかった。ほっとしながら、駅前のカフェに入る。もう少し何か食べたかったのと、本当はもう少し酔いたかったのだ。
酒の提供もあるカフェは、昼間はコーヒーショップといった感じで、パンなども陳列してある。わたしはパンを見て、明日の朝ごはんに食べたいと思い、今食べるのは通常のおつまみメニューに決めた。ごぼうのから揚げを頼もうとし、最近脇の下に肉がついてきたことを思い出し、たこのカルパッチョに変えた。適当にワインを頼む。
カルパッチョが運ばれてきたところで、隣に男が座った。
「如月さんみっけ」
さっき巻いたはずの見知った声に、わたしの腹の中がどんよりと濁った。
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