第65話 あやうくしそうだったり

 だいぶお腹が空いていたらしい。あおいはカレーを三回おかわりした。

 わたしは温かいうちに残りのごはんを全部ラップにくるんで冷凍庫に入れた。カレーもタッパーに入れた。今度は冷凍庫の二段目の引き出しにタッパーを入れようとすると、隙間がなかった。あおいの焼きおにぎりストックが大量に放り込まれているせいだ。


「ちょっと! 焼きおにぎり、綺麗に入れなよ」

「綺麗にって?」

「つっこんでるだけでしょ!」


 ごちゃっと、つぶれてもいいやとばかりに放り込まれた焼きおにぎり。寄せればタッパーも入ると思うが、適当に放り込まれて変形したおにぎりがいくつもあるので、ぴっちりといかない。うまくはまらない。特に一番端にあったのは、扉に挟まれてつぶれてひどく変形していた。


「ほら、ひどすぎ」


 扉の跡がついたおにぎりを見せてやると、あおいは面倒くさそうに首を回した。


「私のだからいいでしょ。つぶれても食べられるよ、おにぎりは」

「しんっじられない!!」


 冷凍庫に入れるにしても、ちょっと並べて寄せればいいだけなのに、どうしてそれが出来ないんだ? 並べたら見た目すっきりするのに……。焼くときにはちゃんとしたおにぎりの形をしてるんだから、そのまま並べて入れればいいだけじゃないか。どうせ食べるなら綺麗なほうがいいだろうに。

 まぁ、あおいは逆のことを言うだろう。どうせ食べるんだから形はどうでもいい、と。だからこいつの盛り付けは雑なんだ。


「わたしのタッパーが入らない」


 文句を言いながら、あおいの作った形が不揃いのおにぎりを、パズルのピースを繋げるように寄せていく。

 うちの冷蔵庫は、冷凍庫が一番下にある。あおいがたくさん冷凍するというから、冷凍スペースが馬鹿みたいに大きな冷蔵庫を買った。一番下の冷凍庫でこれだけのおにぎりを並べる作業をするには、しゃがまないといけない。

 恨めしい。この能天気さが恨めしい。わたしが気分よく過ごせない空間でも、あおいは大変気分よく過ごせるのだ。わたしは無理だ。


「貸しが三百四十四になったから」


 恨めしさのあまり小声でつぶやくと、あおいは少ししょげた声を出した。


「あとで自分で詰め直してタッパーも入れとくよ」

「変な入れ方する。もしくは入れ忘れるね、あおいは」

「よいしょ」


 おっくうそうに、あおいは腰をあげて、わたしの後ろから手を出した。


「すぐにやらないと気が済まないんだもんね、芽生は」


 後ろから被さるような体勢と、耳元で聞こえる声。すぐに心臓がドキドキし始める。

 この心臓はポンコツだ! 怒ってるのに!


「私がやるから芽生はいいよ」

「一緒にやるならその方がいい。一気にやらないと、電気代を食う」

「……ケー・イー・シー・エイチ・アイ……」


 小さな声が聞こえる。


 ん?

 ケー・イー・シー・エイチ・アイ?


 KECHI。

 ケチ。

 ローマ字読みか。


 一瞬、反撃の仕方が可愛いと思いかけたが、いや、騙されない。

 けちとはなんだ、けちとは!


「この口が、この口が言ったかな……?」


 あおいの頬をむにゅっと摘んで、そのまま唇側に寄せてやった。強制的にアヒル口になったあおいがムグムグと文句を言う。声になっていない。


「むー!」


 あおいがわたしの肩を押した。

 しゃがんでいたわたしは、そのままコロンと転がるように尻もちをつき、手をついた。あおいがにたっと笑った。


「解放された♪」

「反撃」


 しゃがんでいるあおいを、今度はわたしが肩を軽くつついてやった。やったことを返されたんだから、ちょっとは体制をとれるだろうに、バランス感覚がやっぱりよくない。あおいは普通に転がった。


「あははぁ」


 転がったあおいはおかしそうに笑う。子供みたいだ。わたしに怒られているのに全くこたえていない。腹が立つが、可愛い――つられて、わたしもちょっと笑ってしまった。でも、笑ったことで問題が帳消しになると思うなよ。


「誰がけちだって?」


 あおいの頬をまたむにゅっと挟んでやる。


「にゅ~~~!」


 あおいの、訴えるような目がいつもよりずっと近くにあって、頬はそのままいつまでも挟んでいたいくらい、やわらかかった。

 この口が言ったのか、そう言うつもりだった。

 そう、この口が。

 わたしの目はあおいの唇に完全に引き寄せられ、そして、引き寄せられたのは目だけではなかった。


「…………」


 ピー、ピー、ピー……。


 警告のような小さな電子音。はっと我に返って、わたしは身を放した。開けっ放しの冷凍庫のドアアラームだった。


 あおいが黙ったままじっとわたしを見ていた。

 今さら、自分の心臓が暴れてきているのを感じる。

 すぐに声が出なかった。


「……冷蔵庫がピーピー言ってるでしょ! さっさとやるよ」

「わかったよ!」

「ああもう! おにぎり一個入らない!」


 あおいは口を尖らせて、わたしの手からつぶれたおにぎりを奪い取ると、電子レンジに入れた。


「食べるからいい」

「太るよ」


 ……いま。電子音がなかったら、止まらなかった。あおいにキスしてた。

 あっぶねえ!!

 自然に何やらかそうとしてんだ、わたしは!


 あおい、気づいたかな。能天気だからな。気づいてない可能性のが高いか。

 じっとわたしを見つめていたあおいの表情がちらちらと浮かぶ。

 このあと、普通にあーんできる気がしない。


「……プリンも食べる?」


 食べる、と言ったら、太ると言って今日は止めるつもりだった。っていうかよく食えるな。カレー三杯におにぎり? 中学生男子か?

 

 あおいは焼きおにぎりを咀嚼しながら、ぐったりと言った。


「さすがにお腹いっぱいだね。明日食べるよ」



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