第64話 百合の話を蒸し返されたり

「早かったね……って」


 ドアを開けると、花束を持ったあおいが立っていた。


 ……ふわぁぁあああああ!! 

 可愛い可愛い、なに、天使!? ねぇ、天使!?


 顔の近くに大輪の花があるせいで、あおいがいつもの数十倍可愛い。

 花持ったあおいって最高。ああやべ、素晴らしすぎてよだれ垂れそう。


「はい」

「え?」


 あおいはわたしに花束を手渡すと、靴を脱いだ。


「なにこれ。くれるの」

「うん。あげる。芽生に買ってきた」


 わたしに?


「飾っていいよ。リビングに」

「これ、百合じゃない?」

「だからプレゼントフォーユー」


 花束には、三本の百合があった。百合のほかには大きな葉。数本とはいえ百合って高いのではないだろうか。


「嫌いじゃなかったの?」

「べつに」


 ……わからない。あおいがわからない。朝は、寝起きで機嫌が悪かっただけ?


「あんな言い方したら、芽生が百合買ってこれなくなるし」


 わたしが買えなくならないように? そういう理由でわたしに花をプレゼントするのか。

 あおいは洗面所で手を洗い、拭きながらまた出てきた。トートバッグを自分の部屋に滑り込ませると、冷蔵庫から牛乳を出して飲んだ。

 手っ取り早く空腹がおさまるから。あおいが牛乳を飲むのは、たいていそんな理由だ。


「それに、私にあんなふうに言われて、百合がかわいそうになったから」


 こういうところだ。

 百合がかわいそうになったから。そんなことで行動しちゃうところ。こういうところがじんわりとくる。優しいというか感傷的というか。小市民的な可愛さがあるというか。

 わたしが買ってこれるように花を買ってくるというのも、さらっとやるのも、もうね、カッコいい。


「ありがとう」


 好きな人に花を貰ったのは初めてだ。百合な対象に百合を貰うとか……。なんかのネタか。まぁ朝の会話のせいなんだろうけど。


 たまに、あおいに花をプレゼントしたくなる。ガーベラを見ればお姫様のスカートのような花だ、あおいに着せたいと思う。桜が咲けば花びらがあおいの唇のようだと思う。ひまわりが咲けばあおいの笑顔のようだと思う。花とあおいは同じくらい綺麗だと思う。


 本当に花が似合うのはあおいだ。あおいはまるで花のよう。愛でたい。だから、あおいに花をあげたくなる。


 あおいがわたしに花をくれたのは、そういう理由ではない。

 でも、それでも、今日の理由で花を買ったあおいを思うと、胸がきゅうっとなる。


「プリン作ったよ」

「うん。食べたい」


 にっこりと笑うあおいの目が、肌が、存在が、今日も輝いている。


 わたしは花をくるむ紙とリボンを注意深く外して、久しぶりに使う花瓶に水を入れて挿した。

 あとで花粉対策をどうしたらいいのか検索しておこう。


「遅くなってもいいように、カレーにしたよ」

「図書館に寄るだけだったんだけどね」


 図書館に寄ったのか。あおいとのシンクロに特別なものを感じる。


「わたしも今日行ったよ。図書館」

「そうなの?」

「会わなかったね」

「ギリギリでパッと入ってパッと借りたからね。もうほたるの光が流れちゃって」


 ギリギリならわりと時間差あるからな。会わないか。

 カレーをよそっている間に、あおいは冷たい緑茶を入れてくれた。喉が渇いていたので席についてすぐ、ありがたく飲んだ。


「本っていえば」

「ん?」

「朝言ってた百合って、ガールズラブのことだった?」


 緑茶をふきそうになった。


「ガー……なに?」

「だから、花じゃないほうの意味もあるみたいだから。よく知らないけど」


 終わった話だと思ったのに、急に蒸し返されると、焦る。


「ああ……そうね、わたしもよく知らないけど」


 うそこけ!! 百合だけで読書感想日記を書いたら余裕で三百ページはすぐにでも埋まるくせに!! しかも、内容なんてどうせ「尊い」とか「GJ」、もしくは「共感!!」とかそんなのばっかりだろうが!

 突っ込みを入れる自分の声が聞こえる。


「そうね、友達が好きなのはそっちかな」

「女の子?」


 あおいがわたしと目をあわせないままなので、わたしも表情を見られないで済む。少しほっとしている。


「ああ、うん、まぁ」

「芽生は」


 あおいがちょっと迷ったように、言葉を切った。


「なに?」

「芽生は、その子が、そういう……」

「ん?」

「なんでもない」


 なんでもなくないだろ。空気がぴりついてる。


「なに?」

「……その友達が、そういう恋愛を、する人だったら、どう?」


 あおいの声が尻つぼみに小さくなって、聞き取るのに苦労した。


「どうって?」

「…………」


 あおいがまったく目を合わせないことに、急にもやもやしてきた。


「どうするか、ってこと」


 この質問に、わたしの中にある何か不穏なものがむっくりと起きた気がした。


「わたしが、そういう理由で、友達をやめるとでも?」


 あおいの目がやっと合った。わたしの反応を恐れて様子を窺うような目だった。


 あおいにカムアウトする気はない。怯えるような事はしたくない。嫌われたくない。

 あおいが何を怖がっているのか知らないし、怖がるあおいを、わたしも怖がっている。でも。


「どうもしない」


 こういう話をするときには、「理解者」の偽装をしてでも、理解を促すような話がしたい。


 あおいは、思うのだろうか。どうしよう、と。どうしよう、は何のどうしようだろう? どう扱ったら傷つけないか? それともどういう距離をとったらいいか?


 あおいに告ってあおいに逃げられるのは仕方がないが、友達にカムアウトしたからといってそいつを狙ってるわけでもなんでもない、何の対処も気負いも要らないはずなのだ。本来は。


 知らないものに対して、どうしていいのか迷うのは、当たり前のことだから。対処が要るのか、考えてくれているということだから。

 なるべく明るく、穏やかに、話したい。


 わたしは、いま、声が固くなっている。そんな態度をしたら、あおいに余計に怖がられるだけなのに。


 なるべく体から力を抜くように、声を穏やかな低めにコントロールしてから話す。そこには、自分の印象が良くなるようにとか、嫌な印象を与えて気持ち悪がられたくないとか、ヒステリックに思われたくないとか、そういう内心が多分に混ざっている。


「どんな恋愛をする人だろうが、嫌いな人は嫌いだし、好きな人は好きだよ」

 

 あおいの大きな瞳がじっとわたしを見つめている。

 理解者のふりをして、自分がしてほしい反応をモデルとして出すという。わたしはだいぶ酷いたぬきだ。


「苦手な人は苦手なままだし、友達は友達のまま。どうもしない。本の共有好きだから、大切な友達が本を貸してくれるならどんな本でも読むよ。百合でも」


 むしろ百合なら身体中の毛穴から何か吹き出しながら大喜びで共有するけどな。

 恐る恐る見ると、あおいは口を開けてわたしを見たまま、止まっていた。


「なに」

「いや、そうなんだ、と思って」

「変?」

「ううん」


 あおいはわたしをまっすぐ見て、ほんとうにまっすぐに、言った。


「そういう芽生、好きだよ」


 …………。


 好きだよ。

 スキダヨ。


 その言葉はぼーんと勢いよく、体にそのまま入ってきた。


 そういう芽生、好きだよ。


 ちょっとちょっと。やめろ、不意打ちでそれは破壊力が大きすぎる!


 好きだよ……!


 好きだよってなんだ、好きだよ? 好きってなんだ、そうか、好きってことか。好きってなんだっけ? 嫌いの反対が好き? そういう芽生ってどういう芽生?


 初めて、初めて言ったぞ、こいつ。

 わたしの事が好きだと。


 心臓が止まるかと思った。


 恋愛の意味じゃないとか、友情でとか、好きなのは一部分だけとか、そんなものはどうでもいいのだ。

 こいつはわたしを好きだと言った。

 まっすぐ目を見て言った。


 殺る気か。

 残念ながらそのささいな言葉でわたしは何度でも蘇る。

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