第63話 家族を思い出したり

 帰り道、携帯が震えた。芽生かな? 帰りの時間を伝えた方がいいかな。携帯の通知を見ると、珍しく母からだった。


みちえ:あおい、あんた、今年は年末に帰ってくるの!


 どうしてこう、母世代のメッセージは語尾にすべて絵文字で「!」がついてくるんだろう。必要のないところでもたいてい「!」がついている。

 何年も前に、私がLIMEの名前を下の名前で登録してから、母はずっとそのままにしている。家族にしか使わないからと言っていたが、今やこのメッセージアプリは家族以外でも一番使う連絡手段だ。フルネームに変えてあげたほうがいいかもしれない。

 っていうか、年末の話を今するの、早すぎないか? まだ十一月にもなっていないのに。


みちえ:今年は帰ってきなさい!


 返信しようとしたら、母からそのまま通話が入って来た。既読がついたからかけてきたんだろう。


「もしもし?」

「あーちゃん? おとうさんがね、あーちゃんは年末帰ってくるのかって」

「なんで今? なんでおとうさんがそれ気にしてるの?」

比呂ひろが彼女を連れてきてるのよ、いま」

「いま?」


 比呂は三つ年上の兄貴だ。最も近い位置にいる「甘えられる男性」。私は同級生の前では「比呂にい」と呼び、家族だけのときには「にいに」と呼んでいる。


 がたいの大きい「にいに」は、その見た目からは想像できないほど細やかな感受性をもっている。両親が私の「立場」や「将来」を心配してくれる中、ただ一人、兄だけが私の「心」を心配していた。一人暮らしを両親に反対されたときにも私をかばってくれた。


 芽生とちがって私の実家は新幹線で行き来をするような場所ではない。せいぜい普通の電車で二時間半もすればついてしまう。大学に二時間半かけて通うのは非効率的だ、と何度説明しても、両親はいい顔をしなかった。そもそも少し遠い大学にしたのだって、少しずつ実家から離れるためでもあったのだが、二時間半では全然理由にならなかった。もうこの家にいたくない、そうわざわざ言わなければならないのか。言いかけたとき、兄は言った。


「いいだろ、片道二時間以上通学にかけるなんて馬鹿げてるよ。五時間あったらできることなんて山ほどあるぞ。バイトもできるし。手が届かないほど遠くに行こうって言ってるんじゃない、なんかあったらすぐ行ける場所だろ」


 兄は私にとってはスーパーマンのような存在で、それは兄がゴツくなる前の、幼稚園や小学校の頃から変わらなかった。女の子を好きになる前の幼い私は、漠然と、「おおきくなったら、にいにみたいなカッコいいお兄ちゃんと結婚するんだ」と考えていた。


「一人では寝られない寂しがりのあおいが、一人暮らしをするって言ってんだから、尊重してやれよ。それだけの決意があるんだろ」


 両親を説得した後、兄は廊下で気がかりそうに私を見つめた。


「なんか理由があるんだろ? いいかあおい、怖い目にあったら、怖いことがあったら、いつでも俺に電話してこい。にいにが行ってやる。家にいてつらそうだってのは、見てて分かってたよ。馬鹿なまねだけはするなよ。一人暮らしをすすめて、それでおかしい事されたら、俺がどう感じるか、考えろよ?」


 その馬鹿なまねが、何をさしているのか、ピンときたけれど、私は笑ってごまかした。そこまで心配されているとは思わなかった。

 目に見えてつらそうにするような、たいした理由は――人に説明できるようなそこまでの理由はない。うちの親は毒親ではない。両親から酷い扱いを受けていたわけではない。ただ、うちの親は心配症で、私への心配を兄に語り、兄への心配を私に語るだけ。

 兄の話を聞き続けるのが個人的にしんどくなった、それだけの理由で家を出るのを、うまく説明はできない。ただ、息がつまるだけ。

 実家はわたしの手足をはりつけにしてしまった唯花を思い続けた家であって、あそこでは私は自由にものを考えることができない。


「にいにが彼女をね……」

「年末も彼女と過ごすんですってよ!」

「で、なんで私が、年末に帰る話になるわけ」


 兄が年末いないかわりに私をというわけでもないだろう。兄は彼女と過ごさなくても年末年始はたいてい友達とどこかに行っていたから、それで母が寂しがるというのは、よく分からない。彼女だと息子を取られたみたいでイヤとか?


「帰ってきなさいよ」

「うーん、予定があけばね」

みどりちゃんが、あ、彼女さんね、緑ちゃんが、妹さんにも会いたいっていうのよ。じゃあ年末年始に寄ったときに会えばいいじゃないって言っちゃったのよ」


 今年は兄への愚痴を聞かなくて済むだろうか。


「帰るよ」

「じゃあおせち多めに作るから! 絶対帰ってきなさいよ」

「お母さんのLIMEの名前も変えた方がいいしね」


 通話が終わると、LIMEにまた通知が入ってきた。

 みちえうれしい! のスタンプだった。


 うわ……。なんていうか、この手の名前のスタンプって親に使われると微妙だな。


 もう、にいにの一番は私じゃないんだろうな。


 それでこそ。そうであってほしい。そう思う自分と、いつでも私を優先してくれた兄が、少し遠くへ行ってしまったようで、なんだかその姿を見るのをもう少し後にしたいと思う自分がいる。


 色々、変わっていくんだな。


 いつもなら通り過ぎる花屋が目の端で存在感を増した。店先で立ち止まり、眺める。


 ダリア、リンドウ、オリエンタルユリ。


 嫌われやすい花だよ、百合。

 今朝がた自分が言った言葉をそのまま思い出した。


 百合をリビングに飾らないようにすると言った芽生の目まで思い出す。

 花に罪はないよね。ただそこにあるだけなのにね。ごめん。

 私はその白くて罪のない百合を指差した。


「これを数本と、なにか適当に合わせて下さい。センスがないのでお任せしたいです……」

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