第41話 首をかしげて泣かれたり


 どうして目を見てくれなくなったのか。彼女なりに何度も何度も考え続けただろう。どうしてなのかと。


 私は、高校の頃、そういうのできなかったから。

 ちらっと書いてしまったせいで、布団に入った私はその頃のことを思いだす。


 ほとんどの時間を二人で過ごしていた。一緒にいるのに目を合わせなくなった私に、今思えば何度も彼女は近づいてきた。


 ――私のこと、嫌いになっちゃったの? あおい。


 ちがう。ちがうよ。唯花ゆいか、ちがう。嫌いになるわけない。あまりに唯花が魅力を増して、惹きつけられていたから。唯花が放った一言で、完全に崩れてしまった。

 好きな人ができた、その一言で。


 ああそうか、いつも以上に眩しいのは、恋をしたからか。


 私が見つめる時、彼女の目は魔力を宿していた。そして、不思議な事に、彼女もそう言った。


 ――あおいって、目に魔力があるよね。


 その魔力がなんなのか、どちらから出るものだったのか、私にはわからない。わかっているのは、唯花の魔力の及ぶ範囲内にいる自分が、どういう反応をしてしまうのかわからない、コントロールがきかないということだけだ。


 感情のふり幅が大きくなりすぎて自分を抑えることができなくなった。普通にそばにいることができなくなった。


 ――あおいも、松浦のこと、好きだったの?


 首をかしげて、至近距離で聞いてくる。

 可愛すぎるそのしぐさに、好きなのは松浦じゃないといいかけて、ちがう、とだけ返す。――あおいも松浦のこと好きだったの、その質問をするに至るまで、彼女はぐるぐると、何度考え続けたのだろう。学校にいるときも、夜中も。


 言葉に出したのは一回でも、出す側の心にとってはそうじゃない。なぜ。本当はずっと無言で問い続けていたことに、私は思い至れなかった。自分を避ける相手に寄っていくのは、どれだけ勇気が要っただろう。


 ――私、私、あおいに避けられたら、こんなだよ……?


 大きな瞳に大粒の涙を盛り上がらせて、唯花はその表情だけで私を完全に捕まえてしまう。


 どうしてそんなに顔を近づけてくるんだ。そんなに目をうるませてるんだ。そんな目で至近距離に来られたら。そんな表情を見せつけられたら。


 そんな顔をされたら、キスしたくなる。


 どうして、嫌いになっていないと、言えなかったのだろう。

 唯花がいじめられたことがあるのは知っていた。私もいじめられたことはある。


 ――辛いのは、こっちだよ。


 なぜ、あんな言葉を投げてしまったんだろう。


 親友にまで突然去られてしまったことがあると、何度も彼女は言っていたのに。それがどうしてかわからず、何度も私に聞いてきていたのに。


 距離を詰められてどうにかなってしまうのが怖かった。彼女が泣きながら近づいてくればくるほど、そっけなくした。




 彼女を避ける人間には二種類いる。


 あおい、なんで唯花といつも一緒にいるの。あたしはやだ。あの子と一緒にいると、引き立て役になっちゃう。


 おおっぴらに彼女を仲間外れにするような人間ばかりではなかった。けれど、彼女は嫉妬を受ける程度には、魅力があった――同性からみてもわかるような、確実な魅力があった。逃げ遅れた私は、別の意味で被弾した。


 だいぶ前、唯花がしてきた話。

 昔、親友にも去られてしまったと。

 何度か聞いた。私は聞くたびに、その親友の事を思った。


 その子は、あなたの事が嫌いだったんじゃないと思う。

 むしろ好きだったと思う。大好きだから離れたんだよ。


 ――そう言ってた。どうして? どうしてわかるの? 大好きだとどうして離れるの。


 唯花の為に離れたんだよ。


 ――どうして、あおい、わかるの? その子、まったく同じこと言ってた。


 どうしてって、私も一緒だからだよ……それは言わなかった。ただ、私は、彼女から親友の話を聞けば聞くほど、その親友が私と同じ状態に追い詰められていた事を確信していった。そして、唯花は、十か月以上経って、私が何か別のことを話したときに、「そういうあおいだから、私の親友の気持ちがわかったのかな」そう言うくらいには、去っていった親友と私の事を気にしていた。


 ――ねぇあおい、唯花ってさ、あおいにべったりじゃね。アレなんじゃないの? ほら、女同士の……。


 くすくす、と笑う小さな声は嫌悪とからかいに歪んだ口から出てきていて。


 ――アレだよ、アレ。


 アレってなんだよ。


 言葉を包むオブラートが粘ついた泥のように私の皮膚にまとわりつく。クラスメイトが言いたかった二文字の単語は私の頭に簡単に浮かび上がり、みぞおちを刺した。ずきずきとした鋭い言葉を胸の中から抜き去ろうとして、もし彼女が本当にそうだったらどんなにいいかと感じてしまう自分を押し込めようとして。いじめの始まりかねない空気を肌で感じながら、一番近くに居つづけた。唯花は私の気も知らずに、肩に手を置いたり、膝枕をしたり――きっと去っていった親友との体の距離も同じようなものだっただろう。スキンシップも、同じくらいはあったのだろう。

 私はもう一種類の側だ。その子の気持ちがわかってしまう。


 唯花には、私が避ける理由を、ぜったいに教えたくない。


 でも、たぶん、唯花はわかっていた。意識したくないだけだった。あんなに見つめあって、その空気にヤバイという言葉で反応した唯花が、同級生の男子の視線に気づかぬふりができる唯花が、わかっていないはずはない。

 わかっていても、私に聞くわけにいかなかったのではないかと、今は思う。


 視線の中の魔力がどちらから出ているものなのか判断ができないまま見つめる私に、彼女は言った。


 ――初めて言う。あおいに初めて言う。何度も言おうとしてやめた。


 彼女が伝えてきたのは、自分が「同性との関係」を持ったことがあるという内容だった。


「何度も言おうとした」、あの時と、あの瞬間がそうだったと、私ははっきりとわかる。何度も何かを言おうとして、やめた唯花の姿がずっと心にあった。


 もし唯花が、そういう、女性とも恋愛ができる人なら、私は迷わない。私はもう隠さない。期待感が体の中に膨れ上がり、そして、次にきた唯花の言葉は私を磔にした。


 私、子供のころ、近所のおねえさんに。そういう経験がある。

 ――もてあそばれたっていうかね? 


 足が震えはじめたのは、私が言おうとして感じた震えを、唯花も感じているのではないかと心配になったから。


 だから、お願い、ついてきて。年上が怖いの。一人で先輩の教室に行けない。


 うん、うん、そうなのか、……そんな返事を返したのだったか。自分がなんて返事をしたのか覚えていない。ただただ、唯花が私に話したことで辛くなるのではないかと、それだけしか頭になかった。自分の反応がどう唯花に映るかまで考える余裕はなかった。自分の体から立ち上ってくる震えを、それが彼女の震えなのではないかと錯覚し、それが錯覚なのかもわからなかった。


 翌日、唯花が、聞いてきたとき。唯花はどれほど、私の反応を怖がっていたのだろう。


 ――あおい、引いちゃった?


 どうして、あの言葉に、もっと言葉で強く返してあげられなかったのか。

 耳に届く言葉は一瞬でも、その言葉を出すまでに、彼女はどれほどの思いをしていただろう。

 私は、身体から出そうになる塊を飲み込むようにして、言っただけだった。


 引いてない。引くわけない。被害者だから、唯花は。


 もっとどうして、優しくしなかった? 伝えたい、伝えられない、伝えたら私が、彼女が、壊れてしまう。


 これ以上近づかれたら、隠せない。伝わったら、同い年の、周りの人間すべて怖くなってしまうのではないか。私が、唯花にとって、加害者になる。


 感情という名の、どう動くかわからない魔物が、皮膚の表面から出た隆起と内側に向けたとげで、私をもみくちゃにする。この腕は、醜い魔物の、鬼の腕だ。この腕が動くときに、どうして唯花のそばにいられるだろう。


 ガタガタに崩れた心と体を隠して、また避けるようになった私が、保健室のベッドで痛みに耐えていたとき、彼女が入ってきたのをよく覚えている。飛び上がるほど嬉しかった。彼女は私を迎えにきたのではなかった。保健の先生と話す彼女の声。彼女の声は、いつも、私にはよく届く。私が彼女の声を間違えるはずがないのだ。聞こえてくる会話が全部耳に入った。


「ごはん、食べられないんです。ずっと」

「ずっとって、どのくらい?」

「一週間、ごはんが食べられないんです」


 一週間。


 どうして。どうしてそれを私が知らないんだ。そう思った。どうして言ってくれないんだ。


 どうして?


 ――ちがう。私が避けているからだ。私が避けて、また話もきいてくれなくなったからだ。私が変だからだ。ずっと一緒にいる私が。


 もう何日話していなかっただろう?

 くるしい……くるしい。

 どうしたのって、直接聞きたい。

 唯花の頭を撫でたい。また、あの時みたいに。

 大丈夫だよって……。話を聞くよって。今度はちゃんと聞くよって。避けないから、大丈夫だからって。お願いだから、話してほしいって、伝えたい。


 私と一緒じゃないと行けない教室。私に相談したかったこと。そんなものが彼女にはあった。先輩の教室、そばにいなくなった親友、そして私の間を、ずっと意識がぐるぐるしていたのだろう。私しかわからない「親友が去った理由」を考えながら、自分ひとりでどうしていいかわからずに、ずっとぐるぐる考えたのだろう。


 一週間、ごはんが食べられない、そんな状態を私は知らない。私はその時期、味のしない砂のような食事をただじゃりじゃりと噛んでは飲み下していたが、一週間も食事がとれないことはなかった。彼女はどれほど辛かったのだろう。


 もし、今言葉にできるのだったら、好きとまでは言えなくても、もっと、もっと言葉を尽くして、言える言葉があったかもしれない。


 そばにいたい、いられない。離れたい、離れられない。


 私はずっと、心に加害者を住まわせたまま、彼女のそばに居つづけた。そして時々、自分を抑えられずに避けた。卒業を期に完全に離れてしまうまで、私の感情は唯花を、私を、振り回し続けた。


 彼女が苦しんでいたことに、離れてこんなに時間が経った今になって、深く思い至る。プリンマニアに話したせいだ。当時は自分の感情で何がなんだかわからなくなりすぎた。


 謝りたい、謝れない。伝えたい、伝えられない。


 私の目からぽろぽろと涙がこぼれていた。布団をかぶって、意識が完全に過去に飛んでいることに驚きながら、その感情を無理に味わいなおす。


 悩ませたのは私だから。私が傷つけたのだから。辛いのは彼女だったのだから。


 自分の感情で手一杯だった私がここまで唯花の内面を考えたのは、プリンマニアとの会話が、私を過去に戻したせいだ。

 プリンマニアとの会話のせいだ。


 あの頃、彼女のひとこと、ひとことに心が震え、コントロールを失った私が、彼女のひとことの裏にどれだけの苦痛があったのかに、いまになって気づく。


 ――自分でももう、何度も何度も、考えてます。自分に原因があるのかって。何が原因だろう、何がおかしいんだろう、自分は変なのか、どこが原因だって、グルグルグルグル考えてます。もう充分すぎるほど考えてる。ひょっとして生きてる事に向いてないんじゃないかって所に行き着くほど。


 彼女の、首を傾げた上目づかいの目が、私にとってどんなに破壊力をもっていたか。

 危険なほどに可愛い彼女のしぐさ。


 彼女にとって、それはどんなに必死のしぐさだったのだろう。首をかしげて、私の話を聞こうとした、目に涙をためて、私にそうされるとこんな風になるんだとぶつかってきた、彼女はどれだけ切実だったことか。


 それに対しての私の返事は、なんて冷たく暴力的だったことか。




※不快を感じるかもしれない単語が使われていたことを深くお詫び申し上げます。この話ではその単語は使わない方向で書き換えました。

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