第33話 いじったり
「なんか汁ものが食べたかったんだけど」
わたしはそう言って、ハヤシライスをあおいのテーブルに置き、自分も席についた。
「豚汁とか味噌汁だと、ちょっとおかずが間に合わなくて、時間もないしね。ハヤシライスにした」
「ハヤシライスのこのトロトロの所が汁ってこと?」
これは汁じゃねぇよ、ソースだろ……。
さっき脳内でおつぼねぷりんにした突っ込みが、自分に返ってくる。そう。これは、ソースであって、汁ではない。
でも、ほら、あったかさを身体に流し込むものとしては、役割を果たすしね? わりと液体だしね? プリンのカラメルソースを汁扱いするのは許せないけど、ハヤシライスならね?
「美味しい」
あおいは唇をにいっとさせた。ふわんと花が舞うような可憐な空気がわたしを舞い上がらせる。
ペロリと平らげたあおいに、プリンを渡す。
――そばにいって、近くで食べさせても、いい?
今日は、もう、聞かない。あおいの唇が恋しい。この前食べさせてもらう側だったから、わたしはしばらくあおいにプリンを食べさせていない。
自分のプリンもあおいに渡す。あおいの目に浮かんだハテナマークは、わたしが椅子を移動させるとすぐに消えた。
「あーん」
プリンを口に入れたとたん、あおいの肩がふっと下がった。力が抜けたみたいに。
「癒される」
あおいが、言った。
わたしのプリンを食べて、癒される、と言った……!? プリンあーんが、体型の変化のみならず、心にまで影響を与えたと。それは、わたしのプリンが、あおいにとって大きい存在だという告白か……?
癒されて。もっと癒されて……!
ああもう可愛い可愛いたまらん可愛い。
「今日は会社が忙しくてさ」
「そろそろ忙しくなるって言ってたもんね、あおい」
プリンをはみはみしているあおいが、上目遣いでこっちを見た。
ふぉぉぉおおお!
なんだ? どっからそんなエロい技を編み出した!?
「それに加えて、お局がもう、なんなんだよって感じで」
「例のお局さんね」
「腹立たしい」
あおいは歯をむき出して、イーッという表情を作った。こういう顔も可愛いんだよね。あ~~。もう。ヤバイ。ほっぺむにむにしたくなる。
「うりうり」
イーッとしている唇に、プリンを塗るようにする。とろんとしたプリンが唇をすべる、わざと往復させる。ぞくっと脳が痺れるような気がした。あ、いま、新しい性癖が目覚めた――。プリンを唇に塗りつけるというのは、ちょっと、思ったより体に来た……。
「癒されとけ。食べろ。そして肥えろ」
「肥えろは余計。美味しい」
あおいが幸せそうに言う。
ああ、こんな笑顔でわたしの身体は溶けてしまう。
喉元から、もういちどプリンで唇をなぞりたい、塗りつけたいという欲求が湧いて出てくる。
――なぞるように。
ふいに、おつぼねぷりんの書いた小説が脳内で再生された。
『桜の唇のプリンを指ですくって、なぞるように、半分開いた唇の間に誘導する。柔らかい感触が私の指をプルンと押し返す……』
想像というのは、深度を増すのだ。一度リップで触れてしまった指は、感触を忘れなかった。それに加えて、おつぼねぷりんの、プリンを指で唇の間に入れるという悪魔的なエロ描写は、いまあおいの唇を目の前にして、幻触をともなって再生される。親指で、人差し指で、中指で、彼女の唇に触れたくて、わたしの体を、皮膚を、ぞくぞくとくすぐったいものが覆っていく。
ふ~~。
唇に触れながら。プリンを指で、指で……。
まずいかもしれない。
卵の殻を破るように、ぱりんと音をたてて、割れそうなものがある。
殻の内側からとろりと出てこようとするものが、わたしをぼうっとさせている。殻は、卵の殻と同じぐらいに薄く、今にも割れそうだった。
今あおいが、プリンを口からはみ出させたら、わたしはきっと指で触れてしまう。
指で唇に。
どうして、塗るタイプの、つぼ入りタイプのリップを買ってあげるとか、そういうことを、思いつかなかったんだろう……なぜチャンスをふいにしてしまったのか。今からでもつぼ入りリップを買おうか。食後のお手入れをわたしが……。
もういい、プリンが口からはみ出さなくても、指で。スプーンで指にプリンをのせてそれをあおいに……。
――いやそれはまずいだろ!?
ぼうっとしすぎた。我にかえったわたしは、どうにか妥協点を探そうとした。指で直接触れないための、代替行為を。
さっき一回やったから、許してくれるよね。指じゃなくて、プリンでだったら。
「うりうり~~」
「もう、なにそれ!」
プリンで唇に塗り塗りされたあおいが、怒った表情をしながらプリンを吸う。
「あおいって、やばいね。いじりたい空気ある」
「ええ?」
「いじりたくなる。お局さんも、そうなんじゃないの」
「ええ? どういう意味?」
エロくて。表情がころころ変わって、それがいちいち可愛くて。じつにけしからん生き物。
「ド天然すぎるしね。ちょっとズレてるし。あんたにも、いじられる原因あるんじゃないの?」
「…………」
あおいは返事をしなかった。
どうしたんだろう? 見ると、さっきまで嬉しそうに顔を綻ばせて美味しいと言っていたあおいの口元から笑いは消え失せ、ほとんど無表情といってもいいぐらいになっていた。
いや……。無表情というより。
あおいの手が、わたしのスプーンを持つ手を、ゆっくりと押し退けた。
彼女はゆっくり目を閉じて、震えるような息をふふぅと吐いて、また目を開けて、今度はプリンの皿を見つめた。
「あおい」
ずっと黙っている。あおいの小さな拳が音もなく、テーブルに置かれる。あおいは数秒目を閉じてから、もう一度、わたしをまっすぐに見た。この小さな身体のどこからそんなオーラが出てくるんだと驚くような怒気に燃えた目で。
「――ムカついた」
ゆっくりと椅子から立ち上がり、あおいはそのまま自分の部屋へ入ってしまった。
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