第9話 鍋を食べたり

 コンコン、ドアをたたく音がする。

 わたしは寝たふりをしようか、迷った。


 今日の夜ごはん当番はあおいだ。

 せっかく作ったものを食べないのは、それは、あおいの気持ちを考えると、したくない。


「芽生、調子わるい?」


 あおいがそっと聞いてくる。


「なんか、元気ないから、鍋作ったよ。食べられそうなときに、おいでよ」

「今行く」


 しまった。

 声に。完全に出た。気分が落ちてるのが、完全に、声色に出た。


「芽生」


 あおいがドアを開けようとした。

 心臓が飛び上がった。


「いい!!」


 わたしはドアを押して、あおいがこれ以上ドアを開けられないように押さえた。


「開けないで。人の部屋勝手に入らないで!」


 怒ってしまった声に、あおいが黙っている。


「ごめん、……なんか、部屋にこもってるの、長いなって、思ったから」

「大丈夫だから。わたしは完璧女子なの、あんたと違う。心配されるような事はなにもない」


 息をととのえて、自分でドアを開ける。


「ほら、ね?」


 あおいは何も言わなかった。無理に話しかけないほうがいいと思ったのだろう。わたしに鍋をよそってくれた。そして、あおいは「いただきます」と小さく呟くと、食べ始めた。


「会社でいろいろあって」


 わたしは言い訳をする。そうなんだ、とあおいが相槌を打つ。


「聞いてよければ」

「だから、完璧女子だって言ってるでしょ。自分でなんとかできるから」


 内容もないのに相談できるか。


「私も、会社でいろいろ、あるんだよね」


 ふう、とあおいはため息をついた。


「だから、わかるよ。何かストレス解消になるようなこと、あると違うんだけどね」

「能天気なあおいに、何があるの」


 あおいは唇を突き出した。


「会社に、いかにもオツボネ~って感じの先輩がいるんだよ。意地悪してくんの。ほんと腹立つ」


 わたしは、おつぼねぷりんのお局小説を思い出した。


 タイトルは「イジワル★性悪しょうわる! おつぼねレッスン」、第一話、第二話、じゃなくて、レッスンワン、レッスンツー、と話の番号が振られている。


 クッソくだらない小説だが、お局が変態だから、現実に重ね合わせたら見下せて楽しいんじゃないか?


「イジワ――……」


 ああいうの読んだらストレス解消できるんじゃない――、うっかり言いそうになって、飲み込んだ。


 やっべ。


 おつぼねぷりん読んでるの、あおいにバレたら、百合好きがバレる。「プリンのじかん」作者のを読んでいるってことなんだぞ? 「プリンのじかん」を読んでいることがバレたら、あおいは、思うだろう。


 もしかして、「プリンのじかん」に影響されて、私にプリンを食べさせはじめたの……?


 やっべ。やっべ。危ないところだった!


 そういう誤解は、ほんとうに嫌なタイプの誤解だ。


 わたしは、中学生のころから、ずっと、「レズビアン&ゲイ映画祭」というものに興味を持っていて、行きたいと思い続けていた。最近は毎年、観にでかける。でも、行くようになるのに時間がかかった。


 ――そういう作品をみてるから、そういう風になるんだよ。


 そう思われるのが、本当にいやだったからだ。


 卵が先か、プリンが先か、――違った、卵が先か、鶏が先か。


 百合作品に触れてなんていなくても、わたしは女の子を好きになっただろう。そういう作品に接する機会がないほど、自分の気持ちに気づくのも遅れて、感情をこじらせていただろう。


 百合は、わたしを救ってくれるものだった。


 だけど、作品に触れたからこそ、こういうカップルになれたらいいのに、とあこがれる気持ちも出てくるわけで。


 卵が先か、鶏が先か。今になっては、わからない部分も、ある。


 わたしが、普通に男の人を好きになっていたら、わたしがどんなに恋愛小説を読んでいたとしても、周りの人は、「恋愛小説を読んだせいで男性を好きになって」とは思わないだろう。


 でも、百合の場合は、思われるかもしれない。

 わたしは、同性を好きというキャラだけでなく、「作品にすぐ影響されて実行にうつす、思い込みの激しいキモい人間像」まで背負い込むことになる。

 理不尽だ。


 わたしが自分で長い時間かけて悩み、探り、覚悟して、やっと腹をきめてこれは恋愛だと納得せざるを得なかったみちすじを、外野から「そんなものを見たから影響されて」と軽く扱われるのが、いやだった。


 だから、観に、行きたくなかった。

 早く行けば、いい作品に早くから触れられたのに。

 百合を家でひっそり読むというのと、みずからそういった映画祭にでかけるというのは、わたしにとっては大きな差で。勇気が要った。


 あおいが先か、プリンが先か。


 あおい本人に、あおいが好きだとバレることより、百合を読んでいることがバレて、「影響を受けて」、ただの勘違いの恋愛で、何も考えもせずに、あおいにプリンを食べさせるようになった……そういう誤解をされることのほうが、わたしはいやだった。


 わたしがプリンを食べさせ始めたのが、先なんだ。おつぼねぷりんより、先なんだ。


 あおいに、おつぼねぷりんを読んでいることを、知られるわけにはいかない。

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