kazuki( ˘ω˘)幽霊部員



──私の家には古い鏡がある。


鏡と言うものは左右を反転して自身を写す。

上下に反転されない事を疑問に持つのは、鏡の写した物を反転するという作用に対する認識の齟齬である。

そも鏡と言うのは、鏡の反射面に対して存在する物を正対して写すものだ。

鏡の前に立てば左右が反転される。

鏡の上に立てば上下が反転される。

この鏡の面に対する鏡映反転を無意識で理解しているからこそ鏡を前に立った時、左右反転されても上下反転しないのは何故だろうと疑問を持ってしまうのだ。


古来より鏡は神秘的な物である。

御神体として扱われ、魔を祓う物として祀られる事も多い。

天照大御神の御神体である八咫鏡が最たるものだろう。


だが同時に見てはいけない物を写す媒体、異世界の入口と扱われる事も多い。

合わせ鏡をすると自分の死に顔が写る、悪魔が写る。

ルイスキャロルの鏡の国のアリスが有名だろう。


日常生活に欠かせない鏡は身近にありながら、善し悪しをを問わずに神秘性を帯びている。



──閑話休題。


私は家にある古い鏡が怖い。

何でも先祖が偉い人から賜ったとかで家宝として祀っていたらしく、今でも神棚に収められている。

小さい神棚に祀られてはいるが母も父も、たまに掃除をする位で特に大事にしているわけでも、何かを祈願している様にも見えなかった。


ある時、私は神棚の中を覗き込んだ事がある。

もちろん幼い時分の興味本位だ。

神棚は天井から30cm程下がった所に設けられており、小さい自分では見えない高さである。その高さを埋めるために食卓の椅子を引きずり、上にプラスチックで出来た箱を積む。恐る恐る箱の上に乗ると自分でも思った以上に安定しており、迷う事無く背筋を伸ばして神棚の中を覗き込んだ。木の匂いがこもった簡素な神棚。両脇には白い陶器の瓶があり、葉っぱの付いた小さな枝の様なものが刺さっている。その奥に無造作とでも言えるほどの適当さで古ぼけた家宝は鎮座していた。

これが鏡だと言う事は知っていた。

母が神棚は神様のお家だと言っていた事も覚えている。

しかし、幼い自分には家主であろう神様を見つけられず、普段から見ている綺麗な鏡との乖離からそれが鏡だとは納得が出来なかった。

手を伸ばし、家宝を手に取る。

それは質の悪い鉄を磨いたような武骨さで、鏡面と思われる部分のみ磨かれた為か窪んでいた。くすんだ鏡面には自身の滲んだ顔が映るが、滲みすぎて輪郭が分からない。ぼやけた色のお陰で自分の顔を写している事だけは理解できた。

果たしてこれは鏡なのだろうか。

洗面台の鏡は歯を磨いたり、顔を洗ったりする時に使っている。だが、この鏡と思われるものは自分を明確に写さない。きっと古い鏡だからぼやけてしまったのだろうと、その時の自分は納得した事を何となく覚えていた。


私はその日初めて、家宝の鏡をしっかりと認識し、感触を確かめた。

これが不思議な物で今まで鏡があるのを知っていたはずなのに、どんな鏡があるのかを実際に見て触ってからはどうにも鏡を無自覚に意識する事が増えたのだ。

それは些細な事であった。

親に怒られた時、テストで悪い点を取った時、運がよかった時、テレビに飽きた時、私は無意識に神棚を見上げていた。

数秒にも満たない時間だったからか、自分では気づく事は無かった。

最初にその行為を知ったのは父にどうしたのかを聞かれた時だ。無意識に神棚を見ていた自分には父が何に対して問いかけてきたのか理解が出来なかった。追って神棚を見ていたと言われたが、それでも見ていたかなと記憶を遡るも不明瞭。ただその日以降、無意識だった行為は神棚を見ている時に知覚出来る様になっていた。


無意識の行為を知覚できる回数は日に日に増え、気が付くと神棚を見上げている。

一日に何回神棚を見上げていたのかを数えた事もあった。

少なくても日に3回、多い日には10回を超えて神棚を見ていたのだ。

その頃には自分が神棚を見上げる癖をしっかりと認識していたが、やはり見上げる瞬間を自覚する事だけは出来なかった。自分の意識とは別に体が神棚を見上げている。大した事のない行為は積もり積もって違和感となり、次第に不気味さへと変貌していく。神棚を見上げる理由も、見上げたい理由もない。その理由のない行動が、どうにも自分が操られているように感じて、何時しか意識して神棚を見ない様に生活をするようになっていた。


神棚を見ない生活を無意識で行えるようになり日が経った頃、不意の音に神棚を見上げてしまった。

ゴトリと、何か硬い物がぶつかる音がした。

確かに神棚の方から音がした。

無意識で神棚を避ける生活をしていた脳は、一瞬だけ神棚が何なのかを理解できなかった。

だが、それを神棚として認識した瞬間、自分が意識して神棚を避けていた事を思い出す。

避けていた神棚から音がしたというのは、まるで自分の事を意識させようとしている様に感じられ、忘れていた不気味さを増幅させた。目を離せない。そこに何かがいて自分を見ているような緊張感。今にも何かが這い出して来るんじゃないか、ずるりと落ちて床にぶつかる音。もしかしてさっきの音はそれだったんじゃないかと言う恐怖。ぎゅっと絞められた心臓が母のただいまと言う声に緩められ、お母さんと言う言葉と共に恐怖を吐き出した。

母の袖を引っ張りながら神棚の下を確認するが何もない。不思議そうな母の顔が何よりも心強かった。


学校の友達と話していて知った事がある。

長生きした猫は猫又と言う妖怪になるらしい。

しっぽが二本ある猫で人を化かしたりすると言っていた。

妖怪になるというのは良くわからなかったが、たぶんレベルアップして進化したって事なんだろうなと私は漠然と理解した。

そうなると戦うロボットもレベルが上がったら進化するのではないかと言う疑問がわいてくる。

友達に機械も妖怪になるのかを聞いてみると、考え込んでしまった。歯切れ悪くパワーアップはするけど……と呟いた後、顔を上げる。

曰く機械に関わらず机とか生き物ではない物も妖怪に進化するらしい。こちらも猫又と同じように長い年月を経た物が妖怪になるらしく、付喪神と言うようだ。

……もしかすると神棚にある鏡は付喪神なのかもしれない。その付喪神という妖怪に進化すると生き物ではなくとも動けるようになると友達は言っていた。


その日から私は何日か悩んだ。

悩んだ末に、自分の意志で神棚を見上げた。

父と母がいる時に神棚を見上げた。

薄い色の木で組まれた神棚は中が見えない。

そこに鏡があるのは確かだ。

しかしながら変に意識しなければ、見られている気もしないし不気味さもない。

それはただの神棚でしかなかった。

母に神棚を指して神様の家なんだよねと聞くと、そうだよと答えてくれた。父に良い神様なんだよねと聞くと、家を守ってくれているんだと答えてくれた。

それ以来私は神棚の中には神様がいて、鏡は付喪神に進化したものなんだと納得した。そこまで来て、友達に教えてもらった付喪神の神と神様の神が同じことに気づいて母の言う神様が、神棚の中にある鏡なんだと理解できた。


それからと言うもの、毎週日曜日は神棚の手入れをする様になった。

今まで良く分からずに不気味とも思えた神棚を毎週間近で見て、触って綺麗にする。両親も神様の家だから大事にしないとね、と率先して手入れをする私の手助けをしてくれた。その結果として見慣れた神棚があり

、綺麗な神棚があり、家を守る神様がいると理解して不気味さは親近感に変わっていた。


いつしか私は、両親には秘密で鏡を持ち出すことが増えた。ただ子供心に神様と出掛けたかっただけである。神様と公園へ、学校へ、友達の家へ。自分は神様に守られているという安心感が好きだった。ある日両親が夏祭りへと連れて行ってくれた。もちろん神様と一緒に。


やはりと言うべきか、焼きそばの匂いに流行りの包装をされた綿菓子、アニメキャラの仮面に金魚すくい。流れていく喧騒が心地よく、いつもなら静かな夜に大勢の人波、世界を照らす提灯。そこは私にとっては異世界で、落ち着きのない楽しさが神様の事を失念させていた。

細い音が空に上り爆ぜる。散った音は異世界においても幻想さを失う間もなく、姿を消した。名残り惜しむ隙もなく幻想だけを瞼の裏に焼き付ける音の雨は、豪雨の後に私の中に何かを残す。後には、まあるいお月様だけが変わらずに異世界に照らされていた。

──ゴトリ。

不意に見上げていた月が落ちた。

否。音に誘われ地面を見ると持ち出していた鏡が月を、ぼんやりと反射させていた。それを見て勝手に持ち出した事を両親に叱られるのではと思った私は、手早くポケットに入れようとして落とした。

ゴトリ。

何故か急に不安になる。

この音に聞き覚えがあった。

あれは私が神棚を、神様を見ない様に生活していた時に聞いた音だ。もしあれが勘違いではなかったら。今日も私が神様を忘れたから落ちたのでは、今もポケットに入れようとしたのに落ちたのは神様の意志によってだとすれば。

ゴト。

誰かが鏡に気づかずに、軽く蹴った。

最初に思ったのは神様が怒るかもしれないという不安。

今度こそ取り落さないように拾い上げて、鏡を握りしめたままポケットに手を押し込んで、手だけを引き抜く。確かな硬さを太ももで感じながら私は少し前を歩く両親へと駆け寄った。

拾い上げるときに見た鏡は提灯のせいか、赤く光っていたように見えた。


また私は鏡から距離を置いた。

前の様に誘われているような不気味さからでは無く、神様が私を見ているような薄気味悪さからだ。神様からは私が見える。私からは神様が見えない。その一方的な観測が嫌で、鏡は神棚に落ち着いた。腫れ物を扱うように、神様の機嫌を損ねないように神棚だけは習慣として綺麗に掃除を続けていた。


10月末日、それは起こった。

父は仕事、母は学校の役員会で出払った夜。私は留守番を任された。父が早いか、母が早いか。数時間程度の留守番ではあったが、窓の外は充分に暗い。年に数回程度はあることだが、心細いものであった。私は心細さを誤魔化すために家中の灯りを付けて、居間でテレビをつける。チャンネルを変えても興味を惹かれるものはなかったが、内容の明るいバラエティ番組を流す事にした。やや肌寒い季節であり一度自室へ戻り薄い毛布を回収し、漫画を数冊手にとった。

……居間へ向かう廊下に出たところで何かが聞こえた気がした。一度足を止め、周囲を見るが何もない。明るい廊下に照らされた世界に不審なものは見つからず、勘違いだと居間へ向かい数歩歩いて廊下を曲がる。視界の端が薄暗くなった気がして振り返ると、通ってきた廊下の電気が消えていた。──そんな訳がない。私は家中の電気を付けてからは一ヶ所たりとも消していない。何より今通ってきた廊下だ。両手で毛布と漫画を抱く自分では電気を消す事もできない。廊下の奥の自室からは明かりが漏れている。消えたのは廊下だけ。たまたまに違いない。たまたま電球が切れたのだ。そう納得して居間の方へと向き直ろうとした時、また何かが聞こえた。先程よりもはっきりした音は勘違いとは思えない。同時に自室から漏れる明かりが消えた。視線の先は闇。とてもじゃないが偶然電球が切れたとは思えない。このままでは自分がいる場所の電気も消えると直感した私は恐怖を押し殺して、闇を背中に階段を恐る恐る下る。まるで催促をするような音が響き、階段の電気も消えた。自然と目には涙がにじみ、吸う息が細かく吐く息が多くなる。闇から這いずるように階段を降りきって、居間から漏れる明かりに浸ると僅かな安堵感に包まれた。根拠もなく居間にさえ着けば安全だと思っていたのはきっと、テレビから流れる明るい喧騒のおかげだろう。だが違和感に気づいて立ち止ってしまう。もう数歩で居間なのにテレビの音が聞こえない。なんで? テレビは付けたのに──ゴトリ。

はっきりと明確な音が、邪魔する音もなく届いた。その音は頭によぎる疑問を放棄させるのに充分であった。

──カシャン。

今までとは違う音が居間から鳴った。

甲高い音に心臓がギュッと締まり、呼吸が細くなる。その今までと違う音を確認する為にも、居間の前へと行こうとするが足が動かない。震える足から力が抜けてへたり込む。漫画と毛布を床に置き、ゆっくりと四つん這いで居間を覗き込んだ。明るい居間には何もない。原因であろう神棚を見上げると両脇にあった白い陶器の瓶が一つなくなっていた。目が離せない神棚で何かが動いたように見えた。その動いた何かが白い陶器の瓶を押し、傾き、神棚の前へと倒れ、落ちた。コマ送りで映る景色は、甲高い音で現実へと引き戻された。目が離せない神棚の中では黒い何かが蠢いている。その黒い何かは粘性を持ち、神棚の端からはみ出すとぬるりと糸を引いて雫をこぼした。何本も何本も糸を引いて雫をこぼす。音は聞こえないが、その景色からはペチャリペチャリと想像させ、耳の奥へとへばりついていく。一層大きい黒い本体のような物が神棚の端から、太い糸を引きながらずるりと零れ落ち、水気を帯びた音を立てて床に落ちた。不可解な出来事から逃避するように目を閉じる直前、家中の灯りが消えたのを認識して全てが闇に溶けた。

ぬちゃぬちゃと蠢く何かが、闇に溶けた黒い物が気色の悪い音を引きずって近づいてくる。私は目を強く閉じ、毛布を掴んでくるまると耳を両手で塞いで抗った。だが、そんな抵抗は虚しく水っぽい音は這い寄り毛布に触れる。闇の塊は私を飲み込むように頭から這い上がり、首筋をつたい、ずっしりとした重さが背中にのしかかった。薄気味の悪い存在が全身を覆い、声の様な何かを全体から囁き、存在を主張する。言葉にできない恐怖は涙と震えと嗚咽に変わるが絶えることは無い。背中にのしかかっている何かが虫の足のように細かく動いているのが伝わり、体を強張らせた。周囲からの囁きは徐々に声としての形を取り始め、それは──。


しねしねしねしね、殺す殺す殺す殺す。


──神様、助けて。

もう神頼みしか出来なかった。

頭の中で繰り返す言葉は無意識に口から吐き出される。

意識が遠のくほどの訴えは神に届く事はな──。

「ただいまー」

「もう寝ちゃったかなって、何してるの?」

くるまっていた毛布が持ち上げられ、明るさが差し込まれた。

「何で泣いてるの?」

「まだ一人で留守番は怖かったかな」

「ごめんね、日が変わっちゃって」

「ほら、立って。よしよし、今日は一緒に寝ようか」

見上げると明るい室内に両親の笑顔。訴えは確かに両親に届いていた。居間から這いずった跡もなければ黒い何かもいない。ただ、神棚の瓶は床で割れていた。


それからは神棚から音がする事はなくなった。

日曜だけは両親に手伝ってもらい神棚を掃除する。

変わったことと言えば、神棚の鏡がくすんでいなかったという事だ。その鏡はしっかりと私を写し出す。まるで黒い何かが鏡と私達の世界を隔てていたように。


一つ気がかりは鏡の縁だけは未だにくすんで、世界をぼやかしている。もしかすると、この鏡には他にも何かいるのかもしれない。



だから私は家にある古い鏡が怖い。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

kazuki( ˘ω˘)幽霊部員 @kazuki7172

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ